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Just Kidding~常識的に考えて~  作者: 茂里ハヱル
4/4

十三日の金曜日は仏滅編 その4

うろ覚えの記憶をどうにか手繰りながら俺がたどり着いたのは、つい一週間ほど前に訪問した家だった。

そのはずだったのだが。


「これは……」


あんなに特徴的だったはずの黒い外壁はもう見えない。

まるで周囲からミドリちゃんの家を切り離すかのように、ぐるりと建物を得体の知れないモヤが巻いているからだ。


「へぇ、家に忍び込もうとしたら目目連が弾かれたっていうのはこれか~!」


俺の隣で、興味深そうな声があがり、俺はジト目でそちらを見た。


「なんでお前までついてきたんだよ……」


だって、予定が狂って暇になったんだもん~、と口を尖らす女吸血鬼ミラーカ。

お前の予定は狂ったかもしれないが、ヨーコちゃんの予定が狂っていなければ今夜この家にお泊りをしているはずだ。

二人がかち合ってしまったらと考えると、怖いような面白いような、なんとも言えない気持ちになる俺だった。


「そもそも、マレは何でこの家に?家の場所も、ターゲットの子のことも元々知っていたみたいだしさ~?隠し事は良くないよ~?」


そう言うとミラーカは、うりうりと肘で、路上に立つ俺の脇を突いてくる。

物理的ではなく心理的に痛いところを突かれて、俺は一瞬怯んだ。

ミドリちゃんと知り合った経緯を話すには、ヨーコちゃんと知り合った経緯を話す流れになってしまうし、そうなると先日のあの失態を明らかにせざるを得ない。

悩んだ末に俺が絞り出した誤魔化し回答はこれだ。


「俺が昼間、人間に混じって生活してるの、知ってるだろ。そんで、その時のちょっとした知り合いっていうか、店のお客さんっていうか……」


口にしているうちに段々と声が小さくなり、最後の方はごにょごにょと濁す形になってしまった。

俺、嘘つくのは苦手なんだよなぁ。

なるほど?と語尾を上げつつ、それに相槌をうったミラーカであったが、彼女がどのくらい納得したかはわからない。

結構、勘が良い奴なので困る。

それからその話をそこで終えると、ミラーカは怖れもなくモヤに近づき、人差し指でそのモヤをつついた。

白ではなく、うっすらとピンクに色づいたそれは、その柔らかそうな見た目に反して、彼女の指を弾く。

面白~い、と楽しそうにモヤをぷにぷにと何度もつつく彼女。


「意外としっかりした造りをしてるね~。触れるけど、ほら、指を突きさすことはできない。目目連が家の中へ入れなかったわけだ~」


そして俺たちの前を遮るそのモヤの匂いをくんくんと嗅ぎ、ミラーカは気づいたらしい。

無論、俺もすでに気がついている。


「たぶんこのモヤ、君なら問題ないだろ?」


「まぁな」


俺はモヤに向かって右腕を伸ばした。

ミラーカの指を弾いていたはずのソレは、俺の手が触れた瞬間、気持ちよいくらいズボッと飲み込んだ。

手のひら、肘、肩までのめり込んだ時には、もう俺の身体全身がモヤの中へと入っていた。

それから、ゆっくりと鼻から息を吐き、次に口から周囲の空気を力強く吸い上げる。

時間にすれば十秒もかからなかっただろう。

あっという間に、辺り一帯にあったモヤが消え去れば、ミラーカが愉快そうに手を叩いた。


「さっすが!」


俺は親指で自身の唇の端に付いていたモヤの残りを拭った。

目目連のターゲットの家なので、あまりやりすぎると組合からお咎めを喰らいそうだが、得体の知れない出来事が起きている現状、これくらいは許されるだろう……と思う。

でも、このモヤは―――と、今しがた自身が吸い込んだものを反芻していれば、視界の端に何かキラキラと光るものが映った。

同じくそれに気づいたらしいミラーカの唇が小さく動いた。

