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~ 六ノ刻   魂縛 ~

 その日の放課後、犬崎紅は入間美月の協力の下、彼女の自宅にて一連の事件に関する情報を集めていた。


 紅がまず注目したのは、美月がジョーカー様の話を知るきっかけとなった都市伝説関連のサイトだった。掲示板の書込みであれば美月の家のパソコンからでなくとも確認はできたが、可能な限り美月が見たまま、聞いたままのものを見たいというのが紅の意見だった。


 例のサイトは、美月のパソコンのブックマークに登録してある。インターネットにさえ繋ぎさえすれば、いつでも掲示板を確認することができる。


 過去の書込みを検索してゆくと、そこには美月が書き込んだ挨拶の文も残っていた。それを見て、今までパソコンのマウスを握っていた美月の手が止まる。思えば、全てはここから始まったのだ。


 書込みの内容を印刷するよう美月に指示し、紅は次に美月の携帯を見せてもらった。送られてきた怪メールが残されているのであれば、それを見ておきたいと思ったのだ。


「はい、これがメール」


 美月の差し出した携帯電話を受け取り、紅はその画面に映し出されたメールを一文字ずつ丁寧に読んでいった。一つは一見して何の意味もなさそうな数字の羅列。もう一つは、ジョーカー様からの警告文とも受け取れるような内容のものだ。


「これが、お前のところに送られてきた怪メールか」


「うん、そうだよ。他にも、優香の携帯から送られてきたやつもあるんだ」


「倉持優香か。確か、お前と一緒にジョーカー様で遊んだ友人だったな」


 最後に送られてきたのは、優香の携帯を使って美月を呼び出した時のものだ。やはり、ただの脅迫文にしか見えないものである。この文章そのものからは、呪いのようなものは感じられない。


「どう? 何か、分かったことある?」


「いや、まだはっきりとジョーカー様の正体を断定できたわけじゃない。呪いの類も、この文章からは感じられない。ただ……」


「ただ……?」


「ジョーカー様の正体は、間違いなく生きた人間だ。相手が幽霊や妖怪の類なら、こんな手の込んだ、その上、作り物じみた真似はしない」


 そう言って、紅は美月の机に置かれていたメモ帳を取ると、そこにメールの内容を書き始めた。


「まず、最初のメールだ。一見してただの数字の羅列にしか見えないが……読み方を変えてみると、どう読める?」


「どうって……五十六万四千二百十九としか読めないけど?」


「いや、もっと単純な話だ。語呂合わせのようなものと言ったほうが正しいか」


 語呂合わせ。その言葉を聞いて、今度は亜衣が反応した。思えば、美月から怪メールの話を聞いた時、なぜそれを最初に見せてもらわなかったのか。この手の話なら、亜衣もよく知っているひじょうに有名な都市伝説があるというのに。


「こ、これ……数字の読み方を変えると、564219ころしにいくって読めるよ!!」


 携帯電話が普及していない、ポケベルの全盛期に流行った都市伝説。数字で殺人予告をし、その予告通りに人が殺されてしまうという話である。あまりに古い都市伝説だけに、亜衣もすっかり忘れていたのだ。


 怪メールの真の意味を知って、美月の背中を冷たいものが走った。ジョーカー様からの殺害予告は、最初から美月達の携帯電話に送られていたのだ。それを無視してしまったから、今回のような事件が起きたのだろうか。もっと早く誰かに相談してればよかったと、今更ながらに思ってしまう。


「犬崎君って言ったわよね。このメールが、もしかしてジョーカー様の祟りなの?」


「いや、これは単なるメールだ。確かに意味が分かると気味の悪い内容だが、こんなものに人を呪ったり祟ったりする力などない。そういう意味では、二通目のメールも同じだな。改行の部分に妙な点があったから、ちょっと注意して読んでみたら案の定だった」


 再びメモ帳を取り、今度はそこに二通目のメールの内容を書いてゆく紅。改行の部分まで忠実に、一字一句間違いなく写してゆく。


「メールは横文字が基本だからな。そういった先入観がある限り、こいつの本当の意味は分からないだろうさ」


 メールの内容を写した紙に、今度は紅が赤いペンで線を引く。文章の頭の一文字だけを囲うようにして、赤い四角を書き込んだ。


「これが、二通目のメールの本当の意味だ。ちょっと考えれば、すぐに分かりそうなもんだが……」


 紅の書き写したメールの内容に、美月達の視線が集中する。文章の先頭にある一文字だけを見て、美月達はそれを縦に読んでみた。



―この前のメールでは、キミたちには警告にならなかったようだね。大方、


―ろくでもないジャンクメールとして破棄したのだろう?


―しかし、ワタシはきちんと警告をしたのだからね。


―にげようとしたって、にげきれるもんじゃあないよ。


―いくら頑張っても無駄だとは思うが、


―くれぐれも注意をしたまえ・・・・・・。



「ちょっと! これって……」


 文章の持つ真の意味に気づき、美月だけでなく亜衣までもが驚いて声を上げた。二通目のメールの頭の一文字を縦に読むと、その内容もまた≪ころしにいく≫というものになる。これもまた、ジョーカー様からの殺害予告ということなのだろうか。


「とりあえず、メールから分かったのはこのくらいだな。ただ、さっきも言ったが、これは呪いのメールでもなんでもない。ただの、趣味の悪い嫌がらせだ」


「それじゃあ、ジョーカー様は幽霊や妖怪じゃないってこと?」


「そうだ。妙な手紙を送ったり、動物の死骸を家の前に置いたりしたこともそうだが……やり方が、いちいち回りくどい。呪いや祟りなら、もっと霊的な現象が起きてもおかしくはないはずだからな」


「それじゃあ、ジョーカー様の正体は……」


「ああ、そうだ。お前も感づいている通り……生きた人間だよ」


 驚愕だった。今までは妖怪のような存在だと思っていたジョーカー様が、よりにもよって人間とは。


 だが、それでも美月には納得のいかない点がまだ存在した。優香の携帯を使って美月を呼び出し、彼女に襲い掛かってきたジョーカー様。あの時のジョーカー様の力は、人間業とは思えなかった。あの力を知っているだけに、どうしてもジョーカー様がただの人間だとは思えない。


「まあ、今の段階で話せるのはここまでだ。後は、もう少し考えさせてもらわないと、俺も結論が出せそうにない」


「そっか……。もう少しって、どれくらいの時間が必要なの?」


「そこまでは長くない。明日の放課後までには、一応の結論を出して見せるさ」


 そう言っては見たものの、犬崎紅の中で、既に犯人の目星はついていた。以前、美月達と初めて会った時に感じた獣のような臭い。あれは、やはり気のせいではなかった。


 今回の一連の事件を仕組んだ者。それは、ジョーカー様の儀式を行った少女達の中にいると見て間違いない。ただ、それが誰なのかを指摘するのに、この場はふさわしいとは言えなかった。それに、自分の考えを証明するための決定的な証拠も欠けている。


