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1-2

「わたしだ。急用でこれから席を外す。

 夕方までには……、篠屋教頭が? わかった。会おう」

 怪訝顔で、凄雀は受話器を置いた。腕に抱えていたコートを執務卓に投げ、椅子に掛け直した。

 一時的に解放された学生たちの喧騒が、食堂や体育館から流れてくる。昼休みの時間は、何が起きようとも彼等は賑やかで陽気だった。屋外の曇り空とは対照的だ。

 じきに現れた篠屋教頭は、意外な申し入れを持ち出した。

 その申し出に深く関わる女子生徒。藤井香瑠も、厳粛な表情で篠屋に従い、背後に控えていた。

「私は構わないが。これには憑き物があるという話しだ。

 それを覚悟できるのか。藤井?」

「そのようなお話しは、はじめてお聞きしました」

 落ち着いた戸惑いは、表面上のものに見えた。

 多少の脅しでは、藤井のもつ孤高の気高さを乱すことはできない。家柄上、得体の知れない事柄には精通しているはずだった。知る以上、対処の法も心得ているだろう。

 藤井の覚悟を見取った凄雀は、それでも尋ねた。

「篠屋教頭は何かお感じになったのではありませんか?

 一度持たせたら、妙な顔をしていたと父から聞いています」

「滅相も無い。あの時のことならば、扇の見事さに驚いていた次第です。

 憑き物など。たまさかそのようなことが、この現代で起こるとは思えませんが」

 一笑する篠屋の目前で、凄雀は執務卓と向かい合う壁にしつらえたガラス・ケースの鍵を開けた。

 目線で藤井を促した。手前に据えられた鮮やかな朱色の檜扇。奥には、見事な造作の刀が一振り並んでいる。

 藤井は扇を、捧げるように手に取った。

 見守る凄雀に軽く頭を振り、藤井は扇を閉じ揃えた。

「教頭のおっしゃる通り、造りの見事さに、身の震えるような感動を覚えます。ですがその他は、何も」

 凄雀は軽快にうなずいた。

「ならば、何も問題はないな。

 己の鎮魂の場で美々しい者の手に使われるとは、扇もその持ち主も、さぞかし心の和むことだろう。

 白楼祭の舞台を、私も楽しみにさせてもらおう」

 藤井は最大の敬意を込めて、頭を下げた。

「ご期待に適うように、精一杯心を尽くす所存です。

 私ごときの我が儘をお聞き下さり、感謝いたします」

「今年は素晴らしい鎮魂祭になりそうですな。

 歴代最高の舞手と、御鷹姫の共演とは。姫君の生前に遡ったような錯覚が生まれても、おかしくはないでしょうな」

 篠屋は、この決定に上機嫌だった。

 一番乗り気だったのは、実は篠屋であり、藤井に『どうか』と漏らしたのも彼である。今年最後の舞に精魂を傾けていた藤井は、適うものならばと心を動かした。そうして、二人は凄雀を尋ねたのだった。

 凄雀は、藤井に鍵を渡して言った。

「君に預ける。好きな時に使い給え」



 放課後。他のクラス同様に2Bの教室も学園祭の準備に、すみやかに移行する。学園祭だけでなく、今週末の生徒会役員選挙の票集め作業も佳境に入っていた。

 男子生徒の一人が、奇妙なことに気付いた。

「あれー? 騎道は居ないの?」

 選挙戦の要。勝利しなければ学園を追われる立場の騎道の姿が、教室には無かった。

 元シャドウ・キャビネットの5人は、ひっそりと目を合わせた。浜実から東海、東海から松茂、松茂から和沢、和沢は友田へ。一瞬の意志の疎通の中、全員が沈黙を選んだ。

「さっきカバン持って、出てったみたいだけど」

「帰ったの?」

 生徒たちが、ざわめきだす。

「……いい気なもんだよな……」

 ざわめきの中で、その呟きは大きく聞こえた。

 5人は一斉に「まずいな……」。顔色を変えた。

「あのさあのさ。みんなに黙ってて悪かったんだけど。

 騎道の奴、また引っ越してさ、結構忙しいわけ。

 あいつほら、天涯孤独な身の上でしょ? 退学騒ぎのせいで、後見人の学園長代行にも見捨てられてさ、金銭的にも苦労してんだよね。

 大親友の、この三橋君に免じて、現代残酷人生物語の主人公な騎道君を、みんなの愛で支えてくんないかな?」

 誇大表現で説得されて、クラスは和んでいった。

 浜実などは、腹を抱えて笑い転げている。

「受け過ぎだぜ、浜実」

「……だってさ、泣けるじゃん。三橋の奴。

 完璧なフォローかましてくれて。あいつ、大馬鹿じゃないの? 笑ってでもいないと、涙、出てきちまうよ、俺」

「……ほんとに。泣かせるな」

 同情を示しながら、松茂は浜実の後頭部を張り倒した」



 ……どういうことよ? どうしてなの?

