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Just Kidding~常識的に考えて~  作者: 茂里ハヱル
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十三日の金曜日は仏滅編 その1



常識、またはコモンセンス。

それは世間一般的な知識。

皆が知っていて当たり前で、普通であること。

―――普通であること?

この世界の中で普通であることとは?

どうだろうか、自分はそれを、常識を飛び越えた存在であるのか。

知っている、自分がそれに最早収まりきらない存在であるということを。

俺は足に軽く力を込め、えいやっとばかりに反動をつけ木の枝から飛び立った。

それだけで真っ暗な空に大きく跳ね上がる身体。

その高さ、地上からおよそ十五メートル。

しかし俺にとっては造作もないことだった。

後にした大木は、枝をザワザワと揺らし、まだ青々とした木の葉を舞わせた。

姿、形は人間そのもの。

しかし、どうだ、見た目は人間でも、とてもじゃないが比べ物にならないほどの素晴らしい力を持っている。

大きく跳ね上がったあとは、今度は地面に向かって落ちるばかり。

だが、恐怖などはなかった。

降下しながら彼の眼下に広がるのは色とりどりに輝くネオン、夜の帳が落ちた街。

自分とは全く異なり、人工的な匂いを漂わすその街が、俺は結構好きだった。


「くくくく………」


思わず口から零れ出た笑いはとどまるところを知らなかった。


「ははっ、ははははっ」


どんなに大声を上げたところで、その声は誰の耳にも入ることはなかった。

だって一体、何人もの人間がこんな夜更けに今この瞬間に、この街の遥か上空で自分たちを見下ろし、高笑いを響かせる輩がいると予想しただろうか。






カラララッと、窓が小さな声を上げた。

事前に目星をつけていた二階建ての一軒家。

赤茶色の瓦にクリーム色の外壁、家の周りには猫の額ほどの大きさではあるがよく手入れされた花壇がある。

とはいえ、草木も眠るこの時間帯、花壇に綺麗に植えられた花たちも、ほのかな月明かりでかすかに色づいて見える程度だ。

玄関には味わい深い木の板にお洒落な『尾辻 OTSUJI』の焼き印が入った表札がかけられている。

家族構成は、調べたところによると四十代の夫婦に、十代の娘が一人だけ。

隣の家から伸びた柿の木の枝葉で少し隠れた、その一軒家の東側二階の一室が今回の目的地だった。

開いた窓から、赤と白のタータンチェック柄のカーテンをそっとかき分け、その隙間から室内の様子を目で探った。

室内は十畳ほどの広さだろうか、暗がりだが窓から覗くと左側に設置されたベッドが目に入った。

暗い中でも眩しさを保つベッドの上の白い布団は、少しこんもりと盛り上がっており、時々上下にその山は小さく動いている。

布団の端の方までは見えないが、もはや確認は充分だろう。

床に放り出されたままの雑誌やぬいぐるみの類から、ここがターゲットであるこの家の子どもの部屋に間違いなかった。

そして狙い通り、標的はすやすやと夢の中である。

口元に小さく笑みを浮かべると、俺は大きな音を立てないよう、ゆっくりと身体を部屋の中へと滑り込ませた。

いつも通り、落ち着いてやれば良い。

獲物を前に逸る気持ちを抑えつつ、俺は室内へと足を踏み出した。

そりゃ何回もこういった不法侵入は経験しており、もちろん中には失敗したりしたことも―――飼いイヌに見つかり吠えられたり、危うく噛みつかれそうになったりなんて―――あるわけで、そういった経験からペット飼いの家は避けている。

ネコに関しても、自由気ままに見える生き物だが、いざという時は飼い主の危機を察知して襲いかかってくることもある。

その辺、今回は事前に調べをつけているので、イヌやネコに妨害される心配はない。

開いたカーテンの隙間から、部屋に差し込む月明かりが、床の上に無造作に転がっていたぬいぐるみを照らした。

黄緑色の野球帽をかぶった、ピンク色の―――これは、ヒツジか。

ギョロリとした大きな目に、小ぶりな鼻、意地の悪そうな笑みを浮かべて黄緑と白のストライブのシャツを身につけているヒツジだ。

もこもことした毛を蓄え、ふくよかな見た目のそれは、どうもお世辞にも可愛らしいとは言い難い見た目だった。

ふと床の上のそんなぬいぐるみの存在に気をとられ、次になんともなしに左側のベッドではなく、室内の右側に視線を移せば―――俺は確かに人の面を被った人外生命体であるのだが、人の世界にそれほど無知というわけでもない。

