第3章 4
4.
伊哉さんの帰還早々のハチャメチャな行動により、その後皆大変だった。
衛生班の方々はリビングから始まって、マンション内の伊哉さんが通った道、乗っ取った公用車に至るまで消毒をして回り、あたしと藤堂准尉と多華さんは念のためと血液も採取された。
伊哉さんは、この逃走劇(というか家に帰ってきただけなんだけど)で、当たり前だけど相当無理していて消耗が激しく、また発熱してしまって家で絶対安静になった。
若いドクターは伊哉さんを罵倒しながらてきぱきと酸素吸入や点滴の処置してバイタルセンサーをつけ、看護師さんに伊哉さんの様子が少しでも変わったらドクターコールするように言いおいて救急隊の皆さんと慌ただしく病院に戻っていった。
藤堂准尉はいつの間にかいなくなっており(多華さんには報告のため軍に戻る旨をしっかり話していったらしい)、看護師さん一人を残して医療関係者の人たちも帰っていった。
皆さん、本当にお騒がせしました…
あたしはマスクをしてグローブをつけてから伊哉さんの病室に入った。
ビニールテントを開け、中に入り、看護師さんに会釈する。
酸素吸入器をつけられ、浅く荒い呼吸をしながら伊哉さんが眠っていた。
あたしはベッドサイドに置かれた椅子に座り、点滴をしていないほうの手を両手で握った。
手はすごく熱く、熱のせいか顔が赤らんでいる。
「起きてしまうといけないので、今よく眠れるお薬を点滴しています」
とバイタルチェックをしていた看護師さんが言った。
ははは…猛獣みたいだね。
「もう少し容体が安定したら、会話も可能になると思います。
いくら若いとは言っても今晩一晩くらいはゆっくり寝ていただかないと治るものも治らなくなってしまうので、お辛いと思いますがご辛抱くださいね」
と優しく言って、ちょっと失礼しますと部屋を出ていった。
あたしは伊哉さんの手を握ったまま、眠っている顔をずっと眺めていた。
擦過傷が所々にあるものの、大きな怪我などはないようで安心した。
会いたかった…
あたしは改めて、自分がどれだけ伊哉さんを好きになっていたかを自覚した。
こうやって手を握って顔を見ていられる、それだけでいい。
しばらくして、遠慮がちに多華さんが入ってきた。
眠っている伊哉さんを見て、ほっとしたような表情を浮かべる。
「早葵ちゃんの顔を見て安心したのね。
昨夜はうなされて大変だったみたい。呻く声が廊下まで聞こえてきたって兄が言ってたわ。
まったく…ICUから点滴引きちぎって逃げ出すなんて前代未聞だって、ドクターもあきれてたわよ。
それだけ早葵ちゃんに会いたかったんでしょうけど」
そして、あたしの顔を見て「じゃあ私、軍に戻るわ。即位式の準備も押し迫ってるし。この状況じゃ見張りをつけておく必要もないだろうってことになったの」と言った。
「えっ…多華さんも帰っちゃうの?」
あたしが不安な声で問うと、多華さんは笑ってあたしの肩をポンポンと叩いて言った。
「早葵ちゃんはリョウの体調回復に専念してあげなきゃ。私は、早葵ちゃんがスパイじゃないってことを必ず証明してみせるわ」
「あ…ありがとう」
あたしは伊哉さんの手を離し、多華さんに頭を下げた。
多華さんって…本当に頼もしいお姉さんみたい。
本当にありがとう。大好き。
それから看護師さんが交代して申し送りなどやっている間に、あたしは多華さんが作っておいてくれた夕食をひとりで食べた。
明日からは、以前から来ていたハウスキーパーがまた来てやってくれるらしい。
トホホ…あたしの家事処理能力の無能さをよく解っていらっしゃる。
前日は全然寝ていなくて殆ど食事もしていなかったし、体力が落ちているとあたしの血液検査の結果を見てドクターから連絡が入り(今のところ感染はしていない模様)、今夜は睡眠をしっかりとるように厳命された。
処方された軽い睡眠導入剤を看護師さんから受け取って、あたしも久しぶりにぐっすり眠った。
翌朝、あたしがちょっと朝寝坊して(イヤ、薬のせいですよ)顔を洗ってリビングに行くと、伊哉さんの病室から押し問答するような声が聞こえてきた。
何事かと急いでマスクとグローブをして部屋に入りビニールテントを開けると、ベッドに起き上ってタブレット端末のテレビ電話でドクターと言い合いをしている伊哉さん、ベッドサイドには困り果てた表情の看護師さんがいた。
「だから俺は腹が減ったの!飯食わせろ!」
『莫迦言うな!今日一日は重湯と粥だ!』
「じょおっだん!殺す気か!」
『昨日、逃げたりしなきゃ今日からもう普通食だったんだ!自業自得だこの野郎!』
ドクターの鋭い突っ込みに、うっと詰まる伊哉さん。
あたしは思わず吹き出してしまった。
伊哉さんは振り返って、はっとしたようにあたしを見た。
「早葵、さん…」
「あ、ごめんなさい。伊哉さんおはようございます」
『ん?彼女か?
おーい、彼女からもコイツに安静の意味を教えてやってくれ』
「うるさい!切るぞ!」
『とにかく、いろいろな検査の結果も出たし後で行くから。
今日は頼むから、おとなしくしといてくれよ』
最後は懇願するような響きを帯びて、通話は切れた。
伊哉さんはあたしの方を見たまま看護師さんにタブレット端末を渡し、あたしを手招きした。
「大丈夫か…早葵さん」椅子に腰かけたあたしの頬を触って、心配そうに言う。
「元気だよ。伊哉さんこそ、皆さんを困らせちゃダメでしょ」
今朝、交代したらしいちょっと年配の看護師さんがタブレット端末のメールを見てふっと息を吐き
「ヨーグルトくらいなら食べてもいいでしょうってドクターから伝言です。彼女にアーンしてもらってくださいねっておっしゃってます」
「・・・・!」伊哉さんが赤くなって振り向く。さらっとした物言いに言葉が出ない様子。
年の功か。
「あ、それと、空気感染の可能性はないという結果が出ましたので、マスクは外していただいて結構ですよ。このビニールカーテンも後ほど取り外します」
そこで看護師さんは言葉を切り、いたずらっぽく笑って「但し、接触は禁止」と言いおいて出ていった。
あたしは顔が赤くなるのが判って、すごく恥ずかしかったけどマスクを外した。
伊哉さんは後頭部をがりがりかいてため息をついた。
「…心配かけたね。もう大丈夫だから」
「うん。…良かった」
「多華に、電話で超怒られた。私の可愛い妹にあまり心配かけるなってさ」
ふふっと思わず笑う。ありがと、多華お姉さん。
看護師さんがヨーグルトを持って戻ってきて、アーンはしなかったけど、伊哉さんが点滴の管に苦労しながら不器用に自分で食べるのをあたしは見ていた。
なんか、とても幸せだった。