 その日はそれで、紅の調査も終わりとなった。美月の家で得られたヒントは、掲示板とメールの内容のみ。そこから駄目押しの一撃となるものを見つけるべく、紅は足早に美月の家から立ち去っていった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 木曜日。


 放課後の校舎内に、犬崎紅は再びジョーカー様の関係者を集めていた。今回は美月や理沙、それに亜衣だけでなく、九条照瑠や中原雅史、加えて刑事である工藤の姿もある。


「どうやら、まだ集まってない連中もいるようだな。こっちとしては、さっさとジョーカー様の化けの皮を剥いでやりたいところなんだが……」


「そんなことより、これはいったいどういうことなの? 私や入間さんだけじゃなくて、中原先輩や刑事さんまで呼ぶなんて……」


 いきなりの呼び出しに、照瑠が険しい表情で紅を見る。無理もない。先日、ジョーカー様と思しき怪人に襲われたとはいえ、照瑠は一連の事件の内容をほとんど知らないのだ。ここに来るまでに亜衣から一通りの説明は受けていたが、どちらかと言えば、巻き込まれたといった方が正しい。そして、それは中原雅史にとっても同様だ。


「犬崎君って言ったよね? 試験前に、わざわざこれだけの人を集めたんだ。それなりに、納得できる理由を聞かせてもらえるんだろうね?」


「ああ。先輩も、九条や入間がストーカー紛いの事件に巻き込まれて襲われたってのは知っているだろ? その時に現れた怪人が、先輩の名前を口にしたらしいんでな」


「俺の名前を!?」


「そうだ。だが、こっちでも、その理由は最後までわからなかった。だから、先輩にも一応、この場に来てもらったってわけさ」


「なるほどね。でも、本当に君はストーカー事件の犯人がわかっているのかい? そういうことは、むしろ警察の仕事なんじゃないのか?」


 そう言って、雅史は紅の隣にいる工藤の方へ目をやった。知らない人が見れば、本物の警察官である工藤の方が、紅よりも頼りになりそうに思えるのは当然だ。


 しかし、そんな雅史の考えに反し、工藤は軽く首を横に振って答えた。なにを隠そう、工藤もまた今回の事件の犯人について、まったく目星がついていなかったのだ。その矢先、嶋本亜衣の携帯電話を通して犬崎紅からの呼び出しである。


 半信半疑ではあったものの、例の猟奇殺人事件を解決したのも紅だった。それだけに、彼の言葉をまったく信じないわけにはいかないだろう。学校側に警察官の自分が立ち入る理由を説明するのが大変だったが、事件が解決すれば、後はどうにでもなる。


「それにしても、優香は遅いなぁ……。昼休みには声をかけておいたのに、どうしたんだろう?」


「そうだね。安西さんは今日も休んでいるみたいだったし、全員集合は無理なのかなぁ……」


 今、この場に集まっていないメンバーの名前を口に出し、美月と亜衣が口々にこぼした。このまま待っていても、時間ばかりが無駄に過ぎてしまう。仕方なく、この場にいるメンバーだけで話を進めるよう紅に催促しようとした時だった。


「きゃぁぁぁぁっ!!」


 放課後の校舎内に、少女の悲鳴が響き渡る。声の位置は比較的近い。恐らく、同じ階にある教室からだ。


「あの悲鳴……優香の声よ!!」


 小学校時代から一緒にいた友人の声を、美月が聞き間違えるはずがない。その言葉に反応し、紅も自分の傍らに置いてあった棒状の物体を握って走り出した。


「ちょっと、犬崎君! あなた、学校に刀なんて持ってきたの!?」


 紅の持っている棒を見て、照瑠が叫んだ。梵字の書かれた白布を巻かれた棒の正体は、紅の使う刀である。彼が四国から追ってきた伝説の怪物、八つ頭を倒した際にも用いられたものだ。


「説明は後だ! それよりも、今は倉持優香を探す方が先だ!!」


 照瑠に背中を向けたまま、紅は教室を飛び出してゆく。それを見た照瑠達も、慌ててその後を追った。


 優香の悲鳴は教室の右手から聞こえてきた。何が起きたのかは分からないが、今はとにかく紅の後を追うしかない。


 一年F組。一年生の教室のある階で、最も隅にある教室である。生徒達は既に下校してしまったのか、他の教室も含め、人の影も見えない。


 そんなF組の教室に、本来であればその場にいることのない二つの影があった。一人は、先ほどの悲鳴の主である倉持優香。そして、もう一人は黒いローブと仮面で身を隠した奇怪な人物である。


「ジョーカー様!?」


 美月がローブを着た人物の名を叫び、怪人は素早くこちらに振り返った。その手には美月を襲った時にも使っていた鎌が握られ、夕刻の教室の中で鈍い銀色に輝いている。


 次の瞬間、怪人は鎌をふりかぶり、それを紅や美月のいる方へと投げつけた。咄嗟の事に、紅以外は満足な反応をすることができない。


 ここで避ければ、後ろにいる照瑠や美月に鎌が当たる。仕方なく、紅は手にした刀の鞘で飛んできた鎌を叩き落した。その隙をつき、怪人は紅達のいるところとは反対側の扉から逃げ出してゆく。


「あっ、逃げた!!」


「追うぞ!!」


 廊下を走る怪人を、紅達もまた走って追いかける。階段を駆け下り、怪人は下駄箱を通り過ぎて外へと逃げ出した。


 靴を履き替えている暇などない。紅達はそのままの足で外へ出ると、怪人の後を追って走り続ける。怪人は校舎の脇をすり抜け、古ぼけた建物の中へと姿を消した。


「ここ……旧講堂じゃない?」


 旧講堂。火乃澤高校の創立と同時に立てられた講堂だったが、現在は老朽化されて立ち入り禁止となっている。正面口はおろか、窓までが中からベニヤ板を打ち付けられ、一般の生徒は入ることなどできはしない。


 だが、ジョーカー様が逃げ込んだのは、旧講堂の裏口だった。裏口も封印されているはずではあったが、扉の側に転がっている剥がされたベニヤ板を見て、何が起きたのかは容易に察しがついた。


 裏口の扉が開いていた。正面口や窓とは違い、裏口は外側から板を打ち付けて封印を施してあるだけである。鍵も壊れてしまっているらしく、開け放たれたドアは力なく風に揺れていた。