暗がりの中、なぜか長い棒を構えた等身大のそのヒツジがそこに立っていた。

正確にいえば、ヒツジの着ぐるみが、だ。

俺の拙い記憶によれば、ぬいぐるみもそうだが、それは確か、某プロ野球チームのマスコットキャラクターで。

手にしている棒はよく見れば野球のバットだったので、その組み合わせはおかしくはないのかもしれないが、シチュエーションがおかしい。

バットが宙を舞い、自分に向かって振り下ろされるまで、俺は予想もしていなかった事態に硬直していた。目の前にバットが迫ったところでようやく我に返り、紙一重でそれを避けた。

そう思ったのだが―――

 

「ぶはぁぁっ!!?」


バットを避けたタイミングで顔面に、思い切りぶちまけられたどろりとしたもの。

両手で顔を覆い、俺は叫び声を上げた。

この匂いは、このドロドロは。

目への直接的な刺激だけではなく、嗅覚にも攻撃をしてくる。


「―――やっぱり。ニンニクをそのまま使うよりも、おろしニンニクの方が、即効性があるのね」


目の前の着ぐるみがそんなことを呟いていたようだが、今の俺にとってはそれどころではなかった。

おかしい、絶対おかしい。

一般的には『俺』が襲う側であるはずだったのに、なぜこんな目に遭っている?

顔にぶちまけられたドロドロ、もといニンニク汁を慌てて拭えば、拭った手の隙間から、自分を見つめるヒツジと目が合い、俺は背筋が凍りついた。

月明かりに映し出された、ヒツジの着ぐるみは、野球チームファンの間でも賛否分かれるその意地悪い笑みのまま、右手に持ったバットを再び振り回してきたのだ。

室内だというのに、振り回したバットが棚に当たろうが壁にぶつかろうが、その動きには躊躇いがない。

ただただ、対峙する自分を狙って繰り出されるバットの打撃。

過去、イヌに飛びかかられた時でさえ、ここまでの恐怖はなかった。

必死に迫り来るバットを交わしつつ、俺は夜風でたなびくカーテンをかき分け、窓枠に手をかけた。

状況がさっぱり掴めないが、早くこの場から逃げなくては。

本能がはっきりそう告げていた。

窓から身を乗り出し、逃げようとした俺の背中に、いや、その臀部に向かって容赦なく打ちつけられたらバット。


「いっ……!!?」


喉の奥から鈍い声が飛び出し、同時に打ちつけられた衝撃で俺の身体も窓から飛び出した。

いつもならば二階建て程度の高さであれば、なんなく着地を決められるのだが、予想外の事態に反応できず、あえなく落下。

地面に盛大に身体を打ちつけ、窓下に広がる庭の芝生に横たわる俺が朦朧とする意識の中、最後に目にしたのは、側の玄関の戸がゆっくりと開いたところだった。


「こんなはずじゃ……」


俺は絞り出すように呟き、そしてそのまま意識を手放した。

のちの俺はきっとこの時の自分自身に声をかけられるとしたら、こう言うだろう。

「寝転がっている場合じゃない!どうにか!どうにか、這ってでも逃げてくれ!!」と。











そよそよと心地よい風に頬をなでられ、俺は目を覚ました。

そして、目を覚ましたことを即座に後悔する。

BGMは小鳥たちのかしましいさえずり、窓から差し込む光の程度といい、現在の時刻は朝だろうと推測した。

なぜ推測かというと、身体が自由に動かず、背中側に位置しているのだろう窓の方を向くことができないからだ。

金属製の硬く頑丈な椅子に、黄色と黒のトラ柄ロープでぐるぐると身体を縛り付けられており、腕はおろか、足さえも動かすことができない。

出来ることといえば、目の前に設置されていた簡易テーブルの向かい側、とてもシュールな光景だが、バットを持って暴れていた時とは打って変わって、行儀よく席についているヒツジを眺めることぐらいだ。

