仮面の下の微笑
上のドンパチが収まってきた。どうやら誰かの戦いが終わったみたいだが、まだ全ての事件は終わっていない。目の前のコイツもそうだが、きっと陽陰の相手も沈黙していないだろう。
しかし、ほかのやつの戦いなど興味がない俺は、椅子に座ったまま、静かに目の前の戦闘を観戦していた。敵は包帯で全身を包み、マントを靡かせる変態。対してこちらは、俺よりは弱いがそこそこの強さをもつ異能者が二人。戦況は思ったとおりこちらが優勢。しかし、戦闘が始まって既に十五分。押してはいるが終わる気配は一向にしない。
相手が粘っているのか、もしくは……。
「ふむ。確かに君たちはそこそこ強いようだ。確率操作、そして狂気に身を染め上げる武術家。その二人を従える君はどれほど強いのだろうね?」
「余裕そうだな。まあ、俺なら一瞬で消し去ってやるけどよ。それにしたって、お前たち。少し時間をかけ過ぎじゃないか?」
「こ、この人強いんですよ!」
「ああ、実体がないって言えばいいのかな? コイツ、どれだけ急所を突いても効いていないみたいなんだ」
強いという綾女のどうでもいい意見は置いておいて、ゼロの実体がないというのは気になるな。確かに、先程から何回も急所らしき場所に攻撃は当たっている。それによって相手が弱っているようには見えない。だが、その急所というのは人間で言うところの急所だ。
つまり、こいつらは人間を相手にしていると完全に思い込んでいる。まあ、相手の背丈、言葉を見れば人間だと勘違いするかもしれない。しかし、俺たちは一度だってコイツの表情を見ていない。包帯の下は本当に人間のそれなのかを確認していないのだ。
俺は少しだけ手伝ってやると言って、仮定の実証に入っていく。まず、異能で足を消す。すると、変態は片足を失ったにも関わらず動揺すら見せず、同時に切断されるように消えた足からは血の一滴も流れてこなかった。その光景を見て、綾女とゼロはハッと気がつかされるように息を飲んだ。
「この人、人間じゃないんですか?」
「そうみたいだね。だからと言って攻略できるかといえば難しいけど。まあ多少は戦いを変化できるだろうね」
実証が完了した。相手は人間ではない何か。もしくは変異体。どちらにしても普通よりは強いということだけはわかった。
ここから先は戦闘に慣れている二人に任せればいい。
綾女の異能は『死と殺意の関係(デッド・トゥ・キル)』。これは異能というよりかは、自己暗示に近い。相手を殺したいという衝動を間接的な事象に捉えて、完全に操作するというもので、能力を発動すればいつもは虫すら殺せない綾女がいとも簡単に相手を殺すことが可能になる。つまりは殺意を減少増加させる異能だ。そして、のほほんとしている性格のくせに全身にありとあらゆる武器を隠し持っている暗器使いである。難点を言えば、異能を発動していると人の痛がる表情を見て興奮するほどのSさが出てくるところだろうか。
もう一人の異能者、ゼロの異能は『お前たちに明日はない(オール・オア・ナッシング)』。確率という事象を操り、当たる確率、当てる確率を操作することができるらしい。こいつは昔、俺を殺しに来て俺が返り討ちに合わせた相手だが、その際、こいつの異能は確率という事象そのものをなかったことにすることによってコイツの存在価値を完全にゼロにした。
とまあ、これほどの駒がいればあれだけのヒントでも勝つことはできる。そう思っていたのだが、どうやらそうもいかないらしい。
足を失い、正体に近づきつつあることに気がついた変態は周りを少し見回したかと思うと軽く笑い声をあげて、頭の後ろに手を回す。すると、自ら包帯を解き始めた。
包帯の下から出てきたのは白く腰にまで到達する手入れの行き届いている長い髪。凡人とは決して言うことができない整った顔。れっきとした人間の顔だった。
しかし、俺にはその顔に見覚えがあった。遠い昔、俺が五歳くらいだった頃、一度だけ婆さんが俺に曾祖父さんの自慢をしてきたのだ。カラーの写真に撮された若かりし頃の曾祖父さんの顔に、目の前の変態が似ている。いや、それそっくりだ。
