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5 戸惑い

 東の空が茜色に染まる頃、騎士団の朝練が始まる。


 そんな日課が身体に染み付いているマチルダはいつものように目を覚ました。


 鳥の鳴き声を聴きながらベッドの上で上半身を起こし、「うーん」と両手を天井に挙げて伸びをした。


「--今日も良い朝ですね」


 今日もルドウィン城で無事に目を覚ましたことに感謝をし、満足そうにマチルダは呟いた。


「? 何でしょう?」


 いつものようにベッドから降り、身支度を整え始めたマチルダは何か違和感を覚えた。


「私、昨夜は何時眠りに就いたのでしたっけ?」


 昨夜の記憶が曖昧で何となくマチルダは首を捻った。


(と、いうか何故だが身体が少し重だるいような……)


 月のものはまだ先だし、とマチルダは再び不思議な感覚に首を捻った。


 生まれて此の方、マチルダは風邪一つ引いたことが無かった。怪力同様、身体も超人的に丈夫だったからだ。なので、風邪という症状もマチルダには経験が無く、分からない。


 マチルダは深く考えることを止め、鍛練場へと足を運んだ。



 ◇



 鍛練場には魔物との連戦が続いていたにも関わらず、騎士団全員が顔を揃えていた。


 皆疲労感すら顔に出さず、いつも通りの様子を見せていた。


 マチルダはやや遅れて顔を出すと、いつものように騎士団の団長を勤める三男のイーサンに朝の挨拶を行った。


「イーサンお兄様、おはようございます」

「おはよう、マチルダ。変わりはないかい?」


 最愛の妹にだけ向けるとびきり甘い笑顔でイーサンが挨拶を返した。


「…はい、大丈夫です」


 一瞬、間を置いて答えたマチルダに勘の良いイーサンはピクリと反応する。


「本当に?」

「は、はい。すみません、直ぐに甲冑に着替えてきますね」


 心配そうにマチルダの顔を覗き込むイーサンから視線を反らし、そそくさと逃げるようにマチルダは支度場へと向かった。


「…………」


 マチルダの背中を見送りながら、妹のいつもと違う様子にイーサンは訝しそうに目を細めた。



 支度場に逃げるように飛び込んだマチルダは、自分を落ち着かせるようにふーっと息をゆっくりと吐き出した。


(イーサンお兄様は鋭いので、焦ってしまいました)


 マチルダはイーサンに変わりはないかと聞かれ、直ぐに答えられなかった自分の未熟さを呪った。


 しかしマチルダ自身、朝から身体に感じているこの奇妙な違和感に対して、自分でも上手く説明が出来ない。

 こんなあやふやな状態を口にした瞬間、妹思いのイーサンは心配しまくって自室で休むよう言い、鍛練の参加を許さないだろう。

 これからもっと強くなろうと決意したばかりのマチルダとしては、それだけは避けたかった。


(もっと、もっと鍛えなくては--!!)


 自身を鼓舞しながらマチルダはいつも身に付けている甲冑を着けようと甲冑に手を伸ばした。


 ズシン--


「えっ?」


 マチルダが何気に手にしたガントレット。

 いつもは重さなど微塵も感じなかった甲冑が、とてつもなく重く感じた。

 マチルダは初めての感覚に驚いて、思わず手にしたガントレットを地面に落としてしまった。


「何ですか? 今の感覚は……」


 地面に落ちたガントレットを呆然と見つめるマチルダは、恐る恐る他の甲冑にも手を伸ばしてみた。


 今度は足先に着けるサバトンを持つ。


 ズシン--


 他のパーツに比べ小さく、軽いサバトンですらも重くて片手で持つことが出来ず、ガントレット同様地面へと落としてしまう。


 マチルダの甲冑は、マチルダの華奢な身体とは程遠く、マチルダの怪力を加味した頑丈さに特化した特注品であり、騎士団の数倍は重みのあるものであった。

 騎士団でさえ、その甲冑を装備すれば数歩歩くのがやっとのもので、マチルダ位の妙齢の令嬢なら手に持つことさえ不可能な代物だった。


「私、力が……」


 自分に今起こっている事実にマチルダは身体から血の気が引いていくのを感じた。




「……遅いな」


 中々鍛練場へと姿を見せないマチルダに焦れたイーサンが騎士団へ練習開始の合図を出し、マチルダのいる支度場へと早足で向かった。

 先程のマチルダの様子に妙な胸騒ぎを感じる。



「マチルダ!」


 イーサンが支度場の扉を開けると、地面に落ちている甲冑を呆然とした様子で眺めているマチルダの姿が視界に移った。


「イーサンお兄様……」


 イーサンの声に最早狼狽える余裕すらないマチルダはゆっくりとイーサンへと視線を向けた。

 そして、重たい口を開き、受け入れ難い事実を口にした。


「私、力がなくなってしまいました……」




 ◇




「何だって!?」


 あれからイーサンはショックを受けているマチルダを寝室へ連れて行き、そのままベッドに寝かしつけ大丈夫だと言うマチルダを無理やり休ませた。

 そしてその足で直ぐにマンフリードの元を訪れたのだった。


「信じられないことだが、どうやら事実のようだ」


 マチルダの人生において初めての事態に、イーサンも内心ひどく動揺していたが、何とか気持ちを必死に抑え、冷静に現状をマンフリードへと報告した。


「朝起きてから身体の違和感を感じたらしいのですが、昨夜の記憶が曖昧なんです。昨夜の間に何かがあったに違いないとは思うのですが……」


(油断しすぎた……!)


