一日の終わり
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エルトの姿が見えなくなった後、墓前で目を瞑り感慨深そうに下を俯くコルトの姿を見る者が二人居た。少し納得が行かなそうにしているミコと、目に溜まる涙を拭うエルトであった。
「……エルトさん。本当によろしいのですか?」
コルトに聞こえないよう、こそこそと喋るミコ。あんな別れ方をして、実はまだ逝ってませんなどぶち壊しもいい所。バレる訳には行かないのだが、大切な人との時間をこんな形で使い切っても良いのかとミコは思ってしまうのだ。
--悪ぃな。でも、あれ以上喋ってたら泣いちまう気がしてたんだ。これでいい。
初め、エルトは最後までコルトと話すつもりであった。最後まで笑うなり悲しむなりして終わるつもりだった。しかし、コルトに泣く姿を見られたくなかった。別れる時が如何に悲しくても、恐怖に震えていたとしても、笑ってお別れをしたかったのだ。故に、'実体化'前に保険を残していた。
「目配せしたら'可視化'を解いてくれ。言われた通りにしましたが、やはり最後まで話した方が……。」
--んにゃ。その必要はない。
「でも、本当は話したいのですよね……?」
--話したくないは嘘になる。だが、今の状態で話したいと言うのも嘘になる。……これでいいんだよ。あぁして俺が消える事で、コルトの中で何か変化があって、それがあいつの根本から変えてくれるならな。
無理に笑うエルトを見たミコは、これ以上の説得を諦めた。コルトの'幻想'によって見たエルトと言う男が、今対面して悲しくとも笑顔を崩さないエルトと言う男が、自らの意見を簡単に曲げるなどと思えなかったのだ。
「承知しました。」
静かに目を瞑ったミコ。それは、エルトの泣く姿を見ないようにするための行動であった。
--……。コルトが来ない日は退屈だったんだ。
ボソリと独りごちるエルト。それを黙って聞き過ごすミコは尚も目を瞑る。
--人の見れる最後の世界は狭くて、ここから見える景色だけが俺の世界になったんだ。
思い出される退屈な日々。消滅のやり方など分からないエルトは、いつ消滅するか分からない恐怖に怯えながらも、コルトの訪れる日を待ち続けた。しかし、訪れるコルトは来る度に一段と老ける。エルトは消滅への恐怖と同時に、コルトの死も恐れ始めた。
やがて周りの墓が崩壊を始めた。変わらない物はないという事を毎分毎秒その目に刻み、その矛盾点が自分である事に気づいた。変わらないのは自分だけ。悟ってしまった途端に取り残された気がして、それからは常に寂しさ感じていた。
(話せるなら話したい。何度そう願ったか……。)
エルトの声が震える。鼻をすすり、落ちる涙は地面にシミを作らない。すべて淡白い粒子となり静かに消えていく。エルトの居た証拠は悲しい事に残らない。
--今日やっとコルトと話せた。思っていた事の一部を伝えられたし、悔いは何もねぇはずなのに。見上げる夜空も今まで以上に綺麗なはずなのに……何でかな。
エルトの開かれた手がコルトへ伸ばされる。
--俺……まだ消えたくねぇ……。
訴えられる心の叫び。しかし、ミコには何も出来ない。死者と生者の間を取り持つ事しか出来ず、消滅の止め方なぞ知らず。
「……。申し訳ありません。私にはどうする事も……。」
--分かってるさ。俺だけ消えねぇなんざ虫のいい話あっていい訳がない。すまねぇ。今のは忘れてくれ。
あふれ出る涙を拭うエルト。その様子を前にして言葉を失うミコは、自然と視線が下がってしまう。
--なぁ、ところで嬢ちゃん。世界って優しいと思うか?