テーブルの上には、細身の白い花瓶に活けられたら一輪の花、そしてなぜか十字架。

窓の外からの光を背に浴びながら、意識を飛ばす前のことを一生懸命思い出そうしたが、目の前のヒツジがおもむろにテーブルの下から取り出したものに、一瞬で意識を持っていかれた。

キラリと光る―――右手にナイフ、左手にフォーク。

しかし、テーブルの上には料理どころか、花と十字架以外には何もないのだ。

着ぐるみだというのに、くるくると器用に左手でフォークを回すヒツジ。

そして、スーッと右手のナイフを俺に向かって突き出してきた。

向い合せにつくテーブルの幅は、一メートルもない。

席に腰掛けたまま突き出されたナイフは、幸いにも俺の身体まで届きはしなかったが、心臓を縮みあがらせるには充分な動きだった。

食われる?

刺される?


「や、やめろ!刺さないでくれ!」


後から考えると情けないことだが、思わず口からついて出た言葉。

まさか人生の中でこんな台詞を本当に言う日がくるなんて―――

青ざめながら叫んだ俺に、目の前のヒツジはナイフとフォークを手にしたまま、小首を傾げた。


「あら?吸血鬼のくせにちゃんと日本語を喋れるのね」


あどけなさが残る少女の声だった。

ヒツジが言葉を発したのにも驚いたが、その台詞にも驚いた。

今、なんと言ったか、このヒツジは?


「ききき、吸血鬼!?」


慌ててそう聞き返せば、ヒツジは手にしていたナイフとフォークをテーブルの上におき、そして空いた手で自身の頭部に手をかけた。

スポンと勢いよく外れた着ぐるみの頭。

と同時に、着ぐるみ内に収まっていた『中の人』の髪がふわりと宙を舞い、艶やかな漆黒の長い髪、陶器のような白い肌が露わになった。

眉の高さに綺麗に切りそろえられた前髪の下で、長めの睫毛を携えた二つの大きな眼が正面に位置する俺をまっすぐに見据えていた。


「そう。わたし、わかっているのよ」


桜色の小さな唇から紡がれる言葉。

まるでショーケースに入れられている飾り人形のように整った顔立ちのその少女に、俺は思わず目を奪われていた。

彼女の顔には見覚えがあった。

なんせ、そこにいるのは今回のターゲットであった娘であったから。

しかし事前に写真や遠目で確認していたものと、今、目の前にいる生身の彼女ではその美しさが違う。

写真では表現しきれなかった実物の美しさに、俺は思わずごくりと喉を鳴らした。

どうやら今回の獲物は想像以上だったようだ。

少女は、言葉を失った俺を不躾に右人差し指で指すと、こう言った。


「アナタ、吸血鬼なのでしょう?」


美しさだけでなく、頭のおかしさの方も想像以上だったことに俺が気づくのはすぐである。


「いや、吸血鬼って……俺が?俺が吸血鬼だって!?」


何を言い出すんだ、この娘は?

