001
東の空にきれいな月が出ている。もうすぐ満月なのだろうか、明るい月の光が雲一つ無い空に輝いている。どこか遠くから雷鳴が聞こえてきた。こんなにきれいな月夜なのに雨でも降るんだろうかと和久井信吾は足早に歩き出した。
「まいったな、九時を過ぎているよ」
月明かりと街灯が帰り道の公園内を優しく照らしている。見上げた夜空の横、ライトアップされた時計台の針はとっくに夜九時を過ぎていた。
学校の帰りに親友の家に寄ったことに信吾は少しだけ後悔していた。彼が新しく始めたネットゲームを見せてもらっていたのだ。親友と一緒にゲームに夢中になり、すっかり帰りが遅くなってしまった。
早く帰らないと、雨でも降ってきたら最悪だ。一瞬夜空が赤く光った感じがしたので信吾は何げなく空を見上げた。
「嘘だろう?」
空に月が二つあった。そう見えたのは信吾だけだったのだろうか。周りには人がいなくそれを確かめるすべはない。東の空に輝く月と信吾の真上に真上に見える月。その一つ、真上にあった月が信吾のいる中央公園に向かって猛烈な勢いで接近してくる。いや違う、真上から落ちてくるのだ。
「やばい!」
信吾は走り始めた。このままだと月の落下に巻き込まれてしまう。この場所から逃げようと自宅のある方向に駆け出してから信吾は気が付いた。
「月にしては小さすぎないか?」
そう、小さすぎる。それでも直径は三メートル以上はあるだろう。青白く光る球体は輝きを増しながら信吾の目の前にある芝生広場に急降下してきた。
このままだと地面に激突する。そう思い立ち止まった信吾は、目の前にある球体が地面すれすれで静止したのを見た。青白く光るその球体は、その後ゆっくりと芝生広場に舞い下りたのだ。信吾は離れた遊歩道からその光景を見ていた。
地面に降り立った球体は、相変わらず青白い光りを強く放っていたが、次第にその光りが弱まっていき暫くすると完全に光は消えてしまった。
当たりは元の薄暗さに戻っていた。東の空にある本物の月と公園内にある街灯が信吾のいる当たりを優しく照らす。眩しかった球体が消え目が薄暗さになれてきた頃、球体が消えた場所にこの当たりでは見かけない学校の制服を着た少女が倒れていることに気が付いた。
月明かりと街灯が倒れている少女を白く浮かび上がらせている。いや違う、少女が着ている制服が白っぽい色のためにそう見えるのだろう。
信吾は思わずその少女のもとに駆け寄った。さっきの球体の落下に巻き込まれたのだろうか?横たわったまま動く気配がない。
大変だ!少女が何処か怪我でもしているのなら救急車を呼ぶか病院へ連れて行かなければならない。
倒れている少女の直ぐ側まで来ると、外見上では怪我とかはしていないように見えた。
「ねえ君、大丈夫?」
隣にしゃがみ込んで、恐る恐る肩を揺すってみた。信吾の問いかけに意識を取り戻したのか、ゆっくりと少女が目を開いた。
「ここは、何処?」
少女が信吾のことを見つめている。年齢は、信吾と同じか信吾より年下だろう。
「何処って公園だよ。駅の近くの中央公園」
そう、ここは信吾の家の近く、信吾がいつも駅へ向かうときに近道として通っている県立中央公園の芝生広場だった。ショックで一時的に記憶を失ってしまったのだろうか?
「あたし、どうして?」
起き上がりながら少女が信吾へ問いかけてきた。自分が何でここに倒れていたのかわからないようで、真っ直ぐ信吾を見つめる瞳が疑問に対しての答えを待っているように見えた。
澄んだ瞳に吸い込まれそうになりながら、少女がサラサラと流れ落ちる長い髪を手でたくし上げる姿に見入ってしまった。
「どうしてあたし、ここにいるの?」
二度目の問いかけに我に返った信吾は慌てて夜空を指さし、そして何もない真上を見上げた。
「落ちてきたんだよ。空から…」
少女もつられて夜空を見上げる。信吾は青白く光る球体が空から落ちてきて、その落下に少女が巻き込まれたことを伝えようとした。
しかし、近くに高い建物などなくさっきの球体は何処から落ちてきたのだろうかと信吾は考え込んでしまった。
「そっか、思い出した。あたしの船、撃墜されちゃったんだ」
照れ隠しをするように少女が笑った。その笑顔を見たときに信吾は一瞬胸が高鳴るのを感じた。
「船って?」
さっきの球体のことだろうか?とても船には見えなかった。もしかするとこの少女は球体の落下に巻き込まれたのではなく、球体に乗ってここに下りてきたのだろうか?
