1 始まり
*R5 11/12 加筆・修正しました。
怪鳥の襲撃以降、一旦止んだと思われていた魔物の襲撃にボルド王国は度々見舞われていた。
その為、ボルド王国を治めるルドウィン城のマンフリード第一王子はここ最近、眠れぬ夜を過ごしていた。
ただでさえ魔石を狙う隣国からの襲撃を防ぐべく、強固な要塞を維持しなければならない状況であるのに、今や海からも山からも襲撃に備えなければならず、いつでも緊迫状態が続いているルドウィン城は満身創痍の状態であった。
何より小さな国であるボルド国兵士の数は多くない。次々に傷付き、戦線離脱する兵は後を立たない。
それでもルドウィン城が何とか皮一枚でその存在を維持できているのは、大陸最強と謳われるハミルトン騎士団の精鋭部隊がこの王国に滞在していることが大きかった。
そして、もう一人。
--ボゴォンッ!!
大きな岩ほどもある鉄球をいとも容易く天高く放り投げ、空からの刺客を次々に撃ち落としている可憐な令嬢を目の前に、マンフリードは僅かに視線を曇らせた。
鉄球の命中した怪鳥が、くちばしから血を吐き出して地面へと落ちていく。
吐き出された血飛沫がまるで雨のように令嬢の身体に降り注ぎ、刹那的で混沌とした絵画のような光景にマンフリードは目を奪われる。
頭から怪鳥の血を滴らせた令嬢は、そんなマンフリードにゆっくりと視線を向けた。
「--これで、全部倒しました」
令嬢は安心感を与えるように、マンフリードへにこりと屈託のない笑顔を向けた。
そんな彼女に対し、マンフリードは自分が上手に微笑みを返せているか分からなかった。
(--こんなはずではなかった。私は、君をこんな風に戦わせたい訳ではなかったのに……)
マチルダ、とマンフリードは力なく愛しい婚約者の名前を呟いた。
◆◇◆
ロック鳥の襲撃を防ぎ、国を救ったことで王妃や国民からもその存在を認められ、マンフリードとの婚約披露パーティーを無事に終えたマチルダはふわふわと夢見心地のまま寝室へと戻ってきた。
パーティーを抜け、バルコニーでマンフリードと過ごした甘い一時を思い返し、マチルダはベッドの上で一人恥ずかしさにゴロンゴロンともんどりを打った。
「あぁっ、マンフリード様! 素敵過ぎます! あんなに色っぽい視線で甘い言葉を囁かれたら私、溶けて消えてしまいそうですっ!!」
『マチルダ、これからはもう少し私に慣れてくれ。結婚式の夜に気絶されては流石の私も我慢が出来ない。マチルダが慣れるまで私も協力は惜しまないから』
「ふわわわわわっ!!」
マンフリードの言葉を思い出し、再び押し寄せる恥ずかしさにマチルダは堪らず、枕に思い切り顔を埋めた。
ボフンッ!
マチルダの勢いに大きな枕が真っ二つに裂け、羽毛がブワリと頭上を舞った。
「ああっ! 枕がっ!」
色気に浸るには些か残念なマチルダは、我に返るといそいそと散らばった羽毛を広い集め、部屋の片付けを始めた。
『マチルダ、可愛い』
マチルダの脳裏に再びマンフリードとの甘い記憶が甦る。バルコニーで彼から受けた熱烈な口付けを思い出し、マチルダは熱に浮かされたようにぼんやりと自身の唇を指でなぞり、ハッと我に返った。
「私ったら、何てはしたないっ……」
マンフリードの唇の感触が、彼の熱い吐息が未だ鮮明な感覚でマチルダの唇に残っているようで、恥ずかしさにマチルダは己を叱責するも、マンフリードの姿が頭に浮かぶと、どうしても顔が緩んでしまうのをマチルダは抑えることが出来なかった。
その日の夜、マチルダは幸せな気持ちで眠りについた。
『---お前の夢って何?』
(あら? この男の子は……)
マチルダはふと幼いの頃の夢を見た。
長男のアルフレドの言葉に傷付き、家を飛び出したあの時。
人攫いに遭い、連れられた地下室。
そこで出会った銀髪で褐色の肌の少年。
その少年の姿が暗闇にゆらりと浮かび上がった。
印象的な少年の金色の瞳だけが暗闇にキラリと光って揺れていた。
『お前の夢って何?』
ぼんやりしているマチルダにもう一度畳み掛けるように少年が尋ねてくる。
『私の夢は……』
少女姿のマチルダは、目の前の少年に遠慮がちに口を開いた。
『------』
マチルダの言葉を聞いた少年は満足そうにニッコリと微笑んだ。
『その願い、いつか俺が叶えてやるよ』
『本当ですか?』
少年の力強い言葉にマチルダが嬉しそうに顔を上げる。
『ああ。願いを叶えてやれる頃にお前の前にまた姿を現すから、それまで絶対俺のこと覚えておいてくれよ?』
『忘れる訳がありません。だって貴方は私の大事なお友達ですから』
マチルダがそう言うと少年は少し照れくさそうに微笑んだ。
『お前は俺の初めてで、唯一の友達だ。大事な友達の願いは俺が絶対に叶えてやるからな』
そう言うと少年はユラリと闇夜に姿を消した。
(--待って!)
マチルダの姿が少女から大人へと変わる。
マチルダは得もいわれぬ焦燥感に駆られると、必死で消えた少年に手を伸ばした。
(違うのです! もうそれは私の願いではないのです!)
微笑んで消えていく少年にマチルダは大きな声で訴え掛けようとしたが、声は闇に掻き消され、伸ばした手は虚しく宙に取り残された。
(ルディ、違うのです……)
少年の名を呟くとマチルダはハッと目を覚ました。
幸せな気持ちで眠りに着いたはずが、夢の中に出てきた少年とのやり取りの内容に妙な胸騒ぎを覚え、マチルダは不安気に胸の前で手を握りしめた。
--そして、マチルダの不安は直ぐに的中することとなった。
落ち着きを取り戻したルドウィン城に、再び魔物の襲撃を知らせる鐘の音が鳴り響いたのだった。