「ここが、あの怪人の隠れ家なのか?」


「さあな。確かなのは、奴がこの中に逃げ込んだってことだけだ」


 逸る工藤を抑えるようにして、紅は旧講堂の中に足を踏み入れる。その後ろに、工藤や雅史といった男性メンバーも続いた。


 暗い。全ての窓が封印されているだけあって、講堂の中は足元を照らす明かり一つない。かびと埃の入り混じったような臭いが鼻を刺激し、胃の中から何やら色々なものがこみ上げてくる。


 紅にとってそれ以上に不愉快だったのは、この講堂に満ち溢れている陰鬱な気だった。長きに渡り封印されていたことにより、この場所にたまっていた気は逃げ場を失い、浄化されることなく淀みきってしまったのだろう。そして、そんな陰鬱な気に引かれるようにして、様々な不浄の者がこの場に集まってきているのである。


 不浄の者のほとんどは無害な浮幽霊と思われたが、それでも紅にとっては不愉快な存在でしかなかった。相手にはほとんど霊的な力がないとはいえ、あらゆる角度からこちらを見られているような気がするのは気持ちのよいものではない。


「暗いな……。まだ、電気は通っているのか?」


 手探りで壁際を探しながら、紅は講堂の電気を探した。すると、すぐに何かのスイッチのようなものが手に触れ、紅はそれを躊躇うことなく前に倒す。


 スイッチの正体は、講堂に取り付けられた電灯のものだった。使われなくなっても電気だけは通っていたらしく、講堂の中がぼんやりと明るくなる。


 講堂の電灯に使われていたのは、旧式の水銀灯だった。完全に明るくなるまでには、しばらく時間がかかるタイプのものである。


 舞台の裏を回り、講堂の中に抜ける。その中央には、先ほどの怪人がこちらに背を向けたまま立っていた。


 全員の視線が、怪人の背中に集中する。誰もが皆、次の動きを警戒して動けないでいるのだ。そんな中、紅だけは怪人の背から目を離さずに、ゆっくりとその背に近づいていった。


 ぎしっ、ぎしっという床の軋む音がして、紅と怪人の距離が縮まってゆく。講堂の舞台を背に、照瑠達は固唾を呑んでそれを見守ることしかできない。これから紅と怪人との戦いになるのかと考えると、無意識の内に掌が汗ばんでくる。


 とうとう、紅は怪人の背に触れることのできるほどの距離まで近づいた。が、手にした刀を抜くことなく、紅は怪人のフードに手をかけて剥ぎ取った。


 黒いフードが取り払われ、その中から金色に染まった髪が姿を現す。続いて紅は怪人の肩にも手をかけると、こちらに振り向かせて道化師の仮面を剥ぎ取った。


 仮面の中から現れた、ジョーカー様の素顔。その場にいた全員が、その顔を見て言葉を失った。


「尚美……」


 安西尚美。美月と一緒にジョーカー様の儀式に参加した少女である。


 怪人の正体が尚美だったということは、一連の事件の犯人もまた彼女だったというのだろうか。遊び人で有名だが、決して他人に危害を加えるような真似をする人間ではないと思っていた。それだけに、美月を初めとした彼女のことを知る者にとっての衝撃は大きかった。


「ま、まさか……あんなギャルっぽい子が、今回の事件の犯人だっていうのか……」


 陰湿極まりないストーカー事件の犯人の印象と、尚美の姿はあまりにもかけ離れている。それだけに、刑事である工藤もまた驚きを隠せない。


 ところが、そんな彼らに構うことなく、紅だけは未だ緊張の解けない表情で尚美を見つめていた。彼の手が再び尚美の肩に伸ばされ、尚美は思わずビクッとした様子で体を振るわせる。


「いいかげん、茶番はお仕舞いにしたらどうだ? 格好だけ真似ても、お前がジョーカー様でないことは分かっている」


「な、なんの話だよ……。私が優香を襲ったの、アンタも見ただろ?」


「そう言う声が震えているぞ。お前はジョーカー様なんかじゃない。誰かに頼まれて、お前はジョーカー様のふりをした。違うか?」


「なに言ってんだよ。わ、私は……」


 紅に問い詰められ、尚美は明らかに動揺していた。その目は何かを隠そうとしているようで、それ以上は言葉も出ない。


 最初、照瑠や美月は、尚美は追い詰められた故に動揺しているのだと思っていた。だが、よくよく見ると、そうではないことがはっきりと分かった。


 安西尚美は、何かを隠そうとしているいうよりも、怯えているといった方が正しかった。怯えているのは犬崎紅に対してではない。もっと他の、何かとてつもなく恐ろしいものに怯えているような気がしたのだ。


「心配するな。ジョーカー様の正体は、既に目星がついている。お前はもう、道化師の亡霊に怯える必要はない」


 怯える尚美を落ち着かせつつ、紅はその赤い瞳を照瑠達のいる方向へと向ける。水銀灯の明かりに照らされてもなお、その目は瞳そのものが輝いているのではないかと思えるほどの鋭い眼光を放っている。


 獲物を追い詰める猟犬の目。今の紅の目を表現するのであれば、まさにその言葉がふさわしかった。忌まわしき闇の者に対するあからさまな嫌悪感をむき出しにし、その視線が一人の人物をまっすぐにとらえる。


「呪いごっこはお仕舞いだ、ジョーカー様。九条と入間を襲った怪人の正体……それは、他でもないお前だ、倉持優香!!」


 紅の腕がまっすぐ伸ばされ、その指先が優香の顔に向けられる。その場にいた全員の視線が優香に集まり、当の本人は何が起きたのか分からないといった表情で呆然と突っ立ったままだ。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 怪人の正体が尚美だったのに、いきなり優香のことを犯人扱いするなんて……」


 数秒の沈黙の後、最初に口を開いたのは美月だった。


 倉持優香のことは、小学校の時から友人だった自分が一番よく知っている。控えめで大人しくて、他人を無闇に傷つけるようなことは絶対にしない娘だ。増してや、動物の死骸を他人の家に送りつけるような真似など絶対にするような人間ではない。


 なによりも、優香自身もまたジョーカー様に呼び出されて襲われ、さらには今しがたも襲われたばかりである。なにをどう考えれば彼女がジョーカー様であるという結論に達するのか、美月にはさっぱり分からない。


「まあ、お前が倉持優香を信じたいというのも分からないではないがな……」


 未だ震えの止まらない尚美を残し、紅は優香のいる方へと歩き出す。そして、彼女達の集まっている場所までやってくると、工藤の方へと顔を向けながら話し出した。


「ストーカー犯罪として今回の事件を追うんだったら、まずは入間の持っていた携帯電話のメールからチェックさせてもらうんだったな、刑事さん。それと、例の都市伝説サイトの掲示板もだ。俺でも一晩で結論が出せたぐらいだから、あんた達だったら余裕で犯人を見つけられただろうに……」


