3-6
「……あなた……?」
「シィーっ。黙って乗りなよ。遅刻するだろ」
迷惑そうに顔をしかめる男に、彩子は従った。
白銀の車体をスタートさせてから、男は口を開いた。
「あいつ、俺の写真とか一枚も持ってなかったの?」
「久瀬…光輝…さん?」
「光輝でいいぜ。……実はさ、生きてたわけ」
「騎道は、知らないんですね」
「お姫さんてば、一番聞かれたくないことを一番先に言い出す嫌な女だね」
「あたし、お姫さんなんて名前じゃありません」
ぐさっ、と彩子は断りを入れた。
「おー、わあっ。そーゆー所、そっくりっ!」
大袈裟な動揺に、彩子はこれが騎道の『兄』? 疑いのまなざしを向けてしまった。
「……誰にですか? 御鷹姫?」
「沙織にね。瓜二つだなって。
……似ちまうもんかね。やっぱり。血が近いと」
「沙織さん。そういえば、御鷹姫の転生者として、ひどく苦しんでいたみたいですけど。どういうことですか?」
「ほんとに、あんた勘がいいね。その話をしにきたんだ。
最後の置き土産にさ」
最後……。彩子は、真顔を作った。
「妙なんだよ、この時代。転生者が二人生まれちまった」
「二人……? でも、御鷹姫はあたしを欲しがってますよ」
「それが、この時代のトリックなんだ。
奇跡、と言ってもいい。……ここに、俺たちが引き寄せられたのも偶然じゃないってことかもしれないが」
久瀬光輝は、ほんの一瞬険しい陰りを見せた。
「騎道も御鷹姫も、見掛けに騙されてる。騎道はまだチビだったから仕方がないな。御鷹姫、いや、白楼后という名前の怨霊の態度は解せないが、こっちには好都合だ。
飛鷹彩子。あんたは、見掛けだけはこう姫にそっくりだ。
表面の性格も同じだがな。
だが、本性はかなり違う。俺にはわかる。
……あいつを抱いた俺には、はっきり違うと言える。
沙織なんだよ。あの気性の強靭さ激しさは。顔や姿は違っても、あれはこう姫そのものだ」
「……だから、魅かれたんですか? 沙織さんに?」
「三百年も経って……、いーや、俺たちにとつてはどれくらい時間を隔ててきたかも計算できないが。巡り巡って同じ女に惚れるなんてさ。天文学的確率なんだぜ?」
「運命の女ね。素敵。沙織さん、お幸せなんでしょう?」
柄にもなく照れまくって、光輝は嫌な顔をした。
「あのね……、話を逸らさないの」
「表の性格と姿が、あたしはこう姫にそっくりで、沙織さんは奥深い本質がこう姫そのもの。それで?」
てきぱきと話を進められ、女の度胸の良さに困惑する。
「……。だから、そのつまり。あんたは心配しなくていいってことよ」
「何を?」
「取り憑かれることにだよ。姿形はそっくりな器だ。だが、本質はあんた自身だ。簡単に、乗っ取られることはない。
欠陥のある器で、化け物が納得すると思うか?」
だから、白楼后の行動が解せないのだ。不完全な器である彩子に、なぜ固執する? なぜ、本性を抱く沙織に見向きもしない? 光輝にも解せない疑問だった。
「あんた自身でないものがあって、同時にあんたそのものの部分がある。完全に同化することは不可能だ。いつか、現実に『今』の時間を与えられた方が、勝てるぜ」
手放しでは喜べない彩子だった。光輝も同じだ。