突然問われたミコはしかし、その質問に答えられる程この世界の事を知らない。
「……。……私には答えかねます。」
--ししっ!そうだよな。俺も分からねぇし、もしかすると誰にも分からねぇのかもな。……だけど今日はなんだか少し……優しく思える。
そう述べるエルトは首を縦に振る。その答えで納得したのか、それとも何か覚悟が決まったのか……はたまたその両方か。
--持ってんだろ。俺を消す方法。
自信があるのか、エルトの声はやけに清々しかった。
「……。……確証はないですが、ある事は確かです。」
--じゃ、さくっとやってくれ。
「……でも」
--ここに留まってる方が苦しいんだ。頼む。
「……。いいのですか?」
--あぁ。死ぬときゃさくっと逝く事に決めてんだ。
エルトはコルトを見ない。見る必要がないと言わんばかりに、他者にも自分にもそう言い聞かせるように。
ミコはエルトの顔を見て何が正解か分からなくなってしまう。二人の別れがこれでいいのかと疑念を抱き、辛そうな笑みを浮かべるエルトの顔を見て、望み通り消滅させてしまうのが彼の幸せかと悩む。
--頼むよ嬢ちゃん。世界が優しいと思えたまま逝きてぇんだ。
エルトの懇願する姿を見て、ミコは一度目を瞑ると、渋々……小さく頷く。
--ありがとな。
エルトの言葉と同時に、ミコは小さく呟いた。
「'浄化'」
淡い光がミコの周囲を覆い浄化していく。ミコの心身の穢れを、コルトの心身の穢れを、そして、エルトの心身を。
--へぇ。こんな心地よく終われんなら、消滅すんのも悪くねぇな。
最後にヘラヘラと笑うエルトは、無意識にコルトを見てしまった。
--っっ!!
その瞬間。コルトと目が合った気がした。
--……。ありがとな。コルト!!
込み上げる感情は何か。悲しみでもなく、喜びでもなく。ただあるのは心の底からの感謝であった。ニッ!と笑うエルトは細かな粒子となり、地面に一つ……淡白い宝石を残して完全に消滅した。
(浄化は不浄を払うスキル。)
淡白い粒子が消えた後、'可視化'を解除しながら悲しそうな目で虚空を見つめたミコはふいっと目を逸し、淡白い宝石を拾いながらも呟いた。
「世界は……酷いと思いますよ。」
エルトの質問。あえてミコが答えを告げるとするのならばの回答。がしかし、受け止める相手のいない呟きもまた、夜闇に紛れて消えてしまうのであった。
「ヤマデラ様。感謝致します。おかげで、エルと話す事が出来ました。」
黙祷を終え、爽やかな笑みを浮かべるコルトは第一にミコへ頭を下げた。十分とは言え、死んだ旧友と再開させてくれた相手に礼をしないはずがなかった。
「いえ。この力がコルトさんのお役に立てて良かったです。」
にこりといつものように笑おうとしたミコであるが、直ぐに異変に気づいた。
(……?……あれ?なんだろ……上手く笑えない?)
作られた笑顔など簡単に出来るはずなのに、ミコは思うように笑えなかった。
「おや?ヤマデラ様。その手に握るのはもしや、'輝石'ではないですかな?」
ミコが異変に首を傾げる中、コルトの目に映るはミコが手に握る淡白い宝石であった。当然知らないミコは輝石と呼ばれたその石を見て眉を寄せてしまう。
「輝石?」
「えぇ。転移者が特定の条件を満たした時にのみ顕れる宝石でございます。他の英雄方はそれで、自身の持つスキルを強化しておりました。」
(スキルを強化……?)
ミコは自らの手の内にある輝石を見れば、直ぐに使用しようとして止まる。
「では、これはコルトさんがお持ちください。」
「……はい?使われないのですか?」
当然コルトは疑問に感じていた。今まで見てきた転移者のスキルは全て、その者の限界を超えた力を与えていた。それを強化するという事は即ち、生存に直結するのである。
「他の英雄方は、説明を受け次第直ぐに使いました。それは生存の為です。右も左も分からないこの世界で生きる為には、やはり自身の力が一番の頼みなのです。ヤマデラ様、それでもご使用になられないのですか?」
「これはエルトさんが消滅した際に残された物……言わば形見です。でしたらコルトさんの手元にあるべき物でしょう。」