蝶々?と。

いや、この時間帯で空を飛んでいるなら蛾の仲間だろうか。

その宙をひらひらと、光を放ちながら舞うものへと視線を動かした俺たちは、次の瞬間、ギョッと目を見開くことになる。


「うわっ、こんなに!?なんで~?」


ミラーカが驚きのあまりそんな声をあげたのも仕方のないことだろう。

モヤの中に潜んでいたのか、光る蝶たちが何十羽も舞っていたのだから。

時折吹き付ける夜風に負けることなく、ひらひらと舞う蝶たちが、そのまま緩やかに上昇し、行きついた先には。


「ああ、せっかく心地よい巣が出来ていたのに、また一から作り直しだよ。酷いことをするねぇ」


モヤが晴れ、俺たちの目の前に現れた黒壁の二階建ての建物、ミドリちゃんの住まいである湯免邸だ。

その家の屋根の上にゆったりと腰かける人影が一つ。

そんなことをブツブツとこぼしながら飛んできた蝶を自身の指の上で休ませている。

銀髪の長い髪を背中で一つに結い、古めかしいどこぞの民族衣装のような青緑色の目立つ服を身に纏ったキツネ目の細身の男。

年の頃は、人間にして十代後半から二十代前半くらいの青年に見えた。

いや、青年と表現して良いのかはまだわからない。

目にした印象はそんなものであったが、妖怪である目目連が弾かれるようなモヤの中で、しかも民家の屋根に悠々と腰かけているような『人間』がいるだろうか。

十中八九、コイツも人ならざる者だろう。


「誰だ?」


「お仲間にしては、ここいらで見ない顔だよね~?」


眉を潜める俺の隣で、のんびりした口調のミラーカも、その実、警戒を強めているようだ。

ピリッと張り詰めた空気が俺たちの間に漂う。

青年は頭や肩、腕と身体の至るところで蝶たちを休ませたまま、屋根の上から俺たちを見下ろすと、こちらに話しかけてきた。


「こんばんは。今宵は良い夜だと思いません?空気も穏やかで風も騒がしくない。気温も高すぎず、湿度もちょうど良い。上質な睡眠をとるのにうってつけの日だ」


とそこで言葉を区切ると、彼は肩を落とした。


「だけど、そんな時に限って、邪魔が入るんだ。なんて可哀想なボクなんだろう」


本気で悲しんでいるというよりも、どこか演技かかった道化を感じるその仕草。

無数の光る蝶に取り巻かれるその青年へ、俺は言葉を返した。


「別に俺たちは邪魔をしにきたわけでは」


じゃあ何をしにきたんだと問われれば、上手い返事が思いつかないけれど、俺は咄嗟にそう返した。

しかし、隣のミラーカは俺よりも好戦的だった。

そうなんだよな、吸血鬼たちは俺の種族と違って、尖った爪や牙を持ち殺傷能力も高く、好戦的な奴が多いのだ。

ミラーカは、いつも一歩引いたところで傍観しながらケラケラ笑っているタイプなので、すっかりそのことを失念していたが、やはり血は争えないのか。

軽く口を尖らしながら、鋭い眼差しで男を見上げるミラーカ。


「うちの目目連の獲物を横取りしたのは、そっちだろ~?モヤを張って、家に入れないようにしちゃってさ」


その言葉がどうやら男の癪に障ったようだ。

すくっと彼がその場に立ち上がると、青年に止まっていた蝶たちが一斉に羽ばたく。

青年は、先ほどまでのへらへらした様子とは打って変わり、少し語気を荒げながら俺たちを睨む。


「何を言ってるんだ。あんな目の化け物よりも先に、ボクがミドリに目をつけていたんだよ?なんたって、ボクはミドリから生まれたんだから!」


「ミドリちゃんから、生まれた?」


彼の言葉に俺は目を丸くする。

ミラーカと言えば、顎に手を当てて首を傾げ、それから俺の袖を引っ張って囁いた。


「目目連の今回のターゲットだった子のことだよね?その、ミドリっていう子、女子高生じゃないの~?人間、なんだよね?」


「そう、だと思うけど……」


どう見ても人間ではなさそうな目の前の青年が、ミドリちゃんから生まれた?