だが、有り得ない。曾祖父さんは百年以上も前に失踪していて、今では死んでいるはずなのだ。いや、失踪しているだけで生きていたというわけか? そんな馬鹿な。いくら、『初代南の王』だからと言って百年以上も生きられるはずが……。
俺はハッと顔をあげる。百年以上生きている化け物が東にもいるじゃないか。東の王、御門恭介。一代目はおらず、また、二代目であるという確証すらない、最も不思議の多い王。その生涯を遡ると、百二十年前ほどの写真にも東の王の姿が写っている写真があるというほどの長寿者。
なるほど、前例があったんだ。初代南の王が生きていても不思議ではないか。だが、一体どうやって今まで姿を隠し通せられた? まるでこの世界にいなかったかのように隠し通せられた事実はどうやっても覆せない。
俺が悩みの唸りを上げていると、
「おう。いいな、その顔。真理に到達しそうでしない悶々とした感情をそのまま表している。そういう表情は大好きだ。人が人として生きているっていう時、それはわからないことを永遠と考えている時だ」
「俺はそういうのは嫌いでな。答えはちゃんと出すし、でなければその問題を全てなかったことにする。中途半端は嫌いなんだ」
「いやはや、俺の子孫だとは思えないほどのきちんとしたやつだな。中途半端が嫌い? 裏と表をはっきりしないと生きていけない? ハッ、そんなの傲慢だ。この世に存在するすべてのことは数学で表すことが出来るって誰かが言ったがな。あれはあながち嘘じゃない。だが、語弊が存在するんだ。全てではない、九割は、だ。この世の九割は数学で表すことができる。じゃあ、残りの一割は? そうだ、それが『例外』って奴だ。わかるか? 馬鹿曾孫」
出会って早々に馬鹿呼ばわりされるのは癪だが、言い返すことができない。俺には、言い返すだけの経験が存在しないからだ。反例がなければ、反論は浮かんでは来ない。
しかし、俺には納得できないことが存在した。中途半端が傲慢だという言葉だ。俺の異能は中途半端を許さない。消えるときは消える。生まれる時は生まれる。それが俺の異能だ。曾祖父さんは、俺の異能を真っ向から否定してきたのだ。
俺は立ち上がって一歩前に出て、曾祖父さんに一言言おうとすると、
「身の程を知れよ。俺は、お前たちの始祖様だぜ?」
ずんっと、逆に一言で動きを制限された。
それは綾女やゼロも同じようで、むしろ二人は地面に伏してしまっている。俺は辛うじて立っていられるが、これほどの威圧はこれまで受けたことを放ったこともない。耐性がない攻撃ほど、ダメージは増していく。この威圧も、いつまで耐えられるかわからない。
「確かに、お前の異能は俺に似ているものだろうぜ。虚実……虚偽と真実で彩られた完璧無敵な世界は気持ちがいいかも知れない。だけどな、完璧っていうのは、いつの日か息苦しくなるんだよ」
「どういう……意味だろうな?」
「はっきり言おう。お前はいつの日か大切なものを失う。お前の信じる嘘と本当の世界、完璧な世界は言い得て妙だが、脆すぎる。確固たる地盤のないストーリーが、総じてつまらないように。お前の支えてくれるモノのない世界は根本から崩れ去る」
「…………」
ああ、クソッ。わかりきっていることをペラペラと。俺を前にして、そのことを雄弁と語るんじゃねぇ。
俺にはわかっていた。世界が嘘と本当の二種類で定義できるものではないということを。または、世界というものを語るのに根本的に何かが足りていないという空虚感を。
わかっていたからこそ、伏せていた。伏せなければならなかった。俺という存在を実証するために、この仮定こそが必要だったのだ。
「いいか? 本物の異能ってのは、こういうものだ」
片足しかない初代南の王はバランスを保ったままぽんと足でステップを踏むと、地面が揺れる。再び初代南の王がステップすると、地面はグンっと宙に浮いた。
一回目のステップで重力をなかったことにした。だが、二回目のステップはなんだ? 地面が持ち上がるなんて事象は存在しない。
一体どうやって……まさか、事象を作り出したのか!