「えっと……犬崎君だったよね。恥ずかしながら、僕もさっぱり事態が飲み込めていなんだが……。理由を聞かせてくれるかい?」


「いいだろう。もっとも、言われなくても説明するつもりではあったがな」


 それならば、最初から勿体ぶるような態度を取らなければよい。そう思ったものの、工藤はその言葉を飲み込んで、まずは紅の話を聞く事にした。仮に倉持優香が真犯人だとしても、理由もわからぬまま連行するわけにはいかないからだ。


「まず、俺が注目したのは、掲示板やメールの文章だ。結論から言うと、これは全て同一人物によって作られたものだと言える」


「同一人物!? それって、最初に美月にジョーカー様のことを教えた人も含むの?」


「ああ、お前の考えている通りだ、嶋本。最初のやつだけじゃなく、儀式の失敗について書き込んだもの、怪メール、全てに同じ特徴があったからな」


「同じ特徴……?」


 一見して、別々の人間が書き込んだとしか思えない掲示板の書込み。そして、何の繋がりもないと思われる怪メール。それに共通する特徴とはなんなのか。現物がここにない以上、残念ながら紅の推理を聞かせてもらう以外になさそうである。


「今回、ジョーカー様について書き込まれた掲示板の内容や、入間達に送られてきた怪メール。これを作ったやつの特徴は、その文章の中に現れている」


「文章? でも、コンピュータを使った文字に、筆跡なんてないよ」


「確かにそうだな。だが、癖ってやつはどんな人間でもあるもんでな。掲示板の書込みのコピーとメールの複写。これを読んでいて、俺はある共通点に気がついた」


「共通点?」


「そうだ。全ての文章に共通して言えること。それは、一人称が全てカタカナであることと、文末につける点の使い方だ」


 そこまで聞いて、美月がハッとした顔をして口元を押さえる。確かに紅の言う通り、ジョーカー様関連の書込みやメールは、全て一人称がカタカナで書かれていた。そればかりではなく、文末につける『……』にも同じ特徴があったのだ。


 通常、文章を書くのに慣れている者ならば、『……』と打ち込むはずである。だが、ジョーカー様に関する書込みやメールの『……』は、全て『・・・・・・』となっていた。要するに、無変換のまま放置されているのだ。


 人によって表現方法の違いはあるだろうが、まったく別の人物が、同時に二つも同じ特徴を持って文章を書くなど考えにくい。最初に掲示板に書き込んだ≪くぬぎ≫と、儀式についての補足を書き込んだ≪名無しさん≫。そして、美月達にメールを送ってきたジョーカー様。合わせて三人の人物がまったく同じ特徴の文章を作るなど、確かに不自然ではある。


 しかし、それだけでは優香をジョーカー様だと断定するには弱すぎる。今回の事件が仕組まれていたことだったとしても、優香がそれを仕組んだという絶対的な証拠はない。


「話はわかったわよ。だけど、それだけで優香を犯人扱いするだけの証拠になるの?」


「そうだな。確かに、これだけじゃあ証拠は足りない。しかし、倉持は最初の書込みで、決定的なミスを犯した」


「ミス?」


「初対面の相手、それも顔の見えないインターネットの掲示板で、相手の年齢なんかが簡単に分かるのか? 性別ならともかく、文章だけで年齢なんて判断できないだろ。それこそ、自分から身分を明かさない限りはな」


「そ、そりゃあ、そうだけど……」


「だが、お前にジョーカー様の情報を教えた≪くぬぎ≫とか名乗るやつは、お前のことを最初から≪みつきちゃん≫と呼んでいる。まるで、既に親しい間柄の友達に話しかけるようにしてな。相手の年齢も立場も……増してや本名さえ分からないなら、普通は≪みつきさん≫にするんじゃないのか? ≪みつきちゃん≫なんて呼び方は、お前の年齢や立場を知っている者でなければ不自然だ」


「そ、それは……」


「そして、お前の友人の中で、ちゃんづけでお前のことを呼んでいたのは倉持くらいだ。九条や中原先輩は≪入間さん≫、安西や咲村、それに嶋本は≪美月≫と呼んでいた。初めて俺に会いに来た時、お前たちが事件のことを説明しただろ? その前後で、誰が誰の事をなんと呼んでいたのか……それを思い出して、ようやく話が繋がった」


 水銀灯の明かりの下で、紅は自らのたどり着いた事件の真実を語った。無論、これだけでは状況証拠にしかならない。物証らしい物証がない以上、倉持優香を犯人と断定するには、まだ早いのではないか。


 そう思って美月が優香の方へと目をやった時、彼女は俯いたままなにやら呟いていた。犯人扱いされたことで泣いているのかとも思ったが、よくよく見ると、それはまったくの間違いであった。


 倉持優香は笑っていたのだ。まるで何かに憑かれたように、低い声を上げて薄笑いを浮かべている。


「うふふふふっ……。あはははははははははっ!!」


 突然、優香が顔を上げて、講堂中に響かんとするような声で高笑いを始めた。その、あまりの豹変振りに、思わずその場にいた全員が彼女から距離を取る。


 全員の視線が、再び優香に集まった。それでもなお、優香は声を上げて笑うことを止めない。その姿は、さながら凶器にとり憑かれて頭のネジが飛んでしまった者のようである。瞳は光を失ってどんよりと濁り、死んだ魚のような目つきへと変わっていた。


「ゆ、優香……?」


 あまりに突然の変貌に、美月も名前を呼ぶのが精一杯だった。その声を聞いた優香は高笑いを止めると、美月の方を向いてゆっくりと口を開く。


「そうだよ、美月ちゃん……。残念だけど、犬崎君の言う通り……。あなたや九条さんを襲ったジョーカー様は、私だよ……」


「な、何を言っているの!? ジョーカー様の格好をしてあなたを襲ったのは、尚美だったじゃない!!」


「ああ、あれね。安西さんには、私の身代わりになってもらおうと思ったんだよ。警察も動いているみたいだったし、いつかはバレちゃうと思ったからさ。月曜日の夜、美月ちゃんとは別に安西さんも呼び出して、この講堂に監禁しておいたんだ。咲村さんが来なかったのは誤算だったけど、身代わりは一人いれば十分だったから……」


「そ、そんな……。でも、それでも……どうして優香が……」


「どうして? そんなこと、自分の胸に手を当てて聞いてみればわかるんじゃない?」


 ぞっとするような冷たい視線を美月に向けて、優香はそう言い放った。その表情には、いつもの気弱で大人しい優香の面影すらない。これは本当に、美月の知る優香なのだろうか。


