3-1
「……おい。あいつ、人が変わったと思わないか?」
「あ、俺もそう思う。違うよなー。全然っ」
「妙に気が抜けてるみたいで、感じ良くないぜ」
「ばーか。女はね、あのくらいで十分なの。ああいうのを、おしとやかって言うんだぜ」
「でもさ。気味悪いな。あの飛鷹がオシトヤカってのも」
「……何か、あったのかな……」
「あそこまで女っぽくなるんだからさ、アレだろ?」
「アレって何さ、アレって」
「よーするに、男女関係だろ?」
「そうそう。しっかり……痛テッっ!」
噂話しでニヤつく男子生徒たちの輪。突然振り回された箒の襲撃に、机や椅子を蹴って逃げ惑う。しかし敵は容赦ない。ビシバシと、辺り構わず打ちかかってくる。
「ヤメロヨ、小夜! とっ、ひい、助けて!」
「黙って聞いていれば、好き勝手なこと言ってくれて!
彩子に告げ口したら、どんな目に合うか見物よね!」
「それだけは堪忍!」
「許して下さい、小夜姫」
口々に謝って、彼等は一斉に教室を飛び出していった。
ガランとした教室に一人残され、彼女は箒を投げ捨てた。
放課後の2Bは、空中分解寸前だった。それも、小夜の気分を滅入らせる。
「……どうしちゃったのよ。彩子のバカ」
選挙は4日後。学園祭は11日後。
乗りやすい2Bの生徒たちは、その勘の良さにも逆に働いて、完全に狂った指針に、拒否反応を示していた。
少なくとも、選挙戦の中心に居るべき騎道が、心ここに在らずだった。後は済し崩しだ。
選挙戦幹部も、いい加減苛立っている。
口火を切ったのは友田だった。
「やめたやめた。誰の為に苦労してるのか、わかんねーぜ」
選対幹部会議の席で、三橋が騎道は私用で欠席すると告げた瞬間。友田は声を上げた。
「そーゆー恩知らずの後押しをして、俺は自分の価値を下げたくはないんだよ」
椅子を蹴って立ち上がる友田を、誰も見ようとはしなかった。三橋だけが、答えてやる。
「いいぜ。抜けたい奴は、そうしてくれ」
ぴくりと、友田の顔が強張った。
一斉に、残り4人がお互いの顔色を伺った。
浜実。東海。和沢。松茂。
友田の右手に座る和沢が、友田の制服を引っ張った。
頭を振って、友田は椅子に座り直した。……誰も乗ってきやしない。当の三橋は涼しい顔で促したきり。
自分だけが焦れているバカバカしさに、友田は芝居でなく、本気で苛ついた。
マジに腹を立てると声が高くなる。友田の癖は、全員が承知していた。今度こそ、友田は本気だ。
「どうしてあいつを、首に縄つけてでも引き摺ってこれないんだよ! これじゃ、闘う意味がないぜ。
他の生徒にも示しがつかない。表面でも繕っとけば、あとはこっちでどうとでもなるんだよ!
とにかく、あいつが表に出なけりゃ……!」
「仕方ないんだよ。あいつだって忙しいんだ。
こっちで出来る範囲があるなら、その限界までこっちでやればいいだろう? ……いずれ来るよ。騎道は、ちゃんと帰ってくる。心配すんなって」
のらりくらりと、三橋は宥めに回る。
「……飛鷹の後を付け回すのが、忙しいのか?」
「東海。その話しはよせ……」
松茂が東海をたしなめた。
「言ってやらなきゃ、お人好しのこいつにはわかんないの。
騎道と飛鷹が、昨日、街を並んで歩いてるのを見た奴がいる。二人揃って放課後学園を引き上げて、何が忙しいんだ? てめーは黙って見てる気かよ?
待ってて何か変わるのか? 保証はあるのか?」
長い溜め息をついて、シャーペンを机に放り出す三橋。
「三橋君。僕も質問。
飛鷹のこと、まだ好きなんでしょ? どう?」
浜実は、場違いな軽さで全員の緊張を粉砕した。
一瞬、三橋は目を丸くした。
「何? お前ら、そんなこと気、回してくれてたの?」
こくんとうなずく浜実以外は、全員アララと天を仰いだ。
「そっか……。すっごく、悪かったな」
肩を寄せて、しんみりと呟いた。
「俺さ。完璧にフラレたの。それでいいじゃん?」
うっ、わーっ。……5人が、気まずい目を合わせる。
三橋は影一つなく、新情報に感想を漏らした。
「へーえ。あいつら、そういうとこまで行ってるの。
でもさ。にしちゃあ、なんかぎくしゃくしてないか?」
「……そーなんだよね。わかる? 三橋君」
「『君』はもういいよ、浜実」
てへへと、浜実は照れた。
「騎道はいつも女に優しいが、あれは壊れ物を扱う態度だな……」
とは、松茂。体に似合わず繊細な眼力だった。
「飛鷹に至っては『私はあなたの壊れ物です』って言ってるようなものだぜ。あのぼんやりした態度」
まだまだ、東海は辛口だった。
「どうも。今日一日、教室内の調子が狂っていたのは、そのせいか?」
和沢は額をこすりながら、分析した。
「なーるほど。そいつは大変な、2Bの危機じゃないの?