「代行は昼休み中に、急いでお帰りになられましたよ?」

 学生カバンを腕に抱え、彩子は旧校舎の古めかしい廊下に立ち尽くした。

 女性事務員にどう言い訳してきたのか、思い出せないくらい、頭の中が混乱していた。

「ここから、一人で帰れってこと?」

 呟いてみる。

 急に、自分の弱さに苛々してきた。

 ……今まで平気だったじゃない? 怖くなんかないよ。

 ……何が起きても、どうだっていい……。

 凄雀に、断りなく切り捨てられることを、常に予感していた。表面上は紳士的に振舞っていても、ある一線を越えることを許さない緊迫感が彼にはあった。

 わかっていたから、到来の早さに戸惑いはしても、恨み切れなかった。恨めしいのは自分の方。

 凄雀の手の内で、少しずつ慣らされていた。

 守られていることの心地良さに。

 油断ならない女の弱さが、怖かった。

 彩子は、サーモン・ピンクのマフラーを勢いよく首に巻き付けた。指先で後ろ髪を整え歩き出す。

 顎を引いて、足を早めた。

 ゆっくりとした足音が付いてくる。

 深い紫のストールを羽織った男子生徒が、彩子の背後にいた。彼の真っ直ぐな視線から逃れるように、彩子は新校舎に駆け戻った。

「園子。付き合って。駅前まで出るから、すぐに帰ろう。

 ねぇ、早く。バスが来ちゃうよ」

 彩子の熱意に負けて、青木園子は付き合うことにした。

 昨日撮影したフィルムの現像待ちの状態だったので、出来上がりが気にかかってもいたが。バーゲン時期でもないのに急かす彩子の態度は、ただ事ではなかった。

 二人は学園前のバス停留所から、駅前終点の同じ制服でほぼ満員のバスに乗った。

「ちょっと、具合悪いの?」

 園子が声をかける。彩子は、チロっと舌を出した。

「違うわよ。……失敗したわね、満員なんだもの」

 バスがカーブを切る度に、狭い通路にひしめく学生の群が振り回され、立ち乗りの二人に重圧がかかる。

「お侘びに何か、奢りなさいよ」

「はいはい。わかりました」

 妙に素直にうなずく彩子の頬は、やはり青ざめていた。

 ……騎道が、乗っていないの……。

 喉に込み上げてこないように、彩子はお喋りを続けた。

「うまく撮れたの? 昨日の」

「ぼやいてたわよ、駿河君。眼鏡さえなかったら、騎道君を自分の代理で今の仕事に推薦できるのにって。

 あの後、夜になってから二人だけで、どこかでまた撮影したみたいね。見て驚けよって、駿河君、意気込んでいたけど。何企んでるのかしらねー。楽しみだわ」

 ……一人きりで……。

「あの二人、急に仲良くなったわよね。何かあったの?

 三橋君は、草野球リーグが終わってから全然大人しいし」

 ……あのひと、一体どこで襲ってくるの……?

