【悪魔の脚本】『海の獣』
いつかこんな長編書いてみたいなと思いながら、考えをまとめるために書きました。
性別の変わる魚のようになってしまった人類の物語です。設定が設定ですので、現代の価値観で言う同性愛成分が含まれます。ご注意の上ご閲覧ください。
生命は海より生まれ、海へと帰る。進化の行き着く果て退化した生命は、文明を失い海へと呑み込まれた。海へと適応出来た者だけが、新たな“人類”として細々と生き延びた。
その結果――……“人類”が失ったものがもう一つある。
どちらの種も、両性と言って良い。
女から進化した雌性先熟の“海獣”。彼女らは、集団の中で最も大きな個体が雄へと性転換し、ハーレムを築く。
男から進化した雄性先熟の“海人”。僕らは元々雄として生まれるも、成長に応じて身体の大きな個体は雄のまま。小さな個体は雌へと性転換する。
海獣と海人は、同じく人間から進化した生物だ。異種交配が可能とされているが、互いに天敵であるため――……出会うことは最終的に死を意味する。
共に人間の面影を残しながら、人ではなくなった生き物。海へと適応する中“彼女ら”は足を失い、“僕ら”は腕を失った。そうなった時、僕らは食うか食われるかの関係になったのだ。
「海獣は見た目こそ美しいが、この世で最も恐ろしい。奴らは道具を使った狩りをを行う」
「奴らは身体半分、海上に出られる。陸地でも呼吸が出来るんだ。奴らはそこで……火を使うんだ。同胞が何人、惨い殺され方をしたことか」
群れの大人達は言う。
海獣は残忍だ。海藻や小さな魚、微生物を食べる僕らとは違う。海獣は大型の生き物さえ狩猟する。同程度の大きさである海人すら、当然その対象だ。元は同じ“人間”であったのに。
「奴らが失ったのは足だけではないのだ。人間としての心を失った化け物だ。我々とは違う」
長老が言う。僕らこそが“人間”なのだと。
僕らが彼女らを“獣”と呼び自らを“人”と名乗るのは、彼女らとの明確な違いを示すためだろう。僕らは腕を失い、水上での呼吸も出来なくなったが“人間”としての心や誇りを無くしていない。僕はずっと、そう教わって来た。
(だから僕は――……死を覚悟した)
初めて出会った“|海獣”。彼女は可憐で美しく――……冷たい青の瞳で僕を見ていた。
“|海獣”と“海人”。両者の住処には明確な境界線がある。古い時代に残された長く巨大な壁と金網。大昔、人間が作った遺跡が海へと沈んだもの。
境界線を平行に旅すれば、何世代か後にはその果てに辿り着けるのかもしれない。しかし生きたまま向こう側へ行くには二つしか手段がない。卵の内に金網を抜けて向こう側に流されてしまうか、高く飛び跳ね向こう側へと行ってしまうか。
くどいようだが今一度言う。僕には腕がない。投網に絡まり、死を見つめていた僕は――……彼女と出会った。僕の様子に彼女は困ったような表情をして、すぃーっと上へとうかんでいく。信じられなかった。僕らは天敵だ。僕らが彼女達に見つかれば、食糧とされる。僕らが彼女達を捕らえたら、食いこそしないが死ぬまで嬲る。遊びすぎて卵を産ませる前に死なせてしまう。両種族は、そういった天敵同士であるのに。他の誰かに見つかれば、彼女だってそうなる恐れがあった。それなのに。
『――……――……、――――――……』
僕には理解できない言葉を発し、彼女は網から僕を逃した。唖然と彼女を見上げる僕に微笑みかけて――……彼女はまた海上を跳ぶ。あっという間に僕だけ残し、彼女は壁の向こうへ消えてしまった。
僕は彼女に助けられてはならなかった。或いは、出会わなければ良かった。これまで一度も疑問を覚えなかった種族の在り方に、これからの人生に…………苦しみを覚えたりしたくなかった。
僕は思うよ。どうして彼女と僕は、違う生き物なのだろう。
*
「どうしたプルモ? 最近浮かない顔だな」
「ああ、アルガ」
プルモは、俺の幼なじみだ。同じ季節に生まれ、共に遊び育った。それでも体格には差が出て、あいつはなかなか大きくならない。
「なんだその顔。もっとしっかり食わないと、雌になっちまうぜ。なりたくねぇだろ?」
雌は寿命が短い。メイルメアが元々男から進化した生き物だからか、性転換は身体に不可が掛かるのだ。ましてや産卵から孵化まで子供を守るのは雌の仕事だ。不眠不休で食事もせずにの生活で、子供が孵化する頃には多くの雌は命を落とす。親友にはそうなって欲しくなく、俺は獲った食糧をたまにこいつに分けてやる。だというのにこの日のプルモは泣くばかりで食事には口を付けない。
「お前、本当にどうしたんだよ?」
