第二話 光と影
――どこを見ても、完璧すぎる姉。
そして、そんな姉をただ見ているだけの私――セレナ・ルクレール。
そんな私の横で、もう一人“見られる側”にいる勇者パーティの仲間がいた。
エルフの弓使い――フィーネ・リスティアーナ。
さっきまで鉄と泥の臭いにまみれていたというのに、今は香油と花の香りの渦中。
その中で、深緑を基調とした軽やかなドレスに身を包む彼女は、夜会の灯りを受けるたび、私にはまるで森から迷い込んだ妖精のように見えた。
お伽話から抜け出たような彼女は、やはりこの会場の中でも注目を浴びていた。
紳士たちはこぞって彼女に声をかけ、フィーネの耳がぴくりと動く。
「お美しい……!」
「ぜひ舞を一曲!」
淑女たちもやはり声をかけ、再び長い耳がぴくりと動いた。
「その美しさの秘訣を教えてくださいな」
「エルフ族について、もっと知りたいのです」
取り囲まれたフィーネは、いつもの冷ややかな目をさらに細めて、黙ってグラスの縁に口をつける。
けれどその頬はほんのり赤く、居心地の悪さを隠しきれていなかった。
その視線がふと、壁際の私に向いた。
――ほんの一瞬だけ、「助けて」と訴えかけるように。
(……やっぱり。あなたも居心地悪いのね)
私は小さく息を吐き、グラスを持って人混みへと踏み込んだ。
「すみません、この方、少しお疲れのようですので」
紳士淑女がどなた?とでも言わんばかりに怪訝な顔をする間に、フィーネの手を取ってするりと抜け出す。
(はいはい。勇者パーティの透明人間一号ですけど)
私に手を引かれ、驚いたように目を瞬いた彼女は、それでも抵抗せずついてきた。
*
二人が辿り着いたのは、大広間から続くテラス。
夜風が冷ややかに頬を撫で、月光が白い石畳を照らしている。
フィーネはふう、と長く息を吐くと、ふと月を見上げた。
長い睫毛と真っ白な顔が月光に照らされ、レースを上品にあしらったドレスを透かす。
そんな彼女は、まるで伝説の妖精のようだった。
森の民――エルフ。
女神に祝福された長命の種族。
けれど、人間の街に住むエルフは珍しいし、ましてや冒険者となればなお希少。
さらに女性でかつ勇者パーティの一人。
これはもう希少を通りこして奇跡だな、などと思っていると――。
「似合わない格好だろう」
フィーネは裾を持ち上げ、わずかに微笑んだ。
私は小さく首を振って否定した。心から。
「似合ってるよ。本物の妖精みたい。……むしろ心配になるくらい」
「心配?」
「だって、さっきもあんなに群がってたでしょ?
あのままだと籠に入れられて屋敷に持ち帰られてたかも」
フィーネは片眉を上げて、唇の端をくいと上げる。
「ふふ……妖精は籠に捕らわれる運命……か」
二人は視線を合わせ、小さく笑った。
夜風がその笑いをさらい、月明かりの中で透明に溶けていった。
――並んで欄干に寄りかかる。
大広間からは、まだ楽しげな楽曲と笑い声が漏れ聞こえてきた。
「勇者も騎士も聖女に夢中だな。あなたは?」
とフィーネが横目で問いかける。
私はグラスの中の赤い葡萄ジュースを揺らし、淡く笑った。
「私? ……姉さんのおまけ。影、みたいなもの。
それとも――透明人間? 誰も気づかないやつ。
見た目も普通だしね」
軽く肩をすくめて笑うと、フィーネは笑みを浮かべて小さく頷く。
「いいじゃないか。影があるから光は際立つ。
それに、あなたは十分美しい。さらに輝くのはこれからだ」
「あなたに言われると、皮肉にしか聞こえない」
その言葉に、フィーネはくくくと笑った。
冷ややかな仮面がほどけた瞬間、彼女の横顔は夜風に溶け込んだように柔らかかった。
「……わたしも同じさ。ただのおまけ。君たち人間のパーティのね」
風が吹き、テラスの周りの木々をさざめかせる。
「……フィーネさんは――いつも無口だから、こうして話せてちょっと嬉しいかも」
「無口……ね。私は怖いのかもしれないな」
「え……?」
その言葉は、冗談には聞こえなかった。
フィーネは遠く夜空を見上げた。
薄緑の髪が夜風に月の光を含み、エメラルドのような瞳が夜空を映す――本当に森の女神様みたいだ。
私は思わず息を呑んだ。
「フィーネさんは何故、勇者パーティに?」
「……魔王は倒すべき敵だ。それは私も同じ」
……エルフ族の故郷の森は百年ほど前に魔王軍に焼かれたそうだ。
もしかして、フィーネさんもその生き残りだったりするなら――
わたしたち姉妹と似た境遇なのかもしれない。
(え? だとすると、今百歳以上ということ?)
もう一度彼女の横顔を盗み見る。
陶器のように滑らかな肌に、長い睫毛とアーモンド形の翠の瞳。
エルフ族の特徴でもある長い耳――ワインのせいか、耳の先はほんのり赤く染まっていた。
(本当に綺麗――とてもそんなふうには見えないな……)
でも、彼女の神秘的な佇まいを眺めていると、不思議と納得できてしまう。
二人の間に沈黙が流れる――。
そのとき、弦楽が途切れ、遠くから拍手喝采が聞こえてきた。
姉アリシアの澄んだ声が響き、勇者の笑い声と騎士の低い声がそれに続いた。
私は胸の奥にわずかな寂しさを抱えながら、フィーネと同じ夜風に吹かれていた。
「おまけ同士、乾杯」
フィーネの深緑色のドレスの袖が揺れ、軽くグラスが上がる。
私も小さく笑ってグラスを合わせた。
透明な音が、夜の宮廷に溶けて消えていく。
それは、輝いている三人のおまけのような私と彼女を、確かに結ぶ小さな証のようだった。