「美月ちゃん、私が中原先輩のことを好きなの、知ってたよね? それなのに、美月ちゃんも先輩に好かれようとアピールしちゃってさ……。私の気持ちに気づいてたのに、そういうことするんだもん。それって、ちょっとずるいよね……」


「それは……」


 思い当たる節がまったくないわけではなかった。サッカー部のマネージャー活動を通している時でも、確かに優香が中原先輩のことを気にかけている様子はあった。ただ、それは遠くから見ているだけの憧れに近いもの。どちらかと言えば、男性アイドルに対する憧れのような感情だと美月は思っていた。


 ところが、美月の予想に反し、優香の気持ちはそのような中途半端なものではなかった。彼女は中原雅史のことを、本気で好きになっていたのだ。感情を表に出さないだけで、その気持ちは誰よりも強かった。が、同時にそれが災いし、恋敵の排除という結論に至ったのだろう。


「本当はね、ちょっと脅かすだけにしようと思ってたんだよ。美月ちゃん、嶋本さんから都市伝説サイトの話を聞いたこと、私にも話したでしょ? その時に、思いついたんだ……。嘘の儀式でちょっと怖がらせて、それからジョーカー様のふりして脅かせば、先輩のこと諦めてくれるかと思ってさ……」


「じゃ、じゃあ、九条さんを襲ったのはどうしてよ! 九条さんは、ジョーカー様とは関係ないじゃない!!」


「そうだね。でも、九条さん、中原先輩と仲良くしてたから。先輩には、私だけを見て欲しかったんだもん……。だから、九条さんのことも邪魔だったんだ」


「邪魔って……。あなた、何考えてるのよ!!」


 好きな人を独占したいが故に、恋敵を排除する。その気持ちは分からないでもないが、優香の言っていること、やっていることは度が過ぎている。口では脅かすだけと言っているものの、それではあの殺害予告を思わせるメールはなんなのか。


「ねえ、優香……。あなた、本当にそんなこと考えてたの? だったら、どうして一言、私達に相談してくれなかったのよ! 私達、みんな友達でしょ?」


「友達? 美月ちゃんは、本当にそう思ってるの?」


 薄笑いを浮かべながら、優香は侮蔑したような表情で美月を見る。その視線はゆっくりと理沙、そして尚美に向けられ、怯える彼女達を鼻で笑い飛ばした。


「美月ちゃんはどう思ってたか知らないけど、残りの二人は友達なんかじゃなかったよ。咲村さんは自分に災いがふりかからなければ、それでいいって思ってるようなところがあったよね? 安西さんも、私がちょっと脅かしたら、簡単に身代わりを引き受けるしさ……。結局、みんな自分が可愛いんだよ。そんな人たちに、相談なんかしたって無駄じゃない?」


 優香の言っていることに思い当たる節があるのか、理沙も尚美も口をつぐんだまま俯いたままだった。そんな彼女達の態度に、美月もまた言葉を失いその場に立ち尽くす。


 これが、自分の信じていた友情の実態だったのか。いつもは一緒に楽しく談笑していても、いざとなれば我先に保身に走る。その上、小学生の時からの友人であった優香さえ、自分に内なる部分の全てを見せていたわけではなかったのだ。


 美月は自分の中で、何かが音を立てて崩壊してゆくのを感じていた。なんだか、今まで信じてきた何もかもに裏切られたような気分だ。


「まあ、そんなことは、今となってはどうでもいいよ。もともと二人は、私の計画のために利用させてもらったようなものだから……」


 呆然とした表情の美月を他所に、優香が淡々とした口調で言い放った。理沙や尚美のことなどまるで興味がない、道具にしか過ぎないとでも言いたげな顔をしている。


「でも、これで何もかも終わりだね。ここまで感づかれちゃったんだから、今さら脅かしても無意味だし……」


 倉持優香の周りを覆う空気が一斉に淀んだような気がした。風もない講堂の中で、彼女の髪が意思を持った生き物のように揺れている。


「だから……これで、終わりにするの……。本当は、美月ちゃんにこんなことしたくなかったけど……。こうなったら、もうどうしようもないから……」


 呟く声が、徐々に別のものと重なってゆく。一つは優香の声だが、もう一つは地の底から響く獣の唸り声のようなものだ。


 次の瞬間、倉持優香の髪が一斉に揺れた。瞳孔が、まるで犬か猫の目のように細く変化する。対峙する紅の刀を握る手にも、思わず力が入った。


「うおぁぁぁぁっ!!」


 次の瞬間、倉持優香の体が床を蹴って跳ねた。彼女の体は一瞬で身の丈ほどにも舞い上がり、空中から獲物を狙う鷲のように飛び掛ってくる。


「とうとう正体を現しやがったか、ジョーカー様!!」


 優香が跳ぶと同時に、紅も刀を持ったまま跳び上がった。上から襲い掛かる優香の爪を、布の巻かれた刀の鞘で受け止める。二人はもつれ合ったまま落下し、紅は優香に馬乗りになられるような形で背中を打った。


「犬崎君!!」


 このままでは紅が危ない。そう思ったのか、今度は工藤が優香を押さえようと前に出た。が、そんな工藤の手を優香は簡単に振り払い、逆に腕をつかんで捻り挙げた。


「ぎゃっ!!」


 背広の上からでも分かるくらい激しく、優香の手は工藤の腕に食い込んでいた。ぎりぎりと骨の軋むような音がして、工藤は思わず悲鳴を上げる。そんな彼の体を片手で引き寄せると、優香はその襟首をつかんで工藤を講堂の端まで投げ飛ばした。


 およそ女子高生のものとは思えない、超人的な力である。照瑠や美月を襲った時の、ジョーカー様のものとまったく同じだ。こんな力を見せ付けられては、脅された尚美が優香の言うことを聞かざるを得なかったのも無理はない。


「ねえ、先輩……。私の力、すごいでしょ? これからは、私がこの力を使って、先輩を守ってあげますから……。私と先輩の仲を邪魔をする者は、みんな私が消してあげますから……」


「な、何を言っているんだ、倉持さん……。君は……」


「怖がらなくても大丈夫ですよ。私、先輩には何もしませんから……。だから、私が邪魔者を片付けるまで、ちょっと待っていて下さいね……」


 紅の上に乗って押さえつけたまま、優香は雅史にだけは笑顔を向けて言った。しかし、その声は先の獣のような声と重なって、まるで別人が喋っているようにしか聞こえない。そして、優香の意識が一瞬だけそれたその瞬間は、紅にとってもチャンスであった。