困惑する俺たちの前で、青年は片手を大きく空に向かってあげた。

彼がその手をふいっと左右に動かせば、それに合わせて光る蝶たちも動き、屋根の上から下降していた数十羽の蝶がひらひらと俺たち二人を取り囲むように舞った。

そして―――

すうっと辺りが白くなったかと思うと、今まで目にしていたはずの夜の住宅街の光景が忽然と消え失せたのだった。











ソレの始まりがいつだったのか、明確には覚えていない。

最初は気のせいだろう、と思っていた。

いや、そう自分に言い聞かせていた。

何もしていないのに、背後でくすくすというクラスメイトたちの笑い声。

学校の休み時間、窓際にある自分の席に腰かけ、外を見ながら、ぼうっと考え事をしていただけだった。

わたしが少し身動きすれば、ますます笑い声が大きくなり、身をよじって、そちらを向けば、先ほどまでの騒がしさが嘘のように静まりかえるのだ。

そうしてわたしが身体を戻して前を向けば、たまらず吹き出すような音。

何人もがケラケラと腹を抱えて、後ろで笑っている。


『今の見た?』


『Мの奴、間抜け面だったね』


Мというのが、わたしの名前を指していることに気づくのはそう遅くなかった。

わたし、何かした?

ひそひそと陰で笑われるようなこと、何かしたのだろうか?

一度、勇気を出して訊ねてみたことがある。

必死に笑顔を取り繕って、こちらを見て、ニヤニヤと笑うクラスメイトたちに声をかけた。


『なに?どうかした?』


すると、彼女たちはしらばっくれて、なんでもない、と返したのだ。

意地悪な笑みを浮かべたまま、飄々と嘘を吐くクラスメイトたち。

そっか、と答えたわたしの声は震えてはいやしなかっただろうか。

彼女たちの前で涙をこぼすことだけはどうにか耐えた。

だって、そんなことをしたら一層、陰で笑いものにされるのが目に見えていたから。

返却されたテスト用紙、机の引き出しに入れていたはずなのに、なくなっていたのなんで?

鉛筆か何かで何回も突き刺さされ、穴だらけのぐしゃぐしゃになったわたしのテスト用紙、教室の後ろのロッカーの上にゴミのように放り投げられていたの、なんで?

廊下ですれ違い様、授業で先生に当てられて発言した時、体育の時間に一生懸命競技に取り組んだ時、ず~っとこれ見よがしに、ひそひそひそひそ。

お手洗いで個室に入った瞬間、外から個室の壁をバンバンと強く乱暴に叩かれ、蹴られた時の恐怖は言い表せない。

直接の暴力はなかったから『違うんだ』、『これは気のせいだから』、『偶々なんだ』って自分に言い聞かせ続けた。

わたしは、クラスメイトの女子にいじめられている―――そんなこと、自分で認めるのは怖かったし、嫌だった。

誰にも言えなかったけど、でも彼女たちの行動に加担しなくともクラスメイトの男子たちは気づいていただろうし、一部の女子生徒も触らぬ神に祟りなしのスタンスで遠巻きにするだけだった。

とても、惨めだった。

授業中はまだ良かったけれど、一人で過ごす休み時間、一人で食べるお昼のお弁当。

離れた席からこちらの方をチラチラと見ながら嘲わらうような複数の声が、聞こえないふりをしたくても耳に飛び込んでくる。

とても、しんどかった。

教室にいると辛いから、授業以外の時間はできるだけ、中庭のベンチや、校舎の裏で時間をつぶす様になった頃だった。

午後の授業開始前に教室に戻って、自分の席に着いた瞬間、違和感。

慌てて席から立ち上がれば、びっしょりとスカートだけでなく下着まで濡れてしまっている。



ナンデ、ワタシノ椅子ガ水デ濡レテイルノ?



