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のんびりと、噴水の水柱が陽射しを照り返している。
その清々しさに反した、無気力な少年が二人、大噴水を囲むベンチで肩を落としていた。一人は稜明学園の制服。
もう一人は、焦げ茶のコーデュロイの上下に黒のハイネック。プチメガホンが似合うハンチングに、レイバンのサングラスと、見掛けだけは気合十分である。
監視役はカチューシャの少女。彼女のため息は、すでに底を付いていた。
「おい、青木……。もう一度、かけてこいよ……」
「いーかげんに諦めなさいよ。誰も出ないわよ」
「だったら学園長宅にかけてみてくれよ」
ブッ千切れた園子は、眉を吊り上げて駿河に向いた。
「どーして彩子が学園長の家に居るのよっっ!」
…………。それはいえない駿河だった。
「一体どうしちゃったのよ? 君も騎道君もっ。
彩子なら昨日のうちに、顔を見せに来てって電話してあるの。この時間まで来ないんだから、他に用があるのよ?
男らしく諦めて、シャキッとしたら!?」
青木園子。怒鳴り散らしても、肝心の男二人はまるで動じていない。
気乗りしない間抜け顔の、それでも十分な美形たちを一喝で蘇生できるのは、たぶん一人だけ。
わかっているから、園子も密かに携帯電話を鳴らしているのだが。コール音は虚しいエンドレスだった。
晴れ渡った秋の太陽が、すっかりお昼を指している。
2年D組がメインの、写真部の助っ人も含めた十数名の撮影部隊は、マロニエの枯れ葉が舞う広い中央公園に集結していた。すべては学園祭に向けた2Dの企画。グラビア写真集の為である。
もう一人のメイン・モデルである秋津静磨の方は、撮影を終了していた。企画者の青木が感涙もののスーパー・ショットが揃って、残るは騎道のみだった。
「……君たち、お腹空いてない?」
「おいおい。飯食ってる暇なんかないんだぜ、青木」
「僕も結構です……」
遠い目をしている騎道と駿河が、口を揃えた。
園子は大袈裟に額を押さえてみせて、教えてやった。
「あのね。君たちに言ってるんじゃないの。
君らの気力のなさに干されてる、あっちのスタッフに言ってるの! 働かざるもの食うべからずよっ!」
言い捨てて、園子は手持ち無沙汰の撮影スタッフの輪に飛び込んでいった。
「……精一杯、努力はしてるんですけど……」
騎道はうらめしく、隣の撮影監督駿河秀一を伺った。
「ほーお、はーあ。あれが精一杯ねぇ?
プロを甘く見てるな、騎道君。てめーの気のなさは、ファインダーを通せばバレバレなんだぜ?
それに何だ? この夜更かししましたクマさんは?」
騎道の顎を掴まえて、グキッと自分に向かせる。
薄く叩いたファンデーションを透かして、騎道の目の下に隈が青く沈んでいる。
「あれーほど、ちゃんと寝ておけって教えたのに、このバカっ! これじゃあアップに耐えられんだろっ」
……厳しい。無闇と、駿河はプロ意識に燃えていた。
まぁ。仕事上で言われているそのままを、騎道にぶつけているだけという真相はあったが、それはそれ。
日曜。早朝からの撮影は駿河のダメ出しの連続で、一向に終了の兆しが見えなかった。
その原因は、騎道の覇気の無さにあると指摘する駿河だが、騎道本人には改善の様子も、自覚もなかった。
「……彩子さん、どうしてるんでしょう……?」
「そーゆーヤラシイことを考えてるから、顔に出るんだ」
はたっ、と騎道は両頬を押さえた。
図星っ。駿河は勝ち誇って、櫛と手鏡を騎道に渡した。
「あいつが気にかかるなら、もっとマジになれよ、騎道」
マジでやってますよぉ。駿河さん、早く終わらせて彩子さんの様子、見に行きましょうよー。
懇願する騎道を見捨てて、駿河はスタッフに手を振った。
「モデルが心を入れ換えるそうなんで、スンマセンけど、ご協力お願いっしまーす」
すっかり、業界ノリな駿河だった。
受ける学生たちも、気分はギョーカイ。今や彼等は、本職並に撮影の段取りを習熟してしまっていた。
嫌がる騎道を押さえつけ、念入りにメイクが始まる。
照度計でテストを繰り返し、騎道を置いてポラロイドでイメージを確認する。無論、黒縁眼鏡の反射も考慮する。
