4 少年と闘技会
薄暗く、陰鬱な雰囲気の地下室に幼いマチルダは連れて来られていた。
「ここで待っていればいいんですか?」
呑気な声でマチルダは、町で声をかけてきた男に向かって尋ねると、頬に大きな傷のある男は、ニヤリと嫌な笑顔をマチルダに向け大きく頷いた。
「そうだ、呼ばれるまでここで大人しくしていろ」
「分かりました」
自分が人攫いにあったとは露も知らない、幼い世間知らずのマチルダは、男の言葉に素直に従った。
アルフレドとの一件で、衝動的に屋敷を出たマチルダだったが、今まで屋敷を一人で出たことなどなかった為、早速迷子になってしまい、街をあてもなくふらついていた所、この顔に大きな傷のある男に声を掛けられた。
家を飛び出し行く場所がない、とマチルダから聞いた男は、『そういう子供を面倒を見てくれる人がいるから紹介してやる』と幼いマチルダを誑かし、この地下室へと連れてきたのだった。
部屋から出ると、男は外からカチャリと地下室の扉の鍵をかけた。
「ありゃどう見ても、上流貴族の令嬢だ。思わぬ上玉が手に入ったぞ。……今夜のオークションが盛り上がるな」
ヒヒ、と厭らしい笑い声を洩らしながら、男は上機嫌で部屋を後にした。
部屋にぽつんと残されたマチルダは、ぐるりと薄暗い周囲を見回した。
がさり、と奥の方から音が聞こえたので、マチルダはゆっくりと音の方へと足を向けた。
「誰か、いますか?」
「ひっ!」
マチルダの呼び掛けに小さな悲鳴が聞こえた。
薄暗い部屋に目が慣れてきたマチルダは、悲鳴のもとを辿り、部屋の隅で数名の幼い子供達が身を寄せ合って震えている姿を発見した。
「あなた達も引き取ってくれる人を待っているのですか?」
マチルダが子供達に向かって無邪気に声をかける。
「そんなわけねーだろ」
背後から少しかすれ気味のハスキーな声が聞こえ、マチルダが驚いて後ろを振り返ると、薄暗い部屋の中、銀色の髪と褐色の肌をした次男のマックス位の背丈の少年が、爛々と金色に光る瞳でマチルダの姿を捉えていた。
「お前、何処の世間知らずのお嬢様だよ。ここは闇組織の人間に拐われた子供達が捕まっている場所なんだぜ?」
「拐われた……?」
「そう、お前もここにいる連中と同じで、奴らに騙されて連れてこられたんだよ。中には無理やり拐われて来られたのもいるけどな」
部屋の隅で震えている子供達に、チラリと少年は視線を向けた。
「ここにいる奴らは、夜になるとオークションに掛けられて、金持ちに引き取られるのさ。勿論お前もな」
ズイと少年がマチルダに顔を近付け、意地悪そうな顔でニヤリと笑った。
「お金で買われるってことですか? それは奴隷になるってことですか?」
マチルダはきょとんとしながら、少年の言葉に首を傾げた。
「そうだよ。お前はお金持ちに買われて、この先一生奴隷として生きるのさ」
「貴方もですか?」
他の怯えている子供達とは違い、堂々と組織の話をする少年に違和感を覚え、マチルダは尋ねた。
「俺はオークション前に開催される闘技会参加者だ」
金色の目を好戦的に光らせ少年は答えた。
「闘技会……?」
聞いたことのない言葉に思わずマチルダが聞き返す。少年は何も知らないマチルダに、やれやれと呆れるように小さくため息をついたが、反応を楽しむように丁寧に説明し始めた。
「オークションの前にショーの余興として、闘技会が催されるんだ。人と野獣や魔物を闘技場で戦わせて楽しむ、金持ちの悪趣味な娯楽だよ。当然、やられれば死ぬし、勝てばどんどん強い相手が出てくる。最後まで勝ち残ることが出来たらそいつの願い事を必ず叶えて貰えるって話だ」
「何でも?」
少年の話にマチルダが興味深そうに食いついた。
「ああ。オークションは金持ちの集まりだからな。金持ちの奴らから、大体の奴は金を受けとるか、高価な物を貰うかだろうがな。中には中々手に入れることの出来ない珍しいものを貰ったやつもいたって話もある」
「それって、死んだ人も生き返らせることが出来たりしますか?」
マチルダの到底不可能と思われる質問内容に、少年は一瞬ぱちくりと目を大きく見開いたが、直ぐにぶはっと吹き出し、面白いものをみるように目を細めると、マチルダに視線を投げた。
「そんな願いは聞いたこともないが、中には怪しい魔術を使う奴らもいるから、死者の蘇生も出来るかもしれないな」
少年が冗談半分で適当に答える。
「!? 私、その闘技会に参加します!!」
マチルダは、勢いよく片手を挙げると、少年に向かって目を輝かせながら、参加の意思を示した。
「はっ?」
事態が飲み込めない少年は、間抜けな声を出し、ポカンとした表情でマチルダを見た。
「その大会で優勝して、お母様を生き返らせて貰います!!」
「いや、ちょっと待て。お前が戦える訳ないだろ……」
「大丈夫です!! 私、これでも強いのです!!」
戸惑う少年を尻目に、マチルダは地下室の頑丈な錠前をおもむろに小さな右手に握り込むと、そのままぐっと力を込めた。
バキッと破壊音が聞こえ、マチルダが手を開くと錠前は見事な迄にぺしゃんこに潰れ、ごとりと重い音を立て床に落ちた。
「なっ!?」
目の前の光景が信じられず、少年は錠前とマチルダを暫く交互に見ていたが、事態が飲み込めると、今度は愉快そうに声を上げて笑い出した。
「お前、おもしれーな! いいぜ、俺がアイツらにお前の闘技会の参加について口利いてやるよ。お前の名前は何て言うんだ?」
「私はマチルダと申します」
素直に答えるマチルダに、少年も自分の名を名乗った。
「俺はルディ。今夜は面白いものが見れそーだな」
ルディと名乗る少年は、大いなる願いを叶えるため、一人で密かに闘志を燃やしている幼く可憐な少女を興味深く見つめていた。
◇◇◇
オークション会場となる地下闘技場は異様な盛り上がりを見せていた。
それもその筈、僅か10歳にも満たない、見るからに育ちの良さそうな少女が、観衆の目の前で次々に魔獣、魔物を倒していたからだ。
闘技会に参加したマチルダは、数ある用意された武器の中から一番力を乗せやすいバトルメイスを選んだ。
一回戦目はサーベルタイガーだったが、勝負は一瞬でついた。
サーベルタイガーは凶悪な二つの大きな牙で、目の前の小さな獲物を噛み砕いてやろうと涎の滴る大きな口を開けて、マチルダに襲いかかった。
観衆は目の前での惨劇を予感し、期待と恐怖に慄いた。しかし、予想もしないことがその直後に起きたのだ。
バキッ!!!
