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2-2

『少し付けた方が、顔色がよくなるわよ?

 ワカトモ君、すっごく心配してるみたいじゃない?』

 マサキが取り出したラズベリー・ピンクの口紅は、新品同然だった。念入りに唇に差してから、地味過ぎるからあげると、マサキは彩子の制服のポケットに滑り込ませた。

 マニッシュな、黒にペンシル・ストライプのパンツ・スーツを、マサキは選び出した。

『男まさりなサイコちゃんには、オニアイ』

 という皮肉付きで、警戒していた彩子には、意外なくらいシックな組み合わせに仕上がった。

 アイボリー・ホワイトのシャツにはシンプルな濃紺のネクタイを合わせ、胸ポケットの派手なスカーフだけが唯一の華やかさを演出している。

 変に女を強調していないことに、彩子はホッとした。

 マサキはヘア・スタイルも変えたがったが、彩子はニコリともせずに断り続けた。許したのは、右サイドの頬にかかる髪を軽く持ち上げた、金の大型バレッタ一つ。

『つまんないわあ。ワカトモ君一筋なら、他の男はお呼びじゃないでしょうけど、女の子はキレイが一番なのよー?』

 一々、ワカトモ君を引き合いに出すマサキだった。

『騎道とはそんなんじゃないって、何度も言ってます!』

 ……最後には、彩子は声を大きくしてしまった。

 耳を押さえて、マサキは別れ際、彩子に耳打ちした。

『よし。オネーサンが君に思い知らせてくれるわよ。あたしが店に出てから三曲目にかかる曲を、よーく聞くこと。

 それが、サイコちゃんの本心だから』

 これで、二曲目……。

 滝川にエスコートされ、店の長いバー・カウンターに彩子は移っていた。

 比較的静かな、壁際のスツール付近は客も少なく、一階のダンス・フロア全体がよく見渡せる。

 フロアの中央が大きな六角形に吹き抜け、二階からも下が見下ろせる。中地下の最低部から、すり鉢状に幅広の階段部分が広がり、一階のフロアに繋がっていた。

 店内は以前来た時と、ほとんど変わりない。違っているのはお客の数だった。あの日は、びっしりと人で埋まっていた。亡くなったはずのクリオンのニセ者を待つ客で、異様な熱気に包まれていた。

 彩子もその内の一人だった。四条と滝川の協力で、思った通りに『彼』を掴まえることができた。久瀬光輝の生きた足取りを辿っていた、クリオンに成り済ました騎道に。

 あの時と騎道は、立場を違えている。姿を変えることもなく、気取る必要もない。一人のアルバイトでしかない。

「どうぞ。騎道君からのサービスだよ」

 マネージャーの滝川自ら、トレイに乗せたスープとホット・サンドを手に戻ってきた。

「夕ご飯、まだなんだって? 元気の無いのは、そのせいかな?」

「……ちょっと、疲れてるだけです」

 スープを見下ろして、彩子はスプーンを取り上げた。

 心配顔のお目付け役を、安心させる為の芝居にかかる。

「騎道は、どの辺りに居るんですか?」

「さてね。受け持ちは下のフロアだけなんだが、あちこちで常連客に引きとめられるらしいから……。

 あ、誤解しないでね? 彼はちゃんと一線を引いてるから、絶対に深入りすることはないんだよ。意志薄弱に見えても、女性の扱いには慣れてるっていうか……。

 ……これも、気に障る話題だったね……」

「全然。恋愛は自由でしょう? 騎道は騎道ですから。

 何度も言いますけど、ただのクラスメートなんですよ?」

 彩子は、ゆっくりとポタージュ・スープを口に運んだ。

 始めに会った頃は、理性的でクールな男だと思っていたのに、今夜の滝川はひどく気を回す人間になっていた。

 ……騎道のせい? どうして騎道って、こんなふうに他人を引き付けて、巻き込んでしまうのかしら?

「……君は変わったね。以前は、もっと前を向いていたよ」

「滝川さん、その言い方はおかしいです」

 彩子は顔を上げて、カウンターにもたれる滝川に向き直った。

「私を『人魚姫』だって、見破ったのは滝川さんですよ?

 あの時と同じだったから、気付いてくれたんでしょう?