『あー、湯免さん、ごめーん。さっき、花瓶の花を換えようとしたとき、その辺に水をこぼしちゃったんだー』


『大丈夫~?スカート、おもらししたみたいになってるよ~?』


全く謝罪の気持ちがこもっていない、むしろ冷やかすような口調で例の女子たちから声がかかれば、一気に身体が熱くなり、頬が紅潮するかわりに頭の中はもう真っ白だった。

くすくす、けらけら。

どこをどうやって帰ったかは、覚えていない。

通学カバンも何もかも持たぬまま、自宅までたどり着いたわたしは、玄関前で一人蹲っていた。

両親共働きの我が家、自宅の鍵は通学カバンの中。

安全な自分だけの城へと早く逃げ込みたいのに、そうはいかなかった。

いつまでもそうしていたら、近所の人に見られてしまうかもしれない。

両親が帰宅した時に、玄関前で立ち尽くしていたら『どうしたの?鍵を持っていなかったの?』って心配かけてしまうかもしれない。

ふらふらと覚束ない足取りでわたしが向かったのは、近所の空き地だった。

手入れをされていないそこは、草がいたるところ伸び放題で、廃材も放置されている。

隅に数本生えた木の下で、わたしは縮こまって身を隠した。

わたしのどろどろに濁り切った気持ちとは裏腹に、ぽかぽかとした気持ちよい春の陽気。




Мの奴、最高のリアクションだったよね!


まさか、教室出ていくとは思わなかったわ


ねぇ、あれ泣いてたんじゃない?


ウケる、スカートが濡れたくらいで?


見てよ、カバン置きっぱなしじゃん


きゃははは!どんだけ慌ててたの?




わたしがいなくなった教室で、きっと、そんなことをケタケタと笑いながら話しているに違いなかった。

ぽろぽろと次から次へと目からこぼれ落ちる涙。

見上げた空は嘘みたいに綺麗な青空で、色鮮やかな蝶たちが気持ちよさそうに宙を舞っていた。


『蝶になりたい。学校に行かなくてもいい蝶に。ううん、蝶でなくてもいい、学校に行かなくていいなら。あの子たちに会わなくていいなら。笑われなくていいなら……』


ひらひらと蝶たちが飛び交う下で、わたしは一人嗚咽を洩らしながら、日が暮れるのを舞った。

 





はぁ、と隣で空気の抜けたような音がした。

いや、それは呆れ声だった。

見れば、ミラーカが俺の隣に立ち、同じように目の前の光景を眺めていた。

場面が何度も切り替わり、まるで俺たちは傍観者で、映画かドラマのワンシーンでも見せられているようだった。

映し出される光景の中で、ミドリちゃんは幾度も涙をこらえ、時に一人隠れて嗚咽を洩らしていた。


「いつの時代もそうだよね~、人間は。妬みに、嫉み。寄って集って、陰湿なイジメってやつ」


そういえば、ミラーカは俺とは違い、元々は人間だったと聞いている。

吸血鬼になった経緯は不明だが、人間社会に混じって生活をしている俺以上に、人間だった時分、実際に色々と経験してきたものがあるのだろう。

まぁ、元が人間でない俺から見ても、夜の住宅街にかわって映し出されたこの光景は、あまり気持ちが良いものでなかったことは確かだ。


「ねぇ、マレ?あの蝶々……」


「ああ……」


草木に隠れて空き地で涙するミドリちゃんの肩で羽を休ませた一羽の蝶へ視線が止まり、ミラーカがこちらを見る。

周辺で宙を舞い遊ぶ蝶の中でも一羽だけ、その一羽だけは、あまり見かけたことのない鮮やかな青緑色の配色の翅を持ち、どこか異質な光を纏っていた。











パチンと大きな音が鳴ったかと思うと、俺たちが目にしていた光景は消え失せ、代わりに元の住宅街が現れた。

見回せば、俺とミラーカは、湯免邸の庭に二人で立っていた。


「彼女自身が願ったんだ。蝶になりたいって」


今のは全てミドリの夢なんだ、と屋根の上からぴょんと軽い身のこなしで青緑色の服をはためかせて庭へ飛び降りると青年は言う。

彼が砂利を踏み抜けば、庭が悲鳴を上げた。

俺とミラーカの前に立った青年は、にやりとそのキツネ目で、煽るような笑みを浮かべた。


「もっと良い夢を見ればよいのに、よほど心に残った記憶なんだろうね。繰り返し、繰り返し、何度もこの記憶を夢に見るんだ、ミドリは」


ふわりと蝶が舞い、その度に辺りに映し出される場面が変わる。

青年が指を鳴らせば、場面が消え、次の蝶が宙を舞えばまた新たな場面が映し出される。

先ほど聞こえた音も彼の指鳴らしだったようだ。

なるほど、この光る蝶たちはミドリちゃんの夢で、彼が指をぱちんと鳴らすことによって、それをコントロールしているわけか。


「あれから教室に行けなくなって、保健室通いになって、ベッドに横たわる時間が多くなって。たくさん夢を見てくれたから、おかげでボクも随分と早く成長することができたよ」


