8 ゴア王子との再会
ヴィゴーレ王国のお城の中庭でゴア王子とマチルダがお茶会と称した縁談の場に再び顔を合わせていた。
「久方ぶりだなマチルダ。そなたは変わらず美しいな」
上機嫌でゴア王子は手元の紅茶を啜った。
「…………」
そんなゴア王子とは対象的にマチルダは浮かない表情で美しいと称された顔を下に向けた。
自分の言葉が空回った雰囲気となってしまったゴア王子は、一瞬口元をひきつらせたが、気を取り直して再びマチルダへと会話を繋げた。
「コホン。先日までそなたが身を置いていたボルド王国だが……」
ゴア王子は、マチルダが飛び付きそうな会話をわざと勿体ぶるように切り出した。
ゴア王子の目論見通り、ボルド王国という言葉にマチルダが反射的に俯いていた顔を上げる。
自分の話に反応したマチルダを見たゴア王子は、咄嗟ににやけそうになる口元を必死で抑えつつ、平静を装いながら言葉を続けた。
「何とか城は持ち直したらしい。半壊した城の隙を突いて隣国の襲来も受けていた様だが、驚くことにここにきて、ボルド王国の兵達が以前よりも力を付け、守りが強固になったという噂を耳にした。それによって賊の襲撃もことごとく撃破出来ているようだ」
「あ……」
ゴア王子の言葉にマチルダの心は安堵と喜びで大きく震えた。
数ヶ月ではあったが、世界最強と謳われるハミルトン騎士団と一緒に訓練と戦闘を続けてきたボルド王国の兵士達だ。
一流の騎士団から多くのことを学び取ったのだろう。
自分が来たことでボルド王国に僅かにでも貢献できる何かを残せたことがマチルダには嬉しかった。
ボルド王国の話題を提供してくれたゴア王子に対し、マチルダは柔らかな笑顔を浮かべ感謝の気持ちを込めてお礼を述べた。
「ありがとうございます」
「ヴッ!」
自分の邪な考えとは正反対の、マチルダの穢れなき微笑みに当てられたゴア王子は、僅かな罪悪感とトキメキによって疼く左胸を押さえた。
そしてそのままテーブルに突っ伏すように上半身を前のめりに倒れ込ませた。
「だ、大丈夫ですか? どこか具合が悪いのですか?」
突然胸を押さえ倒れ込んだゴア王子に、マチルダは持病の発作が起きたのかと心配になり、後ろに控えていたゴア王子の付き人に声をかけた。
「すみません、誰かゴア殿下を寝室にお連れになって下さいませんか?」
「多分、大丈夫だとは思いますが、これ以上は色々と(マチルダ様が)危険と思われますので今日の所は一旦これで茶会を終了とさせて頂きます」
付き人はマチルダに恭しく一礼すると指をパチンと鳴らし、側にいた使用人達を呼び寄せた。
わらわらと数名の使用人達がゴア王子を取り囲むと、そのまま各々が手足を担ぎ、倒れたゴア王子を運び出した。
「コ、コラ! 私は何ともないから降ろさないか! まだマチルダとお茶会を楽しみたいんだ!!」
「はいはい、それはまた次回のお楽しみに取っておきましょう」
一番に駆けつけた使用人がしれっと宥めるようにゴア王子の言葉を受け流す。
そしてそのまま有無を言わさずそそくさとその場からゴア王子を連れ出して行ったのだった。
「こらー、降ろせー!」と喚くゴア王子の声を遠くに聞きながらその場に一人残されたマチルダは先程のゴア王子の言葉をもう一度心の中で反芻した。
『何とか城は持ち直したらしい』
「……良かった。マンフリード様……」
心配で堪らなかったボルド王国の無事を知り、それから愛しいマンフリードを想ってマチルダは両手で顔を覆うと静かに涙を流した。
木の影からそんなマチルダの様子をルディは静かに見守っていた。
◇
「ああ、やはりマチルダは最高だ!」
ゴア王子は無理やり寝かされたベッドの上で浮かれた声を上げていた。
