表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/16

2-1

 騎道と彩子が『ストーン・ベイ』に姿を現した同じ夜。ほぼ同じ時間。二人の居る繁華街を通り抜けようとしている、一台のグリーンのセダンがあった。

 後部座席で、三橋は落ち着かずに運転手を覗き込んだ。

「悪いな。こんな時間まで付き合わせて。

 でも、居てくれて助かった。タクシー代も無かったしさ」

 軽い調子で、三橋は礼を言った。頭を下げてもいいくらいだったが、そこまで大袈裟にしたら不審に思われる。

 そんな後ろめたさも、三橋を気の弱い、妙にへらへらする少年に仕立てていた。

 運転手は、年寄りのお節介な悪い癖を押さえて、気付かない素振りを保った。穏やかに、年若い主人に断った。

「敏井婦人に、しばらく待っていてくれと頼まれました。

 昨日のように、急なお出掛けがあるかもしれないからと。

 行き先は、同じでよろしいですか?」

「あ……、うん。頼む」

 子供みたいにコックリして、三橋は座席に座り直した。

 見取ってくれた、乳母の気遣いが嬉しかった。

 父親とともに海外を飛び回る、彼の母親もやけに洞察が鋭いが、種も仕掛けも、すべて敏井婦人の口添えにある。

 年老いた彼女は、聡明な祖母と母親の役も兼ねていた。

 車を正確に操る根岸も、同じような存在だった。二人とも三橋家に長く仕え、決して他人には思えない。

 だから、つい、甘えてしまう。

 三橋にも形が掴めない、もやもやとした感情に彼等を巻き込んで。その在処を探す夢みたいな旅の為に、年寄りを寒空の下に連れ出し、もう一人を寝ずで待たせるなんて。

「やっぱり。いい……。屋敷に戻ってくれる?」

「よろしいのですか?」

 スピードを落とした車が、鮮やかなネオンの前を通り過ぎる。『ストーン・ベイ』と記された店の名前を意味もなく見送って、三橋はあっけらかんと答えた。

「ああ。いいんだ。また、留守かもしんないし」

 ……嘘は言ってない。会えないのなら『留守』であるのとおんなじだ。弱腰の自分を、三橋は素直に認めた。

 車は屋敷に引き返し始めていた。慣れた運転技術は、長年三橋の祖父を守ってきた。根岸の自慢は、祖父に仕える以前、GHQの特別工作員だった腕前なのだ。

 混み合った大通りを、車はすみやかに抜けてゆく。

「……クラブなんて、俺とは無縁だよなぁ」

 着飾って歩く若い男女たちを眺め、三橋はつぶやいた。

 夜はテニスのトレーニングか、さもなければ、取引先の子息子女の『接待』で無意味な時間を過ごすくらい。

 ばかばかしい一面があっても、これが彼の生活だった。たった一人の後継者という立場なのだ。

 逃げも隠れもしないのが、三橋の密かな自負だった。

 信号で車が停車した。三橋は、目を凝らしていた。

 早足で先を急ぐ、歩道上の一人の少年に。目を引くのは三つ編みにしたストレートの長髪だった。

 ひさしを深く被った帽子、派手なプリントのブルゾンだが、派手目の歩行者の中では、完全に保護色になって溶け込んでいる。頭のいい奴だ。整いきった自分の容貌から人目を逸らす、最高の方法を知っている。

