第4章 3
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その時、看護師さんが「お話中すみません。バイタルチェックと昼食の時間です」と入ってきた。
コーヒーカップを見て「あら、飲んじゃいました?まだ一応、訊いて頂きたいんですけど」と遠慮がちに言い、あたしと伊哉さんは恐縮した。
そっか…まだお医者さんの管理下にあるんだよね。反省。
伊哉さんがどうしてもあたしと一緒に食べたいと言い、あたしの分の昼食も運んでもらって二人で食べた。
伊哉さんはまだ流動食に近くてブツブツ文句言っていたけど、よく食べていた。良かった。
「最初の日を思い出すな」と伊哉さんがあたしを見つめて言う。
「俺、同年代の女の子と二人で食事するなんて初めてで…妙に緊張したよ」
「え、そうなの?」モテそうなのに。あたしはビックリして聞いた。
「俺の周りの女の人って、皆年上だし。同年代と接すること自体が稀なんだよね」
「そうなんだ…」
それでこの俺様キャラなのか?
「前にも言った俺の『特殊な生育環境』についてなんだけど。
多華から何か聞いてる?」
「ほとんど何も…。特権階級?みたいなことだけ」
「アイツ余計なことは良くしゃべる癖に…」と伊哉さんは呟き、顔を上げてあたしを見た。
「俺の母は瞬凱皇太子殿下の乳母なんだ。
俺には本来、2歳上の兄がいたんだけど夭折してしまってね。
逆に皇太子殿下の母君、皇后様は皇子をご出産あそばされたときに亡くなられた。
それで近衛の父の妻であり、皇帝一族の遠い親戚でもある母が乳母としてお側に上がったんだ」
「だから俺は皇太子殿下の乳兄弟(厳密に言えば違うんだけど)という扱いで、俺が生まれてすぐに父が亡くなったので幼いころから宮廷で育った。
母は養育係としての乳母でもあったから、俺は中学の寮に入るまでシュンとは何をするにも一緒だった。
シュンは俺のことを本当の弟のように可愛がってくれてるから、宮廷内や軍部内でも俺を特別扱いするような雰囲気があって、俺はそれがたまらなく嫌だった」
「俺もたいがい負けず嫌いだからな。特権なんて、実力で超えてやると思って。
勉強も運動も人一倍頑張って2歳年上のシュンにだって負けるかという気持ちでさ。
結果どんどんスキップで大学まで終わってしまって、シュンや母の希望もあって近衛になるべく士官学校に入ったけど、陸軍を志願した」
「最初は母に懇願されて文官として仕官したんだけど、周りの武官上がりのお偉いさんたちの、俺にへつらうような言葉の裏側に見え隠れする、小馬鹿にした視線に耐えられなくて母が亡くなった後に武官になった」
そこまで話すと伊哉さんはお茶を飲み干し、湯呑を弄びながら「でも今回、早葵さんを守るにあたって自分がそういう特権を持ってることを初めて心から良かったと思った。伊哉遼玲であることに初めて感謝した」と笑った。
「…あたしには、伊哉さんの話している言葉の意味がよく解らないところがあって、全部を理解したとは言えないけど。
伊哉さんは特権を持ってるからじゃなくて、自分ですごく努力して今の伊哉さんになったんだと思う。
昨日だって敵の心情を慮って、下士官の人たちのことをとても心配していて、病気の身体を押して歎願書まで書いて。
戦争のない国家を作りたいって、この国にいてしかも軍人さんなのにそういうふうに考えられるのってすごいと思うの」
考えながら一生懸命に話して、顔を上げると伊哉さんは驚いたようにあたしを見つめていた。
その目から涙が零れ落ちて、あたしはびっくりして立ち上がり伊哉さんの傍へ行った。
伊哉さんはあたしの両手を持って、あたしのお腹のあたりに額をつけた。
「俺は…ずっと自分を恥じていた。
俺が乳母子だから、皇太子の乳兄弟だから周りはちやほやしてくれるのだと。