指にとまる蝶に羽を休ませながら嬉しそうに青年は言う。

先日出会ったミドリちゃんが具合悪くしていた理由は、今しがた見せられた光景でなんとなく納得がいった。

人外の俺たちにとっては、人間社会のようないじめなんてものは存在せず、相手が気に食わなければ、いじめる云々通り越して殺るか、殺られるかの世界なので完全には理解しがたいところはあるが。

俺はもう一つ気になっていたことを、目の前の青年に訊ねた。


「予知夢もお前の仕業なのか?」


そう、ヨーコちゃんいわく『夢のお告げ』。

俺とヨーコちゃんの遭遇だけでなく、その他にも何度か予知夢らしきものを見ているという話だったが―――

俺の質問に対し、青年は口元を手で隠し、くすくすと笑いながら答えた。


「予知夢?違う違う、未来を予知しているんじゃない、ミドリが見た夢が現実になるんだよ」


見た夢が現実に?


『近頃は夢と現実の境目がわからなくなってきているようなことを言い出して』


ヨーコちゃんの言葉を再び思い出す俺。

そこで青年の正体にようやく思い当たった。

俺が口に出すよりも、ミラーカの方が早かった。


「もしかして、『胡蝶の夢』?」


胡蝶の夢とは、俺たちと同じく人ならざるもの、怪異の一種だ。

俺自身、話に聞いたことはあったものの、こうして出会うのは初めてだ。

人に憑りつき、夢を見せる怪異で、憑りつかれた人間は段々と夢と現実を混同し始め、やがてその姿は蝶へと成り果てるといわれている。


「ピンポーン!大正解」


ミラーカの言葉に、嬉しそうに頷く青年。

見た目のわりに、ところどころ子どもっぽいのは、彼がまだ生まれたてだからだろうか。


「ただの蝶として一生を終えるかなと思いきや、ミドリを宿主にすることで『胡蝶の夢』へと生まれ変わることができた。彼女のおかげだね!」


『胡蝶の夢』に憑りつかれた人間の行く末は、蝶の姿。

目の前の青年は、蝶から『胡蝶の夢』へと成ったということだったが―――

俺は頭の中を整理する。


「もしかしてお前も、以前は人間だったのか?『胡蝶の夢』に憑りつかれた……」


さぁ、昔の記憶は残っていないんだ、と俺の質問に青年は笑った。


「気がついたら、ボクは蝶の姿で風に乗ってふわふわと空を飛んでいたんだ。元が人間だったとしても、ボクはさして重要だとは思わない。その時の記憶もないことだし」


それに、と彼はおどけてみせた。


「人間だった時の記憶が残らないで蝶になった方が、ミドリだって幸せだろ?」


そう、このままだとミドリちゃんの行く末は、彼女が望んだこととはいえ、一羽の蝶だ。

ただ、いじめのせいだけでなく夢を見ることさえも怖がり、眠るのを拒否している現状、蝶になる前に命を落としてしまう可能性もあるけれど。


「目目連が弾かれた理由もわかったしな~。どうする、マレ?これ以上、アタシたちがするべきことは特に無いし、コイツに軽く注意だけして帰ろうか~」


肩をすくめてミラーカがそんなことを言う。

俺たちに人間を助ける義理があるかといえば、そこまでのものはない。

確かに俺はミドリちゃんと面識はあるものの、一度会っただけの人間だ、日中のヨーコちゃんの話、目目連の話があったから気になって現場へ足を運んでみただけである。