「だが、気を付けろよ。白楼后と同じようなことを考えるようになったらお終いだ。あいつと同じになっちまう」
……昨日のように、とは、さすがに言い出せなかった。
彩子の体欲しさに、白楼后は完全に無防備な状態で飛び込んできた。騎道たちには、それは好都合だった。
彩子もろともに、何も力も持たない亡者を抹殺できる好機であり、白楼后にとっての最大の弱点だ。
だから脅しをかけるだけで、すんなりと逃げ出した。
「この話し、騎道にしてもいいの? あなたのことも?」
「そうだな。俺のことはしばらくオフ・レコにしてくれないか?」
「だったら、話せないじゃないですか」
彩子は呆れた。
「いずれな。俺たちが日本を離れるまで」
「……。騎道には、会わないつもりなんですか」
俺たち、とは沙織も含めてのことと、彩子は察した。
「人のことを心配するより、自分の心配をしろ。お姫さんの方が一番大変なんだぜ。
人間は、いつか一人ぼっちになるようにできてるんだ」
むきになって、光輝はハンドルを切った。
「そうしてまた、誰かと会えるでしょう?」
「そうだな……」
渋々、光輝は認めた。
「あなたにとっては、沙織さんでしょう?」
「いい勘してるな。鈍感騎道の恋人が勤まるわけだな」
「いいんですか。騎道に会わなくて」
「あいつ、泣くんだよ。一生の別れ、ってことになると、ピーピーと。……見てると殴りたくなるんだよな……」
彩子は、ぼやく光輝をじっと見た。
「騎道のこと、好きでした?」
「嫌っちゃいないよ。初めから」
くすりと、光輝は優しく笑った。
「私たちの為ですか?」
「どっからどこまでの『たち』なんだ?」
「私と沙織さんと、こう姫」
「自分のミスを償ってるだけだ。惚れられない女に捕まって、離れられなかった俺の、最初で最後のミス」
「……騎道には、そんな過ちをさせたくないな……」
「おい、誤解すんなよ。
後悔してるわけじゃないんだぜ。ほんとにっ……」
「はい」
懸命に力を込める光輝に、彩子は素直にうなずいた。
「ついたぜ」
なめらかに、車は飛鷹家の門前に停車した。
「えっと。あたしから、一つ聞いてもいい?」
「何だい?」
「クリオン、っていうのが、あなたのもう一つの名前でしょ? 学園長代行は、たしかゼン……とか?」
「あ、あんたねっ。
その名前、軽々しくあいつに言うんじゃないよっ。あの野郎、すっかり『代行』になりきってんだから」
「わ。図星―っ」
彩子ははしゃいだ。
「……は、ハメやがったな!」
「なら。騎道は何って言うんですか?」
「…………。聞き出して、どうする気だ?」
「どうも。でも、騎道は絶対言い出しそうにないし。代行は知らん顔しそうだし」
難しい顔で悩んでみせてから、光輝はうなずいた。
「……耳、貸しな。……。わっ!!」
び、びっくりしたーっ。
耳元で大声を出されてしまう彩子だった。
だが睨まれて、光輝はすぐに観念した。彩子の耳に囁く。
「へえ。きれいな名前」
「呼ぶなよ。これで。あいつ腰抜かすぜ。
あいつも、高校生の『騎道若伴』になりきってるからな」
車を降りた彩子を、光輝は引き止めた。
「最後の忠告だ。騎道は、あんたの体を守れても、心は守れない。忘れるなよ。最強の男の唯一の弱点だ。
それだけは、自分で守れ。どんな手を使ってもな」
どんな手を使っても……?