確か、事前資料によると娘の名前は、尾辻ヨーコ。

県内でも有名なお嬢様学校に通う高校二年生だったはず。

俺が否定に入るより先に、その少女は―――ヨーコちゃんは言葉を続けた。

着ぐるみの頭部を床に転がし、自由になった右手を俺の前に突き出す。


「一つ、夜中にうら若き女性の部屋へ侵入」


人差し指を一本立て、自分でうら若きと堂々言い切るのもどうかと思うが、それも若さゆえか。

そして夜中の不法侵入、当たり前だが彼女にバレている。

人差し指に加えて、中指まで立てると、彼女は続けた。


「二つ目。おろしニンニクをぶっかけたら死にそうな声をあげていたわ」


誰だってそんなものを顔面にいきなりぶっかけられたら死にそうな声あげると思うのだけれど、俺が口を挟む暇がなかった。

しかし、やはりあれはニンニクだったのか、と冷静に思い返す。

今更気が付いたが、心なしか身体が匂う気がする。

拘束されている間に俺の顔に付着していたニンニクは少女が拭ってくれたのかもしれないが、それでも匂いまではとれなかったようだ。


「三つ目。銀製品を見て怯えていたじゃない?」


薬指まで加えた三本指を立てて、自信満々にヨーコちゃんはそう述べた。

銀製品とは彼女が持っていたナイフとフォークのこと。

いや、それはヒツジの着ぐるみに喰われると思ったからで、とは流石に自分の面子もあり言えなかった。

とりあえず、彼女の三つの主張より、俺が『吸血鬼』と思われていることだけは理解できた。

なるほど、太陽光をしっかり浴びるように窓に近い場所で俺が椅子に拘束されているのも、テーブルに置かれた十字架も、そういうことらしい。

呆然とした表情を浮かべている俺を見て、自分の主張に誤りがあるのか疑うように彼女は首を捻った。


「吸血鬼じゃないとしたら、じゃあ、何?アナタは、ただの変質者?不法侵入者?」


ただの変質者、っていう言い方もどうなのか。


「あ……」


何と説明してよいのか、言いよどむ俺。

如何せん、こんなことは初めての状況で俺も困惑していた。

すると、ヨーコちゃんはその形の良い眉を潜め、椅子から立ち上がった。

露わになった可憐な風貌の頭部と裏腹に、未だ身体は着ぐるみを身に着けたままなので、それはとても不思議な光景であった。

床に転がるヒツジの生首もシュール極まりない。

そのまま彼女は壁際に備え付けられた勉強机らしきものへ歩いていくと、その上に置いてあったものを手に取った。

水色のカバーを纏ったソレは―――俺もソレが何か即座に理解した。

警察に突き出した方がいいかしら、とスマートフォンを手にする彼女。

あっ、これは本格的にまずい状況になってきた。

どうする、ロープで椅子に拘束されているとはいえ、本気を出せば引きちぎって窓から逃げることは出来そうだ。

ただ、周辺も明るくなっているため騒ぎになってしまう可能性も高い。

そうなると関係各所に迷惑をかけ、叱責されるのは確実なので、できるだけ避けたいのだが―――

まずい、まずい、まずいぞ?

冷や汗をかきつつ色んな逃亡パターンを頭の中でシミュレーションし始めた俺の前で、ヨーコちゃんはスマートフォンを手にしたのはいいものの、その動きを止めた。

着ぐるみを着たままの手じゃ、発信ボタンも満足に押せないのかもしれない―――と、思いきや、だ。


「ねぇ、スマホで警察に電話する時って、市外局番からかしら?」


スマートフォン片手に俺の方を見てそう訊ねる彼女の顔はいたって真面目なものだった。

警察に電話するのは初めてだから、よくわからないと首を傾げる彼女。

そりゃ、その年齢で何度も通報したことがあるなんて言ったら、それはそれでどういう人生歩んできたんだと思う。


「ええっと、局番無しのイチイチゼロを押すだけで、大丈夫なはずだ」


これまた予想外な質問に、うっかり素直に返事をしてしまう俺。

だって、まさか通報対象に一一〇番の電話のかけかたを聞くと思うか?

告げた後で、しまったと自分の口を押さえようにも拘束されているものだから、それも叶わず。

ありがとう、とヨーコちゃんは俺へ律儀に礼を言うと、スマートフォンの画面に指をかけた。

その時だった、室内にチャイムの音が響き渡ったのは。

続くのは、甲高いこれまた少女の声。


「ヨーコちゃ~ん!おはよう!学校に行こう~!」


手にしていたスマートフォンから視線を外すと、彼女は目を見開いた。


「やだっ、もうそんな時間?」


そうして、慌ててスマートフォンを机の上へ放り投げると、部屋のドアノブへ手をかけた。

彼女がこちらに背を向けたその瞬間を俺は見逃さなかった。

チャンスは今しかない!