彼女にわざわざ義理立てして助けるほどの繋がりではない。

ただ、いかんせん人間たちは少子高齢化の一途を辿っている。

人ならざるものたちが下手に搾取しすぎて、人間の数を極端に減らすことは、俺たちも死活問題なので避けたいところである。

怪異たちから成る組合が立ち上げられ、ターゲットとなる人間の割り当て、そして安易に人間の命を奪うことを禁じられているのはそういう理由からだ。

ミラーカだって、人間の血を吸うものの、ターゲットの絶命させないように毎回、加減して吸血している。

組合員たちは人間がいるからこそ、生き長らえることができているという現状がある。

人間たちが死に絶えるのも、これ以上に人口が減るのも非常に困る。

目の前の胡蝶の青年は最近生まれたばかりで、組合にも未加入、この業界のことをわかっていないようだから、ミラーカの言う通り、一言注意だけはしておかねばなるまい。

今夜の自分のターゲットもそろそろ帰宅しているかもしれないし、さっさと撤退するかと俺が青年の方を向いたその時だった。

カララッと小さな音が聞こえた。

湯免邸の庭に立つのは、俺とミラーカ、そして青年の三人だった。

青年はすぐには気づかなかっただろう、彼は屋根から降りてから、建物に対し背を向けるように立っていたから。

俺とミラーカといえば、建物に向かう形で立っていたから、視界に入るのが早かったのだ。

小さな音を立てて開いたのが、庭と建物を出入りするための窓で。

スライドした窓より、ふわふわと柔らかな風が部屋に吹き込み、水色のカーテンが靡けば、暗がりでもよくわかった。

のそりと、カーテンを押しのけ、開いた窓から庭へと出てこようとしている一つの影の存在が。

ミラーカは初めて、俺は二度目となるその影に目を丸くした。

いや、俺に至っては両目を剥きそうになっていた。

だってまさかの、ピンク色のヒツジだぞ!?

このタイミングでのトラウマの出現に、俺は一気に全身の血の気が引く。

何あれ?と、これは何も知らないミラーカだ。

俺たちの視線が自分の背後に釘付けになっていることに、そこで気づいた胡蝶の主。


「なぁ、あれ……」


俺が恐る恐る、ヒツジの方を指させば、青年は背後を振り返った。

窓から身体を出すヒツジの姿に一瞬、青年も目を見開いた様子であったが、すぐに表情を戻す。

自慢げな笑みを浮かべ、胸を張って俺たちに説明してくれた。


「そうさ、これもミドリの夢さ。彼女が望むままに見た夢が、実体を成し、段々と現実を浸食していくんだ」


ミドリちゃんの夢にまで、あのヒツジが……?

俺は戦々恐々とした。

ミドリちゃんの見る夢が現実になるのだったら、だ。

今のところはリアリティのある夢が多いようだが、これで彼女が突拍子もない夢を見始めた時、現実世界は大変な騒ぎになるのではないか?

俺のそんな思考を読んだかのように、青年は言葉を続けた。


「夢と現実が混同しやすいよう、現実では実現不可能なほどのぶっ飛んだ夢には制限がかかるんだ。まぁ、宿主のミドリの元々の生真面目な性格もあるから、そこまで突拍子もない夢を見る心配はないんだけどね。しかし、これはまた今夜は珍しいタイプの夢を見たなぁ?」


