万物喰らいの鬼狼(フェンリル)
目覚めてから、怪盗を追い払うまではどうにかなると思っていた。だから、心臓が不完全な状態でも立ち上がったのだが、流石にあの化け物は倒すことはできない。
俺は先ほど心臓を貫かれ、心臓が欠如している。開放した鬼狼の妖術のおかげで、擬似心臓を作り出しているがそれも機能が怪しい。先程から息苦しいのがいい証拠だ。
俺は戦闘不能。対して横で同じく苦しそうな表情を見せる河西杏もやはり無理だろう。全身からは若干の血が、それ以上に精神が深いダメージを負っているように見える。その傷が俺のせいだとわかるのに数刻もいらないが、なぜ傷ついたのかだけは最後までわからなかった。しかし、二人共手痛いダメージを負っていることには変わりない。
さて……どうしたものかな?
こうしている間にも突発的に生まれた化け物は街の方に行こうとしている。早く止めなければ被害は否めない。戦闘員を呼ぶか……いや、あれは多分だが伝説級の化け物だ。王か、その側近でなければ相手にすらならないだろう。その王の一人は傷つき、一人は行方不明。側近も倒されている。どう考えても詰な状況だが、不思議と俺は諦めていなかった。
それに気がついたのか、河西杏が俺に問いかける。
「何か策があるのかしら?」
「いいや? 自慢じゃないが、戦闘に関しては俺は全くの素人だ」
「……本当に自慢になっていないのだけれど……。それじゃあ、どうしてそんなに笑顔でいられるの? 街が壊されて嬉しがっているのではないのでしょう?」
ああ。もちろん、そんなわけがない。この絶望的な状況が今後どんな被害を及ぼすかわかっている。誰かがあれを止めなくてはいけないのだが、その適役がいないのもわかっている。その適役が俺でないとはわかっている。
だが、笑顔が止まらない。
絶望的な状況も、理不尽な掲示も、何もかもどうにかしてしまう奴がいる。希望だけを掲示する天真爛漫な奴がいる。何より、俺には仲間がいる。
そいつらが、ここに集まってくるのがわかるのだ。繋がりが、目に見えるのだ。
そうか。これが、楓が見ていた世界。信頼に富む仲間同士の共通世界。やっと、俺も誰かを信じられるようになったのか。
そのことが嬉しくて、そのために俺はなんでも出来そうで、目の前の理不尽でさえも破壊できそうになるのだ。
死んだ後、真っ暗な世界で俺は懐かしい声を聞いた。鬼狼の昔の記憶を見た。それは、心優しい先祖とこいつとの会話だった。
そう、世界は間違いだらけだ。だから人は間違いを起こす。同じミスを繰り返す。それでも前に進もうと、次は間違えないと抗う姿は滑稽だろう。神という存在がいるのならば、腹を抱えて大笑いするだろう。だけど、誰も河西杏を笑ってはいけない。誰も御門楓を笑えない。もしも、こいつらの生き様を笑う奴がいるのなら、それこそがきっと間違いだ。
「陽陰君!!」
「楓。よかった、無事だったんだな」
壊れかけの校舎の中を俺を見つけて走ってくる楓。目には涙が見え、きっと俺が死んだことを察したのだろうと思わせる。
勢いよく抱きついてくると、楓はえんえんと俺の胸の中で泣いた。罵声を浴びせたり小さい手で俺の胸を叩いた。だが、心の奥ではあったかい優しさを感じさせてくれた。
うーん。胸を叩くのやめてくれませんか。そこはまだ傷口が塞がっていないんだけど……。
少しの間そうしていると、スタスタと少年が意気揚々と歩いてくるのを見つけた。
「……お前、颯斗か?」
「ああ、どこからどう見ても完全無欠に黒崎颯斗様だぜ?」
自身を颯斗だと言う少年は、確かに顔は同じだが髪の色や肌の色がいつもより白く見えるのだ。少なくとも髪は中途半端に脱色したようになっている。
「言ってろ。……って、お前さ。髪の毛そんな中途半端な色だったっけ?」
「ん? ああ、これは仕様だ」
一体どんな仕様だよ、と聞きたかったが、どうやら時間がない。化け物は既に街の方に足を踏み入れている。家も数件ほど倒壊させられている。ここでじっとしているのもこれまでだ。
だが、未だに心臓がうまく機能していない。血の回りが悪いせいか気分が悪い。胸からの血も止まらない。このまま行けば出血しは間逃れないだろう。
しかし、輸血して治療している時間はない。今はただ、あの化け物を……。
胸を押さえながら俺が意思を固めようとしていると、颯斗が俺の胸を見て怪我をしていることに気が付く。
「心臓を持って行かれたのか。それにしても、そのレベルの傷でよく生きていられるな」
「お陰様でな。中のやつを開放して無理やり心臓を作り上げているんでな」
「それじゃあ、お前は足で纏いだ。かと言って、手数が足りないのも理解できる。そこでだ。お前に借りを作ろうと思うわけだが。どうする?」
「へっ。無理難題でなければ何でもしてやるよ」