サーベルタイガーがマチルダを頭から噛みつこうと上から跳びかかった瞬間。
マチルダはタイミングを見計らって、バトルメイスを一振りし、サーベルタイガーの硬い二本の牙を見事に砕いた。牙の破片がパラパラとマチルダの頭上を舞う。
「ギャンッ!!」
サーベルタイガーが悲鳴を上げ、床に転がった。
最早、一番の武器を失ったサーベルタイガーは立ち上がったものの、完全に戦意喪失しており、クゥンと弱々しい鳴き声を上げながら、マチルダから逃げるように身体を離した。
「勝負あり!!」
審判が勝敗の声を上げると、会場を揺らすほどの怒涛の歓声が沸き起こった。
「うわぁぁぁ! 何が起こったんだ!」
「あの少女は人間か!?」
「あの少女の名前は何と言うんだ!!」
闘技場の控え室からその様子を見ていたルディはヒュウと口笛を鳴らし、「やるねぇ」と嬉しそうに呟いた。
マチルダもルディの姿を目にし、にこりと微笑んだ。
次の相手は巨体で鉤鼻のトロールだった。巨体のトロールはマチルダと同じく、木製の棍棒を武器としていたが、その大きさはマチルダの持つバトルメイスの優に3倍はあった。
「お、おんなのごだ……」
トロールは目の前の可愛らしい少女を見て、醜悪な顔を一層歪ませ、厭らしく笑った。
「手合わせ、よろしくお願い致します」
マチルダはそんなトロールにさえ怯まず、丁寧に挨拶を行うと、トロールの出方を待ち、武器を構えた。
トロールは巨体の分、先程のサーベルタイガーの何倍も動きが遅かった。ゆっくりとこちらに向かってくるトロールにマチルダはその場を蹴って、小さな身体を利用し、トロールの股を潜り、後ろに周り込んだ。
「なんだ?」
トロールがゆっくりと後ろを振り返った瞬間、マチルダは素早く上にジャンプし、上から思いっきりトロールの横面目掛けてバトルメイスを振りかざした。
「ブベッッッ!!」
トロールの顔が大きく歪み、衝撃にトロールの巨体が地面から浮き上り、その後すぐに激しく地面に身体が叩きつけられる。
ズシン――――
トロールが地面に沈んだ衝撃で、再び闘技場が揺れた。トロールはマチルダの重い一発で白目を剥き、舌を出したまま身体をピクピクとピクつかせ、そのまま意識を失ってしまった。
「し、勝負あり!!」
信じられない光景に審判も声を震わせながら勝因の声を上げた。
誰もが予想しなかった信じられない結果に、再び会場は大きな歓声で揺れたのだった。
◇◇◇
「公爵! 情報で、闇オークションなるものが今夜秘密の地下闘技場で行われているそうです」
騎士団長が、アルフレドと共に街に駆け付けたジョージに、入手したばかりの情報を報告した。
「そこに、マチルダがいるんだな」
闇オークションの言葉に、ジョージが騎士団長に鋭い視線を向ける。
「はい。あと、その、これも今入った情報なのですが……」
騎士団長は言いにくそうに言葉を詰まらせながら、チラリとジョージに視線を送った。一刻を争う事態だというのに、煮え切らない態度の部下にジョージは苛立つ気持ちを抑えられず、乱暴に口を開いた。
「何だ? 早く報告しろ!」
厳しい口調のジョージに騎士団長は慌てた様子で背筋を伸ばし、言葉を一気に放った。
「は、はい! どうやらそのオークションの前に余興として、闘技場で魔物対人間の闘いが行われているようなのですが、幼い少女が魔物を蹴散らしまくっている、と話題になっているようですっ!!」
予想していなかった騎士団長の報告内容に、ジョージはくらりと眩暈がして、後ろに倒れそうになったが、寸でのところで側にいたアルフレドが父親の身体を支えた。
「ち、父上! お気を確かに!!」
ジョージとアルフレドは間違いなくその少女がマチルダであると確信したが、無事であったことへの安堵感とは別に、今後のマチルダの人生について本気で心配したのだった。