ガチャリとドアノブが音を立てるのと同時に、俺は精一杯身体に力を込めると、ロープを引きちぎって拘束されていた椅子を倒した。

それに気づいて、彼女が振り返った時には、俺はもう窓を開き、桟に足をかけているところだった。

室内ということもあり、拘束されている時に靴は脱がされていたことに気づいたが、靴のことは諦めよう。

今はただ、この場から逃げ出すことが最優先事項である。

振り返るのも怖いから、とにかく彼女の方を確認もせずに、とっととずらかる。

窓の外に飛び出した俺へ最後に聞こえてきた彼女の声はこうだった。

まぁ、とお嬢様校の生徒らしく、夜中にバットを振り回していたとは思えないほど、それはそれは上品な感嘆の声で。

そこまでしか耳にしないまま逃げ切った俺は知らないのだ、その後に続いた世にも恐ろしいヨーコちゃんの台詞とやらを。


「でも、わたしから逃げられるのかしら?」











その活動を人間たちに認知されるわけにはいかないとはいえ、だ。


『吸血鬼と間違えられた』


そんなことを口にしたらうちの組合のメンバーはどんな反応をするだろうか。

世間一般で考えたら、悔しいけれど確かに吸血鬼の方が、知名度が高い。

恐らく、どっとその場にいる組合員たちが、皆、湧きに湧くに違いなかった。

こんなことで爆笑を掻っ攫っても、嬉しくともなんともない。


『お前のどこをどう見たら吸血鬼だっていうんだ?』


涙を流すほど笑いながらそんなことを言ってくる輩はまだよいとして。


『本気で吸血鬼になりたいっていうなら、相談には乗るよ~?』


にやにやと笑みを浮かべてそんなことを言ってきそうな奴の顔が容易く脳裏に思い浮かんで、想像だけで苦虫を噛み潰したかのような表情になってしまう。

ここはとある児童公園のベンチ。

ターゲットの家から命からがら逃げだした俺は、木陰の下にあるベンチで一人途方に暮れていた。

春麗らかな気持ちの良い空気や、新緑に萌える草花たちとは対照的に俺の気持ちは憂鬱まっしぐら。

俺自身は日中、光の下を動き回っても支障がない体質だから、こうして公園のベンチで休む分には問題がないのだが……

あれから幾分か時間が経ったとはいえ空を見上げれば、まだまだ日が高い。

俯くと、靴を失い靴下だけとなった俺の足の近くで、せっせと蟻たちが幼虫の死骸を運んでいる姿が目に入った。

いいよな、お前らはご馳走にありつけて。

タイミングもシチュエーションも完璧のはずだった。

事前情報では、月に数回、仕事で多忙な彼女の親が家を空ける日があり、昨晩がちょうどその時だったのだ。

家には少女が一人だけ、もし驚き叫ばれても、すぐ隣の家は高齢老人が住んでいるだけで、他の家とは距離があるから、妨害に遭うこともない。

逆を返せば、あれだけ彼女がバットで暴れ、俺が叫び声を上げ、二階から落下しても近所の誰にも気づかれなかったというわけだ。

これをそこら辺の住宅地で展開していたら、近隣住民に即通報されていただろう。

なんでこんなことになったかなぁ?

こんなことなら、『質』と『量』には目を瞑って、隣の高齢老人宅の方にしておけばよかった。

溜め息交じりに一人愚痴る俺。


「組合に話をつけたくとも、日が暮れないことには開かれないし……」


「―――組合?」


「そうなんだよ、所属しているメンバーは事前に組合から家を割り当てられているから、ターゲットを変更したくとも、他の奴らと重複したら困るってんで、幾分か調整してもらわないといけないんだ」


全く面倒なことになった、と再び溜め息を吐いたところで気づいた。

俺は今、誰と会話をしていた?

パッと勢いよく顔を上げ、声のした方を―――ベンチの右側を向けば、そこには。


「ひぎゃあああぁぁあ!!?」


あられもない声を上げ、俺はベンチから地面へと落っこちた。

勢い余って、幼虫を運んでいた蟻たちをいくらか吹っ飛ばしてしまう。


「まぁ!お化けでも目にしたような顔ね?」


自身でそう口にしてから、疑問が湧いたらしい。

吸血鬼もお化けを怖がるものなのかしら、と顎に手を当て、不思議そうに首を傾げる少女―――俺の今回のターゲット、尾辻ヨウコである。

今朝ほどの着ぐるみ姿とは異なり、臙脂色のブレザー服に身を包んだ彼女。

サラサラとそよ風で揺れる髪を耳にかけながら、いつのまにかベンチに腰をかけていた彼女の接近に、俺は全然気がつかなかった。

というか、何でここに!?