 違いますか?」

「……。そういう論法も、できるね」

 滝川は穏やかに認めた。

「私は私です……。少しも変わらない。

 ……私。変わってしまうの、嫌なんです……」

 彩子が見せた、一瞬の気の強さは、すぐに気持ちの迷いの中に飲まれていった。

 滝川は、つまらないこと言ったと謝って、カウンターの中に引き込んだ。少し彩子とは距離をおいて、見守ることにした。ぼんやりとスープの手を止めた彩子は、視線に気付く素振りはなかった。

「……変わらないから、人魚姫は海の泡になって消えたのか……。チーフにはなんて説明するべきかな……?」

 思案する間もなく、アルバイトが一人、カウンターに駆け寄ってくる。銀色のトレイに使用済みのグラスやプレートを器用に積み上げ、仕事の飲み込みのいい男だった。

「似合ってるじゃないか? 騎道君?」

「…………」

 泣きそうな不満顔を作って、騎道は滝川の目の前に立ち止まった。食器をトレイごと預かって、滝川は尋ねる。

「オーダーは?」

「キール・ロワイヤル2つ、メロン・ダイキリ1、モスコミュール3……」

 次々に十数人分のカクテル・オーダーを唱え上げる騎道。

「相変わらず完璧な記憶力だね。それに営業もうまい。

 ほんとに、君の顔に見込んだ甲斐があったよ」

「……顔でカクテルを勧めてるわけじゃありません……。

 それより滝川さん、これ本当に水で落ちるんですか?」

 疑いながら、指先で長い前髪を摘み上げる。はらりと散らす髪は銀色。店内を交錯するカクテル・ライトを浴びて、きらびやかな光沢が矢のように流れる。カラースプレーで造られた、完璧な銀髪だった。

 髪を強調するために、服は漆黒の前ボタン無しのスーツ。ボトムとジャケットに、黒い刺繍の縁取りを巡らせた贅沢な仕立てだった。黒縁眼鏡の代わりに、黒いサングラスで目元を隠し、耳には大型の銀のピアス。

 享楽の夜には絵になる、銀の貴公子だった。

「……そうしていると、騎道って日本人じゃないみたい」

 口を開いた彩子を、騎道は驚いて見返した。

 自分からは、ほとんど口を利かずにいた彩子だった。

 騎道はためらいながら、ニコリと笑った。

「よく言われます。知ってました? 僕、学園では『第二王子』って呼ばれてるそうですよ?」

 滝川が、思わず相槌を打った。

「プリンスは当たっているな。『第二』というのは、何?」

 騎道はさあ? と、小首を傾げる。

 笑い出すのは彩子一人だった。笑いすぎて目尻に浮かんだ涙をこすって、きょとんとする男二人を見た。

「学園には二人、王子様が居るって思われてるの。騎道は後から来たから第二番目ね。『第一王子』は、……」

 反射的に、彩子はその名前をためらった。

「……『第一』は、秋津会長なの」

「なるほど。騎道君より上が居るということか」

 騎道は力を込めて相槌を打った。

「そーなんです。あの人、第一王位継承者に相応しく、全方位完璧に近い男で、なかなか手強いんですよ」

「そーかそーか。ならば、第一王子のイジメに喘いでいる虚弱な第二王子に、この魔術師が秘策を授けようかね?」

「そーですね。道端で難儀を救われたのも、何かの導きかもしれませんし」

「よろしい。これなるアマゾネスを、そちに預けよう……」

「…………。滝川さん。それって何か、違いませんか?」

「何? 誰? アマゾネスって……?」

 と彩子が、かわいらしく尋ねる。

「二人して何やってるんですか? RPGかファミコン?

 そーゆーの、場所を弁えてやって下さいよね。

 はい。カクテル4人分。出来ましたよ」

 若いバーテンが、シンと黙り込んだ三者に水を刺す。

 一早く騎道は、カクテル・グラスのトレイを受け取った。

「心配ないよ、彩子さん。一人でも、僕は負けませんから」

 軽くウィンクを残し、騎道は音楽が溢れるフロアに小走りで姿を消した。

 わざとらしい大きな溜め息を滝川に見せ付けて、彩子はやっぱり、クスリと吹き出してしまった。

「……訂正。人魚姫だったね」

 取り繕う滝川も、手が混んできたバーテンダーに引っ張られ、客のオーダーをこなしにその場を離れた。

 壁一面に並べられた膨大な酒瓶とグラス。幅の狭いスペースで、滝川とバーテンが軽やかに位置を譲り合い、酒瓶が舞う。カラフルな液体が透明な瓶の中で跳ね、彼等の手によってグラスやシェーカーに注ぎ込まれる。

 独特な、悪く言えばキザな仕草も織り込みながら、ここでも、音楽の波に乗った作業が繰り広げられる。

「……マネージャーが、こんな所に居ていいのかしら?」

 ホット・サンドをつまみながら、彩子は思い当たった。

 騎道が自分の代わりにと、頼んだ……。きっと。

 鮮やかなパフォーマンスで、ショー・タイムのように客たちの視線を引き付ける二人。タイミングを合わせ、一本のジンを背面キャッチ。指笛と拍手に、乱れた長髪を整えながら、滝川はにこやかに応え会釈した。