揺るぎないミコの瞳。コルトは自然とエルトを思い出し、くすりと笑ってしまう。
(どうやら私は、自分に自信がある人との縁が切れないようだ。多分……これからもそうなんだろうな。)
「では、お言葉に甘え頂戴致します。」
ミコの手から輝石を受け取ったコルトは、輝石から発せられる温かい光に頬が緩み、そのまま右胸のポッケへ入れる。
「さて、ヤマデラ様。外は冷えます故、早くお部屋へご案内致しましょう。」
晴れやかな笑顔を浮かべたコルトは、軽い足取りで階段を上っていく。
(……よかった。)
やる気に満ちたコルトの背中を見て、ミコは自分の行った事が間違いでないと知り、少し口角が上がる。
「はい。」
月光の元、コルトとミコが墓地の階段を行く。行きとの違いはその表情に、歩く様、場の雰囲気から目に見えてはっきりとしていた。
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「ではヤマデラ様。私はこれにて失礼致します。」
今朝、ミコが目覚めた部屋。
天井のシャンデリアが明るく室内を照らし、雑に置かれた宝石や貴金属がその光をキラキラと反射する中、扉前にて九時半を指す時計の針の如く、丁寧なお辞儀をしたコルトは、静かに扉を開き退出する。
ガチャッと扉が閉まり、コルトの足音が遠ざかって行く事一分後。
「はぁぁぁ……。」
ミコの口から大きなため息が吐き出される。それは、コルトが去り一人だけの空間となった今、緊張が解け、ドッと疲れが押し寄せたが故のため息であった。
その場で脱力し倒れてしまいたい思いになるミコであるが、豪奢な部屋の中心でそんな事が出来るはずもなく、その重い足をベッドへ向けて動かし始める。
(コルトはこの後、王様の所に行くんだろうな……。)
ミコは不安故に眉を寄せてしまう。それは当然の心配。死者の魂を見えるようにするのみならず、生前の姿に戻すなど、考え方によっては死者に対する冒涜とされてもおかしくないためだ。
(この力について、どんな報告をするのだろう?王様は怖いけど、選択させてくれたから悪い人じゃないと思う……。)
そこまで考えてミコは首を振るう。
(早く休もう。どれだけ危険でも、利用出来る可能性を吟味する間は命を狙ったりしないだろう。)
その思考は先日までのミコならば有り得なかった。未来に自分が死ぬかもしれないなど、よっぽどヒヤッとする出来事がない限り無縁の思考であった。ミコの頭からは地球の常識が薄れつつあった。非現実的な出来事の連続は、確かにじわじわとミコの思考を歪めている。その事にミコはまだ……気づいていない。
(やっぱり、何度見ても凄く広いベッド……。)
見た事もないくらい巨大なベッドを前にして、ミコはうずうずとする思いに気が付いてハッとする。
(……いや。流石にそれはダメだろう。はしたないにも程が……。)
しかし、ミコの目に映る大きなベッド。
(いやいや。子供じゃないのだから。そんな事……。)
しかし、ミコの目に映るでけぇベッド。
(……。今なら誰も見てないし……良いよね?)
ミコの目に映るでっけぇベッド。頭を過ぎるは、ベッドを買ったらやりたかった事ランキング堂々の一位。またとないチャンスが目の前にあるのだ。ミコはごくりと固唾を飲み込み、今日一番の緊張をする。
(良いよね……?)
決心したミコは恐る恐ると言った感じに、弱めにベッドへ飛び込めば、ばふっと消える。柔らかすぎる毛布に埋もれたミコの胸の内には、叫び出したい様なうずうずとした感情が湧き上がる。堪らず毛布から抜け出し、ベッドから立ち上がっては、じりじりと後方へ下がる。
(もう一回!!)
今度は思い切り飛び込んだミコ。ばふっと柔らかい毛布に瞬時に包み込まれるような感覚が心地よく、そこに楽しさを見出す。がばっと起き上がるミコの顔は不思議な顔であった。
楽しいはずなのに胸のどこかで笑ってはいけないとでも考えているのか、笑いを我慢した様な顔であった。しかし、これだけは確かである。ミコは今の時間を、行動を、楽しいと感じ、三度目を繰り返そうとしている。
(も一回!!)