伊哉遼玲として生きるには、まだ足りない全然足りないと。
だから虚勢を張っていたんだ。ずっと誰かに認めてもらいたかった。
何より自分自身を認めたかった」
「俺は、俺を認めてやって良いのかな。
よく頑張ってるって…思っていいのかな」
意外な告白に、あたしは伊哉さんの心の内を見た気がした。
きっと伊哉さんの心は小さな子供のように純粋で、だけど宮中や軍の大人たちの思惑の間でいつも不安に震えていたんだろう。
立場上、それを誰にもお母さんにも話すことができず、一人で耐えてきたんだろう。
可哀そうに…
あたしは「うん、うん」と頷いて、右手を離して伊哉さんの頭を撫でた。
伊哉さんは顔を上げると、あたしの腕を引っ張って床に膝をつかせた。
ゆっくり抱きしめて「ありがとう」と囁く。
そしてあたしの頬にキスした。
「ちょっ…」あたしが慌てて身体を離そうとすると、伊哉さんはぎゅっと腕に力を込め
「唇にはしないから。我慢してるんだからこれくらい許して」と言って、額・頬・耳・首すじへとキスしていった。
鎖骨まできたところでさすがにあたしも身を引いた。こらこらこら。
伊哉さんは残念そうに「これ以上は本当に我慢できなくなっちゃうな」と腕を離した。
油断も隙もないお坊ちゃんだ。もう。
昼食のワゴンをキッチンへ運んでいき、片づけをしていると看護師さんがきて
「少佐の食器はこちらで滅菌します」と言って伊哉さんの食器をビニールの袋にいれた。
さっきのコーヒーカップも滅菌に回されたらしく、なくなってる。
それから、看護師さんはしばらく言い澱むような仕草をしていたけど、思い切ったように顔を上げて
「少佐の感染なさったウィルスは飛沫感染する可能性があるので、唾液はきちんと消毒しておいたほうが良いと思います。宜しければ、この消毒液とコットンを使ってくださいね」とダイニングテーブルに消毒液の入った瓶とコットンを置いてくれた。
少佐の、唾液?
と一瞬考えてあたしはぱっと赤くなった。
急いで「ありがとうございます」と言って頭を下げる。
恥ずかしくてさげた頭があげられない…
看護師さんは困ったように「あの、ごめんなさいね。さっき食器を下げに行こうとしたらその…」と言って「あ、この消毒液、お肌が荒れちゃうので後で良くお手入れしてね」と言いおいて食器の入った袋を持ってリビングを出ていった。
あたしは消毒液をコットンに浸し、キスされた箇所を入念に拭った。
なんかちょっと残念な気もしたけど未知のウィルスに侵されたくはない。
伊哉さんの熱い唇の感触は、まだ消えそうもない…
伊哉さんは看護師さんから怒られたらしく、平謝りだった。
「自分がまだ病原菌の塊だってこと自覚してください!って怒られた。
ほんっとごめん。
どうしても我慢できなかった。
初めて俺を、俺として認めてくれたあなたが、愛しくてならなくて…」
あたしは笑ってポンポンと伊哉さんの頭に手を置いた。
伊哉さんはムッとしたようにあたしの手を取り、そのまま引っ張ってあたしを抱き寄せた。
「…感染すぞ」
「看護師さんに言っちゃうぞ。ドクターに知られたら…」
「うわ、それめっちゃマズイ!病院中、悪友中にウィルス並みにバラ撒かれる!」
そして二人で笑う。
伊哉さんはベッドの上で胡坐をかいて、あたしを座らせ背中から抱きしめて言った。
「せめて遼って呼んでくれないかな?
名字で呼ばれ続けてるのも、なんか他人行儀過ぎて辛いんだけど…受け入れてもらってないみたいで」
「そ、そんなことはないんだけど。…判った。遼って呼ぶね」
と言うと、嬉しそうに笑ってあたしの頭を撫でた。
「じゃあ俺もサキって呼ぼう♪早葵♪早葵♪早葵♪」
「はいはいはい」
あたしは苦笑して伊哉さん…じゃなくて遼にされるがままになっていた。
いろいろと不安なことばかりだけど、遼と一緒なら。
大丈夫。きっと大丈夫。
本当にありがとう、遼。