「君には解らないよ」
「何だ、感じ悪いな」
「じゃあさ……アルガは、海獣に会ったことある?」
「なんだ、そんなことか? 俺の武勇伝を忘れたか? 先月俺はメルベットを一匹生け捕りにしたんだぜ?」
「その時どう思った?」
「どうって――……仲間の仇だなって」
「それじゃあ、やっぱり君には何も解らないよ!!」
「おい、待てって!!」
正直に答えたというのに、プルモは拒絶を示す。一方的に怒り泳ぎ去ろうとする友を追いかけ、あっという間に俺は追いつく。
「…………腕が欲しい。足を捨てたい」
「正気かよ、お前――……メルベットなんかになりたいのか?」
プルモは、天敵に恋をしていた。メイルメアである限り、小柄なこいつは間もなく雌になる。そんな人生に嫌気が差したのだろう。
「どう逆立ちしたってお前はメルベットになれない。それでもその馬鹿げた考えを捨てられないなら――……長老の家へ行ってみると良い。あんなもんに、憧れる方が馬鹿だって思い直せる」
「まだ……生きてるの?」
「ああ。今度のは身体もでかかったし丈夫だ。何世紀かぶりに、無事に生まれるかもしれない」
メルベットとメイルメアは、交雑可能。どちらも卵生を行う生物だが、この交雑に限り俺達は胎生を行う。人間だった頃の器官が残っているのだ。捕獲した天敵を活用し、遺伝子を取り入れ種族の強化を図る。彼奴らも、俺達もやっていることは同じだ。
血迷ったプルモが向こう側へ行っても、そうされる。死ぬまで利用され、最後は食糧として食われて終わる。
確かに、メルベットは綺麗だ。惹かれる気持ちは理解できる。それでもあいつらは、これまで大勢の人を殺した。卵の内に流れた俺の兄弟もみんなあいつらに食われたし、壁を越えた海獣の兵に、守り人だった俺の親父は捕獲され……二度と帰ってこなかった。
(メルベットに心なんてない。綺麗なだけの化け物だ)
プルモも考えを改めてくれただろうか? 翌日また顔を見に行くと、奴は先日よりも窶れた顔をしていた。あの光景に衝撃を受け、食事を戻してしまったらしい。
「お前な、いい加減にしろよ。天敵に同情する奴があるかよ。ちゃんと食べるんだ。お前まで、ああなりたいのか!?」
「心配ないよ。メイルメアの雌は、ああはならない」
「そりゃそうだけど、お前は早死にしたいのか!?」
「……長に言われたよ。年も近い。僕がこのまま雌になったら、君に嫁げってさ」
「…………え」
「アルガなら優しいから、僕を早死にさせたりしないだろ」
確かに、メイルメアであっても伴侶に恵まれれば長生きをする雌もいる。
「そりゃ……まぁ、外敵は追い払うし、餌は獲ってくる…………だろうな」
他の雌なら解らないが、親友だったお前なら俺はそうするはずだ。しかしいきなり夫婦になれと言われても、どうすればいい? 拒否する訳ではないが、一瞬で意識を切り替えられない。
メイルメアの繁殖に、愛は要らない。卵さえ産んで貰えば、かけるだけ。友人の性別が変わったところで、過ごした過去がなくなる訳でもない。名前が変わるだけだ。親しい友人と伴侶になった例など、メイルメアの歴史の中大勢いる。別に、よくあることなのだ。
(それが普通なのに、どうして俺は戸惑った?)
メイルメアは人間だ。汚らわしいメルベットとは違う。人間は優れた生き物だったが、性別という概念に縛られ衰退の一途を辿ったと聞いている。男は女を憎み、女は男を恨んだ。海に残る遺跡の壁は、そんな憎しみの名残である。人間は滅ぶ前に憎み合った彼らは、男だけの国……女だけの国とに分かれ、越えられぬ壁を築いた。文明の発展で氷の大陸が溶け、全てが海に変わったとも言うが、海の怒りは高き壁をも越えて全てを等しく滅ぼした。
メイルメアには禁忌がない。最初は雄で生まれても、雄雌どちらにでもなれるのだから、メイルメアには同性愛なんて概念はない。俺も長から歴史を教わり、そんなもんなのかと感じた程度。
俺もいつかは伴侶を得て子孫を残す。漠然と理解していたことだが、相手がプルモだと思うと…………俺は壁を越えて、メルベットのテリトリーへ入り込んだような気持ちになった。人間が、かつて禁忌と呼んだ理由を解った気がする。
メイルメアではありふれたことが、いつかの過去では許されないことだった。ならば、プルモはどうなる? 今とは反対に、男と女の愛はよくあることだった。そうやって人間は増えていた。今では信じられないが、メイルメアの祖とメルベットの祖は共に愛を育んでいた。おかしいのは俺や、多くのメイルメアではないのか? プルモの考えこそが、本当は――……自然なことではないのか?
