エピローグ
あの狼型のS級の化け物を倒してから三日の月日が経った。
事後報告からすると、西の王は西日本に帰っていった。その後、南の王が行った人間宣言をしたのはこないだニュースで見た。
人間宣言とは王が王であることを捨て、一般人と同等であると表明することである。それにより何かが変わることはないが、少なくとも王の重みは消える。
鬼狼は封印を解除するとずっと外の世界に居続け、今では俺の家の番犬となっている。ちなみに大きさは好きに変えられるらしく今はゴールデンレトリバーくらいの大きさで日向ぼっこが趣味という普通な犬とかしている。俺はあの戦いの後、楓に封印の事実を、両親に俺の中に眠っていたものが何なのかを聞いた。なお、戦いの中で蘇った悪意はあれから沈黙していて返事はない。
どうやら、俺の中には過去に初代が行った大型儀式で体内に取り込んだ濃厚な悪意がつい一ヶ月ほど前の北の王との戦いの時に復活したらしい。濃厚な悪意に俺が飲み込まれないようにするために簡易型だが、しかしどんなものでも完全には解けない初歩的な束縛を楓が掛けたらしい。
別に隠さなくてもよかったのに。それとも、楓は隠すことが俺のためだと主だったのだろうか? まあ、どちらにせよ俺の中に眠っているものの正体はわかったのだ。
そして、俺は三日間の間、ベッドから出てはいない。なぜなら、魔力の大量消費、全身の筋肉の急激な使用による筋肉痛、西の王との戦いに、ミイラ取りにやられた心臓の傷、普通なら全治一ヶ月の大怪我だが、悲しいかな俺は憑き物と呼ばれる化け物だ。憑き物は自己回復力が素晴らしく高い。その理由は中にいる化け物を逃がさないために、器である自身が壊れてはいけないからだ。そういうこともあって、俺の大怪我も安静にしていれば全治一週間の怪我で済んだ。
しかし、一週間安静にしているというのも面倒なものなのだ。なぜなら、俺は基本的に部屋で一人でいられるほどぼっちなやつではない。いや、ぼっちではあるがひとりでいるのが嫌なのだ。
散歩行きてー。怪我とか治っただろ。きっと治ってるよ。さあ、ベッドから出て散歩にでも――。
そっとベッドを出ようと体を動かすと、ズキリと全身が痺れた。筋肉痛だ。その影響で、心臓のあたりがムズムズしたが傷が開いたわけではないので気にする必要はない。
にしても、まだ全然治ってないな、これ。
仕方ないので俺は言われた通りじっとすることにした。近くにあった小説を手に取ってページをめくる。鳥たちがチュンチュンと窓際で囁いている。少し風があるのか風の音がする。
静かな空間。三日前に化け物が街中を暴れまわっていたのが嘘のように静かだ。その中で俺がページをめくる音だけが響く。一枚、また一枚とページがめくれ、時間が進んでいく。
ガチャっと俺の部屋のドアが開いた。
「クゥ、シィ? どした?」
「……ねえ、陽陰。聞きたいんだけど、こないだの化け物って……」
「単刀直入に聞きます。陽陰さん。こないだの化け物は私たちと同じ存在ですか?」
クゥが聞きにくいことをシィがバッサリと問いただした。俺は小説を置き、二人を見て、首を横に振った。
「違ぇよ。あれは、お前たちと同じものじゃねぇ」
「で、でも!」
「あの化け物は私たちと同じだと、感じたんです。生まれも、そして存在意義すらも」
クゥとシィはどうやら自分たちが俺の力から生まれたことを知ったらしい。きっと言ったのは牙獣先生だろうけど、いつかはバレることだ責める理由はない。
だが、どこかそわそわとしている二人を見て、俺はどうしていいのかわからなかった。人の感情がよくわからない俺にとって、小さい子供の心などわかるはずもなく、故に俺はなんと言えばいいのかわからなくなったのだ。
こいつらに与えるふさわしい言葉。それを俺は知らない。
「あ、二人共ここにいたんだ。探したよ~」
少しハイテンションで部屋に入ってきたのは楓だった。楓は半透明かしている所謂お化けの二人に抱きついて笑顔で話していた。
だが、これはおかしいことなのだ。楓はお化けが嫌いで、ふたりのことも苦手だった。特に楓と双子の関係を悪化させることも好転させることもなかったので、こうやって普通に話せるはずがない。
そんな不思議な楓のテンションの理由は、すぐに明らかになった。
「さ、人間になろうね。お化けを養子にはできないって言われちゃった♪」
「人間? ……養子? おい、楓、何言ってんだ?」
「えへへ。はいこれ」
そう言って俺に渡してきたのは一枚の紙。紙には婚姻届と……ブゴフッ!
「お、おま! な、なんだこれ!!」
「あ、間違えちゃった。本当はこっち」
「お、おう? えっと、養子縁組? ……おいちょっと待て、なんで義父母の欄に俺とお前の名前が入ってる?」
「え? 私たちが両親になるからだよ?」
そっかー。俺たちが幼女二人の両親に――――って、そんなわけあるか!!