「決まりだな。お前の心臓を元に戻す。いや、攻撃を受けなかったことにする――――反転真実」
初めて聞く単語に耳を疑ったが、どうやら颯斗は颯斗で新しい力を手に入れたらしい。一瞬にして血の巡りが良くなり、気分も良くなってきた。
ウォーミングアップとして数回跳ねて問題がないことを確認する。うん。大丈夫だ。これで俺も戦える。確認し終わった俺はみんなの方に振り返る。そこには涙を拭いた楓が、ニヤニヤと笑っている颯斗が、驚きを隠せない河西杏がいる。全て、俺が守りたい世界の住人だ。
と、そこに一匹の大きな狼が現れた。
『ふむふむ。久々の現世だが、なかなかに変わっていないな。進展がないのは少しだけ寂しいか』
「……鬼狼!? お前、どうして!」
『? 何をそんなに大げさに驚く必要がある。数分前にお前自身が言っただろ。封印から開放したって。俺様が現世に出られない理由はないはずだが?』
それもそうだ。封印を解呪した、それ即ち、檻から出したことと同じ。俺は、少しだけ面倒になりそうだと思いながらも鬼狼を見る。
すると、鬼狼は河西杏に近づいていく。そして、
『そろそろ、中のやつを出してやったらどうだ? 娘よ。捕らえておくだけが封印ではないぞ』
河西杏に向かって諭すように問いかける。すると、河西杏は少しだけ不甲斐ないような表情を見せると、
「……私は、この化け物を制御できないの。だから、戦力にはならないわ」
『それは違う。制御できないのではない、制御することを拒んでいるんだ。化け物を操れる自身が、間接的に化け物になってしまうことを危惧している。お前はただ恐怖しているだけだよ、娘』
「お、おい。鬼狼――――」
『少し黙っていろ。いいか、あの憎しみの塊はな、ここにいる強力な三人でさえも打ち砕けない。だが、お前が中にいるそいつは、開放さえすれば突破できる鍵になるんだ』
「無理よ、狼さん。あなたはよく知っているでしょう? 同じ穴の狢なのだから。この化け物の正体は……私の祖母の正体は『フェンリル化計画』のプロトタイプ。人の身に神殺しの魂を降ろして制御し、兵器とする邪悪な計画の最初の被験者なのよ。私は祖母とは違う。完全にこの力を扱えていた祖母とは違うのよ!」
そういうことか。同じ穴の狢。俺と同じ境遇にある仲間の一人。
これで合点がいった。河西杏の能力の正体は中に眠る化け物の力だったのだ。どうやら、河西杏の苦難は既にそこから始まっていたらしい。
だが、鬼狼の言うとおり、河西杏の中に眠る化け物がこの戦いの鍵になるというのなら、無理だとしても押し通してもらいたい。
けど、同時に俺はこれ以上コイツに頼ることはやめようと思っている。これ以上の重荷は、こいつには必要ないと思うのだ。これ以上の苦しみは、必要ないと思うのだ。
だから、
「無理なら大丈夫だ。河西杏、お前はもう無理はするな。もう、お前が傷つくことはないんだ」
『だがな――』
「まあ、叶わないって分かっていても、どうにかするのが主人公ってものだろ? 大丈夫さ。颯斗や楓、そして俺も、既に普通じゃないんだから。どうにか、なるさ」
立ち上がる。体が、ではない。心が、だ。震え上がるように荒ぶりながら前に進もうとする。轟々と鳴り響く心の音色は、既に止むことはない。楓や颯斗もそれは同じなようだ。
どうにかならないことをどうにかする。それが主人公。どこぞの王道漫画のように行かないと思うが、それでも抗ってどうにかするさ。
戦闘に足を踏み入れようとすると、河西杏が震える声で言う。
「杏……」
「ん?」
「杏って呼びなさい。あなたはわ、私の友達なのでしょう?」
「ん? ……んん!?」
と、友達!? いや、戦いのあとは仲間だとかいう話はよく聞きますよ。で、でも、西の王がそんなことを言うはずが……ああ、なるほど、これはあれだわ。ぼっち思想だわ。てか、よく考えたら河西杏って友達が一人もいないんだよな。なら、そういう考えに至っても仕方ないか……。
急な言葉だったが、俺はこれも人生の壁だと割り切って諦めた。そして、
「じゃあ、杏」
「は、はい!」
「俺に力を貸してくれ」
俺が手を差し出すと、杏は少し怖がりながら俺の手を取る。すると、目の前が真っ赤に明るく光った。そして、出てきたのは……。
「紅の……狼?」
『おはよう、同類。百年ぶりのお目覚めはいかがかな?』
どうやら、これが杏の中に眠っていた化け物らしい。そして、正真正銘の神殺しの化け物、神話に名を連ねる大罪の持ち主『フェンリル』。
――――ウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンンンンン!!!!!!
曰く百年ぶりのお目覚めの紅の狼は気高き雄叫びをあげて戦場へと降臨した。




