ラハの森④
side 皇 遥
「黒月くん、これって、やっぱり......」
「ああ。どうやら俺たちは、低確率を引き当てたようだ」
黒月くんの言葉は、私の予想を裏付けるものだった。
死の森。
歩きながら黒月くんが教えてくれたラハの森の裏の名前。
夜の森はいつだって怖いけど、それでもさっきまではわくわくやドキドキもあって、楽しいって気持ちが強かった。
だけど、今は違う。
重くのしかかる重圧と肌を這う悪寒。
ここにいちゃダメだ。すぐに逃げろって、本能が警鐘を鳴らしている。
正直見くびっていた。
黒月くんから死の森の話を聞いた時、大げさに言って私を驚かそうとしてるんだと思った。
ラハの森は初心者しか来ないって聞いてたし、死の森って言っても、初心者がやられた時に今度会った時は負けないぞ。なんて意欲が持てるくらいの感じだと思っていた。
でも全然違った。
そんな優しいものじゃなかった。
ラハの森が死の森に変わった瞬間、私は死ぬんだと直感でわかった。
もしも黒月くんが来てくれなかったら。
そう考えるだけで、黒月くんには感謝しかない。
こんな恐怖、一人じゃ耐えられなかったから。
道連れみたいで申し訳ないけど、黒月くんが一緒にいてくれて本当によかった。
と、そこでふと思う。
黒月くんって、ここが死の森だってわかって来てるんだよね?
私と違って黒月くんは、この森が危険だってことを知ってるのに、それでも来ている。
なら、こうなった時の対処法も考えてるはず。
隣にいる黒月くんの様子を見る。
何かのスキルを使ったのか、青白く光る瞳で周囲を見回している。
何か考えがあるのかな?
そんな希望を胸に、話しかける。
「これからどうする? 私達逃げれるかな?」
「......いや、無理だな。囲まれてる。まぁ、俺だけなら逃げられるが」
「そ、そうなんだ」
顎に手を当てながら黒月くんは答える。
こっちを一切見ることなく。
そのことが、より一層不安を加速させる。
逃げられない。
囲まれてる。
黒月くんだけなら逃げられる。
頭の中で同じ言葉が何回も繰り返されて、どんどん不安でいっぱいになっていく。
私、置いてかれちゃうのかな。
リアルと遜色のない世界で、モンスターに襲われて死ぬって、どういう感じなのかな。
考えただけで震えが止まらない。
「そんな顔するな。一人になんてしないから」
気遣うような優しい声。
顔を上げると、少し眉を下げて優しく笑う黒月くんと目が合った。
「黒月くん......うん」
恐怖心が薄れていく。
次第に震えが止まり、同時に温かい気持ちになる。
不思議な感じ。
こんな状況なのに、心がすごく落ち着く。
私は、それ以上の温かさを求めるように、黒月くんの上着の裾を摘む。
「お、おい......まぁ、いいか」
「うん。ありがと」
黒月くんのおかげで余裕を取り戻した私は、改めて周囲を確認する。
相変わらず重苦しい空気が漂う真っ暗な森は、不気味な程に静まりかえっていて、いつ何が出てきてもおかしくない雰囲気を放っている。
「────」
「────」
遠くの方から微かだけど、音が聞こえてきた。
音は私達を囲うように全ての方向から聞こえてきて、同時にカサカサ、ガサガサと草の中を進む音も聞こえる。
「皇、俺の近くから離れるなよ」
「う、うん。わかった!」
遠くから聞こえてきた不明瞭な音。
それは次第に明確な音に変わり、その音の正体を認識する。
「ドォォコォォダァァァ」
「ィィィ二ィィオイィィィ」
「オォイシソォォォ」
「コココッッチィィィ」
人には出せない音が混ざった、男性の苦しそうなうなり声。
間違いなく私達を探しているその声達が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
そして、その声が鮮明に聞こえる距離。
木々の隙間、暗闇の中からスーッと人の顔が現れた。
「え......?」
ソレが人じゃないことはすぐにわかった。
並んだ木々の幹よりも明らかに大きい顔。
それでいて、顔のある位置は座っているかのように低い。
その異様な姿に、自然と力が入る。
ソレはゆったりした足取りで、私達の前に全容を現した。
「っ!」
その姿を表すなら、人間の顔とサソリの尻尾を持つライオンだ。
大きさは7人乗りの車くらい。
醜悪に歪めた中年男性の顔に、焦点の合わない目。
肉食獣のような鋭い歯がぎっしりと並び、口からは涎を垂らしている。
名前????
ランク???