制服の汚れを軽く手で払いのけながら少女は立ち上がった。
「ありがとう、助けてくれたんだね」
信吾も慌てて立ち上がる。少女の背の高さは信吾の目線くらいの高さだ。笑顔で信吾のことを見上げている。可愛いなかなかの美少女ではないか!クラスで一番綺麗だという女子よりも数倍も可愛いと信吾は単純に思い、その可愛い笑顔にどう対処していいのかわからずにいた。
急に少女の顔が険しくなった。目線を信吾からそらすと真剣な眼差しで星明かりが輝く夜空を見上げる。
信吾もつられて夜空を見上げた。そこには星しかなく、月はいつの間にか何処かへ消えてしまっていた。
「来る!」
少女が右手を高く空に挙げる。大きく開いた手のひらを夜空に向けるとそこから青白い光りが空に広がっていき、いつの間にかその光りに周りを取り囲まれていた。
「ごめんね、あなたに逃げてもらう時間がないの」
右手を空に、そして左手を胸元に当てた少女がうつむき何かを呟き始めた。いつの間にか信吾は少女と一緒に青白く光る球体の中央部に立っていた。
「お願い!あたしの側から離れないで!」
そう言い、大きく見開いた目で真上を凝視する。信吾もつられて真上を見上げた。
「嘘だろう!」
真上からまるでシャワーのように真っ赤な光りが降り注いできた。夜空を貫く強力で真っ赤な光りは、信吾達がいる青白い球体を押し潰さんという勢いで 真上から振り注いできたのだ。
「大丈夫!もちこたえてみせる!」
少女は両手を真上にかざし、まるで光りの重圧を一人で防いでいるかのように軽く開いた両足に力を入れて、体をしっかりと踏み支え耐えている。
信吾は青白い光りの外側を見た。
「マジかよ!おい!」
球体の外側は燃えていた。
芝生は炎で焼かれ、ベンチは燃え上がり、街灯の鉄柱は飴のようにグニャリと曲がっていく。
「一体どうなっているんだ!」
信吾は少しパニックになっていた。球体の中も少しずつだが熱く感じられる。このままだと一体どうなってしまうのか、球体の周りは完全に炎に包まれている。
「もう少しの辛抱だから!」
少女は真剣な顔そのもので叫ぶようにそう言った。
気持ちばかり球体が小さくなってきたように信吾は感じていた。炎を防いでいる青白い球体より、降り注ぐ真っ赤な光りの方が力がかなり強く感じる。
少女が片膝を地面に付けた。青白い球体はさらに小さくなっていく。球体の外は見えないくほど真っ赤に燃え上がっていた。
それでも少女は食いしばるように、全身の力を両手から空に向けるようにして真っ赤な光りから耐えている。
このままじゃまずい、信吾はそう感じていた。少女が必死に耐えている姿を見て信吾はなぜだか少し落ち着きを取り戻してきた。そしてこの状況から逃げ出すために、自分のことを護ろうとしてくれている少女の何か力になることは出来ないかと考えていた。
青白い球体がだんだんと小さくなっていく。信吾は身をかがめて少女の側に寄り添うような格好になっていった。
ふと、少女が信吾のことを見た。悲しい今にも泣き出しそうな顔だった。
「ごめんなさい、あなたのこと護ることも出来ない…」
少女が、力尽きたのか崩れるように倒れていく。直ぐ側にいながら信吾は何も出来ずに倒れていく少女を見ているしかなかった。
青白い球体が消え、真っ赤な光りが降り注いでくる。瞬間、信吾はここで死ぬんだと感じていた。
こんな所で死にたくはない。信吾はそう強く願った。倒れていく少女の上に信吾も倒れていく。意識がなくなる一瞬前に笑顔の少女のことを思い出していた。
そうだ、この少女の笑顔をもう一度見たい。
この少女には笑顔が一番似合うんだ…
意識のなくなった信吾の胸元が緑色に輝きだす。その緑色の輝きは球体となり信吾と少女を包み込んだ。
そして、その緑色に輝く球体は突然、中央公園の芝生広場から消えた。