腰が抜けてしまったようで、地面から立ち上がることができない。

青ざめ、言いしれない恐怖で身体を震わせる俺の心の内を読んだかのように、彼女はベンチから腰を浮かした。

そして、俺の方へとかがみ込み―――殊更に悲鳴を上げる俺を意にも介せず、彼女は俺の上着の胸ポケットへ躊躇いなく手を突っ込んだ。

年頃の乙女にしては非常に大胆な行動である。

再び叫び声をあげそうになったところを、今度は何とか耐えた俺。


「実際に使うのは初めてだったから、どうかなぁと思ったけれど。案外、気づかないものなのねぇ」


それに性能がいい、と呟きながら彼女が俺に見せたものは、小さなプラスチック片のようなものだった。

見覚えのないものがポケットから出てきて、目を丸くする俺に彼女が涼しい顔をして告げる。

GPS発信機、と。


「スマホのアプリと連動して位置情報を教えてくれるの。いくらかの距離の誤差はご愛嬌ね」


これまで襲おうとした人間が飼っていた犬に反撃をされたり、間際で目覚めた人間から平手を喰らったり、ということはあったが、こちとら腐っても人に恐怖を与える怪異の一種。

逃げたところをわざわざ人間が追いかけてくる、だなんて経験にない。

しかも、文明の利器を使ってだ。

これ、なんていう、ジョーク?

目を白黒させながら、俺はどうにか声を絞り出した。


「な、なんで……」


こちらが襲う側にいたはずなのに、すっかり立場が逆転している。

身体を震わせ、そう訊ねる俺にヨーコちゃんは当たり前のように告げた。

今朝ほども話したけれど、と。


「だって、アナタ、やっぱり人間じゃないでしょう?二階の窓から易易と出入りした上に、拘束していた紐をいとも簡単に引きちぎって。結構きつく縛っていたのよ、あれ」


そして、顔の前で両手を合わせると、キラキラと輝く笑顔ではにかんだ。

眩しい、眩しすぎる。

その可憐なビジュアルと女子高生のブレザー服効果も相まって、とても輝きを放っている彼女であったが、如何せんその口からこぼれる台詞はアウトである。


「人外生命体との遭遇なんて素敵!さすが夢のお告げね!」


俺の立場から言えることじゃないかもしれないが、目の前のお嬢さん、いよいよ頭がやばい。

二人の出会いに喜んでもらえるのは光栄だが、え?なに?夢のお告げ??

厨二病って、高校二年生でもかかるものなの?

肉体的にも精神的にも後退りしかけた俺に気づいたのか、彼女は笑顔を消え、代わりに不満気な表情を浮かべて胸の前で腕を組んだ。


「アナタ、その顔……わたしの言うことを信じてないでしょう?」


信じられるか、バーカと言いたいところをグッと堪えた俺はエラい。

こういう時、なんと返すのが正解なのだろうか。

未だ彼女の性格を掴めていないため、下手につつくと地雷を踏み抜きそうである。

俺は慎重に言葉を選びながら、訊ねた。


「夢のお告げって、それは……昨日の夜、吸血鬼が君の部屋を訪れると、そういうお告げだったのかな?」


我ながら無難すぎる問いかけだとも思ったが俺の質問に、目の前の少女の視線はそこで少し泳いだ。

うん?と眉を潜めてそれを眺めれば、彼女は先ほどより小声で返事をする。


「ええっと、その……吸血鬼、とは言われなかったけれど」 


なんだ、そりゃ?

ますます俺の眉間の皺が濃くなれば、自身の主張を後押しするようにヨーコちゃんは再び声のボリュームを上げ始めた。


「この数日の内に、人に模した生き物が、夜中、わたしの部屋へあるものを奪いに訪れる、って!」


「それは……」


頬を冷や汗が伝い落ちると同時に、小さく俺の喉が鳴る。

俺たちの活動は秘密裏に行われている。

だが、彼女の言う夢のお告げとやらは、どうだ。

『昨晩』、『人間ではない俺が』、『彼女の部屋へ訪れた』。

目的はそう、『奪うもの』があったから、だ。

硬直する俺に気づかないまま、ぺらぺらと彼女は話を続けた。


「そこまで聞いたらわたしはピンときたの。夜中に部屋へやってくる、人を模した生き物!人ならざる者!そう、吸血鬼に違いないって!」


どうやら、吸血鬼というのは彼女の勝手な解釈だったようだ。

それにしても、とんでもない夢のお告げ―――いや、もう予知夢か未来視と言っても過言じゃない。

俺の方が普段は人間に恐れられる立場であるはずなのに、なにこれ怖い、怖すぎる。

血の気が引いている俺の前で彼女は最後にこう言った。

教えてもらった内容はそこまでだったのよね、と。


「教えてもらった?」


彼女は腕組みを解くと肩をすくめてみせた。


「そう。わたしの従姉妹から教えてもらったの。彼女が見た夢らしくて。でも、わたしの部屋にその人外生命体がやってきた後、どうなってしまうかまではわからないって言われたものだから……自分なりに対策を練ったのよ」


ぐっと右手で拳を握り、素敵な笑顔を浮かべるヨーコちゃん。

いや、対策頑張りすぎだろ。

あそこまでする必要あったかなぁ?