 まんざらでもない彼の笑みに、彩子はすまなさを忘れた。

『飛鷹……?』

 ……聞き違い? 彩子は自分の耳を疑った。

 声が聞こえた。耳元。いや、それよりももっと深い部分。

 よく知った男の、落ち着き払った声が頭の中に広がった。

『……すまなかった。私にしか出来ない決済があったのでね。これでも急いで戻ったつもりだ』

 彩子は、そっと辺りを見回してみた。胸の動悸が、速まるのを感じていた。これは、尋常な『呼び掛け』ではない。

 彼の姿は、ここにはないのだから。

「代行……、ですか?」

『しゃべらなくていい。妙に思われるぞ』

 柔らかく笑む、忠告の気配が彩子に伝わった。

『私のことは、騎道から聞いたはずだな? こちらの世界では、特殊なケースと考えられている能力のことを』

 最初に、彩子は『知らない』と答えたはずだった。

 見透かされていた以上、彩子は認めるしかない。

『言っておくが、心を読むことは苦手だ。答えは、身振りか強く念じればいい』

 こくりと、彩子は小さくうなずいた。

『よろしい。これで、話しがしやすい。

 君に、断っておかなければならないことがある』

 彩子は耳に澄ました。

『この程度の心話は難しくない。だが、これ以上は無理だ。

 わけあって、君を庇って連れ回す程度が、私の限界。

 敵を打ち返すことはできない。

 それを、承知しておいて貰いたい』

 あの凄雀が。ひどく慎重で神経質な気遣いを見せた。

『では、帰るぞ』

 彩子の沈黙を受けて、高圧的な口調が蘇る。彩子は微かに、苦笑をしかけた。

 やっと凄雀が姿を現した。左端、カウンターのもっとも壁際は、ほとんど暗がりだった。その中で、スツールから立ち上がる長身の人影。コートの裾を揺らし、軽くサングラスを押さえながら向き直り、凄雀は彩子を待った。

『代行? 私、間違っていました。

 もう少しで、自分を無くすところだった……。

 私、あなたの手も借りてはいけなかったんです』

 息を詰め、彩子は苦心して、そうイメージした。

 心が言葉を作る。それがすんなりと想う相手に伝わる。

 こんなことを試すのは初めてだった。

 誰かに何かを伝えたくて、けれど言葉にはできなくて。ただ胸で叫ぶだけなら、何度でもあった。

 ……絶対に聞こえないとわかっていたから、ひどいことでも胸の内でなら言えた。隠しておきたかった言葉も、自分自身考えもしなかった言葉も、認めようとはしなかった想いも。隠しておくことができた。

 彩子は目を閉じた。奔流となって、感情が込み上げてくる。選び出そうとする彩子の努力を、彼女自身が裏切った。

『誰かに守られて、自分を無くすことなんてできない……。

 自分の体がどうなっても、それだけは嫌。

 ……二度と、できない……!』

 大きく息を吸い込んで、カウンターに両肘をついた。

 激しく打つ動悸が、彩子の喉を引きつらせた。なだめてくれたのは彼の『力』……。

『飛鷹。考え直すチャンスは一度しかない。

今すぐにその望みを捨てるか、望み通り命を捨てるか。

 君の賭けの決着は、すぐにでもつく。

 それほど『力』をもたない人間は弱い存在だ。

 私や騎道が手を引いたなら、君には一瞬たりとも平安は来ない』

 これで、三曲目に入る……。

 彩子は黙り込んだ。曲を聞くつもりではなかった。けれど、ボリュームを上げた鋭い言葉は耳に飛び込んできた。

 三度、繰り返される一つのフレーズ。

「……何……?」

 YOU’RE IN LOVE…………?

〔あなたは 恋に落ちているの〕

 同時に、踝から膝へと、冷気が生き物のように這い昇ってくる。

 予感が、彩子の肩を震わせた。

 チロリと、炎が視界の隅を走り抜けたような。

 錯覚? ……それとも、あの人なの……?

 全身が、透明な糸に絡み取られたように強張った。

〔彼に話しかけることもできないで

 その理由も自分ではわからないなんて

 そんなことはないかしら?

 私には それがどういうことか よくわかるの

 あなたは恋をしているのよ

 そんな感覚 初めてじゃないでしょう?

 自分自身をよく見るといいわ

 想っていることは 全部 あなたの真実なの

 そうよ 恋に落ちたから〕

 矢のように、歌詞が突き刺さる。リアルなイメージを繰り広げながら、彩子を取り巻いてのしかかる。






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