「……。悪い、あの男を追いかけてくれ」

 根岸の細い目が、ひらりと光る。本領発揮だ。

 賑やかな通りを外れると、追跡者には不利になる。

 先を行く少年は、よほど背後が気にかかるのか、さりげない仕草で後ろをときどき確かめる。根岸の邪魔にならないよう、三橋は後部シートに張り付いて体を隠した。

 根岸の方も手馴れたもので、裏通りはかなり後方から後を追う。少年の神経質な緊張が乗り移って、車内には緊張した雰囲気が漂った。

 少年が、どんな影を警戒するのか、想像もつかない。

 すらりとした痩身で、色白の細面。食いしばるように引いた唇で一度見上げ、少年は一棟の高級マンションの中に踏み込んでいった。玄関口の見える位置で、車は待機する。

「何の用なんだ? こんな所に」

 意外な人物が、妙な時間に、奇怪な行動を取った。

 それも、前代未聞の身なりで街を堂々と歩いてくれて。

 奇妙な秘密に出くわしたのではないかと、内心困惑し、後悔し始めていた。

 ……あんなもんに、関わりたくはないぜ……。

 偶然なのだろうか。少年と入れ違いのように、二人の男が外に出てきた。ぶらぶらと、時間潰しのような足取りで、先に出てきた金髪の男は、あきらかに不満顔だった。

 その後ろをついてゆく青年は、友人、というよりは、目付け役の態度で、冷ややかな視線を金髪男に向けている。

「……なんか、仲悪そ……」

 余計な心配をしてしまう。隙なくスーツで決めた青年が、派手で我が儘そうなもう一人と、馬が合うとは絶対に思えない。

「……あれは。藤井家の『影』ですな……」

「知ってるのか? ……藤井って、あの?」

 三橋は、いきなりの核心に勢い込んだ。

「はい。旧華族の藤井家です。あの背広姿の青年は、藤井家の長女に仕える従者のはずです。名は『淕峨りくが』。

 藤井家の三人の後継者に仕える三名の中では、もっとも有能な若者です。その能力に奢らず、主人に忠実な者で」

 珍しく、根岸は他家の人間を褒めた。

 藤井沙織の……? ならば、先にマンションに消えた少年と符号する。ぴったりじゃないか。

「もう一人の連れはわかるか?」

「知らぬ顔ですな。少なくとも、藤井家に所縁のあるものとは思えません」

「確かに?」

「翔之進様。こう見えてもこの年寄り……」

「GHQの工作員だった。よーくわかってるよ」

 根岸の自慢を先んじて、三橋は、視線が合ってしまった金髪野郎をじっと睨み据えた。

 ……気に入らねー奴……。なんであんなに、人の気を逆撫でするみたいにゲラゲラと馬鹿笑いしてるんだ?