ということで。教室内の安泰の為にも、あいつらを暖かく見守ってやろーじゃないか? ん?」
結局、三橋の口車に乗せられる。5人は無言で、三橋の判断にすべてを委ねる方向へと頭を切り換えた。
学園祭実行員として最低限の作業を片付け、彩子は小走りで、放課後の図書室に駆け付けた。
林立する本棚に、隠れるように佇んでいたのは騎道。
「もう、終わったの?」
息を切らしている彩子に、騎道は目を丸くした。
「……秋津会長が様子を見に来るって、他の委員の子が教えてくれたから、逃げ出してきちゃった」
「まずいね。仕事が溜まるだけだ」
「騎道の方だって、忙しいのに……。
……ごめんなさい。あたしのせいで。今日だって、選挙の打ち合わせがあったんでしょう?」
「気にすることないよ。何とかするから。
それに、三橋。任せろって、言ってくれた」
「…………」
うつむいた彩子。騎道は体を折って、顔をのぞいた。
「元気ないな。彩子さん」
「! そんなことないわよ。騎道の気のせい。
ね。明日は、帰りの時間を合わせようよ? 騎道の為の打ち合わせなんだから、ちゃんと出なきゃ、みんなに悪いよ。私も、マジメに委員の仕事、片付ける」
「でも、彼が近付いたら今みたいに逃げてほしいな」
「勿論。今度何かあったら、噛み付いてやるわ」
大きくうなずく彩子に、騎道は笑い出した。
「それでこそ。彩子さんだ」
二人は、連れ立って図書室を出た。
すでに薄暗い夕暮れは、寒風が吹きすさんでいる。
彩子は輝くように白いコートを。騎道はスエードコートを着込み、バイクの車体をきらめかせ正門を抜けて行く。
見送る視線に、彼等は気付かなかった。
幹部の同意を得て、打ち合わせを明日に延期した三橋翔。
無表情に、三橋は二階廊下の窓越しに、彼等の姿が消えるまで見送った。
「彩子お姉様。騎道と仲がいいのね」
隣に並んだのは、藤井安摘だった。
「相思相愛の恋人同士みたい」
「……お前、そんな古い言葉、良く知ってるな……」
呆れる三橋に、安摘は舌を出した。
「古くなんかないわよ!」
「妬けるか?」
「だ、誰がよっっ!」
妙な方向へ向けられた話しの矛先に、安摘は怯んだ。
「似合ってるだろ、あの二人」
薄暗い空を眺め、三橋はへらりと一人笑いした。
「翔之進はいいの!? 黙って見てるつもり!?」
「なーんか腹減ったな。飯食って帰るけど、お前付き合う?」
安摘は拳に力を込めて、もう一度言い放った。
「おねーさまを取られて、それで平気なの? そんなの見損なっちゃうわ。全然、格好悪い!」
「そんなに怒鳴ると、疲れるぜ?
心配してくれんの、アリガタイけどさ」
「心配なんかじゃないわよ! 蔑んでるだけよ!」
頬を膨らませて見上げる安摘に、三橋は向き直った。
まだ中学生なのだ。頭一つ分背が低い。なのに、安摘はムキになっている。子供っぽい純粋さをありありと見せて、心配しているのは他人の恋だ。
「あ、そ。んじゃ、言い返すけど。諦めたわけじゃないぜ。
たださ」
「…………」
「俺じゃ無理だって、薄々わかってきたからな。この世の中、仕方のないことってあるんだよ。誰にでもさ。
勝てないところで喧嘩するの意味ないじゃん。そーゆーのを負け犬の遠吠えって言うんだぜ。
そっちの方が最悪。みっともなくて、やってられないぜ。
その代わり。勝ち目のある喧嘩なら、たとえ相手がオトモダチでも、ケリはつける」
自信満々で言い切って、安摘の額をこつんと叩く。いつもなら、噛み付いてきそうな剣幕になるはずの安摘は、唇を曲げたまま、目を上げもしなかった。
三橋は、安摘の背後でイライラしながら控える少年に手を振った。こちらは馴れ馴れしい三橋の態度に、半ば怒り狂っていた。
「おい。そこのオマケ、奢ってやっから飯食いにいこーぜ」
「バカにするなっ。誰が、お前なんかに」
「おだまり、狩峨。いいわよ。付き合ってやりましょ。
三橋財閥御曹司の懐の深いところを、じっくり見せてもらうわよ」
安摘に睨まれても、三橋はすっかり気を良くしていた。
「おーしおーし。
ちょーっと太っ腹に、ラーメン大盛りにしてやっか」
「ダーッ」
三橋の小市民さに、頭を抱えてしまう狩峨だった。
「ところでお前、何んでここに居るの?」
三橋は、グレイの制服の安摘をしげしげと見返した。
「そーですよ、安摘様。香瑠様がお待ちのはずです」
稜明学園を訪れた本来の理由を、狩峨は思い出した。
暗く沈んだ顔立ちを、安摘は三橋から逸らした。
「…………。翔之進。食事は延期にして。
約束破ったら、一笑お前を恨むわよ。いい?」
高慢な口調を取り戻し、安摘は挑戦的に三橋を見上げる。
「何か、あったのか?」
三橋は、昨夜の香瑠を思い出していた。誰にも知られぬように、姉を訪ねたらしい香瑠。ぐずぐずと、寄り道をしたがっているような安摘の態度。
「知らないわ。……大事なことって言われたけど」
言葉以上に何かを感じている、恐れを含んだ瞳を、安摘は伏せた。
三橋は、初めて見る弱々しさに戸惑った。
「行くわよ。狩峨」
ここでも、何かが動き出している。彩子を襲った存在とどう関わるのか、三橋には想像もできなかったが、予感はできた。
変わってゆく。いろいろなものが。
お互いの関係も、位置も立場も。抱いてきた想いまでも。
きっと……。