「ありがたきもの」(枕草子)…滅多に無いもの①
◇「本文」(口語訳)・解説
「ありがたきもの。舅にほめらるる婿。
また、姑に思はるる嫁の君」
(めったにないもの。舅にほめられる婿。また、姑に思われるお嫁さん)
「ありがたし」は「有り難し」で、「そうで有ることが難しい」→「滅多に無い」意。そのような存在は滅多に無い様子を表す。
清少納言は、本来はそうあるべきなのに、残念ながら違うことを列挙する。
1「舅にほめらるる婿」
そもそも父親にとって娘は、恋人のような存在だ。小さな頃から大切に育てて来た女の子。当然そこには、自分好みの女性にしようという心理が働く。その期待に応えた女の子であればなおさら手放すことなど考えられない。
このように父と娘には、疑似恋愛のような関係が結ばれており、それは特に父親に顕著だ。決して実際に結ばれたいわけではない。現実の自分の「嫁」では満たされない強いこころの繋がりを求めるのだ。
しかし娘はやがて他の男の「嫁」となって離れていこうとする。どこの馬の骨ともしれぬヤツに、突然恋人が奪い取られる恐怖。その喪失感、寂寥感に、父親のこころは崩壊寸前となる。父親にとって「婿」は、恋敵だ。娘との別離は、父親にとっては裏切り・背信行為となる。
「本当はあんなヤツの所になど行きたくなかったに違いない。娘をたぶらかした悪いヤツ」。「婿」への批判はやがて殺意となるだろう。
しかも相手の男は自分よりも若く未熟だ。自分よりも年若い者は、仕事においても人としてもまだまだ未熟者にしか見えない。そんなヤツに大事な娘を渡すわけにはいかない。このままでは娘が不幸になると父親が考えるのも当然だろう。
以上から、「舅にほめらるる婿」は存在しえないということになる。「婿」にとっても「舅」は、永遠の「目の上のたんこぶ」だ。両者の友好は不可能だ。舅にとって婿は、愛する娘を奪った憎い男であり、憎悪の対象でしかない。
2「姑に思はるる嫁の君」
母と息子は「父と娘」よりもさらに強烈な愛人関係にある。大事な息子を、どうたぶらかしたのか、奪い去る嫁。
確かに自分は年老いた。男は若い女が好きだ。あの女の若さと美貌には勝てない。その悔しさ、やるせなさに、母のこころには嫉妬の炎が燃え盛る。
そんな「嫁」を「かわいが」ろうとする母親などいない。それどころか、母のこころには、敵意よりも殺意が湧くだろう。
1と2はともに、同性の義理の親子関係の難しさを表したものだ。実の父娘、母息子はとても微妙な心理状態にあることに加え、年長者にとって同性の年少者は、どうしても未熟・未完成な存在として捉えられる。従って、肯定的な評価をすること・されることは「有り難い」だろう。
世の娘を持つ父親と息子を持つ母親は、子の結婚の場面でどのように自分を納得させるのだろう? 恋愛沙汰は、戒めれば強く反抗される。あきらめの境地か?
(つづく)