『僕』の葛藤
祖母が倒れた。
『僕』はそれをどう受け止めればよいのだろう――。
娯楽も無ければ内容もない。
結末も無ければ答えもない。
そんな取り留めもない作品です。
これは実話なのかフィクションなのか。
とりあえず何か出力したかったので吐き出した結果がこの作品です。
初投稿故誤字脱字はご愛嬌。駄文ではありますが是非ご一読。
=蒼井山戸=
祖母が倒れた。
その一報を聞いたのは一昨日の晩の事だった。どうやら脳梗塞の一種であるようで、症状は脳幹にまで達していたらしい。近所の人が見に来るまで数日間倒れたままになっていたことも病状に拍車をかけていたそうだ。
家族が大急ぎで病院へと向かう準備をするなか、僕だけは家に残っているようにと言われた。
僕は数日後にちょっとした用事があり、その準備をしていたので気を遣ってくれたのだろう。正直な話、自分自身もその事で頭が一杯で、他の事に気を回す精神的余裕など一切なかったので準備を優先させることにした。
言ってしまえば至極単純な話だ。ようするに、僕は祖母と私事を天秤に掛けた。その結果天秤は私事の方に傾いた。ただそれだけの話。
理性の部分でそれを理解している分、僕の心はより一層激しく波打った。ありとあらゆる感情がうねり、僕自信を罵倒し続けた。
お前は冷血な男だ。――違う。
お前は人でなしだ。――違う。
お前はただの屑だ。――違う!
仕方のないことなのだ。今行うべきは、向き合うべきことは祖母のことではないと、言い訳のように自分に言い聞かせる。
きっとこの感情のうねりは偽善なのだろう。しかし、例え偽物だとしてもそこに確固として存在するからにはこの痛みは本物だ。
結局自分の準備もままならないまま家族が帰ってきた。日付が変わるちょっと前くらいだったように思う。祖母の病状は重いらしい。良くて意識不明のまま植物状態になるという事だった。説明をしながら声を湿らせる母を見て、僕の偽善心は一層の痛みを発した。
結局、僕が実際に祖母の元に向かうことが出来たのは私事が終わった今日の午後だった。午前中、自分の想像していた以上に私事に向きあうことが出来たのは意外だったし、同時に自分の人間性の希薄さに嫌気がさした。どうやら僕は感情よりも理性で行動するタイプのようだと知って愕然としたのを覚えている。平均的な人生の四分の一近く生きてようやく自覚したのだから余計に始末が悪い。
祖母の入院する脳外科へと向かう車中は重苦しい雰囲気に包まれていた。父と母が祖母の病状について話しているのを、どこか上の空で聞いていた。
到着した脳外科は依然祖父が入院したことのある病院だった。あの時僕はたしか十五、六歳だっただろうか。祖父が運ばれたと知って大急ぎでこの病院に向かったことを覚えている。
あれから数年経った今、僕は成長したのだろうか。ふとそんなことを考えてしまう。あの頃は持ち合わせていた純粋に家族を思う気持ち、僕はそれを失ってしまったのだろうか。それとも、そんなものより大切な『何か』を身につけてしまったのだろうか。僕はなにかを得たのか、はたまた失ったのか。当然ながら答えは返ってこない。自らの深淵の底へと投げかける問いかけは、いつも反響音を生むことなく吸い込まれていくだけだ。
重厚感のある扉を開けると病院特有の嫌な匂いが鼻についた。一昨年の夏に祖父が亡くなった時にも嗅いだ匂い。この腐り落ちた果実が放つような濃密で暗い匂いを嗅ぐと僕の脳裏には「死」という単語がちらつく。
薄暗い廊下を歩いていると幾人かの看護師たちとすれ違う。清廉潔白な白衣の姿とは裏腹に、僕には彼らが闇より深い黒衣をまとった死神のように思えた。
重い足取りのまま、祖母が治療を受けている集中治療室へと向かう。
室内に菌を持ち運ばないよう、通常区画と集中治療室の間には着替えのスペースが用意されていた。
ロッカーの中から消毒液の匂いが染み着いた外套を取り出して羽織る。さらに、外套の上から霧吹きで消毒液を吹きかける。染み着いた消毒液の匂いは、どうやらこの儀式を幾度となく繰り返したことによって生じたようだった。
さらに手をアルコールで消毒し、マスクをつけ、挙げ句の果てには下履きも履き替える。
これから異質な空間に足を踏み入れる、という思いが僕の中でより一層強くなる。
同時に面会出来るのは二人までということだったので、母を残し、僕と父が先に面会することとなった。
集中治療室の中には祖母以外にも何人かの患者が横たわっていた。四角い部屋の入り口側を除いた三辺それぞれにカーテンを敷居としてベッドが整然と並んでいる。