ランク不明。
討伐が極めて困難なモンスター。
そんな異形の怪物が20体近く、私達を逃がさないように取り囲んでいる。
その状況に、絶望を感じるまで時間はかからなかった。
「マンティコア。 ランクB+のモンスターだ」
「嘘......ランクB+って......」
ランクB+。
1対1で上級プレイヤーが苦戦する強さのモンスター。
そんなのが20体以上。
頭から血の気が引いていくのを感じる。
半ば放心状態になった私は、向けられる熱い視線に気づき、一体のマンティコアと目が合った。
「ミィィィチュケェタァァァ!」
歓喜の叫び。
マンティコアは嬉しそうに、爛々と輝かせた目を細め、ニタァァと笑う。
「ひぃっ!」
「うぉっ!」
その姿に恐怖を抑えきれなくなり、黒月くんを引き寄せる。
「カァァワァィイィィィイ!」
「オンナァァァ!」
「ォンナダァァ!」
「タベタァァァァイ!」
「カァイイヨォォォ!」
私の悲鳴を皮切りに始まった大合唱。
恐怖と絶望が支配するこの空間で、私の精神は早々に限界を迎える。
「ひぃぃぃ!! やだよぉぉ! 黒月くん! 助けてぇ! 私、犯されちゃうよぉぉ!!」
「いや! されねぇからっ! つーかそれは色々アウトだろ!」
もうなりふり構ってられなくて。
自分がなに言ってるかもわからなくなって。
黒月くんの胸に顔を埋め、ただひたすら懇願する。
「......まぁ、皇がビビるのも無理ないか。この状況は異常だ。俺一人の時はこんなことなかったんだが。となると、やはり皇が美少女だからか? それが原因だとしたら、NPCと同じようにモンスターにも感情が......」
黒月くん。
こんな状況なのに、顎に手を当てて冷静に考え事なんかしてる。
途中美少女ってフレーズが聞こえた気がしたけど、こんな状況で反応できるわけなく、聞き間違いだと思うことにする。
「......さて、正直俺から見てもアイツらの存在はかなり不快だ。だから皇、悪いんだが少し離れてくれるか?」
「え......」
なんで?
頭に不安がよぎる。
そんな私の両肩に優しく手を置いた黒月くんは、ゆっくり私を引き離すと、透明な石のついた指輪を私の手のひらに置き、しっかりと握らせる。
「これは【結界石の指輪】といって、念じれば自分の回りに結界を張ることができるんだ。その中にいれば安全だから使ってみてくれ」
「う、うん」
言われたまま念じてみると、私の回りに半円状の半透明の黄色い壁が現れる。
「すごい......」
驚きの声が漏れる。
黒月くんは一度頷くと私に背を向け、アイテムストレージから二本の同じ形をした大振りのナイフ取り出し、逆手に持つ。
そのナイフはモンスターの体から切り出されたような形をしていて、どこから垂れてくるのか猛毒と一目でわかる濃い紫色の液体が刃先を伝い、切っ先から地面にポタリポタリと滴り落ちている。
「皇、これから見ることは誰にも言わないでくれ」
「え?」
返事を待つことなく、黒月くんの纏う空気が変わる。
肌がピリピリと痛みだす。
同時に息が苦しくなる。
怖い。
背中を向けてるのに。
私を見ていないのに。
でもその怖さが、今はすごく頼もしい。
そして黒月くんは、その言葉を唱える。
「『獣装......ナイトメアキャット』」
体から濃密な淡い紅紫色の魔力が溢れ、空間を染め上げていく。
髪は背中まで伸び、魔力と同じ紅紫色に変わる。
頭には同色の猫耳が、尾骨辺りからは二本の尻尾が現れ、瞳はアメジストのように光り輝く。
暗い森の中、淡い紅紫の光を纏う黒月くんはとても幻想的で、私は息をするのも忘れその姿に魅入ってしまう。
「『ドッペルゲンガー』」
右手を真横に広げると、地面から溢れ出すように黒いスライムのような物体が盛り上がってくる。
それが徐々に人型を形成していき、全く同じ姿、全く同じ武器を持った黒月くんの姿に変わる。
「......すぐ終わらせてくる」
振り返ったアメジストの瞳がこちらを一瞥した後、二人の黒月くんの姿が一瞬で消える。
「え? 黒月く......」
「ギャァァァァァァ!」
状況を理解する間もなく響き渡る絶叫。
声がした方に目を向けると、体中を切り刻まれ絶命したマンティコアが倒れている。
時間にして2秒弱。
その後も次々と切り刻まれ絶叫を上げながら倒れていくマンティコア。
その先を目で追うと、紅紫色の魔力残光を引き連れ超高速で移動する二本の線が見えた。
その光景はまさに死神そのもので、マンティコアの体をなぞるように、時に交差しながら、通過した箇所に致命傷を与え確実に仕留めていく。
上級プレイヤーでも苦戦するといわれているランクB+モンスター。
それが20体近くいるにもかかわらず、何も出来ずにただ一方的に倒されていく。
強敵をものともしない圧倒的な強さとスキル。
目の前で繰り広げられているその光景に、自分の目指すべき姿を見つけた気がした。
私も黒月くんみたいになれるかな。
最後のマンティコアが倒れ魔石に変わるのと同時に、再び姿を現した二人の黒月くん。
その内の一人が真っ黒になり、バシャンと弾け地面に吸い込まれていった。
「終わったぞ」
獣装を解いて元の黒髪黒目に戻った黒月くんは、私のところに来ると、事もなげにそう告げるものだからつい笑ってしまった。
「ふふっ」
「何かおかしいか?」
「だって、さっきまであんなに怖かったのに、あっさりいつも通りの黒月くんに戻っちゃうんだもん」
きょとんとしている黒月くんの表情と、この場を切り抜けられた安堵で笑いが止まらなくなる。
「......?まあ、何はともあれ皇が無事でよかった」
「ふふ、うん、本当にありがとう」
ラハの森は普段の様相を取り戻し、心地よい風が吹き抜けていく。
私のマギア生活は初日から衝撃の連続で忘れられないものになった。
恐い思いもたくさんしたけど、終わり良ければというやつだ。
「っ! 皇っ! 魔石集めるの手伝ってくれ! 早くログアウトしないと明日の学校遅刻しちまう!」
「えっ!? ホントだ! 早く集めちゃおう!」
明日以降も続いていくマギア生活。
私の冒険は始まったばかりだ。
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