そして、のそのそとヒツジが、今回もバットを片手にしっかりと握りながらこちらへ近づいてきたところで、青年が先ほどのようにパチンと指を鳴らした。

だが―――


「えっ、あれ?止まら、ない?」


胡蝶の主が指を鳴らせば、目の前の光景はすぐさま変化を見せるはずだった。

そう、それがミドリちゃんの夢によるものなら。

しかし、揺らぎもみせず近づいてくるヒツジの着ぐるみに、そこで初めて青年の顔色が変わる。

余裕の笑みが消え、慌てて何度も指を鳴らすが、相変わらずヒツジには変化は訪れなかった。

それどころか、段々とヒツジが距離を詰めてくるものだから、青年は俺たちの方へと後退った。

ヒツジは胡蝶の主の前までやってくると、手にしたバットを大きく自身の頭上へ振り上げた。

その動作に、嘘だろ!?と咄嗟に青年を守ろうと身体が動いてしまった俺だったが、幸いにもそのバットが俺たちに二人に打ち下ろされることはなかった。

代わりに放たれたのは、だ。


「こんな夜分に、砂利を歩き回った上、指をぱちぱち鳴らしたら、うるさくてご近所迷惑になるでしょう?やめてよね」


バットをびしりと俺たちに突き付けたヒツジから、そんな警告を受ける。

内容は真っ当だが、バットを手にしたヒツジの着ぐるみという不審者から言われたくない台詞である。


「えっ、ええ~?」


心底わけがわからないという様子の青年、そりゃそうだろう。

ヒツジの中から聞こえてきた声に聞き覚えが十二分にあった俺は、溜息を吐くと、着ぐるみの中の人へと話しかけた。


「ヨーコちゃん、今日は仮装パーティーだったの?お泊り会じゃなくて?」


「お泊り会だったわよ。だから、これをミドリちゃんちまで運ぶの、大変だったわ」


俺の質問に、素直に答える中の人。

やっぱり、中身は君なのか。

これが夢だったら本当に良かったのになぁと、心の中で自分の涙を拭う俺。


「……お泊り会に、着ぐるみとバットは必要かなぁ?」


青年を守るように背後に隠しながら、どうにか俺はそう声を振り絞った。


「ミドリちゃんがぐっすり眠れるように彼女を守るのが、今夜のわたしの役目だもの。それにこれ、意外と動きやすいし、楽しいわよ」


今度、アナタも着てみる?という彼女からのお誘いは丁重にお断りする。

俺の背後で未だ動揺を隠せない青年が弱気な声をあげた。


「ど、どういうこと?誰?」


もっともな疑問である。

俺が紹介する立場なのはどうかと思うが、仕方ないので仲介をする。

一歩横に身体を引いて、ヒツジと胡蝶の主である青年が向い合せになるように立つ俺。

そうして青年の方へ向かって、このクレイジーすぎるヒツジの着ぐるみの中の人を誰かを紹介してやった。


「彼女はヨーコちゃん。お前が宿主としているミドリちゃんの従姉妹だよ」


すると、青年が反応するよりも先にヨーコちゃんが俺の後に続いた。

ずいっと一歩前に踏み出し、その圧に再び後ずさりかけた青年に構わず、バット片手に自己紹介をする。


「改めまして、こんばんは。尾辻ヨーコです。あら、アナタ、面白い格好しているのね。もしかして吸血鬼かしら?」


俺はだいぶ聞き飽きたヨーコちゃんのその台詞へ即座にツッコみを入れる。


「いや、こんな格好した吸血鬼はいないだろ」


せめて着ぐるみの頭を取って挨拶した方がよくなかろうか。

ヒツジから丁寧に挨拶を受けた青年は、まだ状況を上手く理解できていないようで目を白黒させている。

そうして吸血鬼、吸血鬼とヨーコちゃんと共に連呼していた俺は、すっかり忘れていた。

今宵は『本当の吸血鬼』がこの場にいるということに。


「なに?吸血鬼がなんだって?」


不審なヒツジの様子探りで、一歩退いて傍観者面をしていたミラーカが、自分に関わる単語が出てきたものだから、ひょこっと二人の間に入ってきた。

内心しまったと思ったがもう遅かった。

ヒツジの動きがぴたりと止まったところを見るに、目の前に現れたミラーカへ、恐らく中の人ヨーコちゃんの視線はくぎ付けになっている。

俺は観念して、ヨーコちゃんへと伝えた。

吸血鬼はこっちだよ、と傍らのミラーカを親指で差しながら。

するとヒツジの皮をかぶったヨーコちゃんは、小首を傾げ、それから俺へ言い放った。


「こんな格好した吸血鬼はさすがにいないでしょう」


肩までかかる金髪の髪、端正な顔立ちに真っ赤な唇、白くとがった歯の存在……は置いといて、タイミング悪く吹き付けた風で、バサリと大きくめくれているコート。

良く日に焼けた健康そうな肌を余すことなく出したド派手な赤いビキニがのぞいている。

余談だが、最近筋トレにもハマっているそうで、布を纏わないその腹はしっかり割れている。

まぁ、常識に考えて、そういう感想にもなるわなぁ。

吸血鬼っていうか……ボディコンテストの選手?

俺はヨーコちゃんに返す言葉もなかった。



2023/09/24

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