 投げやりな素振りと、拭い切れない何かが目の奥にある。

 その目で、三橋を知っているかのように、ニヤリと笑う。

 ……てめーに何が出来るんだ? あいつにさ。

 そんな嘲りが聞こえたようで、三橋はギクリとした。

「すまん、根岸。もう一箇所回ってくれ……」

 路地を歩いてゆく二人の青年とは逆の方向に、車は走り出した。

「新聞社か警察に知り合いはいないか? 今年起きた事件の資料が見たいんだ」

「……。どちらも人脈はございますが、新聞社の方に回りましょう。より情報は正確でしょうから」

「へえ? 警察は不正確なのか?」

「そうは申しませんが、難しい立場もございます。それに、翔之進様を警察にお連れするのはやはり……」

 最高の肉親は、最高のブレーンでもある。

「悪いな。……ほんとに助かるよ」

 深い気配りに、三橋はすべて任せることにした。彼は自分が尋ね、どうしても見たいものだけのことを考えた。

 多分、あのいけ好かない金髪野郎の顔写真が、資料の中にあるはずだ。奴の印象は、騎道が口にしていた容貌と寸分違いない。『兄のような』と、騎道が思慕する男と。

「……先程の……」

 根岸は困惑気味に、言いかけた。

「先程の少年は、もしや、その……」

 やはり根岸の観察眼も見抜いていたか。三橋は、自分でも認めたくなかった少年の正体を口にした。

「……間違いない。あいつ、藤井香瑠だぜ」

 艶やかな黒髪と端正な容姿は、性を取り替えていても際立ち、ごまかしようがなかった。

 紛れも無く、香瑠が至上の美を手にしている証し。

 まさしく、一輪の妖華であった。



「……姉上が、こうまで幸福な笑みをなさっていなければ。

 この私が刺し違えてでも、あの男を殺していますのに」

 香瑠は形の良い眉を険しくして、宥めるように肩を抱き締めてくれる姉を見下した。

 うっとりと、沙織は呟いて聞かせた。

「頼もしいこと。あなたがこんな身なりをしていると、ますます心強い。

 あなたが私の『弟』であることを、どんなに嬉しく思っていたか、どれほど私の弱さを支えてきてくれていたか。

 ……御鷹姫の転生者と気付いた時から、香瑠が居る限り藤井家の後継は安泰と安堵していました。私が惨めに世を去る時は、あなただけには看取って欲しいと」

「姉上! 気弱なことは考えなさるな!」

 憤る香瑠を、沙織は静かな言葉で制した。

「いいえ。淕峨から、伝えさせた通り。

 わたしはそうなのですよ。気丈なあなたなら、取り乱さずに居てくれると思っていました。最後まで……。

 もう止めましょう。こんな話しは。私は救われたのですもの。あなた方が憎む、一人の男に命を与えられたの」

 苦々しい顔を、香瑠は隠しもしない。肩から滑り落ちた沙織の手を、そっと握り締めた。

「…………。……認めましょう。

 あの男が、姉上をこの先も支え続けると誓うのならば。

 姉上のお命と引き換えに。

 この不実なる身が藤井の後継に座してもよいのなら、姉上が受けるべき地位をお預かり致しましょう」

 自信に満ちた顔立ちは、ふいに感情に溺れ崩れていった。

「ですが……。今の私は、到底、相応しいとは思えない」

「どうしてそんなことを? 香瑠」

 物柔らかく、香瑠は笑ってみせた。だからと言って挫けてなどいないと、沙織に知らせるために。

「理由は明白です。私が姉上の『弟』であるため。

 ……私が、女ではないから……」

「そのことなのです。

 あなただけに、伝えなければならないことは」

 沙織は先に立って奥の部屋へと招き入れた。

 厚いカーテンを引き、外界を遮断する。

 香瑠と向き合い、背筋を伸ばし、沙織は次期当主の顔立ちに変貌していった。

「平穏な時代であれば、あなたほどの器量ならば、何の問題はないのです。ですが、今この時は許されない。

 どうやら藤井家は、この瞬間の為に三百年余、鄙びたこの地にしがみつくようにして根を張ってきたのかもしれません。

 遠い過去の呪縛を払う一助として、我が家は女系を固辞してきたのでしょう」

 香瑠は、姉の意図が掴めず沙織を見守った。

「そうとしか考えられぬのです。

 血筋の中に、あえて忌まわしい存在を住まわせ、時に生け贄を与え、連綿と生き長らえさせてきた、その訳が。

 この時代にあるのですよ。

 久瀬光輝が私の前に現れ、騎道若伴が追いかけてきた、この年を。……何者かが、待ち侘びていたのです」

「……それは……、誰ですか、姉上?」

「答えはいずれあなたに解るでしょう。

 私には、見極められない。その時間も無いのです」

「姉上?」

 寂しさと幸福の入り混じった、優しい目を香瑠に向けた。

「光輝とともに、この街を離れます。

 そうすることが、私の身にはよいのだそうです。同時に、それも白楼后の封じには効果的だとか」

「……わかりました……」

 香瑠は細く溜め息をついた。

 沙織の決意を翻せる者は、多くはなかった。美しく気丈な姉は、何を言ってもその望みを貫くだろう。御鷹姫に魅入られた命を、取り返してしまうほどの女性なのだから。

「香瑠。あなたには辛い役目を与えなければなりません」

「……構いません」

 感情を殺し冷淡に香瑠は答えた。

「あなたは、藤井の後継者となるわけには参りません」

「構いません」

「ですが、これから伝える秘儀を完全に習得なさい」

「わかりました」

「それを、あなたはそっくり安摘に伝えるのです」

「承知しました」

 テーブルを回って、沙織は香瑠の肩に手をかけた。

 香瑠のもつ自制心の強さに、言いようのない不安を沙織は覚えた。驚嘆すべき強靭さなのではあるが。

「わかって下さい。これは『女』にしか使えぬ技なのです」

「承知しています。どうぞ、ご安心下さい」

 微笑んでみせても、沙織の顔は別の逡巡で曇っていった。

「白楼后を封じる技は、女当主のみが知る技です。それも一度きりの仕掛けとなりましょう……。

 あの安摘が、会得できるか気掛かりです。

 それにこの技のみで、封じ切れる可能性も低い。

 時を誤れば、完全な逆効果にもなる。だから今まで、誰一人として試しはしなかった。

 ……状況によっては、安摘も伝授するだけに終わるかもしれません。それならばいいのです。ですが……」

 光輝が因縁の街に現れ、追いかけてきた騎道が飛鷹彩子と出会った。三百年の時を越え、交錯した一瞬の巡り逢い。

 沙織だとて、これ以上無い好機であると承知していた。

「今更ながら、あなたが女であったらと、身勝手なことを考えてしまう……。せめて心が『女』でさえあれば」

 姉の迷いに、ふっと香瑠は頬をほころばせた。

「心が『女』であればよろしいのですか?

 それでよいのなら、どんな努力も試みましょう。……私の望みも、それそのものです。

 どれほど望んでも、私には手の届かない境地でしょうが」

 もどかしい痛みを弄ぶように、香瑠はうっすらと微笑んでいた。









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