5 マチルダと三人の騎士
二回戦を終えたマチルダは一旦、休憩のため控え室に戻ってきた。
「やるじゃん」
汗一つかいていないマチルダを見て、ルディは健闘を讃えた。
「手加減するほどまだ余裕あるんだな。でも、次からはそんなの通用しなくなってくるぜ」
相手を殺さずに倒しているマチルダに、ルディはやんわりと忠告するように声をかけた。
「私は殺し合いをするために戦っているわけではないので」
マチルダが決意に満ちた凛とした瞳をルディに向ける。ルディはマチルダの琥珀色の澄んだ瞳に、思わず引き込まれた。
「……そういえば、私まだ聞いてなかったんですけど、ルディは何の目的でこの闘技会に参加されたのですか?」
自分を熱い眼差しで見つめる、目の前の少年に気付かないマチルダは、地下室でのルディとの最初の会話の際、何となく聞きそびてしまっていたことを尋ねた。
マチルダの質問に、ハッと我に返ったルディが口を開く。
「俺は……」
「三回戦が始まるぞ!」
ルディの言葉を遮るように、タイミング悪く試合開始の声がかけられる。
ルディはふっと笑みを溢すと、言いかけた言葉を飲み込んで、マチルダに『行ってこい』とばかりにヒラヒラと手を振った。
ルディの言いかけた内容が気になりつつも、マチルダは声をかけてきた男に対して言葉を返した。
「今参ります!」
気持ちを整え、控え室を出る直前にマチルダは、ルディに向かって力強く両手の拳を胸の前でぐっと握り締めた。
「行って参ります!」
試合に臆する様子のない頼もしいマチルダの姿に、思わずルディから笑みが溢れる。
「……ああ、頑張れ」
「はい!」
ルディの言葉を受け取って、マチルダは意気揚々と闘技場へと姿を消した。
控え室に残されたルディは、マチルダの去っていった入り口を暫く見つめた後、
「いいな、あいつ」
とニヤリと唇の端を上げて呟いた。
◇◇◇
「脅威の怪力少女が再び姿を現しました!!」
試合進行役の派手な衣装を着た男が声を張り上げ、会場を盛り上げる。
「「うおぉぉぉぉっっ!!」」
会場にいた観客達は先程迄のマチルダの闘いを思い返し、期待に沸いた。
「次の対戦相手は、先程とは比べものにもならない強さの魔物です!」
じゃらりと重たい鎖を引きずる音が会場に響く。
登場した異様な姿の魔物に、会場からどよめきが起こった。
緑色の皮膚をした単眼の、額に一角を生やし、鋭い爪を持つ巨人。
――サイクロプスが手足に拘束用の長い鎖を引き摺りながらゆっくりと登場した。
見るからに凶悪で禍々しい魔物の容貌を前に、対戦相手であるマチルダの華奢さが、一層観衆の目を引いた。
サイクロプスが、大きな一つ目で足元のマチルダにギロリと視線を投げる。
マチルダは怯むことなくその視線を受け止め、目の前の単眼の巨人にトロールの時と同様、丁寧に頭を下げた。
「よろしくお願い致します」
マチルダが、武器である左手のバトルアクスを上に持ち上げ、構えたその時だった。
「……よくも、まぁこれだけの魔物を揃えたな」
聞き慣れた声にマチルダの身体がピクリと揺れる。
声の方をゆっくりと振り返ると、騎士団を総動員したジョージが、静かな怒りを孕んだ表情で闘技場の入り口に立っていた。
「ここはハミルトン騎士団が押さえた!! 会場にいる奴らは一人足りとも逃がさんぞ!!」
ジョージの御用の声を合図に、闘技場の入り口や観客席にハミルトン騎士団が一斉に押し入ってきた。
「闇オークションでの人身売買に、魔物との闘技会。ようやく、現場を押さえたぞ!!」
騎士団が次々に関係者を捕縛していく中、マチルダの元へいち早くアルフレドが駆け付け、呆然としている石盤上のマチルダに声を掛けた。
「マチルダ、無事か!?どこも怪我はしていないか?」
アルフレドの姿を目にして、マチルダはここに来て初めて僅かに動揺した。
「あ……、お兄様。……どうして?」
「ウオォォォッ!!」
マチルダの意識がアルフレドに向いた一瞬の隙をつき、サイクロプスが素早く腕を振り上げ、鋭い爪をマチルダ目掛けて振り下ろす。
「マチルダ!!」
目の前の光景に、アルフレドが思わず声を上げたその瞬間、
ガキィンッ!!