 マチルダの行動を逐一監視していた筈なのに、寄りによって最悪の事態を見過ごした。


 それはイーサンの中で一つの答えを意味していた。


(気配を消すことの出来る何者かがマチルダと接触したに違いない。恐らくとても大きな魔力を秘めた者。城に結界を張って己とマチルダの気配を外部から遮断したのだ。そのような事ができる人間はイーサンが知る中ではこの世界に存在しない。ならば、マチルダと接触したのは人成らざるもの。)


 ギリッと己の不甲斐なさにイーサンは奥歯を噛み締めた。


(魔物の襲撃が活発化した時点で、そちらの警戒を強めるべきだった)


 押し寄せる後悔の念だけがイーサンを襲う。


「マチルダの怪力が消えた……」


 マンフリードは自分に言い聞かせるようにイーサンからの報告内容を反唱した。

 そして頭を抱えながらも、冷静にイーサンへと質問を投げ掛けた。


「甲冑が持てなかったことの他に確認は?」

「はい。石を砕くよう掌サイズの石を持たせましたが出来きませんでした。次に、木をへし折れるかやってもらいましたがびくともせず、最終的には骨が砕かれる覚悟で、僕と腕相撲をしましたが、僕が余裕で勝ちました。ああ、あの時のマチルダの必死な様子はどれも可愛かったな……」


 こんな時ではあるが、一生懸命力を絞り出そうとするマチルダの可愛らしい姿を思い出し、思わずイーサンの表情が綻んだ。


 イーサンの締まりのない顔を見て、マンフリードは反射的にピキリとこめかみに青筋を浮かべた。

 内心、自分もそんな必死になっているマチルダの姿を見たかったな、と思わず邪な気持ちが浮かんできたがマンフリードは慌ててその思いを振り払った。


「分かった…。色々試すだけ試したようだな。それでマチルダの様子は?」


 マチルダの様子を聞かれたイーサンはハッと我に返ると、再び深刻な表情へと戻り、重たい口を開いた。


「大分ショックを受けてます。マチルダの人生において力のない状況は初めてのことですし。不安が大きいことでしょう」


「……そうか」


 マチルダの落ち込んでいる様子を思い浮かべ、マンフリードは表情を曇らせた。


「とにかく、原因を突き止めることが先決だ。先ずはマチルダに私も話を聞こう」

「はい、よろしくお願い致します……」


 マンフリードは席から立ち上がると、労うようにイーサンの肩にポンと手を添えた。


 執務室を出る直前、マンフリードは足を止め、何かを考えるように数秒目を閉じた。そして、あることを決意するとゆっくりと目を開き、おもむろに背後のイーサンを振り返り口を開いた。


