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来年の今日、またこの場所で。  作者: 若隼 士紀
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第3章 2

2.


 窓の外が少し暗くなってきたころ、多華さんが伊哉さんの部屋から出てきて、疲れ切ったようにソファに座った。

 あたしが急いでお茶を淹れて、多華さんの前に置くと「…ありがとう」と言って湯呑を両手で包み込むように持ち、口をつけた。


 「…どこから話していいのか…

 リョウの様子はまだ判らない。命に別条があるのかないのか、それすらも判らない。

 追って連絡が来るはずだから。

 でも、最悪のことも…考えなくちゃいけないかも…」


足元に突然穴が開いて、底なしの暗闇に落ちていくような気がした。

最悪のこと…それって伊哉さんが?


 「いや…嫌だ…

 伊哉さんが…そ、そんなの…」

涙がぱたぱたぱたっと落ちて、あたしは自分が泣いていることに気づいた。

 「あたし…まだ好きって言ってない…まだ好きって聞いてない…

 やだよう…会いたいよう…」


 涙をぼろぼろとこぼしながら呟くあたしを見て、多華さんは驚いたようにあたしの隣に来てぎゅっと肩を抱き「大丈夫。大丈夫よ。早葵ちゃんに会わずにリョウが逝くわけないでしょ」と強く言った。

 「ごめんね、私の言い方が不用意だった。早葵ちゃんがリョウのこと、そんなふうに思ってるとは考えてなくて。本当にごめんなさい。それと、ありがとう」

 そして抱きしめてくれた。


 あたしが散々泣いて、少し気持ちが落ち着いてきてから、多華さんは経緯を話してくれた。

 「尖閣諸島に送られたとはいっても、小さな島だから海軍と空軍がしっかり出張ってて陸軍のやることって大して無かったみたいなの。

 海と空からは特に異常は発見されなかったから、リョウの直接の上官で今回の責任者である陸軍大佐もさっさと沖縄駐屯地まで帰ってしまって、リョウ達は帰還命令が下るまでただ魚釣島に留まってるって感じだったらしい」


 「リョウは今回、一部のお偉方の嫌がらせによって大尉相当の小隊しか持てなかったけど、自ら先頭を切って毎日見回りに行ったりしてた。

 そしたら一昨日、いつもは見かけない小さな漁船の群れのようなものが確認できて、一応海軍に連絡を入れておいたんだって。

 海軍も怪しいものではないみたいだけど、気を付けておくって返事があった」


 「で、今日の午前中に気になって小隊を率いて海岸に行ったら…小さな崖下の、空や海からは見えないところにたくさんの漁船が着岸してて。

 誰何しようとしたら、向こうも人がいると思わなかったのか驚いていきなり発砲してきて、ドンパチが始まってしまって…」

 

 「それに気づいた空軍のパイロットがろくに確認もせずに空爆して、リョウの部隊のひとりが被弾した。

 敵は中国語で何かを叫んでいたらしいんだけど…正規の軍ではなくてゲリラ組織のようだったって報告が上がってる」

 

 「そのゲリラたちがリョウ達に向かって火炎瓶のようなものをたくさん投げつけてきて、火炎瓶自体の威力は大したことなかったんだけど、どうやらその中に生物兵器が仕込んであったようで。

 割れた破片に当たって傷ついた人も、傷ついた人を担いで基地に戻った人もその後に高熱を発して、今陸軍病院で手当てを受けてる」


 「その後、沖縄駐屯地から陸軍のヘリ部隊が魚釣島に派遣されて、敵は殲滅された。

 大佐と海軍・空軍は責任問題に発展してる」

そこまで話すと、多華さんは重い息をふうーっと吐いた。

 

 「それで…伊哉さんは」

 「リョウも高熱が凄いみたい。

 今、ドクターがリョウ達の体から血液を採取して分析して、軍の毒物班も火炎瓶から生物兵器の解析をして、大至急治療薬を作ってるけど…間に合うか…」


 そんな…

あたしは思わず両手を握りしめた。

 多華さんは、自分の両手であたしの両手を包んで「信じよう、リョウの気力と体力を。このままなんてことは絶対にないと」と力強く言った。

 あたしはどうしていいか判らなかったけど、多華さんの言うとおりだと思って頷いた。


 その時、インターホンが鳴った。

 急いで多華さんが応答すると『見城ライハです』と男の人の声がして「兄上?!」と多華さんが驚いたように言ってマンション入り口のロックを解除した。

 

 「兄が来たわ。何だろう」

と呟いて多華さんは玄関に出て行き、やがてひょろりとした男の人を伴ってリビングに戻ってきた。

 紺色の詰襟の軍服を着て制帽を被ったその人は、大きな風呂敷包みを抱えていた。

 涼しい目許が多華さんに似ている、イケメンだった。


 「こんばんは。突然押しかけてすみません」とよく通る低音で挨拶した。

 「兄のライハ。海軍士官なの」

 「あ…こんばんは。初めまして。川上早葵です」


 「父上と陸軍病院に行ってきた。面会謝絶で、医師に尋ねてもなにも答えてくれなかった」

 「…そう」

 「父上はまだ病院にいる。これ、母上から言付かってきた。

 俺も病院に戻るから、少しでも食べておくように」

と、風呂敷包みを多華さんに渡し、「では、失礼いたします」とあたしに敬礼して出ていった。

 

 見送ろうと廊下まで行くと「いつ、危篤になってもおかしくない。すぐに出られる準備をしておいてくれ」とライハさんが多華さんに言っていた。

 多華さんはうなだれて、「判ったわ」と低く応じていた。


 あたしは眩暈がして、その場にくず折れた。

 「早葵ちゃん!」と多華さんが駆け寄ってきて支えてくれる。

 ライハさんは多華さんに「川上さんを頼むぞ」と言ってドアを開け、出ていった。


 多華さんはあたしを抱え、ソファに横にならせてくれた。

 髪をなでながら「ちょっと休んだ方が良いわ。起きたら、母の作ったお弁当を食べましょう」と優しく言ってくれて、あたしは涙のにじむ目を閉じた。


 もうこのまま、目を覚ましたくない。

 

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