「ウガッ!!」
マチルダの目の前に二つの影が重なる。
サイクロプスの攻撃を受け止めたのは、盾を構えたマックスで、マチルダを庇うように立っていたのは、何時もの飄々としている姿とは別人のような、険しい表情をしたイーサンだった。
「マックスお兄様、イーサンお兄様!」
マチルダが兄達の名を呼ぶ。
「うぉぉぉっ!」
マックスが気合いの声を上げながら、盾でサイクロプスの攻撃を弾いた。
「マチルダを一番初めに倒すのはこの俺だ!!」
そう叫ぶとマックスがサイクロプスの腕目掛けて力一杯剣を振り下ろした。
ザシュッ、とサイクロプスの腕が切り落とされる。
「ウギャッ!!」
サイクロプスが痛みに悲鳴を上げたのも束の間、立て続けにヒュンヒュンと風を切るような音がし、身体に無数の切り傷が浮かんだ。
プシャッと、サイクロプスの裂けた皮膚から一斉に血が吹き出す。
「やるな、兄上!!」
石盤に上がり、一瞬の速さでサイクロプスの皮膚を切り裂いたアルフレドに向かって、マックスが称賛の声を上げた。
「このまま一気に倒すぞ!」
「おおっ!」
アルフレドの合図を受け、マックスが再び大きく剣を振りかぶった。
マチルダは兄二人が勇ましく巨体の魔物と戦っている姿を、イーサンに守られるように抱き締められながら、ぼんやりと眺めていた。
「マチルダ、大丈夫?」
優しい声音でイーサンが腕の中のマチルダを覗き込む。
「私、このまま勝たないと……」
ぽつりとマチルダが呟いた。
「うん? どうしたって?」
「優勝しないと願いが叶えられない……」
マチルダの不安そうな声にイーサンが怪訝な表情で問い返す。
「誰がそんなデタラメをマチルダに吹き込んだの?」
イーサンの怒りを孕んだ低い声に、マチルダはイーサンに視線を投げ、声を張り上げた。
「デタラメでは有りません! 優勝者は願い事を何でも一つだけ叶えてもらえるのです! だから私は優勝してお母様を生き返らせて貰おうと……っ」
マチルダの言葉に、戦っていたアルフレドの身体がビクリと揺れる。
「それが出来ないのならせめて、……私のこの怪力を消して貰おうかと、お願いしようと思っていました」
必死な様子で訴えるマチルダの、不安に揺れる琥珀色の瞳を見つめながら、イーサンが強くしっかりとした声で、マチルダを諭すように口を開いた。
「そんな話は嘘だ、マチルダ。死んだ人は生き返らない」
イーサンの言葉にマチルダの大きな瞳が揺れる。
マチルダは真摯な表情のイーサンの瞳を切なそうに見返し、尋ねた。
「……私は、騙されたのですか?」
「そうだね。悪い人に連れ去られて、騙されたんだ」
イーサンが容赦なくマタルダに真実を告げていく。
「皆凄く心配したんだよ、マチルダ。マチルダがいなくなってから父上も兄上達も、屋敷中の者が皆マチルダの無事を必死で祈っていたんだ。もちろん僕も」
「ご、……」
イーサンの話に思わずマチルダが謝罪の言葉を述べようと口を開きかけたその時、イーサンがマチルダの可憐な唇に人差し指を当て、それに続く言葉を制止した。
「謝らなくていいよ。僕はそれだけマチルダが、皆に愛されているってことを言いたかっただけだから。悪いのはマチルダをそこまで追い詰めた、アルフレド兄さんなんだし」
「うっ」
シレッと毒を吐くイーサンの言葉が、戦い途中のアルフレドの心にぐさりと刺さり、アルフレドは短く呻いた。
「でも、僕も反省してる」
「イーサンお兄様も?」
今にも泣き出しそうなマチルダが、イーサンの言葉に不思議そうに首を傾けた。
「うん。アルフレド兄さんがマチルダに当たりがキツいの知っていたんだけど、僕だけがマチルダの良さを分かってればいいと思ったし、傷ついたマチルダを慰める役目も結構気に入ってて、放っておいたのも悪かったな~って思って」
「そ、そうなのですね……?」
イーサンの告白に純粋なマチルダは、理解が追い付かず、取りあえず相槌を打った。
「俺も反省している!」