彼等が動きだせば、物珍し顔の野次馬が丸く人垣を作ってゆく。衆人の注目が部隊に気合を入れる。モデルの不調はともかくとして、作業はスムーズに流れ始めた。
撮影場所は、木製のベンチ、大噴水脇、マロニエの木立を真っ直ぐ抜ける歩道。駿河のポーズの要求は容赦ない。
衣装は、稜明学園の冬服と私服の2パターン。
正統派ブリティッシュ・トラッドが、思いの他似合ってくれる男だった。駿河が提供したライト・ブラウンのツイード・スーツ。着替え直した騎道に、観客の中、主に女性たちから溜め息が漏れた。
他人の注視の直中で要求通りの表情を造る騎道に、駿河は内心舌を巻いた。
いい度胸してるぜ……。
ふいに、フラッシュの中で騎道が表情を変えた。
「……彩子……。遅いぜ、お前……」
騎道の視線の先に彩子が居た。遊歩道の外れ、トンネル状の頭上からの木漏れ日が、表情を分かり難くしていた。
「! あいつと、一緒だったのか……?」
切れ長の目の端で、駿河は白銀の車体を見止めた。
運転者は、木立ち越しに譲り渡したことを見届けると、中央駅とは反対方向に車を発進させた。
「御飯を食べただけ。……送ってくれるって言うから」
囁くように言い訳して、彩子は駿河の側をすり抜けた。
裾の長い黒のワンピース。アイボリーのハイネックに、シンプルな焦げ茶のロング・カーディガン。細いくるぶしを強調する、ヒールのある編み上げのブーツ。
駿河の気のせいか、男物の香水の残り香が漂った。
「彩子っ。待ってたわ。あの二人、今度気を抜いたら思いっきり叱り飛ばして頂戴ねっ」
「やーよっ。どーしてあたしが、他のクラスの応援をしなきゃなんないの?
園ちゃん? 呼んでくれて感謝するわっ?
十分、邪魔させてもらうから」
あんたねー、それが親友に言う言葉?
親友だったら、仁義を通してもらいたいわよねっ。
安請け合いする騎道も騎道だけどっっ!
売り言葉に買い言葉。女同士の口喧嘩は、見事に本番の緊張感をブチ壊しにしてくれる。
「……おい、誰か。あの二人、撮っといてくれ……」
耳を塞いだ駿河が、指示を出す。撮影妨害の立派な証拠にするつもりだった。
気付くと、堪え切れず騎道は噴き出している。
カメラマンはシャッターを切り続けた。屈託のない笑顔が、次々とフィルムに焼きついてゆく。
その日一番の笑顔に、なぜか駿河は安堵していた。
「ちょっと、どーしてあたしたちを写すのよ」
「秀一! 今の肖像権の侵害。フィルムは没収ね」
何ばかなこと言ってるのよ。彩子なんて帰りなさいよ!
呼んだのはそっちでしょ? 折角来てあげたのよ!
「おい、次。騎道、次の撮影ポイントに移るぜ」
「あ、はいっ。駿河さん」
真っ先にその場を抜け出して、男二人は肩を並べた。
「……おい。残りの撮影、早めに仕上げるからな。
気合い入れろよ」
「そう願います。僕、約束してたの忘れてました」
「何を?」
騎道は、肩越しに彩子を伺いながら言った。
「学園祭の出し物で、バンドを組むんです。その練習日が今日だったの忘れてて。……三橋、怒ってるだろうな」
駿河はしばらく思案し、にっかり笑い騎道の肩を叩いた。
「そーゆーことなら、ゆっくりやろうぜ。練習不足で本番玉砕。2Dとしては、願ってもない趣向だな」
「……す、駿河さん……?」
かくして、足の引っ張り合いはここでも繰り広げられる。
「それってひどいですよ。駿河さんっ」
「……お前。三橋と顔、合わせ憎いんじゃないの?」
さりげなく、本題を逸らして駿河は釘を差した。
口を閉ざした騎道は、すぐに思い直し素直に認めた。
「そうですね……。でも、遅刻は謝らなきゃ。
電話、掛けてきます。必ず行くからって」
はいはい。駿河はうなずいた。駆け出す騎道に、ケッと息を吐く。
「正直者はバカを見る。その典型だね、あれは」
奴は、自分から進んで、当然のように飛び込んでいってしまう。危なっかしいバランスの中へ。
三橋がそれを受け止められるか、予測不能。
受け止めたいと望んでいるらしいことは、昨日の不審行動に現れてはいた。だが、荷が重過ぎる。
それを承知しているから、騎道は駿河に、事件の要点だけを伝えた。自分の感情抜きで、事実だけを告げた。
『本心』。
騎道の本心は、誰にも肩代わりできないほど重いのだろう。一人で背負って、奴はいつか倒れたりはしないのか?