父のあとを追うようにして、ゆっくりと歩を進める。医療機器の音に混じって時折苦しげな呼吸音が聞こえてくるが、誰が発しているのかはわからない。
祖母が寝ているのはちょうど入り口と正反対の場所に位置するベッドだった。タイミングが悪かったようで、カーテンを閉め切って施術をしている最中だった。
手持ちぶさたに立ち尽くしていると、一人の看護婦が父に話しかけてきた。
祖母の持ち物がどうとか、ペースメーカーのメンテナンスがどうとかいう話をしていたように思うが、細かいことはよく覚えていない。
ただ、そういった会話をする看護婦がひたすらに機械的だったことだけが僕の印象に残っている。当然といえば当然だろう。僕たちにとっては非日常であるこの風景も、彼女にとっては日常の風景でしかないのだから。
長い間風雨に晒され続けることで岩が削られていくように、彼女の感情も流れのままに磨耗しきってしまったのだろう。頭では理解しているつもりだった。それでも、ただ淡々と病状を説明する彼女の姿は、どうにも人間味に欠けていて僕を苛つかせた。
そうこうしているうちに施術が終わったようで、看護婦がカーテンを開け始めた。そこでようやく僕は自分の足取りを重くしていたモノの正体に気づいた。
それは恐怖だ。話で聞いていただけの事実を、実際に目の当たりにすることで実感してしまう事を僕は恐れている。
ゆっくりとカーテンが開いていく。目を背けたくなる気持ちを必死に押さえ込む。
カーテンが開ききると、そこには見知らぬ祖母の姿があった。
見知らぬ、というのは僕がイメージしていた姿と祖母の姿が合致しなかったためだ。
優しく僕の名前を呼んでくれた口元には呼吸器がつけられ、その奥で苦しそうに呼吸している。いつも元気に農作業をしていた腕からはわけの分からないチューブやケーブルが延び、これまたわけの分からない機械へと繋がっていた。
祖母の耳元で親父が呼びかけるが、瞼が開くことはなかった。微細な反応はあるものの、それは呼びかけられた人間が返す反応とは到底異なるモノだ。
僕の脳裏には先日読んだ小説の光景が浮かび上がっていた。
交通事故で意識を失い、あらゆる延命機器に繋がれた主人公の母。どこからが「死」でどこからが「生」なのか、それは分からない。と主人公に機械的な説明をする医者。延命をするか否か、生かすか殺すかという選択肢を作中で主人公は迫られていたように思う。
明日は我が身、という言葉があるがこんなにも実感するときが来るとは驚きだった。あの小説と比べて幸いな事といえば、選択を迫られるとしても迫られるのは父であり、僕では無いという部分だろうか。
現実逃避をするように、頭の片隅ではそんな事をしきりに考えていたように思う。祖母がこんな状態になっているのに頭の中ではそんなことを考えていたのだから、僕の醜悪な自己愛も極まってきたのかもしれない。
父は必死に呼びかけを続ける。
「おかしいなぁ、昨日は目蓋も開いたんだけどなぁ」
下手くそな作り笑いを顔に張り付けながら父はそう呟いた。その呟きが向けられていたのが言葉を発することも出来ず、ただ無様に立ちすくむ僕だったのは言うまでもない。なんだかそれが無性に腹立たしかった。
もうやめてくれ、もう十分だ。
頭の中で本心の僕が悲鳴を上げている。顔を背けたい。逃げ出したい。まろやかな死の匂いで充満したこの病室から逃げ出して、一刻も早く好きなものだけで埋め尽くされた四角い駕篭に閉じこもりたい。
父は呼びかけを続けている。
今日の天気、畑の様子、家族の様子。思いつく限りの玉を用意し、返ってくることのないキャッチボールを試み続ける。
結局、僕は一言も発する事が出来ないまま集中治療室を後にした。僕は弱い僕を内側に閉じこめることだけで精一杯だった。それもただ薄っぺらい建前だけを作り上げるためだけに行った行為にすぎない。「最低限」逃げなかった。「最低限」向き合った。そんなちっぽけな誇りの為に行った代償行為にすぎない事は自分が一番理解していた。それが一番悔しかった。
時間にして恐らく十分も経って居なかっただろう。それでも僕にとっては永遠にも感じる長さと密度を持った十分だった。
まとわりつく鬱屈とした思いを散らすように外套を脱ぎ、集中治療室をあとにする。外に備え付けられたベンチに座って、沈痛な面もちで母が待っていた。母は僕の顔を見るなり危なげな笑顔を作る。
「おばあちゃんにいっぱい話しかけた?」
なんの悪意もない、純粋な母の問いかけは弱い僕に深く、深く突き刺さった。
この度は私の作品を読んでいただき、本当にありがとうございました。
またご縁がありましたら、是非とも私の作品をよろしくお願いいたします。