「……早く着替えてこいよ。学園までが、俺のお勤めなの」
どんな手って……? もう使ってるわ。
「あたし、騎道が好きなの。それでいいでしょう?」
はいはい。ご名答。あんた、よく出来た恋人だよ……。
「君が、賀嶋章浩ですか?」
国際電話はすぐに繋がった。騎道は朝日の差し込む窓辺にもたれ、そっと、白い光が造る影に目を凝らした。
新品のソファの影、テーブルの影。自身の全身の影。暗い濁りが、自分の胸に広がる重さが息苦しかった。
「……そっちは騎道若伴だな」
「駿河さんからですか。僕のことが君に筒抜けなら、話しは早いんですが」
「用件は?」
余計なことを聞き返さない端的さに、騎道は満足した。
「これは頼みではなく警告です。
どんな理由があろうと、君は日本へ帰国しないように」
「指図を受ける筋合いは……」
「少なくとも、今年一杯。クリスマスが過ぎるまでは来るな」
口に出した期限に根拠は無い。一生と言いたい気分だ。
「……でなければ、君が彩子さんを死なせることになる」
声を低め、ありとあらゆる『責任』を賀嶋に負わせた。
「それでも構わないのなら来るといい。
君には彼女を渡さない。彼女は僕のものだ。君のことは忘れさせる。絶対に。
警告を無視したいなら、覚悟を決めて来い。
……一時の感情の振り回すことで、君は一番大切なものを失ってしまえばいい……!」
愕然とする沈黙をしばらく楽しんで、騎道は携帯電話をオフにした。与えたダメージは大きいはず。向こうが立ち直れなくなろうとも、騎道には無関係。望むところだ。
……君の存在は、彼女に混乱を与えるだけでしかない。
御鷹姫を喜ばせる、最高の貢物になる。
軋む体を起こし、騎道はソファに座り直した。ティオの視線が痛い。曇りのない瞳がうかがっている。
「……お腹、空いたな……」
彩子が用意した、お粥の匂いが居間に漂っている。
テーブルに転がした携帯電話が鳴り響いた。
「駿河さん? 彩子さんですか、教えたのは」
腕時計は、まだ授業開始前ではあった。
「ああ。まだ生きてるらしいな、その様子じゃ」
「まあ、元気ですよ。どうかしたんですか?」
駿河の嫌味は、一転してためらう口調に変わった。
「彩子の奴。口じゃあお前がめちゃくちゃにやられたって言いながら、ケロっとした顔してたぜ。
……ああも落ち着いていられると、こっちが焦るんだよ。どっちが本当なのか」
「だから確認に? 気を使わせていつもいつもスミマセン。
でも嬉しいな。やっぱり、僕が命賭けで好きになった人だけのことはある。彩子さんは、しっかりしてる」
「……お前ら……、そーゆーわけ? そーゆーこと?」
しつこく繰り返す駿河。
「ええ、まあ。駿河さんの望み通りの展開に」
「だーれが望んだ!? 抜かしてくれるな、騎道!!
忠告しておくがな……」
「僕の方から先に言わせて下さい。今後の注意事項を」
「な、なんだよ……」
「幼馴染だからといって、今後彼女に馴れ馴れしい態度を取らないで欲しいんです。非常時以外は、抱き締めたり、涙を拭ってあげたりしはないで。僕が禁じます」
「……身勝手で高圧的な態度は、友達無くす素だぜ……」
引導を渡されて、すっかり駿河はいじけてしまった。
「構いません。彼女が居てくれたら、僕は生きていけます。
他のことは彼女を手に入れる代償です。僕は、釣りあう程度に払わなきゃならない。覚悟は出来ています」
「てめーは欲張りだ! 彩子を独り占めしようなんて」
「? だって、これからは僕だけの彩子さんなんですよ?
駿河さんもいい加減にして下さいね。呼び捨てにされるだけでも、僕はムカついてるんですから。
早く彩子さんのことは忘れて、駿河さんも『彼女』を探したらどうなんですか? 居ないんですか? 好きな人」
「…………ば、ばーか……。てめーにっ、てめーに……」
言葉にはならない。駿河は絶句の絶句を重ねた。
くつくつと、騎道は笑い出した。傷のうずきを堪えながら、天井を仰いで受話器に向かって笑い続けた。
「……すっとぼけナイトが……。マジになってくれて……。
いいか? 彩子を泣かすようなことがあったら、俺は絶対にてめーを……!」
「駿河さん? その約束だけは、僕は守れません。
……彼女の涙も、僕のものなんです。誰にも譲らない」
駿河に対してもまた、騎道は一方的に通話を切った。
「……嫉妬してるんですよ。僕は。
これから先の何十年かを彼女と共有できる、君達全員に対して……」
善悪の区別の付かない子供のように。
「ねえティオ。僕に一番相応しい罰は何だろう……?」
この程度の傷じゃ生温い。
世界中を敵に回しても平気だ。
……僕は君を傷つける。
これ以上ない残酷さで、君の心を砕くだろう……。
君はそれを知っている。はっきりと気付いている。
「だから……」
今日は一人で、静かに考える。
もうじき受けるべき罰や償いのこと。
……僕は全然完璧じゃない。君の言う通りだ……。
見届けられない君の未来を、どうやって守ろうか?
……どうしたら、君に……。
『NO PERFECT KNIGHT 完』