「わかったようだな。そうだ。お前たちは地面が浮くわけがないと勝手に信じ込んでいる。だが、地面が浮くこともれっきとした事象だ。ただ、普段は起こらないから操ることはできないだろうがな」
「ハッ。化け物じゃねぇか。さすがは王様ってことか」
「王様? ……ああ、それなら緋鞠に託したはずだが? そういえば、緋鞠は元気か?」
「ああ、ピンピンしてやがるよ。いつ死ぬのか楽しみで仕方ないね」
「はは。そうだろうそうだろう。なんて言ったって俺の直系だからな。それを言えば、お前もなかなか強かったよ。……だけど、お前は自分の異能を過信しすぎた。事象っていうのを、分かっていなかったのさ」
はあ。これだから老人は。俺が今までの時間でどれだけの考えが浮かんだと思っている。そして、どうしてその間で解決法を考えていないと考える?
俺は自分というのに向き合っていた。あれほどのことがある中で、俺は自分というのに向き合っていたのだ。俺は一体なぜこの能力を得たのか。いや、それ以前に、何のために俺はここに来たのか。
地面に伏している綾女を見て、俺の感情は一気に高ぶった。俺の妹が他人の言うことを聞いているのにものすごく腹が立った。そうだ。俺は、綾女のためにここに来た。綾女のことを知りたくてここに来たのだ。
急に俺の目の前に現れて、俺の日常を狂わせていって、そしていつの間にか俺の大切な人の中に割り込んでいるコイツが不思議で仕方なかった。ただ、それだけだ。
ふぅっと、俺は息を吐く。そして、
「世界に一線は必要だ。正と負の境界は絶対に必要なんだ。確かに、一割は中途半端になるかもしれないがな、俺には……俺たちにははっきりとした答えが必要だ」
「……ゆえに?」
「ここで消えろ。――――『反転真実』」
『反転真実』。『虚実』は大まかなことしか反映できない異能。それを強化したのが『全ては嘘の手の中に(オールフォクション)』。ならば、初代南の王が語る一割の例外を反映させたのが『反転真実』だ。
本気を出す場合、薬を伴っていたが、これは本気ではない。いや、本気に間違いはないがその質が違う。あれはすべての事象を裏と表で表した異能だとするなら、この異能は裏と表、そして側面をもつ中途半端な異能。ゆえに、色素が完全には消えず少し残り、髪の毛や肌は少しだけ白身を帯びたという程度にしか変わらない。
この世に起こりえない事象さえも全て操ることが出来る異能。消すと生み出すだけではなく、操るという柔軟性を持った異能に進化した。これにより、目の前で起こっていた事象はかき消され、地面は元に戻り、初代南の王の威圧もなくなっている。
すべての事象を掌握する。たとえ、例外と呼ばれる事象でさえも、俺は操り切る。
全てはあいつを守るため。俺は救うために嘘を付く。愛する人のために嘘をつき続ける。いつの日か、それの代償が伴われると言うのなら、それすらも嘘にしてしまえばいい。
俺にとって、存在理由は『嘘』なのだ。
「……ふんっ。お前は、真理に一歩近づいたってことか」
「いい加減にその上からをやめたらどうだ? それに、真理とかに興味はない。そんなものが存在していたとしても、俺がそれを自由に書き換えられるからな」
「そうだな。そうに違いない。俺もそうやって、ここに来た。さあ、超えて見せろ。俺の選択が間違いじゃなかったってことを見せてみろ馬鹿曾孫!!」
言われなくてもそうするさ。
俺はゆっくりと右手を上げ、締め付けるように虚空を握っていく。すると、地面は盛り上がり、空気は圧縮してき、光は収縮していく。
初代南の王はその全てを見た上で、笑って消えていった。
「『反転真実』」
こちらの事件が終わったのを見て、綾女がギャーギャーとうるさいが、外に大きな狼が現れたことによってその話も中断される。
俺は突如現れた狼を見つめて、ニヤリと微笑んだ。
――――ホント。ここは飽きさせない世界だぜ。
方向性変更、次回は火蔵陽陰視点




