表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/16

1-3 

「男に用は無いわ。あたし、帰るの。……さよなら」

 くるりとターンして、彩子は早足で店を出た。

 ハウスウェアがとりどりに並ぶ、ヨーロッパ調のナチュラル志向な店だった。揃えてみたいと少女らしく心は揺れるが、飛鷹家の『台所』には不釣合。最初から、興味はほとんどなかったのだ。

 ただ。様子を伺っていただけ。あとどの位、尾行ごっこを向こうが続けるつもりかと。

 追い付く騎道が、彩子に並んで歩調を合わせた。

「なら、家まで送ります」

 涼やかな顔立ちは、ストレートにナンパしてきた先程の顔とまったく同じ。一点の曇りもなかった。

 高い天井の下。ショッピング・アーケードの広い歩行者通路は、人の波で埋まりつつあった。学生たちに、通勤帰りのサラリーマンも加わって、彩子は早足で流れに乗った。

 巻いたと彩子が振り返っても、騎道の姿はすぐに彩子の視界に飛び込んでくる。わざと、女の子たちの集団の中を突っ切ってみても、なんなく彩子の傍らに現れる。

 歩行者は一際増えていた。十字路は、中央駅の乗降客がここから三方に分かれる分岐点になっている。

 中央の噴水はゴシック風の豪華さを模していた。周囲を、待ち合わせの若者たちがぼんやりと囲んでいる。

 他人には無関心な顔。気の急いた顔。

今、声を上げたら、一体何人の人間が振り返るだろう。

「一人で居たいの……! 私から離れてよ」

 突然足を止めた彩子は、騎道に向き直った。

「いいえ。離れません。日が暮れて、闇が騒ぎ出す時間だ。

 何が起きるかわからない」

 騎道は指先で、眼鏡を押さえた。

「……何を言ってるの? 独り言なんて聞きたくないわ」

 呆れ顔で頭を振る彩子。と、道を急ぐ中年男性に肩を突かれて思わずよろめいた。

「触らないで! 大声を出すわよ……!」

 差し伸べた手を、騎道は無言で引いた。

 見返す彩子の目には、尋常ではない光が浮かんでいる。

 傷付いた野獣のように高潔な意志だった。絶対の拒絶が、騎道に挑みかかってくる。

 頬を堅くして、騎道は機械的に要点を告げた。

「どうぞ。どんなに叫んでも、君を本当に守れる人間は僕しか居ない。君は僕から離れられない……」

 彩子は、最後まで聞こうとはしなかった。

 遮ったのは、しなやかに繰り出した平手打ち。

 騎道の左頬が鳴った。

「大した自信ね。ゾッとする。傲慢な男って大嫌いなの」

「ならば、凄雀遼然ならいいんですか? 彼なら受け入れられる? あの人の庇護なら受けられる?

 答えて下さい!?」

 語気を強めた騎道に、彩子は口を噤んだ。

 視線の鋭さに目を逸らす彩子。初めて目の当たりにした、男性的な焦りだった。

 ポケットから、騎道は携帯電話を取り出した。

「彼を選ぶなら、すぐに電話をかけて。

 ……迎えが来るまで、ここに居ます」

 微かに、柔らかさを取り戻そうとしていた。

 騎道は電話を差し出した。

「あの人なら、現状を変えることはできなくても、君を守ることは可能です。僕がその間、彼女を引き受ければ、彼の負担も軽くなるはずだ」

 口を噤んだままの彩子に代わって、騎道は短縮ボタンを押した。受話器に耳を当てる騎道の表情が不審に変わる。

 コール音は続いていた。応答の気配はない。

「まさか……。変だとは思ったけど、彼はここに居ないのか……?」

 騎道の独り言に、彩子は反応した。

「午後一番に、急いで出ていったそうよ。彼はどこに行ったの?」

「……。可能性としては、向こうで何か起きたとしか」

「向こうって?」

 口を滑らせていた事実に気付き、騎道は正直に断った。

「これ以上は秘密では。はっきりしているのは、彼はすぐに駆け付けられるほど近くにはいないということ。

 帰りましょう。送りますから」

 凄雀が居ないとわかった以上、選択の余地は無かった。

 騎道しかいない。

 彩子は、凄雀に切り捨てられたのではない事実に、ほっとしていた。足元が崩れたような心許無さから、救われた気分だった。

 ……けれど、だめ……。

 無意識に騎道の手から、携帯電話を取り上げていた。

「……彩子さん、何を?」

 カバンからアドレス帳を取り出し、たどたどしく電話番号を選ぶ。彩子は肩を寄せて、騎道に背を向けた。

 彩子は応対に出た相手に、早口で言った。

「飛鷹彩子といいます。三橋翔之進さん、いますか?