再度ベッドに飛び込んだミコ。その跳躍力は十二歳の子供とは思えない程高いものであったが、アトラクションに夢中のミコ、それに気づかず。ばふっ!と巨大な毛布がめくれてしまう程、思い切り飛び込んだミコ。しかし聞いてしまった。ベッドが僅かに軋む音を。
「……。」
すんっと、楽しそうにしていたミコは瞬時に大人しくなる。先程までの不思議な表情も、悲しさを感じさせる無の表情に戻り、借りてきた猫の如く静かになる。
(壊したりなんかしたらシャレにならない。これ以上はやめよう。)
初めてのベッドにビクつきながらも、ミコは仰向きになって目を瞑り、深呼吸を始めては一日を振り返る。それはミコの寝る前の週間であった。いつもならば、その日読んだ本の内容を振り返ったり、同年代の子に話しかけようとして出来なかった自分を恥じたり、自らの母を思い出して嫌な気分になったりとした程度である。
しかし、今日のミコの身には目覚めてから多くの事が起きすぎたのだ。現実味のないものばかりで、必ずしも素晴らしいという訳でもなく、初日から死ぬのでは?と思える程の苦痛を味わった。そして手に入れたスキルに、コルトエルトの再開。場面場面の選択を思い出してみたりと、ミコの中で振り返るべき事は多くあった。
(私は異世界に来た。それも英雄として。付与の儀式で力を手に入れたけど、まだ分からないものばかり。でも不安であるはずの未来は何故か少し楽しみだ。)
ふぅぅ……とミコは大きく息を吐き出す。胸の内がスッキリする感覚がして、精神も落ち着くため、ミコは深呼吸が好きである。しかし、心地良さげにしているミコの頭を過ぎるは、やはり付与の儀式の件。
(あの痛みは凄まじかった。この胸の内を占める不安の大半があの儀式だ。あれが……'この世界の普通だったら?'……つい、そう考えてしまう。)
これから先、世界を回ると聞いているミコ。だからこそ、あのレベルの痛みがこの世界における普通であった場合、果たして自分は'英雄'として居続けられるのだろうか?と不安で仕方なかった。
(……あの痛みはもう御免だけど……。この世界でやって行ける力を手に入れたのも事実だ。)
自らの手を見るミコは思い出す。コルトとエルトに感謝された時の事を。
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「心から御礼を……。」
--ああ!ありがとな!嬢ちゃん!
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(お礼を言われた。ありがとうと言われた。ただ……。ただそれだけなのに……なんだろう。この胸の高鳴り。)
ミコは自分の胸を満たす感情がよく分からなかった。あまりに体験した事のない感情。込み上げるそれに耐えきれず、ばふばふと毛布に踵を落とす。ばたばたと動き続ける足はやがて止まり、ミコは思う。
(今日手に入れたこの力は使い方次第で人に害を成すはず……。でも、間違わずに力を使えるとするのなら私は……。今日みたいに誰かを助けてみたい。)
ミコは今抱く自分の感情を好み、自分の意思でこれからの行動基準を変えようとしていた。
(……私に出来るだろうか?)
当然、母が頭を過ぎり暗くなるミコは、ふるふると首を振るい断言する。
「出来るかじゃない。自分を騙してでも変えるんだ。」
(そうでもしなきゃ、母は消えないだろう?……私。)
ミコは自らに言い聞かせる。自分ならば出来る。大丈夫だ。……と。うつらうつらとしながらも、ミコは自らの内に新しい思考を取り入れて行く。
(今日の全てが……夢でありませんように。)
薄っすらと目が閉じ行く中、ミコが胸に抱くは願い。朝が来て目が覚めた時、いつもの年季の入った古びた天井ではない事を、心の底から願い静かに目を閉じた。
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カリカリと筆を走らせる音だけが響く部屋。王の執務室ではグランツ王が無の境地に至っていた。感情の見られない瞳。こてんっと脱力している首。ぽかんと開きっぱなしの口からはため息がもれていた。
(どうするかの……。このままだと終わらないのじゃが……?)
その時、コンコンッと執務室の扉が叩かれる。途端に、無の境地へと至っていたグランツ王の瞳は絶望に染まっていく。
(リンに……叱られる……!)
