左手の十字架
「ああ神よ…
一人目を殺めてしまった日から毎日ここで告白をしています。
私の左手はこの3カ月でもう6人の罪深き犯罪者たちを殺めてしまいました。
この国では確かに身を守るために銃を持つことが許されています。
ですが決して裁きを下すためではありません。
ましてや私は国立図書館の職員であり警察官ですらないのです。
警察官であってもそのほとんどの職員は犯人を射殺すことはおろか、その引き金を引くことさえなく定年を迎えるというのです。
なぜ、私なのでしょうか?
なぜ私ばかりがその場面に居合わせ、私の考えよりも先にこの左手が裁きを下すのでしょうか?」
誰もいない教会に少女の細く震えた声が響いた。
いつもなら賑わいのある教会も日の落ちるのが早い12月の夕方になれば静寂に包まれるのだが、最近では決まってこの時刻くらいに尋ねてくる少女がいる。
その少女はその場に膝をつき、胸元に下げた十字架を両手で握りしめながら、白い髭を蓄える老いた神父に告白した。
神父は目を閉じ告白に耳を傾けている。
栗色の腰まで伸びた長い髪を赤いリボンで後ろでまとめ、化粧などは口と頬をふんわり桜色に染めるだけ。
黒いコートに茶色の手袋、黒ぶちの眼鏡は彼女をさらに落ち着いた雰囲気にしている。
唯一に派手な色といえば、髪をまとめる赤いリボンくらいのものである。
その風貌だけでは人の性格など分からないとよく言いうが、少女のその風貌からは彼女の普段の清潔感や、几帳面さ、物静かな雰囲気などがにじみ出ているようにも見える。
簡単に落ち着きのある雰囲気と一言で片付けるのは容易であるが、見た目ほどに落ち着いてはないだろう。
なぜならば、身の回りに起きている不幸を考えれば、もし風貌通りに落ち着き払った性格であったとしても、もの静かであるはずの心の水面下には、絶えることのないたくさんの大小様々な波音がその水面下に広がっているはずである。
よく見れば限りなく黒に近い深いすみれ色をした幼さの残るクリクリとした大きな目元にたくさんの涙をためながら彼女はつづける。
「神は私に何をお求めになっているのでしょうか?」
神父は彼女をなだめるようにハンカチを差し出しながらつぶやく。
「神はすべてをお考えです。きっとこの偶然にも何かわけがあるのでしょう。アリシア…絶望などしてはいけませんよ?神はいつも我々を見守っていてくださっているですから。」
少女の名前はアリシアというらしい。
アリシアは神父のハンカチでその涙をぬぐいながら小さく笑って見せた。
「ありがとうございます神父様。神の考えはまだ全て理解などしきれませんが明日から日常に戻れるよう尽力しようと思います。」
神父はその立派な髭を指でさわりながら、しわのよるいつも笑っているようにも見える目元で優しい笑顔を作った。
「また何かあればいつでも相談に来なさい。最近は毎日のように告白をしているようですが、ここは何も告白をするためだけの場所ではないのだからね。いつでもまた遊びにおいで。」
アリシアはさらににっこりとした。
「いつもありがとう神父様。今わたしが正気でいられるのは神の存在の前に神父様がいらっしゃるから。感謝してもしきれませんわ。どうもありがとうございました。」
アリシアはハンカチを返しながら会釈をする。
「どういたしまして。」
神父はまたニッコリと笑いかける。
心にたまっていたうっぷんやら不安を何もかも打ち明けたように見える少女アリシアの顔はここに来た時よりもすっきりしているように神父には映った。
そして2人は笑顔で手を振り別れた。
教会を背にして歩き出しながら、アリシアは左手の手袋を少しずらして手の甲をみた。
「全てを告白したくても、やはりこれだけは告白するわけにはいきませんね…」
その左の手の甲には銀の十字架が痛々しく白い柔肌に埋め込まれていて、僅かに青く光っている様に見える。
アリシアは小さいため息をつくと、とぼとぼと駅を目指した。