残心
誤解を恐れずに言うと、ずっと共にいるような気持ちで過ごしてるんだ。きもいの一言で片付けてくれていいんだけど、心からの思いやりを持って対峙してもらった時って、その心って残り続けるんだね。姿形は見えない、どころかそもそも知らんけど、本当に考え得る全ての想定を凌駕してなお余りあるほどよくしてもらって、その感触だけが、居座ってるんだ。
私は当然私がスタンダードでノーマルでクラッシックだと思ってたから、みんなと話が噛み合わなかったり、置いてけぼりをくらうたんびに、なぜ?! と愕然とさせられてばかりだった。
どうやらみんなはこんな風に考えはしないようだ、とようやく気づいた頃には、周囲からはみ出ぬようにおとなしくしておくこともすっかり板についた後で、意識せずともできるようになっていた諦めるということがデフォとなってた。
だから話す時は小声で。本当に言っても大丈夫なことだけ。
匿名なのをいいことに、創作の鎧をまとってちょっとだけ言いたいことを言ってみたら、奇跡みたいなとんでもないひきあわせがあった。
だから田舎に集った親戚のおばあちゃんみたいで申し訳なかったんだけど、自由に自分の思いを言っていいってことが、本当に貴重で幸せだった。
存在を認識していないものはその内容はもとより、あるってことすら気づけないものだから、そういうものがある、という包括的な知識があるひとにしか掴んでもらえない。自分の所持するものとどれだけ異なっていようといまいと、それとは関係なく、この世にそういう種類のひとがいる、ということを認知してもらえたみたいで、嬉しかった。共感とか同意とかいう次元を超えて、ただ存在を尊重してもらえた気がした。
もちろんそれは私が特別だからというわけではなく、誰に対してもそうなのだ。そしてそういうひとの存在を知れた私もつまりはあるってことを認識できた、ということになるから、今までの私の見方では認識できなかった雲の上にも世界があることを知れたこと、そのことも私を嬉しくさせた。
いつも大きくてあたたかい、触れるたびにそのばかでかさにがーん、となる、この世の中を、ひとの営みを、びっくりするほど大切にしていて、その中にひとりのひととして私も組み込まれてる。大切にしている世界に含まれるのだから、私も大切にされてる、と感じることができる。
私の中に心が残り続けてる。
そうすると、私はもう寂しくないんだ。