「失礼致します。」
しかし、グランツ王の予想に反して室内に響くはコルトの声。途端に絶望に染まっていたグランツ王の瞳は、希望を見始める。グランツ王は滑らかな動作で直ぐに立ち上がり、わざわざ扉まで行くと開いてやる。
「っっ!!我が君自ら開くなどっっ!」
部屋に入らずその場で跪こうとしたコルト。グランツ王は眉を寄せ、コルトの対応に面倒くさく思うと、その腕を掴み強制的に立たせる。
「いぃいぃ。それよりコルト。ちょうど主の登場を今かと待っていた所じゃ。」
「私の……登場を?」
「その通りじゃ。さ、早く中に入れ。」
ニヤリと笑ったグランツ王を前に、コルトは僅かな不安を抱いた。それが勘違いである事を願いながらも一礼し、王の執務室へと入室する。
「……。我が君。あれは……。」
「気にするな。ちょっとした罰じゃ。」
コルトは部屋の端でぷるぷると震えている麻袋を見てつい尋ねてしまうも、比較的厳し目なグランツ王の声を聞いては、さっと視線を逸らす。
「コルト。ひよっこは部屋に帰したのかの?」
椅子に座り、背を預けながらもグランツ王はコルトへ尋ねる。
「えぇ。部屋前を二名の兵士に見張らせるため、少々報告が遅れました。」
「ふむ。ならこの後は何もないのじゃな?」
「……。えぇ。まぁ。」
嫌な予感がコルトの脳裏を過る。そしてハッとした時には遅かった。ニッコリと満面の笑みを浮かべたグランツ王は、山積みとなっている書類を人差し指でさす。
「王命じゃ。手伝え。」
そこに'NO'の選択肢はなかった。
「……。喜んでご助力致しましょう。」
「ふふ。リンには内緒じゃぞ?」
「この口がうっかり滑ってしまわないよう気をつけます。」
「主。言ったらその首の保証はせんぞ。」
ニヤリと笑うグランツ王を前に、コルトは呆れたような顔をする。
「いい加減。新しい脅し文句を用意したらどうです?」
「っっ!!」
グランツ王は驚いていた。コルトは普段、反論する事はあっても、自らを小馬鹿にする様な顔は絶対にしないのだ。
「……ほぅ。言い返すとはな。一体何があったんじゃ?」
(思えば、コルトの癖にどこか清々しさを感じる。)
コルトの頭を過ぎるはエルトとの再開……そして別れ。思い出したコルトの表情は、自然と穏やかになる。
「えぇ。生涯を共にする予定だったしがらみが、思わぬ形で自分のせいだと気づけたのですよ。」
「……ふむ?まぁ良い。口より手を動かしてくれぬかの?」
「我が君がお聞きになったのでは?」
「はてさて?どうじゃったかの?それよりコルト。ひよっこはどうじゃった?」
とぼけるグランツ王であるが、本題に入ろうと切り出した。ミコの叫び声が城中に響いた時から、やはり気になりはしていた。当然その件の報告で来たコルトはグランツ王から書類を受け取り、軽く確認してから頷く。
「丁度、報告しようと思っていた所です。」
「前置きはいい。はよせぇ。」
「……。我が君。あれは……化物です。」
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報告・手伝いを終えたコルトが退出した執務室。トントンと書類を整理するグランツ王は満足気な顔をしていた。
「大丈夫じゃ。いくらリンでも印を押した者までは見抜けぬじゃろう!」
トン……と机に書類を置き、大きくため息を吐いたグランツ王は机端にあるベルをチリンッと鳴らす。同時に頭を過ぎるはコルトの報告。
(心奥にある暴走しそうで危険な淡白い光。そして死者の魂を見えるようにし、生前の姿に戻す力。)
「やはり、聞いただけではその化物度合いが分からんの。コルトが直接見て断言したのだ。間違いないはないのじゃろうが……確認する必要があるな。」
くぁっと欠伸をしたグランツ王は目を瞑る。その瞼の裏に映るは、コルトが退出しようとした時の事。
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「それでは失礼致します。」
「ぅむ。助かった。ゆっくり休むといい。」
「はい。その様に致します。」
振り返り扉へ向けて歩き始めたコルトはしかし、扉の手前で止まってしまう。
(私は……世界を回るべきか否か。)
胸に抱くはエルトの言葉。'世界を回れ'と言った彼はしかし、最後にはすべての選択をコルトへ委ねた。
(五百年前に英雄の世話役を任命され、今日まで続けて来て……これからもそうだと思っていた。)