予知夢らしきものを見た彼女の従姉妹の能力に驚くよりも先に、余計な告げ口しやがってという感情が先に湧いてくる俺だった。

渋い表情を浮かべる俺の前で、彼女は上着のポケットから何かを取り出した。

今朝ほども見たばかりのそれは、スマートフォン。

まさか、今度こそ通報する気かとぎょっとする俺に向かって彼女は、スマートフォンを持っていない方の手をひらひらと振った。

違う違う、というように。

そうして彼女が電話をかけた先はというと……


「もしもし?ミドリちゃん?ほら、夢で見たって教えてくれた人モドキの話!実は昨日の夜、とうとう部屋に来たのよ、吸血鬼が!」


にこにこと嬉しそうに電話の相手に話しかける彼女。

その話しぶりから見るに、恐らく夢を見たという彼女の従姉妹だろう。

スピーカー通話ではないため、こちらからは相手の声はあまり聞こえないのだが、驚きの声が上がったのだけは微かに拾えた。

ていうか、俺のこと、まだ吸血鬼だと思っているの、この子?


「え?大丈夫かって?大丈夫、大丈夫、ばっちり捕まえたわよ!」


スマートフォンを耳に当てながら、電話の相手がこの場にいないにもかかわらず、力強く親指を立てたグッドのハンドサインをする彼女。

たぶん、相手が彼女に電話先で訊ねたであろう『大丈夫?』は、そういう意味の大丈夫ではない気がするが。

あと、ばっちり捕まえたってどういうことだ。


「ミドリちゃんも今日は午後から空いているでしょ?今から連れて行くから、楽しみに待っていてね!じゃ〜ね〜!」


愛想よくそう言うと、相手の返事を待たずに通話終了ボタンを押した彼女。

お人形さんのように可愛らしい風貌に似合わず、圧が強めな自由奔放な性格と見た。

制服の上着ポケットにスマートフォンをしまい込むヨーコちゃんの姿をぼうっと眺めていた俺だったが、ふと我に返る。

あれ、今から連れて行くって、何を、どこに?

嫌な予感に顔を青ざめさせた俺と、彼女の視線がかち合えば、少女は俺の気持ちを読み取ったかのように口を開いた。


「心配しないで。今日は土曜日で、部活は午前中だけだったから。午後からは自由に動けるの」


いや、そんな君の都合なんてこちらは一切気にかけていないし、心配もしていないんだが、このお嬢様には通用しないのだろう。

今更ながら、今日の曜日を思い出し、ベンチ横に彼女のものであろう通学カバン、そしてご丁寧に彼女の家に置いてきた俺の靴まで用意してあるのに気づいた。

夜中から朝にかけてあんな騒動したにも関わらず、ちゃんと午前中は通学して部活動に精を出し、学校帰りにGPSを頼りに俺を探したというわけか。

うーん、もっと遠いところまで逃げなかったことが強く悔やまれる。

酸欠の金魚みたいに口をあっぷあっぷさせる俺の腕を引っ張ると、強引に地面から立ち上がらせる彼女。

そして有無を言わせない言葉を俺に浴びせかけた。


「アナタも『組合』とかいうのには、夜にならないと参加できないのでしょう?なら、いいじゃない」


何がいいのか、全然わからない。

全然わからないままに、俺は児童公園からそのまま彼女に拉致されたのだった。

断れば良かっただろ、って?

逃げ出せば良かっただろ、って?

とんでもない!

そんなことをしたら、次は何をされるかわかったもんじゃないだろ、彼女に!

なぁ、常識的に考えておかしいのは、俺とヨーコちゃん、どっちだと思う?




2023/09/03

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