 急用なんです。迎えに来て欲しいんです。

 今すぐに来て欲しいんです……!」

 彩子の右手首を、騎道が掴んだ。

「どういうつもりで? 本気で言ってるんですか?

 あいつを利用するような真似は……」

「三橋とは、もう友達以上にはならないの。

 私がはっきり言ったの。何もして上げられないって」

 騎道の方が、形の良い眉を歪めた。彩子の手から電話を取り上げる。受話器から、老婦人の問い直す声が聞こえてくる。騎道はすぐに通話を切った。

「……いいわよ。他の電話を使うから。

 三橋は優しいから、すぐに飛んできてくれるわ。君は帰ってよ! 顔も見たくないのよ……!」

 周囲の注意を引かないように、努めて声を押さえていたが、間近の何人かが二人を振り返った。

 騎道は一度目を伏せて、電話をポケットに滑り込ませた。

 引き締めた唇だけが、動揺を伺わせる。

「どこかへ行って……。私から離れてよ!」

 彩子は畳み掛けた。込み上げてくるものに、唇が支配されていた。NO。目の前の少年を突き放し、どこかに逃げ込むことも、今は選びたくない。

 揺らぐ騎道の自負を砕いてしまいたいと、彩子の中の何かが囁いていた。それは悪魔的な存在。止められない。

「君は卑怯よ。三橋と顔を合わせないように逃げてるわ。

 三橋に話したの? 私が秋津会長に何をされようとしたか。何が起きてるか!?

 私に言えて、三橋に言えないなんておかしいじゃない!」

「……彩子さん……」

 常に穏やかだった騎道の、はっきりとした狼狽が、彩子の胸を一瞬刺す。悪意が中和されても、心の底から這い上がってくる震えは、ますます強く心臓を締め付ける。

「近寄らないで……。ほんとに、大声を出すわよ……。

 ……来ないで……!」

 騎道は、彩子の追い詰められた表情に息を飲んだ。

 怯えきった視線で。本気で、叫び出す寸前なのだ。

 叫び声を上げて、それで彼女が安らぐとは思えなかった。

 その瞬間に、彩子の中でまだ残る、最後の理性が弾け飛び、取り返しのつかない事態が起きる。

 恐ろしい直感が、騎道の脳裏を貫いた。

「……や……!」

 足元に学生カバンを捨てた騎道。突風のように彩子を抱きかかえ、完全に自由を奪った。

 腕の中で、拳を固めて暴れる柔らかい生き物。ふわりとしたウェーブの髪に手をやり、肩に頭を押し当てる。

 彩子の抵抗は衰えない。騎道は顔を伏せ、耳元に囁いた。

「……そんなに。そんなふうに、怒らないで下さい。

 あの人を、見ているようだ……」

 絞り出された騎道の言葉。困惑の中にいた騎道は、手の内の暖かい獣が息を潜めたことに気付かなかった。

「よく、わかったから。僕はすぐに姿を消します。

 でも離れるわけにはいかない。遠くで、君を見てるから」

 炎のように、感情を吐き出して狂っていった一人の女性。

 彩子と同じ顔をもつ彼女を、騎道は今の彩子に重ねて見てしまっていた。鮮やかな生気がどす黒い妄執に染まって、狂気に陥る錯覚が、騎道を突き動かしていた。

「彩子さんの望む通りにするよ。

 だから落ち着いて。……君の心が、壊れてしまう」

 まるで体の大きな子供だった。騎道は、彩子にすがって頼むしかなかった。彼女のようには、なるなと。

 うなだれた彩子を、腕を緩め騎道は支えた。

 ストールで彩子の肩を覆い、黙り込む。

 二人はしばらく、お互いの背後の風景を肩越しに眺め合った。行き過ぎる人々は、誰もが他人。知らない顔。

 名前を知り合っていても、心が遠く離れた二人もいた。

 彩子が、騎道のコートに額を押し当てた。強く、自分を痛め付けるかのように。

「……。……私……、怖いの……」

 くぐもった声を、騎道は落ち着いて聞き返した。騎道は、すでに自分の混乱を制御し終えていた。

「何が、ですか?」

 強張った拳の、指を一本ずつ開いて、彩子はその手で騎道のコートを握り締めた。

「私……。騎道が、怖いの…………」

 震える声が、騎道の視界からすべての色彩を奪った。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