コルトの内に巡る思いは二つ。世話役を辞めて自由に世界を回るか、続けながら制限された範囲内で世界を見るか。
「どうしたのじゃ?腹痛か?漏らすでないぞ?」
あまりに長く停滞するコルトを怪訝に思い、ふざけを入れながらも尋ねるグランツ王。
「い、いえ!失礼致します。」
ハッとしたコルトは退出しようとするが、直ぐに思い止まる。コルトはなんとなくであるが分かっていた。'ここが自らのターニングポイントである'……と。
(お前は……'深く'まで見て来いと言ったよな。)
ふっ。と清々しく笑ったコルトは振り返り、グランツ王の目を見据えて発言する。
「我が君。やはり今少しだけ……お時間宜しいでしょうか?」
「なんじゃ?」
「恐れながらも、英雄の世話役の任を降りさせて頂きたく存じます。」
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「くくっ……。初めから最後まで本当に愉快な奴じゃ。」
嬉しそうに笑うグランツ王は思い出す。王道へ飛び出た子を守るためとは言え、馬車の行く先に立ち塞がり怒鳴るコルトの姿。失敗を隠すか否かの堺で葛藤するも、その不安そうな姿で結局バレるコルトの姿。自らのしがらみを断つために、五百年と続けた任を辞めるコルト。
「これで、リンだけ……か。」
悲しそうに呟いたグランツ王。同時に、コンコンと扉を叩く音が室内へ響き渡る。
「リンじゃな?入れ。」
「失礼致します。」
ガチャッと扉を開け静かに入室する者は、グランツ王の右腕リン・グレラット。その静かな赤い瞳が、部屋の端でプルプルと震えながら正座しているイシス・テリーを見据える。
「お待たせ致しました。御用命を。」
リンは見ない事にした。
イシス・テリーの横にある、麻袋と'私は落ち着いて行動します。ごめんなさい。'……と書かれた板が壁に立て掛けられている事も。その事に反応しない自分を見て、つまらなそうにしているグランツ王も。
「残念じゃの。イシス。もう行って良いぞ。」
「本当ですか!!ありがとうございます!!もう二度と致しませんので!!失礼しましたっっ!!」
バッ!と立ち上がったイシスはグランツ王に一礼し、バンッ!と扉を開け、ダンッ!と廊下を駆け出す。十秒として部屋に残らなかったイシス。カタッ……と板が倒れる頃には、廊下の先にイシスは見られなかった。
「くっくっく……。どうだ?リン。やはりイシスは面白いだろう?」
「僭越ながら……理解しかねます。イシス様はまるで身分を弁えておりません。もはや言語を理解しているのかも危うい所です。」
「ふむ……。そうかの……。」
「えぇ。それより、御用命を承ります。」
取り付く島もないとはこの事か、グランツ王は少しだけ眉をひそめてしまう。
「……。主はもっとこう……。昔らしく笑えんのか?」
「無理かと。」
即答するリンに、眉をひそめるグランツ王。
(昔はもっと……笑っていたじゃろうに……。)
不貞腐れるグランツ王の頭を過ぎるは幼少の頃。
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「モーゼル様!何度ご忠告すればいいのですか!?」
グランツ王が子供の頃。今と変わらない容姿のリンはよく怒鳴っていた。それと言うのも、グランツ王は根っからの遊び人だったのだ。そのため、昔は誰も知らない城の抜け穴から外に出て、こっそり街へ遊びに行っていた。
「うぐっ!?リン……主は……主は何故ワシの行く先々に居るのだ!!」
「それはですね。モーゼル様が抜け出す為に要らない力が着いたとしか言いようがありませんね?」
苛立ちを露わにしているリンは赤い瞳をギラつかせ、ギュムッ!とグランツ王の耳を掴み引き摺り始める。
「んなっ!?痛い!痛いぞ!リン!ワシを誰じゃと思っておる!?」
耳を引っ張られ向かう方向は城。周りの者達は怒るリンと、ジタバタするグランツ王を見ては「またか……」とか「こりないな……」とか「こりゃ先が思いやられるな……」とか。慣れた様子で苦笑していた。
「勿論存じ上げておりますとも。この国の未来を担う'はずの'第一王子様です。しかしながらどうでしょう?今の貴方は母に欲しい物をねだる子供と何ら変わりありません。」
「ワシはまだ十歳じゃぞ!」
「子供だから許せと?ダメです。ここで許せば貴方の言うとても素晴らしい脳みそが、「やったぁ!遊んでいいんだ!」などと誤解しかねません。」