俺は今年で十八歳。だが今はまだ十七歳だ。つまり、義父にはなれない。楓はなれるかもしれないが、結婚していない身としては裁判所が許可を下ろさないだろう。
紙を楓に返して、物申そうとすると楓は全て話は通っているというしたり顔でいるのを見て、「ああ。こいつ、もう王様の特権使って許可もらってるわー」と判断できた。
王様という特権はこいつにはまだない。だが、王様の娘という間接的な特権ならば存在する。普段は父親の名前を使うことを嫌うが、こういう無理を押し通したい時は使うのだろう。楓は、今回限りの約束破りを行った。
裁判所にも、きっと保健所などの場所にも話は通っている。つまり、あとは俺の意思次第というわけだ。俺はクゥとシィを見る。
「お前たちは、それでいいのか?」
「私は構わないけど……邪魔じゃ、ない? ほ、ほら、私たちは……」
「私たちは化け物ですよ? いつ暴走するかもわからない、危険な存在です。そんな存在をそばに置いておくのですか?」
クゥ、シィ。それは違うぞ。
俺は静かに首を横に振った。俺は聞きたいのはそこじゃないと、そういう意味を含めて振った。
「確かに、お前たちは化け物からできた化け物なのかもしれない。暴走だってするかもしれない。でも、それだけだ。それ以上でも、それ以下でもない。暴走したなら止めればいい。間違えそうになったら正してやればいい。ただ、それだけさ。そうじゃなくて、その、だな。……俺なんかが父親で本当にいいのかって、意味なんだけど、な」
やや恥ずかしくなって、最後の方はごちゃごちゃしたが、次に見た幼女二人の顔には温かい雨が降っていた。二人は俺に抱きつき大雨を降らせる。俺はというと苦笑いをしながら、体に響く痛みを必死にこらえて二人の頭を撫でてやった。
幼女二人が今、養女二人と変わった。俺の可愛い娘へと変貌したのだ。
楓を見ると、楓も笑顔だった。みんなが幸せになっていた。
「さて。そうと決まったら、この子達を人間にしないとね。じゃあ、陽陰君。少し頑張ってもらうよ?」
「は? いや、頑張るのはいいんだが一体何を――お、おい。鬼狼を連れ出してどうしたんだ? ど、どういうことだ!?」
「大丈夫大丈夫。少し痛いだけだよー」
「痛いのかよ!? おい、鬼狼なんとか言ってやって――」
『俺様は悪くない。俺様は悪くない……』
ダメだ。鬼狼のやつ、楓に精神攻撃を受けたらしい。
「か、楓さん? ちょ、ちょっと落ち着こう。な? な!?」
「さあ、鬼狼ちゃん。ガブッと、行ってみよう!」
「お、おい、やめろ! 来るな、来るな――!!」
鬼狼に噛み付かれ、腕のところから滴りでる血液。それを楓がぺろっと舐めると、そのまま養女二人にキスをした。すると、二人の体が光り、次の瞬間には受肉していた。
人間の体を手に入れていたのである。
「ど、どういうことだ?」
「二人は陽陰君の力で出来ていた。どうして半透明だったのか。それは不完全だったから。なら、完全にしてしまえばいい。それには陽陰君の血と、莫大な魔力が必要だったの。だから、こうしちゃった♪」
「先に言ってくれ。恐怖で漏らすところだったぞ……」
「へへっ、そういう顔も見たかったんだよ」
少しすまなそうにしながらもちろっと舌を見せるあたり反省してはいない。
まあ、これで二人は人間になれたわけだ。……待て、何か忘れているような気が。
「さあ、私たちも結婚しよう! こうやって婚姻届もあることだし!」
「ああ、もう! やっぱりか!」
楓が先ほど俺に渡した婚姻届を取り出して手渡そうとしてくる。だが、
「知っていたかしら。男性は十七歳では結婚できないのよ?」
突如現れた西の王によってそれは阻まれた。いや、どうして西の王様がここに? しかもフェンリル様も召喚した状態で。
なんだか雲行きが怪しくなってきた部屋の中で、養女二人は勘が鋭いのか俺のベッドの中に避難してきた。俺はというと逃げ場がないので外を向きながら黄昏ていた。
「お前の周りはいつも飽きないな。見ている側も、見られている側も」
外の景色を見ているとすっとどこからともなく現れた颯斗を見ながら俺は呆れるように言う。
「……もう、お前がどこから現れたかなんて聞かない。だからせめて言わせてくれ。故意じゃない」
「喩えそうであろとそうでなかろうと、面白いのには変わりねぇよ。おっと、お目付け役が来やがった。俺は逃げさせてもらうぜ」
「あ、おい!」
どうやら妹さんが追いかけてきたらしい。現れた時と同様に、すっと目の前から消えた颯斗を見送って、俺は再び黄昏ていた。
俺の横では二人の鬼が暴れている。布団の中には俺の娘がくすくすと嬉しそうに笑っている。遠くからは颯斗の名前を叫ぶ少女の声が聞こえる。何も変わらないいつもの日常。少しだけ賑やかになったかもしれないが、楽しいと思える日常。
だが、怪我をしている時くらいは静かにして欲しいものである。
こうして世界を救った勇者たちは平和の中を過ごしていく。過去の英雄たちの面影を残しつつ、着実に巣立ちの準備をしながら、ゆっくりと自らの道を進もうとしていた。