「貴様……。あまり、調子に乗るなよ……」


 彼の意思を代弁するかのようにして、水銀灯に照らされていた紅の影が急激に伸びる。それは瞬く間に彼の体を離れ、虎ほどの大きさもある犬の影に変わる。


「やれ、黒影!!」


 紅の言葉と共に、犬の形になった影が床を這った。水銀灯の光を遮るものなど何もないというのに、影だけが紅の体を離れて動いている。そして、その影が優香の影と重なった時、紅の上に馬乗りになっている優香が唐突に苦しみだした。


「ぐぁ……ぎぃ……や、め、ろぉぉ……」


 まるで見えない何かと戦うように、優香はひたすら自分の喉を押さえて転げまわる。見ると、紅の体から離れた影が、優香の影に喰らいついていた。


 影が影を襲い、その痛みが優香の体に直接伝わっているのだ。どういう原理かは分からないが、これが黒影と呼ばれるものの力だということは照瑠達にも分かった。


 駄目押しとばかりに、紅は学生服の内ポケットから細長い縄のようなものを取り出した。彼の持つ刀に巻かれた布と同じものを、細く捻って紐状にしたものだ。霊的な力を束縛して抑え込む、一種の呪符である。


 長さはそこまでなかったが、それでも投げて使うには十分だった。縄の先には錘のようなものがついており、紅の手から放たれた縄は、未だ黒影の攻撃を受けて苦しむ優香の首に巻きついた。


「ぐぇっ……」


 縄が首に巻きつくと同時に、優香の両手がだらしなく垂れ下がった。先ほどまでは必死に抵抗していたが、今はそのような素振りを見せることさえない。首に巻きついた布によって力を封じられたのか、既に戦意は喪失している。


「最後の仕上げだ。任せるぞ、黒影」


 紅の命を受け、再び犬の形をした影が揺れた。今度は地面から盛り上がるようにして、夜の闇より深い色をした影が起き上がってくる。


 全身を構成する流動的な漆黒の物体。その中央に光るのは、鋭い眼光を放つ金色の目玉。犬とも狼ともとれる姿をしているが、その大きさは虎ほどもある。犬崎紅の使役する犬神、黒影の、真の姿とでも呼べるものだ。


 動きを止めた優香に向かい、黒影は音もなくゆっくりと近づいてゆく。もともと霊的な存在だけに、足音などはないのかもしれない。


 優香の前に立った黒影は巨大な口を開けて一声だけ咆えると、すぐにまた先ほどの影のような姿に戻って優香の体の中に入っていった。今度の姿は生き物の形さえしておらず、単に細長く黒い塊になっている。


 優香の口と鼻から、霧のようになった黒影が吸い込まれるようにして入り込んでゆく。そして、その全てが彼女の体に飲み込まれてしまった時、変化は唐突に訪れた。


「あ……あ……」


 喉の奥からかすれた声を上げながら、優香の身体が小刻みに痙攣を始めた。それを見た照瑠や美月が側へ寄ろうとするが、紅は無言のままそれを制した。


 程なくして、優香の体から再び黒影が姿を現した。最初は霧のような姿だったが、すぐにまとまって犬の姿となる。その口には優香の体に入る前とは違い、なにやら青白い塊が咥えられていた。


「な、なに、あれ……? もしかして、猫!?」


 黒影が咥えていたものを吐き出したのを見て、照瑠が思わず叫んだ。黒影の牙から開放された塊は、青白い猫のような姿に形を変えていたのだ。


「あいつが、ジョーカー様の力の源だ。倉持優香の身体に縛り付けられていた、しがない動物霊さ」


「動物霊? 縛り付けられていた?」


 紅の口調から察するに、事件はこれで解決したということなのだろう。しかし、彼の言っている肝心の言葉そのものは、照瑠にはさっぱり分からない。


「説明、してくれるんでしょうね?」


「ああ。倉持優香が超人的な力を持った理由……。それは、御霊みたま縛りの術によるものだ」


「御霊縛り?」


「そうだ。霊媒体質の人間は、自分の肉体に直接霊を降ろすこともできるからな。だが、中には降ろした霊を自分の肉体に縛りつけ、その力を完全に我が物としてしまうような連中もいるんだよ。一つの肉体に複数の魂が入れば、それだけで人間の肉体の限界を簡単に突破させることもできる。ジョーカー様の超人的な身体能力は、そうやって得たものだったのさ」


「で、でも……ジョーカー様なんて、噂の域を出ない儀式でしょ? そんなもので、本当に霊が呼べるの?」


「それは、時と場合によりけりってやつだな。素人の行う降霊術の類は、そのほとんどが自己暗示だが……一人でも霊感の強いやつが混ざっていれば、本当に霊が降りてくることもある。その際、術の種類はあまり重要じゃない。その場にいる人間が、神だの霊だのといった存在を強く信じていることの方が重要だ」


 素人の行う降霊術では、降りてくる霊のほとんどは人間の心につけ込んで悪さをする低級霊である。些細な霊現象を起こして人を驚かせ、時に人間に憑依し、自分のことを神だと語る。そうやって人間を振り回し、向こう側の世界へと引きずりこもうとする性質の悪い霊なのだ。


 だが、今回ばかりはそんな低級霊の悪知恵よりも、倉持優香の方が上をいったようだった。ジョーカー様の儀式で呼び出した低級霊を、彼女は御霊縛りの術で逆に捕まえてしまったのだ。そして、その力を使って自ら道化師の扮装をし、美月や照瑠を襲うまでにいたったのだろう。


「御霊縛りで捕まえられていた低級霊は、黒影が倉持の身体から引きずり出した。これでもう、あいつはジョーカー様の力を使うことはできない。今はもう、ただの女に戻っているはずだ」


 そう言って、紅は再び講堂の床に倒れているであろう優香の方へと顔を向けた。が、次の瞬間、紅だけでなく、その場にいた全員の顔に戦慄が走った。



――――倉持優香がいない!!