マチルダの背後からけたたましい声が響き渡った。
後ろを振り返ると、いつの間にかサイクロプスを倒したアルフトレドとマックスがマチルダを囲むように立っていた。
「俺はマチルダにライバル意識を持っていた!」
「それは知ってたけど」
マックスの話にイーサンがぼそりと突っ込みを入れる。
「強いマチルダに勝負で勝つことばかり考えて、兄として妹を可愛がるということに失念していた! これからはもう少し妹として可愛がってやろうと思う!」
「は、はい」
マチルダに向かってマックスがビシッと指をさして可愛がり宣言をしたので、勢いにつられてマチルダが頷いた。
「……マチルダ」
最後に、気まずそうにアルフレドがマチルダの前に歩み寄る。
「アルフレドお兄様、私……」
謝ろうとしたマチルダにアルフレドが勢いよく頭を下げた。
「すまなかった!!」
「え?」
謝ろうとして先に謝られてしまったので、マチルダはその後の言葉を続けることが出来ず、困った様子でイーサンに視線を流した。
その視線を受け止め、イーサンがアルフレドの言葉を聞くようにと、マチルダににこりと頷いて合図を送る。
マチルダはイーサンからの合図を受け取り、アルフレドに視線を戻した。
「母上の死がどうしても受け入れられず、長い間マチルダに辛く当たってしまった。マチルダは何も悪くない。許して貰おうとは思っていないが、これからは今までの分も含めて、マチルダを大切にしていきたい」
謝罪の間、アルフレドは頭を下げたままマチルダの言葉を待った。
「……アルフレドお兄様の大事にしていたネックレスを壊してしまいました」
申し訳なさそうに小さな声でマチルダが声を発した。
「それは、もういいんだ。あれくらいなら職人に頼んで直して貰える」
「怪力も治りません……」
「魔物を倒す程の力ならハミルトン家の者として誇ってもいいくらいだ」
「……お母様、生き返らせられません」
「母上にそっくりのマチルダが居てくれるならそれでいい」
次々と優しい答えをくれるアルフレドの言葉にとうとう堪えきれず、マチルダの栗色の瞳から大粒の涙がポタポタ零れ出した。
「――マチルダッ!!」
堪らずアルフレドが頭を上げ、マチルダを抱き締めた。
「すまなかった! もう二度とお前に辛い思いはさせない! お前を一生かけて守っていくよ」
「ふぅ、うぇぇん~っ!」
アルフレドに抱き締められたマチルダは、逞しい兄の胸で初めて声を上げて泣いた。
イーサンはマチルダを取られたようで面白く無さそうに「ちぇ~」と言葉を洩らしたが、
「マチルダが幸せならまあ、いっか」
と肩を竦めて大人びたため息をついた。
「うぉぉぉ! 俺もマチルダを守っていくぞ~!」
二人のやり取りに感極まったマックスが涙を流しながら、アルフレドとマチルダの上からがっしりと二人を囲うように抱き締めた。
「やれやれ、ようやく兄妹がひとつになれたかな……」
一部始終を見守っていたジョージがはにかむような笑顔で一人呟いた。
(レジーナ、子供達は勝手に育っていくものだな……)
今は亡き愛しい妻に、ジョージは静かに心の中で語りかけた。
◇
闘技場の屋根の片隅で金色の瞳をギラつかせ、騎士団が闇の組織を制圧した様子を静かに見届けている人物がいた。
「俺がこの闘技会ぶっ潰してやろうと思ったけど、必要なかったな」
ルディが不敵な笑みで騎士団に囲まれているマチルダを見下ろした。
「人間の分際で、俺に無断で魔物を引っ張ってくるなんていい度胸してると思ったけど……」
ルディの身体がみるみるうちに銀色の体毛で覆われる。
「面白い人間見つけたし、人間滅ぼすのはもう少し待ってやるかな……」
銀色の狼の姿に変わったルディは、マチルダに別れの挨拶をするかのように、
「アォーン!」
と大きくひと鳴きすると、夜の闇にひっそりと姿を消していった。
「ルディ……?」
マチルダはルディの気配を感じ、兄の腕の中から顔を上げ、辺りを見回したが、彼の姿を見つけることは出来なかった。