一人ぼっちでつまずく騎道が見えるようで、駿河は喘ぐような気分で、彩子の姿を探した。
園子を言いくるめて、彩子は笑い出している。
相変わらず、彼女は眩しい存在だった。
昼休みの物理室は物静かなものだった。
体育館や食堂から流れてくる柔らかいざわめきが、子守唄になる時間。ガラス越しの陽射しを全身に浴びて、騎道はうつらうつらとしていた。
添い寝しているのは、キャビネットに置かれた二つのミニ・バラの鉢植え。南側、窓際の木製キャビネットは、騎道のお昼寝ベッドには最適な場所だった。
「やっぱここに居た。騎道ってさ、猫みたいだな。居心地のいい場所には、鼻が利くんだよな」
人のいい笑みで部屋に滑り込んできたのは浜実だった。
折れも混ぜて。と、もう一つ平行に並ぶキャビネットに腰掛けた。騎道に習い、のんびりと足を伸ばし横たわる。
「珍しいじゃん? 何、遅刻ってたの?」
しばらく続いた静けさを、浜実が軽い口調で破った。
「あ、うん……。つい、寝過ごしてさ」
浜実には見えるはずもないのに、騎道は肩をすくめた。
今朝の遅刻は、騎道にとってかなり口惜しいものだった。
例によって例のごとく。凄雀に先んじられた。
今度ばかりは、本当に目が覚めなかったという大失態。完全に、ナイト失格だ。
「へーえ。騎道ってさ、もっとクソ真面目な奴だと思ってたけど、案外ワルだね。さっきも居眠りしてたし。
何んか、夜のバイトでもしてんの?」
授業中の悪行まで指摘されて、騎道は冷や汗が吹き出してきた。起き上がり、膝を正して浜実に向き直った。
「……。わかる?」
「わかる。俺も似たような口だから」
ひょいっと起き上がって、浜実は同房の笑みを見せた。
夜の街の賑やかさは、浜実の第二の生活圏である。実益も兼ねたバイト生活は、多少の睡眠不足と引き換えてもやめられるものではなかった。
「だから。先生様には告げ口しないから安心しなよ」
言われて、騎道は素直に肩の力を抜いた。
「いいこと教えてやるぜ。地学の酒田の授業だけは気をつけろよ。あいつがヒステリー起こすと、クラス全員の迷惑になるかんな。あいつの授業だけは見つからないよーにすること。わかった?」
「うん。ありがとう」
「それとさ。騎道、始めてなのにギターの筋いいね。昨日教えてて、わくわくしたよ」
三橋家でのバンドの音合わせに、騎道はかなり遅れて駆け付けた。ギターの指南は浜実が引き受けてくれた。技術的に高度な部分で意見を交わす他三人と離れて、騎道はみっちり、一から実技を教わったのだ。
「耳とリズム感が、ただ者じゃないな。覚えるのも早いし。
本番まであんまし時間ないけど、ちゃんと出来るってみんな安心してるよ。ほんとに。
来週は、楽しく音合わせやろうぜ?」
大きく笑うと、浜実は右頬にだけ笑窪ができる。
それを目にして、騎道は思わず頭を下げた。
「浜実。ゴメン!」
「……ははっ。俺に謝られてもなーって言いたいところだけど。バレてた?」
完璧な芝居の出来なかった自分に、浜実は照れた。
「すぐにわかったよ。皆にも、伝えておいてくれないかな。
迷惑かけて。昨日は気を使わせて、悪かったって」
「……ほんと。和沢が言った通り、勘のいい奴だな。
おかげでメッセンジャーは楽だぜ」
半ば真顔で、浜実は騎道は見返した。
「ほんとうにゴメン。今は、それしか言えない」
肩を落とし、それでも打ち明けられないもどかしさを噛み締める騎道。パシパシと、浜実は膝頭を叩いてやった。
「俺、お前らに何言ったらいいかわかんないけどさ。
これまでも二人でうまくやってきたんだから、これからも仲良くやってくれよな。
巻き込まれた以上、後をついていくからさ」
……みんなで。
