「ありがたきもの」(枕草子)…滅多に無いもの②
◇「本文」(口語訳)・解説
「毛のよく抜くる銀の毛抜。主そしらぬ従者。つゆのくせなき。かたち心ありさますぐれ、世にふる程、いささかの疵なき」
(毛がよく抜ける銀の毛抜き。主人の悪口を言わない従者。まったく癖のない人。容姿や気立て、態度が秀でており、世の中を過ごす間に、まったく欠点のない人。)
この世に存在することが難しいものの続き。
「毛のよく抜くる銀の毛抜」
毛抜きは先端部が命であり、そのかみ合わせが甘いとうまく抜けず、じれったくなってくる。「銀」はそもそも柔らかい材質だが、当時の貴族はこのような高級品を使っていたのだ。
清少納言が世話する中宮定子の眉を抜いているさまが浮かぶ。
「なかなか上手く抜けないなぁ」
「イタッ! もうちょっと上手にできないの?」
「すみません……」
中宮定子と清少納言との様子。
「主そしらぬ従者」
絶対的服従関係である主従関係。主人の言に逆らうことは許されぬ。主人の意志の尊重によって物事はスムーズに運び、従者は食べることができる。
主人と対面している時には決して言われぬ「そしり」だが、主人が不在の時には悪口が始まるのが世の常だ。『三四郎』の佐々木も、広田先生不在時にはその悪口をためらわずに言い放っていた。
従って、表でも裏でも主人の悪口を言わない人は滅多にいない。そのような人は、よほど心の美しい聖人君子だろう。上役がいなくなると途端に悪口合戦が始まることはむしろ普通だ。
清少納言が見た、周りの女房達や召使たちの様子。
「つゆのくせなき」
「つゆ~打消」は、「まったく~ない」の意。まったく癖のない人はいない。「無くて七癖」。
清少納言が見た女房達の様子。女房達は、相部屋のような状態で暮らしていたので、人の癖はちょっとしたことであってもとても気になっただろう。
この話題は次に続く。
「かたち心ありさますぐれ、世にふる程、いささかの疵なき」
「いささか~打消」は、「まったく~ない」の意。
容貌も、こころも、振る舞いも素晴らしく、世・人に交わって過ごす間に、まったく欠点のない人。見た目、気遣い、行動と三点揃った完璧な人などなかなかいないだろう。
これは先ほどと同じく、一緒に生活している女房たちをイメージした内容だ。どんなに素晴らしい人であっても、ふと油断した時に隙を見せてしまうのが人間だ。ともに生活する過程において、完璧を貫き通すことは不可能だろう。
「世」は「世間」・「この世」とともに、特に「世の中」などは「人と人との関係・交わり」を意味する。宮中で共同生活にあった女房たちにとって、自分の癖を隠し、常に美しく正しくいることは、なかなか難しいことだっただろう。
他者の欠点は目に立つものだ。どんなに素晴らしい人にも、何か「癖」や「疵」はある。それが人間であり、だから清少納言はそのような人々を批判しているのではない。人とはそういうものであり、互いの欠点を認めあうこと、肯定的に捉えることの大切さを、彼女は述べているのだ。
清少納言は宮中に出仕し、中宮定子に仕えていた。定子との思い出の銀の毛抜き、ともに仕えた女房たちの人間らしい様子。このように、宮中での生活・経験をもとに書かれたのが「枕草子」だった。
(つづく)