「イーサン。私からの頼みを聞いて欲しい」

「-----」



 マンフリードの言葉を聞いたイーサンは目を見開き驚いたような様子を見せたが、数秒思案した後、


「分かりました……」


 とマンフリードに向かって力強く頷いた。


 イーサンが了承したことでマンフリードの表情に安堵の色が浮かぶ。


「ありがとう……」


 マンフリードがイーサンに感謝を述べ、二人は漸くの間無言で視線を合わせていた。

 しばらくして、マンフリードはそれを振り切るよう執務室を後にした。



 ◇



「マチルダ、入るぞ?」


 マチルダの寝室のドアをノックするも、返事が帰ってこなかったので、マンフリードは許可を待たずに扉に手を掛けた。



 カチャリ--



 扉を開き、寝室に足を踏み入れると途端にふわりと甘い香りがマンフリードの鼻腔をくすぐった。


 マチルダからいつも香る香りに、マンフリードの理性が僅かに揺れ動く。


 マチルダはベッドの上で寝間着に着替えた状態で、枕を背もたれに虚ろな表情をして起きていた。


「マチルダ」


 マチルダの近くまで来たマンフリードが再び声を掛ける。

 マンフリードの声に漸く気付いたマチルダが、ハッと我に返って慌ててマンフリードへと視線を向けた。


「あ、マンフリード様。すみません、気付かずにこんな……」

「いいんだ。そのまま休んでいてくれ」


 マンフリードは慌ててベッドから出ようとするマチルダの肩を抑え、制止した。


「は、い。申し訳ございません」


 しょんぼりと項垂れた様子でマチルダは謝罪する。


「昨夜、何があった?」


 叱られた仔犬のような姿のマチルダにマンフリードは瞬間的に力一杯抱き締めたい衝動に駆られたが、何とか気持ちを抑えながら、慎重に言葉をかけた。


「よく覚えていないのですが……、昨夜眠れずに中庭に足を運んで、そこで何か、いえ、誰かに……」


 マンフリードに話ながらうっすらと昨夜の光景が思い出されてくる。

 マチルダは頭の中で必死にその光景を追いかけた。


「月がとても綺麗で……」

「マチルダ、どうして眠れなかった? 何を考えて、いや、悩んでいた?」


 マチルダの言葉を遮ってマンフリードが質問する。

 マンフリードの質問にマチルダの身体がギクリと強張ったのをマンフリードは見逃さなかった。


「言ってくれ、マチルダ。お前を悩ませていることは何だ? 連日の魔物の襲撃で辛い思いをしているのか?」


 苦しそうにマンフリードがマチルダの肩に再び手を掛ける。


 マンフリードの手から彼の熱を感じてマチルダの心臓がドクリと跳ねた。


「いいえ、そのようなことは少しも感じておりません。マンフリード様の為にこの国を護ることは、寧ろ私の喜びなのです」


 マチルダは昨夜、中庭で決意した気持ちを再び思い起こした。


「私、マンフリード様を不安にさせているのでは、と。マンフリード様が私が戦に出る度に辛そうにされているお姿を見て、このまま私は戦っていて良いのだろうか、と。少し分からなくなってしまいまして……」

「マチルダ……」


 力なく微笑むマチルダにマンフリードの胸がチクリと傷んだ。


(マチルダは何も悪くないのに)


 自分の不甲斐なさに勝手に打ちひしがれていただけだというのに、マチルダを不安にさせてしまっていた、とマンフリードは深く反省した。


(マチルダは分かっていたのか。私がマチルダに戦いいに参加させ続けることが不本意だということを)


「でも、私、もっともっと強くなって、誰にも負けない位強くなったら、マンフリード様は安心して私に戦を任せてくれるのではないかと思ったのです」


「マチルダ……」


(それは違う)


 色々と突っ込み所が多すぎて、マチルダの考えは根本的にマンフリードと相容れることは無いな、とマンフリードは少し諦めの境地に達した。


「でも、力、失くなってしまいましたけどね」


 テヘヘと力なく微笑むマチルダに遠い目をしていたマンフリードがハッと我に返る。


「そうだ、その力は一体誰に何をされたんだ?」


 ガシッとマチルダの両肩を掴むマンフリードの手に力が籠る。


「あっ、痛っ!」


 突然肩に力がかけられ、マチルダが痛みで思わず声を上げた。


「えっ!? す、すまない」


 咄嗟にマンフリードはパッとマチルダの肩から両手を離した。


 マチルダは自分を抱き締めるように、両肩に手を当て身を縮こませた。


「い、いえ。驚いただけで、本当はそんなに痛くはありません。大変無礼な態度をとってしまい申し訳ありません」


 涙目でマンフリードを見上げるマチルダを見て、再びマンフリードの理性がゴトリと大きく揺れた。


(誰だ、これは? というか、イーサンが言っていたことはこれか。これは、ちょっと何と言うか……)


「クルな……」


 力を失った目の前のマチルダは、可憐さに儚さが加わり庇護欲が否が応にもくすぐられる。

 マンフリードはマチルダを視界に入れないように、自身の顔を手で覆って俯くと、堪らずにポツリと呟いた。


「? 何が来るのでしょうか?」


 突然項垂れるマンフリードの様子が理解できず、心配そうにオロオロとマチルダが尋ねた。


「いや、こっちの話で、マチルダは気にしなくていい……」


 ふーっと、自身を落ち着けるようにマンフリードは一呼吸吐いた。


「話を戻そう」

「は、はい」


 冷静さを取り戻したマンフリードの言葉につられマチルダは躾られた犬のようにビシッと姿勢を正した。


「お前の力を奪ったのは誰だ?」


 マチルダの力が“失くなった”のではなく、“奪われた”とマンフリードははっきりと口にした。

 イーサンの報告を受けた時点で、マンフリードもイーサン同様、何者かによる犯行であると確信していた。


 マチルダの活躍は海を越え、他の大陸まで届いている、と外交官であるリジーから報告を受けていた。


 人にせよ魔物にせよ、マチルダの怪力は驚異であり魅力であった。

 いつどんな形でその力をもしくはマチルダ自身を狙うものが現れるのか、それは時間の問題だとマンフリードは思っていた。


 しかし、今回はマチルダ本人ではなく力のみを奪った。

 これが何を意味するのか、マンフリードはマチルダからの情報で何らかの糸口を見つけたかった。


「それが、よく覚えていなくて……」


 記憶の曖昧な部分をマンフリードの為に何とか呼び起こそうと、必死でマチルダは昨夜の自身の行動を頭の中で辿る。

 ふと、マチルダの脳裏にキラリと銀色に輝く髪の毛が過った。


「銀色の……」


 記憶の一部が頭を霞める。マチルダは無意識に過る記憶を声に出していた。


 マチルダの呟きを聞き漏らさずに、マンフリードも反芻する。


「銀色の? それは一体……」


 マンフリードが考え込むマチルダの肩に再び手をかけたその時。



『アォォォーーーン!!』



 マチルダとマンフリードの耳に、狼の遠吠えが聞こえてきた。

 そしてそれを合図に、魔物襲来の警鐘がルドウィン城に再び鳴り響いた。


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