 御霊縛りで捕らわれていた低級な動物霊を引きずりだしたことで、すっかり油断をしていた。かなり強引なやり方で霊を追い出したため、しばらくは動けないと踏んでいたのだ。


 優香の姿はすぐに見つかった。講堂の舞台の上で、パイプ椅子に乗せられたぬいぐるみの横に立っている。普通の人間であればまず動けない状況であろうというのに、まったく恐ろしいまでの精神力だ。


 舞台の上に立つ優香は、まだ諦めてはいない。光を失って濁った目のまま、壊れた笑みを浮かべている。


「いいかげん、もう諦めろ。お前の中にいた霊は、既に黒影が追い出した」


「諦める? それは駄目だよ……。ここで私が諦めちゃったら、誰が先輩を守ってあげるの……?」


 完全に話が一方通行だ。中原雅史の気持ちなど関係無しに、倉持優香は自分の想いだけを押し通そうとしている。


 向こう側の世界に触れたため壊れたのか、それとも壊れていたからこそ闇を呼び寄せたのか。今となっては、紅にもそれはわからない。だが、この場で優香を完全に止めなければ、本当に取り返しのつかなくなることだけは確かだ。


「悪いが、俺もお前の好きにさせるつもりはない。あかの一族の末裔として……貴様の闇は俺が祓う」


「へえ……やっぱり邪魔するんだ……。だったら、あなたから消えてもらうことにするよ……」


 優香の左手がパイプ椅子の上に置かれたぬいぐるみに伸びて、その頭をわしづかみにした。右手には、どこから取り出したのか、カッターナイフが握られている。


「こんなことになるんだったら、ジョーカー様なんて回りくどいことしないで……最初からこうすればよかったんだよね……」


「なんだと……。まさか、その人形は!?」


「そう……。この子はこんな時のために、私が作っておいた生き人形……。この子の中にいるものを私に憑かせて……今度はもっと強い力を手に入れるんだから……」


 そう言うが早いか、優香は手にしたカッターナイフをぬいぐるみの腹に突き刺した。それを見た紅が慌てて静止するが、もう遅い。優香は講堂中に響かんばかりの声で高笑いをしながら、ぬいぐるみの腹をカッターナイフで切り裂いてゆく。


「あはははははっ! さあ、私を憎みなさい! とり殺してみなさい! その力、全部私のものにしてあげるわ!!」


 ビリビリと布の裂ける音がして、ぬいぐるみの中に詰められていたものが露になる。それは綿やビーズの類ではなく、もっと黒くて細長いものの束。即ち、人間の髪の毛だ。


 生き人形の儀式。やはり降霊術の一種だが、その危険性はこっくりさんのような簡易なものや、ジョーカー様のようなまがい物とは桁違いだ。


 人形に人間の髪の毛や爪を入れ、丑寅の間の刻に話しかけることによって、その人形に魂を宿らせる。何の霊が降りてくるかも分からないだけに、それだけでも十分に危険な行為である。が、それ以上にまずいのは、今の倉持優香の行動だった。


 霊を降ろした人形を、何の意味もなくカッターナイフで切り刻む。それは、人形に降りてきた霊を挑発し、怒らせることに他ならない。そうして怒らせた霊を自らにとり憑かせ、再び御霊縛りによって自らの糧とするつもりなのだろう。


「もうやめろ! 中途半端な力で霊を刺激すれば、取り返しのつかないことになるぞ!!」


「うふふふっ……あはははははっ! さあ、私の中に入りなさい! 早くしないと、あなたの依代よりしろをばらばらにしてしまうわよ!」


 壇上の優香は、既に紅の言葉など聞いてはいなかった。狂ったように笑いながら、ぬいぐるみの腹を引き裂き、首筋にカッターナイフを突き立てた。その、あまりに常軌を逸した光景に、紅以外の者たちは、ただただ言葉を失っている。


 これ以上は、優香を放っておくことはできない。そう思って紅が足を踏み出した時、優香の手にしたぬいぐるみに変化が現れた。


 優香の左手に握られたぬいぐるみの、裂けた腹からのぞく髪の毛。その髪の毛が、まるで何か一つの生き物のように、突然うねり出したのである。それは、まるで巨大な蛇かミミズの如く、優香の顔めがけて襲い掛かった。


「んぐっ……」


 低いうめき声を上げて、優香がぬいぐるみとカッターナイフを落とした。それでもなお、ぬいぐるみの腹から伸びた髪の毛は優香の顔に絡み付いてくる。不気味にうねる髪の毛の束は、彼女の鼻と口から脈打つようにして体内へと入ってゆく。


 全ての髪の毛を飲み込んだとき、優香の顔に既に生気はなかった。瞳孔が開き、口からはだらしなくよだれを垂らし、指先は小刻みに震えている。


「まずいな……」


 ここに来て、紅が初めて刀の柄に手をかけた。優香が人形に降ろした霊は、ただの浮幽霊などではない。紅の予想が正しければ、それは極めて凶暴で危険な存在だ。


 果たして、彼の予想は正しく、優香は身体を震わせて膝をついた。指先の震えは腕全体にまで達し、もはや声を上げることさえできないでいる。


 次の瞬間、優香の身体が電流が走ったかの如く反り返った。両手で胸を押さえ、喉が引き裂けんばかりの悲鳴を上げて倒れこむ。


 ブレザーと、シャツのボタンさえはじけ跳び、優香の腹部が露になった。それを見た照瑠や美月が、あまりの変貌振りに思わず顔を背ける。


 さらけ出された優香の腹部では、その皮膚の下でなにやら巨大な蛇のようなものがうごめいているようだった。よく見ると腹だけでなく、足や腕の中でも何かが動き回っているようだ。優香の皮膚の下にいるそれは、今や彼女の全身を駆けずり回っていた。


「ど、どうなってるの、犬崎君……?」


 事態がまったく飲み込めず、照瑠は震える声で紅に尋ねた。


「あれは、トウビョウだ。蛇神の憑き物で、呪殺師じゅさつしが人を呪い殺すときに使役するくらい、強力な悪霊だ」


「悪霊……。でも、なんで急に、そんなものが……」


「倉持優香が霊を降ろして生き人形を作ったとき、たまたま降りてきたんだろう。どこで、どうやって向こう側の世界にふれる力を手に入れたのかは知らないが、所詮はまともな訓練も修行も積んでいない素人だ。そんな奴が中途半端に霊を呼び出せば、何が降りて来るかなんて分かったもんじゃない!!」


 説明するにつれ、紅の語気が荒くなってゆくのが分かった。


 少し力を持っているからといって、何の訓練も受けていない素人が霊を呼び出し、その力を自らのものにしようとする。紅からすれば、それは自惚れ以外の何物でもない。何かの拍子で術者の手に負えない悪霊を呼び出してしまった場合、取り返しのつかない事態を呼び起こすことになる。


「ねえ、犬崎君。そのトウビョウってやつも、さっきみたいに祓うことはできないの?」


「簡単に言ってくれるな。さっきのザコと違って、あいつはどちらかと言えば神に近い存在だ。見たところ、主を持たないはぐれ神だったみたいだが……俺の黒影と同じくらいの力を持っていると考えて間違いはない」