「以前のマチルダよりも儚さが増していて本当に庇護欲がそそられる! 私の理想そのものだ! やはりマチルダは絶対に私の妻にしなくては!」
そう決意したゴア王子は急く気持ちを抑えられず、次のマチルダとの約束を取り付けようと、ベッドから飛び起き、誘いの文を勢いのまま書き連ねた。
「次こそは確実にマチルダとの結婚の約束を交わすぞ。しかし、マチルダをどうやって口説き落とそうか……」
ゴア王子はテーブルの脇に置かれたワインの瓶にふと目をやった。
そして徐に何かを閃き、ニヤリと怪しい笑みを浮かべ、再び筆を走らせた。
◇
ハミルトン家ではマチルダが部屋でいそいそと大きな鞄に荷造りをしていた。
「あ~、その、マチルダ? 一体何故荷造りをしているんだい?」
父親であるハミルトン公爵がマチルダの背後から恐る恐る声を掛けた。
ゴア王子とのお茶会で憑き物が取れたように笑顔で戻ってきたマチルダを見た時は、まさかゴア王子との仲が奇跡的に進展したのか、と疑った公爵であったが、戻るやいなや直ぐに部屋に直行したマチルダの後を追い、現在に至る。
「はい、お父様。ボルド王国の無事を確認できたので、もう私には心残りはありません。直ぐに修道院に入り、人々の為に慈善活動を行いたいと思います」
荷造りの手を止めることなくマチルダが力強く答えた。
「いやいや、待て待て! 何故そのような結論になったのだ!? ゴア王子からは何も言われていないのか?」
「殿下からはボルド王国の現状をお聞きしました。婚約を解消された身の私にボルド王国の話を教えて下さったこととても感謝しております」
「それだけか?」
「はい。その後私がお礼を述べた後で持病の発作を起こして倒れてしまったので、そこでお茶会は終了致しました」
(ゴア王子に持病があるなんて聞いていないが……)
どちらにしても折角のチャンスをまた無駄に逃してしまったゴア王子の間抜けさを公爵は呪った。
(マチルダの修道院行きを止められるようなら前回の破談の件は目をつぶってやろうと思ったが、所詮無能ポンコツ王子はポンコツのままか)
息子達の前では王族に対する暴言を嗜めていた公爵であったが、心の中では誰よりも辛辣であった。
しかし、今問題はそこではなく、愛しい娘の修道院行を止めなくては、と公爵はゴア王子に対する悪態を一旦取り止め、マチルダには再び意識を向けた。
「父上、マチルダ」
丁度そのタイミングでアルフレドがやって来た。
名を呼ばれた二人は声の主を振り返った。
「どうしたアルフレド?」
「たった今、城からの早馬でゴア王子からマチルダへ文が届きました」
「何? つい先程お茶会を終えマチルダが帰ってきたばかりだぞ」
そう言いながら公爵がアルフレドから手紙を受け取る。
(ゴア王子め、お茶会の挽回をしたくて焦って文を寄越したか)
大方の予想を付けながら公爵が手紙の封を解いた。
「手紙には何と?」
早馬を走らせてまで届けられた内容が気になるアルフレドは父親の手元を覗き込みながら尋ねた。
「マチルダ、ゴア王子から夜会の誘いだ」
公爵はマチルダの修道院行きを辞めさせる口実に、先程まで散々心の中で罵倒していたゴア王子を再び利用することにした。
「ですが、私はこれから修道院に入りたいのですが……」
気乗りしない様子のマチルダの返答に、展開が理解できていないアルフレドが「えっ? 修道院?」と驚きの声を漏らしていた。
「マチルダ、さすがのハミルトン家でも城からの招待は断ることが出来ない。取りあえず荷造りは一旦中止しなさい」
「……はい」
渋々頷くマチルダを見ながら公爵は心の中で大きな安堵のため息を吐いたのだった。