「あ、嫌だ……、あたしって……」

 一方的に喋っていた園子が、顔をしかめた。

「何?」

 びくんと肩を震わせて、彩子は聞き返した。

「賀嶋君に見えたのよ。居るわけないのに。今、追い越していったバイクの男子。似てたのよね、バイクの車種が。

 留学するまでよく彩子を乗せてたでしょ? 覚えちゃったから、つい連想しちゃった」

「……、どこに?」

「もう見えないわよ。スエードのコートの襟に、ちょっとだけ紫のマフラーなんかのぞかせて。キザな奴よね」

 …………だ。

「降りるわよ、彩子。ねぇ、酔ったの?」

 その人……、騎道だ。



 中央駅前の長いショッピング・アーケードは、女子学生で溢れていた。さながら、各学校対抗の制服品評会。

 ロング・スカートやマイクロ・ミニが入り乱れて、OLが解放される5時までの間は、彼女たちの天国だった。

 無論、公認な彼氏が居る少女たちは、見せ付けるように手をつないで堂々と歩いている。肩にすがっておねだりのポーズは、当たり前な光景でもあった。

「あの子、イイじゃない? 誰か声掛けてきなよ」

「ほんとー。一人かな?」

「なんか、カノジョとか居そうじゃない?」

「居たって構わないわよ。先に奪った方の勝ちよねー」

 園子は、背後でイヤリングを物色しつつ男の品定めもしている女子高生の一団に辟易した顔を向けた。

「……なーにが奪ったよ。さもしい奴等なんだから」

 苦笑いで、彩子も園子の意見に同調した。

「あ、やーん。どっか行っちゃうわよぉ」

 一人が、甘い悲鳴を上げる。

 次の店へぶらぶらと歩き出す彩子。園子は好奇心で、そこまで騒がれる人間の顔を確かめに行った。

「…………。なーるほど。気持ちは、わからなくはないわ」

 よく見れば、彼女たちは臙脂の上着にタータンチェックのプリーツ・スカート。他校の制服だった。

「だけど簡単に、奪える相手じゃあないわね」

 ちょっと思案する園子の目前で、その美男子は奇怪な行動をとった。人待ち顔を装っているけれど、視線の先にはたった一人の少女しかいない。彼女の動きをさりげなく追っている。間違いなく尾行している。

「あらら……」

 園子は、顔をしかめるしかなかった。

 大胆にして傍若無人な女子高生の見本。

 先程の少女たちが、彼に声を掛けたのだ。

 少年が丁寧に断っても、少女たちは4人がかりですがりつく。彼の苦境を見届け、園子は彩子に追い付いた。

「どこ行ってたのよ」

「彩子、もう帰らない? あたし飽きちゃった」

「まだいいじゃない? どうせ暇なんでしょ」

「自分だって退屈してるくせに。ウィンドゥ・ショッピングなんてバカにしてたのに、どーゆー風の吹き回しかな?」

「あ、あたしだって、たまには生き抜きしたいもん」

 ムキになって、棚に並んだニット・ウェアを広げ出す。

 似合わないわよ、それ。園子は忠告を飲み込んだ。

「あら、そお? ならもっと面白い息抜きしよ?」

「何よ。どこにそんな」

「ナンパ。格好いい男の子を、ひっかけるの。

 絶対、うちの学園の奴はダメね。大した男居ないんだから、声掛けるだけ無駄よ無駄」

「! そんなの一人でやりなさいよ。そっちこそ、どーゆー風の吹き回し? いーわよ。あたし一人で帰るわよ」

 あら、そう。残念ね。んじゃ、また明日ね。

 むくれた彩子に手を振ると、園子は一目散に引き返した。

 優しい物腰が女どもを付け上がらせるのか、挙動不審の少年は、女子高生の囲みから抜け出せずにいる。

「そこの君。一人なら、あたしと付き合わない?」

 色気で迫る必要もなかった。

 くいくいと、園子は人差し指一本で少年の注意を引いた。

「……園子さん……。冗談ばっかり……」

 間に受けて、たらーりと盛大な冷や汗を、奴は浮かべてくれた。……失礼ね、おとぼけナイトめ。

「あのね、影ながら見守るなんて暗いわよ」

 横柄な態度で傲慢な女どもを追い払ってから、園子は騎道を問い詰めた。

「君くらいのルックスじゃなかったら、ただのヘンタイ。

 変質者ね」

 解放してもらった感謝の笑みは、一転して狼狽に変わる。

「……変態、……ですか……?」

「そ。こっちまでイライラするのよ。

 男だったらドーンとぶつかって、砕けてみたら?」

 三橋みたいに、とは、さすがに言えない。

「その方がふんぎりがつくでしょ? その後、押し倒すにしても、諦めるにしても」

「……そ、園子さんっ……?」

 どーして話しがそこに飛ぶんですかっっ。

 赤くなる頬。園子は調子に乗って、もう一枚ある切り札を引き合いに出した。

「あの賀嶋なら、……!」

 ふいに騎道が目前に迫る。右手で園子の口を塞いだ。

「その人の話しは、やめて下さい。

 彩子さんにとっては過去形でしょう?」

「…………」

 こいつ、相当対抗意識を燃やしてるじゃない……。

 騎道の直接行動に、園子は気圧されていた。

 間近にすると、騎道の顔立ちの端正さが更に際立って、女心をどぎまぎさせる。

「折角ですから、彼女は引き受けますよ。後は任せて下さい」

 さらりと告げて、騎道は歩き出す。

 これでカチンと来ない女は居ない。

「ちょっと。あたしが離れるのを待っていたわけ?」

「二人揃ってナンパするほど、根性無いですから」

 申し訳なさそうに肩をすくめても、騎道は絵になった。

 園子はほんの少しだけ、後悔を溜め息に代えて吐き出した。

「……彩子のバカ。二度もフッたら、絶交するわよ……」

 こんなにイイ男を。もったいない……。

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