「そんな……。それじゃあ、倉持さんは……」


 紅の使役する犬神、黒影の力は照瑠もよく知っている。それだけに、紅の口から語られた言葉はショックだった。


「自業自得ね……」


 そう言ったのは咲村理沙だ。その言葉に、美月は思わず嫌悪感を露にした瞳で理沙を睨んだ。


 確かに、優香に利用される形で巻き込まれた理沙からすれば、そう言いたくなるのも分からないではない。だが、それでも優香は一緒の学校に通うクラスメイトではないか。それをこうも簡単に見捨てるようなことを言うなど、神経を疑ってしまう。


 所詮はうわべだけの付き合い。それは、この講堂に来てから優香にも指摘されたことだ。しかし、理沙や尚美がどう思っているかは知らないが、自分だけは優香を見捨てるようなことはしたくなかった。知らない内に彼女を裏切るような真似をしてしまったからこそ、これ以上彼女を裏切りたくなかったのだ。


「お願い、犬崎君! 優香を……あの子を助けて!!」


「ああ、任せておけ。言われなくても、あんな凶暴なはぐれ神を、このまま放っておくつもりはない」


 苦痛に顔を歪ませる優香に向かい、紅がゆっくりと歩を進める。その間にも、優香の身体はあちこちで醜く膨らんでは萎みを繰り返していた。


 もはや、意識が残っているのかさえも疑わしい。そんな優香の前に立つと、紅は彼女の露になった腹部へと手を伸ばす。そして、その下を優香の身体の中でうごめく何かが通り過ぎる瞬間、紅はためらうことなく、それをわしづかみにしたのだった。


 紅の右手に捕らえられ、優香の身体の中ではいずり回っていたものが動きを止める。優香は身体を一瞬だけ硬直させ、その後、糸の切れた人形のようにして動かなくなった。


「優香!!」


 これで全ては終わったのか。そう思った美月が駆け寄ろうとしたが、紅は未だ険しい表情を崩さずに彼女を制した。


「来るな!!」


 講堂中に響き渡るような声で叫びながらも、紅は脂汗を流しながらがっくりと膝をつく。手にした刀を杖のようにして、なんとか倒れるのを防いでいるようだった。


「まだ……奴は滅んじゃいない……。始末をつけるぞ、黒影……」


 先ほどまで紅の傍らで、黒い塊となって揺れていた黒影が細く伸びた。優香の身体の中から、猫の姿をした低級霊を引きずり出した時と同じだ。細い、縄のような姿になった黒影は、今度はそのまま紅の口から体内へと入ってゆく。


 いったい、紅と優香の間で何が起きているのか。端から見ているだけでは分からなかったが、何やら並みの人間の理解を超えたことが起きていることだけは確かだった。


 膝を突き、片手で胸を抱えたまま、紅の背中がスイカほどの大きさになって膨らんだ。が、すぐにそれは小さく萎み、今度は顔中の血管が浮き出して見えた。


(犬崎君の身体の中で戦っているんだ……!!)


 紅の身体に起きている変化から、照瑠は直感的にそう判断した。紅は優香の身体からトウビョウを引きずり出し、それを自分の肉体に憑依させたのだろう。そして、自分の中に誘い込んだトウビョウを、黒影に始末させようとしているのだ。


 紅の身体に異変が現れるたび、照瑠は思わず目を覆いたくなるような気持ちにさせられた。このまま相手を倒せずに、紅と黒影が負けてしまったら……。そう考えると、僅かな時間でも極めて長いものに感じられてしまう。


 だが、互いに決着のつかない泥試合になると思われた戦いは、程なくしてあっけなく勝敗が決した。


 紅の身体が震えた瞬間、その口から霧状になった黒影が姿を現す。外に出た黒影はすぐさま巨大な犬の姿となり、その口にはやはり巨大な、暗緑色をした蛇が咥えられていた。


 それは、ひじょうに不気味で不快な姿をした蛇だった。二本の牙は犬歯虎のように口から飛び出ており、額には巨大な一つの目があるだけだ。暗い緑色をした本体からは、生臭い腐臭さえ漂ってくるような気がした。


 黒影に頭を咥えられたまま、蛇は最後の抵抗を試みる。身体をさかんにくねらせて、黒影の首に巻きつき締め上げる。


 が、黒影もさるもので、そうそう相手の好きにやらせているわけではなかった。頭を咥える牙に、そのまま噛み砕かんばかりの力をこめて反撃する。その一撃に蛇の拘束がゆるんだ一瞬の隙をつき、黒影は頭を大きく振って蛇を床に叩きつけた。


「よくやった、黒影……。これで……今度こそ本当に、呪いごっこはお仕舞いだ!!」


 残る最後の気力を振り絞り、紅は刀を鞘から抜いて立ち上がる。白銀の刃が解き放たれると同時に、その刀身からどす黒い気が沸いて出た。


 闇薙やみなぎの太刀。紅が霊的な存在と戦う時に用いる最終兵器。その刀身はあらゆる魂を貪欲に喰らい、自らの糧として取り込んでしまう。そのあまりに貪欲な気を封じるために、いつもは梵字の書かれた布を鞘と柄に巻きつけて封印を施しているほどである。


 鞘から抜き放たれ、封印を解かれた今、闇薙の太刀を縛る枷は存在しない。床に転がっている蛇に向かって、紅はその刀身をためらうことなく投げつけた。


 次の瞬間、闇薙の刀身から無数のどす黒い気があふれ出た。黒いミミズとも触手とも思える気は、その刀身が突き刺さったままの蛇に次々と絡み付いてゆく。


 この世の者とは思えない叫び声を上げ、蛇は黒い気の拘束から逃れようともがいた。しかし、闇薙の貪欲な性質の前には、それさえも無駄な抵抗だった。


 ずるずると、その刀に引きずりこまれるようにして、蛇の化け物が徐々に小さくなってゆく。そして、照瑠や美月の見ているその前で、やがて黒い気の中にとりこまれてしまった。


「終わった……」


 床に突き刺さった闇薙を引き抜き、紅はそれを再び鞘に封印した。先ほどまではざわついていた黒い気も、鞘に納まった瞬間に大人しくなる。が、それでもかなり消耗したのか、紅もまた舞台の床に倒れこんで動かなくなった。


「け、犬崎君!!」


 全てが終わり、まさに憑き物が落ちたといった表情で事の成り行きを見守る一同。その中で照瑠だけが、倒れた紅の姿を見て走り出した。


「と、とりあえず、まずは救急車を!!」


 照瑠が走り出したことで、ようやく我に返ったのだろう。痛む右手をさすりながら、工藤は自分の携帯から119番へと通報する。


 ほんの軽い気持ちから試した都市伝説、ジョーカー様。それを発端とした一連の事件は、倉持優香の暴走という形で幕を閉じた。どこか心の奥に納得のいかないものを残しながらも、入間美月を始めとした少女達は、こうしてジョーカー様の悪夢から救われたのである。

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