「ぬぅ……。」
ジタバタしても耳が痛くなる一方だと気付いては、脱力して素直にリンに引っ張られるグランツ王。不貞腐れていた顔はしかし、直ぐに明るくなる。その瞳に映るは移り行く街の景色。
「じゃが。父様は凄いの!こんな賑やかな街……来ない方が勿体ないと思わんか?」
「我が君は素晴らしいお方です。……本当に。本当に。」
滅多に見ないリンの笑顔にきょとんと目を丸めるグランツ王。しかし、リンの目がジトッとグランツ王を睨む。
「本当に……誰かとは違って。我が君の愛情を受け過ぎた模様ですね。早急に改善しなければ、グランツ王国に未来はないでしょう。」
ぶつくさと、王子に向かって言うものとはとても思えない発言。別の意味で目を丸めてしまうグランツ王は、引き摺られながらも尋ねる。
「主。本当にワシを王子じゃと思っておるのか?」
「今の貴方では、お答えしかねます。」
遠回しに「王子として見ていない。」と断言するリンに、グランツ王は目を見開き、吹き出してしまう。
「ふっはっは!!主は本当に面白いのぉ!」
「貴方もいい加減……こんな事やめましょう。」
「無理じゃよ!これがワシ。モーゼル・グランツじゃ!皆の者!覚えておれ!やがてこの国をもっと笑顔にする男じゃ!わっはっは!!」
「はぁぁぁぁ……。」とため息をつき、目頭をグリグリするリンと、苦笑を浮かべる民と、「頑張れ!」と面白そうに応援する者達と。上機嫌であったグランツ王はリンに耳を引っ張られ城に向かう。
「てか痛いのじゃ!」
「今更ですか……。」
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「くくっ……あの頃は楽しかったのぉ。」
何度も言いつけを破る自分に、呆れながらも厳しく接するリンの姿は今でも色褪せる事はなかった。今と容姿の変わらないリンであるが、稀に見る笑みは幼少のグランツ王にやる気を出させたのだ。
(しかし今はどうじゃ。何をしても笑わなんだ。教え教えられる関係が、今では敬い敬われる関係となってしまった。寂しいに決まっておる。)
落胆する様子のグランツ王。しかし、「さようですか。」と真顔で返すリンを見てはぷっつんくる。
「あぁあ!!昔に戻ってくれんかのぉ!!戻ってくれたら……あれじゃ、あれするのにのぉお!!」
しかし、リンはその様子を鋭く見据え小さく首を振るう。
「私は恐れ多くも我が君の'右腕'と呼ばれており、その振る舞いは我が君の威厳に関わります。故に、私が自らを律するのは至極当然な事なのです。」
キッパリと返されたグランツ王の頬に冷や汗が伝う。
(……これは、演技じゃとバレてなさそ)
「いえ。しっかりとバレております。」
「っっ?!」
リンの静かな瞳が少しだけ、ほんの少しだけ、極々少しだけ僅かに歪む。それは、嘘をつく時に二回瞬きするグランツ王の癖が、何百年経とうと変わらない事に面白いと思えたため。しかし、それに気づかないグランツ王は、またもやリンに突き放されたと思い込んでしまう。
「あぁ!もういいわい!」
そっぽを向いたグランツ王。湧き立つ思いのは直ぐに鎮み、さっさとまとめた書類をリンへと渡す。
「確認を頼む。」
「承知致しました。お休みになられますか?」
「いや、今夜は話したい気分だ。」
「……?さようですか。何かあったのですか?」
ペラペラと書類をめくり、確認しながらリンは尋ねる。グランツ王がこのような気分の時は、会話相手にならなければ寝室まで押し掛けたりするのだ。故にリンはいつも面倒だから、書類を確認しながらその相手をしている。
「コルトが、旅に出るらしい。」
グランツ王は寂しそうに言った。自分が子供であった時から忠誠を誓っていた者など、今やリンとコルトだけだったからだ。
「彼が旅に出るのはいつもの事です。」
書類に目を通しながら、なんともなさそうにリンは返事をする。
「今回ばかりは、ただの旅じゃないようだがの。」
「……というと?」
「英雄の世話役を降りるそうじゃ。」
「……。さようですか。」
一度目を閉じたリンは、一拍開けて目を開きペラリと書類をめくる。
「笑って送り出してやったが、連絡がつかなくなる分心配になるの。」
「問題ないでしょう。彼は慎重ですから。」
「……そうじゃったかの?のわりには仕事とかはやけに間違いが多かった気がするのじゃが?」