面と向かっての意思表明は、浜実の性分ではなかった。
他4人分を引き受けているからこそ、言える。
照れて、額にまで汗が滲んでも、これだけは。
「お前らだけで地球が回ってるわけじゃないんだぜ?」
そう言い残し、浜実は大股で部屋を出ていった。
胸に痛い台詞だった。見えない傷が深くなる胸を、庇うように片膝を引き寄せた。目を閉じると、昨日の気まずい情景が蘇ってきそうで、眠ることも諦めた。
昨日。練習の邪魔をするという口実で、駿河が付いて来たのは本心有り難かった。彩子を一人で返すわけにはいかないと承知している駿河は、うまく言い含めて彩子も一緒に連れてきた。
反発したのは三橋で、スタジオの片隅に整理されていた昔のバンドの録音テープを漁る駿河に、始終振り回される羽目に陥った。
彩子は東海にドラムの手ほどきを受け、初めての体験に時間を潰した。ベースの松茂が彩子のドラムに合わせ、顔を出していた和沢がギターを入れる。女性ドラマーも悪くないと、ゼネラル・マネージャー友田が持ち上げ、彼等は完全に脱線していった。
なんの集まりだったのか、趣旨を見失った時間が流れ、彼等は日没後に別れた。
「……すっかり邪魔してたのに……」
5人は気付いていた。表面上は和やかな騎道と三橋が、必要以上に言葉を交わさなかった事実。視線すら逸らしていた、彼等の距離を。
よそよそしいガードを張り巡らせた彩子と、コントロールを試みていた駿河の、奇妙なにバランスまでも。
三橋が回してくれた彼の専用車で、彩子を家まで送った。ここでも、駿河はショック・アブソーバーだった。
もう一度眠り直そうと、騎道は目を閉じた。
疲れきっていた。昨日も、今日も。
たぶんこれから数日間続くと、覚悟していた。
少し眠れば疲労は取れる。昼食は諦めた。
原因は二つある。日課となった白楼陣の弱体化が一つ。
時間的には数秒でも、かなり肉体を消耗させていた。
そこからすぐに、騎道はバイト先へと出向くのだ。
携帯電話の契約料金と、ソファの支払い、冬物の衣料代金。すべてバイト先からの前借りで賄った。
学園長夫人からの封筒は騎道の手に渡っている。前借りを返済しても、十分残る金額だった。
けれど、見ず知らずの学生を信頼し、前借りという我が儘を受け入れてくれた相手への、感謝の気持ちだった。
何らかの支障をきたせば、訳を話して辞める気ではいる。
しかし、深夜2時までの肉体労働は、十分この通り、支障をきたしているのだが。辞める気はなかった。
あの職場は懐かしさを与えてくれた。『彼』も似たような時間を過ごしたのだと思うと、それだけで気持ちが落ち着いた。久瀬光輝。彼はまだ、騎道の『兄』だった。
「おい。始まるぜ、授業が」
ペシペシと頬を叩かれて、騎道は顔を上げた。
「! ……三橋……、どうしてここが?」
「ほれ。急いで食えよ」
騎道の懐に何か転がして、三橋は戸口に引き返した。
拾い上げると、袋入りの丸いタマゴパンだった。
「いいか? 食ったら寝るんじゃないぞ。
もう迎えに来ないからな」
念を押すと、三橋はドアを開けたまま出ていった。
ふわりと、冷たい風邪が吹き込んでくる。
「…………。さんきゅ」
息苦しい溜め息とともに、騎道はパンを噛み締めた。
三橋の一つ一つの動きに、緊張する自分が情けなかった。
見つめられる瞬間、ナイフを突き付けられたように、騎道の動悸が速まる。……問い質されるのではないかと。
なのに自分から、踏み出すことも引くこともできない。
蛇に魅入られた蛙のように、竦んで、三橋の出方を伺うだけ。いつも向こうの方から、視線を外すとわかっていながら。
風だけが冷たさを増す。
騎道は暖かい陽射しに背を向けた。