「えぇ。しかし、印を押す仕事はとても丁寧なようですよ。」
ペラリと書類をめくる音がよく響く程、王の執務室には静寂が訪れる。寂しそうにしていたグランツ王は一転。ピシリと強張ってしまう。冷や汗がだらだらと頬を伝う中、グランツ王はイタズラが見つかった子どものように言い訳を考えていた。
「な、何を言っておるのじゃ?ワシの印が押されておるじゃろう?」
「えぇ。それはもう丁寧に押されております。いつもはズレていたり逆さだったり、酷い時は押し違えていたりと。しかし、珍しく今日はそれがありません。これを俗に言う奇跡と言うでしょうか?」
「……き、今日は余裕があったんじゃ。」
「道理で終わるのが早い訳ですね。では逆に考えましょう。なぜ早く終わったのですか?普段からこうして」
「コルトに手伝ってもらったのじゃっっ!!」
分かった上で詰め始めるリンを前に、この先の全てを悟り自白したグランツ王。例え立場が変わろうと、リンを前にすると形なしの彼は、誤魔化す路線から話を変える路線に切り替えた。
「それより、空いた英雄の世話役じゃが……。」
リンはあからさまに話を変えたグランツ王に呆れながらも、確認し終えた書類を机の上に置いた。
「確かに、代わりとなる者を選出するべきでしょう。」
「そうじゃろうそうじゃろう。」
「ですが、今は'我が君の事'について。話すべき事があるでしょう?」
「逃げ切った!」と喜びに染まっていたグランツ王の顔は、リンのその一言で血の気が引いていく。
「ぅぐぐ……。」
「印はご自身で押すようにと、日頃から口酸っぱくご忠告しているはずですが?大体……」
静かに怒るリンの声がグランツ王の肩身を狭くする。その場面だけ見ると、五百年前の教え教えられる者の関係である。懐かしく思うグランツ王は思う。
('昔らしく'……は、こういう事じゃないのじゃが……。)
夜は更ける。毎日のように夜が訪れたら眠る国民達は思いもしないだろう。国の頂点がその右腕に叱られている姿など。
おまけ
「……さて、我が君。これに懲りたら仕事はしっかりとお願いします。」
「……ぅむ。わかったのじゃ。」
「声が小さいですよ。」
「分かったのじゃっっ!!」
「はい。それでは、新たな英雄の世話役についてですが……。」
「リン。ワシはもう寝る。明日までに新たな世話役を選出しておいてくれぬかの?」
「承知致しました。何か指定する条件などはございますか?」
「そうじゃの、'五代目の英雄'……ひよっこがまだ幼い女子じゃからの、優秀な女に限定してやれ。」
「はっ。それでは直ぐに」
「そうじゃ、忘れておった。明日、ひよっこと鑑定場に出かける。世話役に伝えておいてくれぬかの?なにか別の服を用意しろ……との。なんなら買いに行くでも良い。」
「伝えておきます。鑑定場にはいつ頃……?」
「そうじゃの、午後から夕までにある予定を……リン。代わりにやっておいてくれ。」
「……はい?恐れながらも我が君。先程の説教を覚えておいでですか?」
「なんなら主も来るかの?」
「そういう事では……。」
「コルトがの言ったのじゃ。'五代目は化物'じゃと。王であるワシがこの目で見て、ヤマデラ・ミコと言う人間を知り、国の不利益となるのなら然るべき対応をせねばならない。分かるじゃろう?」
「……。ですが危険です。五代目がどれ程のものかもまだ」
「じゃから、それを見に行くんじゃ。」
「……。承知致しました。でしたら護衛の兵を」
「要らん。もしそうなったとしてもワシ一人で十分じゃ。」
「ですが。」
「ふむ。リンよ、心配しすぎじゃ。ではの、諸々の準備は任せたぞ。」
「……承知致しました。」
「うむ。じゃ、ワシは寝るかの。リンも休憩を取るじゃぞ?」
「はい。」
「ではの。」
「我が君……。」
「……?」
「どうか、油断だけはなさらぬように。」
(どうせ、至る所に兵を置いて見張らせるつもりのくせに。)
「分かっておる。主も少しの眠りで十分な体質じゃからと言って、油断しない事じゃの。眠気は突然襲ってくるのじゃからな。」
「……はい。肝に銘じておきます。」
「……。そんな事、肝に銘じんでいいわい。」
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「……以上の理由で、貴方が新たな英雄の世話役に適任だと判断致しました。宜しいですか?'ミケル・スターク'様。」
「はい。問題ありません。」