「……プルモ」
「何?」
「お前、俺に嫁ぐ気なんてないだろ。そうなる前に死にに行く。境界を越えるつもりだ」
「……ははは、流石はアルガ。よく解ったね」
「何年腐れ縁やってると思ってるんだよ。そんなの俺だってご免だ。他の奴ことを考えてる奴なんか娶れない。だから……決着付けに行くぞ!!」
俺の提案に、プルモは数度瞬き。非常に驚いている。
「俺は身体がでかいし群れで一番強い。次期長にって話もある…………だからあのメルベットを俺の物にする。他の雄を遠ざけておけば、あいつからメルベットの言葉を教われる」
「言葉を教わって、取引するの?」
「ああ。あいつを逃がす代わりに、お前が探しているメルベットと会えるように取り計らって貰うんだ」
「……出来るかな、そんなこと」
「言っただろ、俺は身体もでかいし強い。メルベットからすれば、繁殖奴隷としても食糧としても価値がある。欺されても案内まではしてもらえるはずだ。危なくなったら途中で逃げれば良い」
そう言って俺が胸を張れば、ようやくプルモは笑ってくれた。
「でも、本当に良いの? アルガには何の得もないのに、迷惑をかけて」
「気にすんなって。友達だろ?」
ああ、もし俺に腕があったら。今きっと、こいつの肩を叩いたんだろうな。生まれた時から俺にはそんな物は無いのに、何故だろう。“普通”なら頭とか足でそうするのに。俺は存在しない片手を振り上げていたんだ。
*
「アリウスが消えてもう半月か。戻らないことを覚悟した方が良い」
「では、次の王がそろそろ生まれる頃ですね」
「市井に変化はあったか?」
「そうですね――……一人、“レティア”と呼ばれる娘が――……」
「レティアのそれ、草越えて海藻生えるわ」
「フキナちゃん海藻生やさないでー! こっちは本当に困ってるんだから」
「海藻越えて珊瑚も出来て魚住み着いた」
「もー! 真面目に聞いてよ」
学校帰り、友人が私に泣きついて来た。子供っぽい内面の割に彼女は長身。これで、メルベットにモテないはずもない。
「ん、また背伸びた?」
「ううー……私、小柄で華奢な女の子でいたいのにぃ……」
「不謹慎だけど、このまま王子様が見つからなかったらあんたなれるかもね、王子様の一人に」
「嫌ぁああああ!! 私は格好いい王子様の、お姫様になりたいの!!」
「その背丈じゃ厳しいかと」
メルベットには数多くの領地がある。そこを任せられているのが王子達だ。学校を出たら私達は何処かの領地に配属され……群れに加わる。群れには通常王子が一人しかいない。王子がいなくなると、国内の何処かの雌が雄へと変わり新たな王子となるのだ。
「アリウス様……ご無事でいてくださいぃ」
そうだ、レティアはアリウス殿下に惹かれていた。彼は学園領を任せられた王子だ。まだ幼いメルベット達を外敵から守るため、守護に付いていた。何もレティアだけではない、若く美しい王子に多くの生徒は惹かれていた。
しかし王子は高波に飲まれ境界を越えてしまった生徒を探し、あちら側へ行ってしまった。そして半月……帰らない。
「みんな、おかしいよ。あんなにアリウス様のこと大好きだったのに――……あの方が戻られないからって、直ぐに他の誰かを追いかけるなんて」
レティアの気持ちはわかる。王子の身を案じる所か、次の恋を追いかけ始める娘達……そんな者に追われるのが自分だったら? レティアの心は置き去りに、環境とメルベットという種は彼女を求める。彼女を新たな王子として欲している。
「殿下が心配で、境界を彷徨いてたの?」
「ひっ! ち、違うよ!! って言うか見てたのフキナちゃん!?」
見たくなくても見てしまう。王子が消えてからのレティアは凜々しく、益々魅力的。他の子達が追いかけるのも頷ける。私も彼女と同じ、王子候補生なのに――……私でも彼女に魅力を感じてしまう。そんな気持ちに蓋をして、「ばーか」と私は笑ってやった。
「じゃあ……あの、“あれ”…………も。見ちゃった?」
「見てたのが私で良かったね。他の子だったらあんた、今頃処罰されてたよ」
「ひ、ひぃいい……よ、良かった。見てたのがフキナちゃんで良かった!!」
「他の種族に優しくなんかしちゃ駄目だよ。彼奴らは怪物なんだから」
「そうは、見えなかったけど――……」
「小さい内はね。どんな生き物でも稚魚の内は可愛く見えるもんだよ。甘やかしちゃ駄目。餌付けとかも駄目。人慣れした獣が人を怖がらなくなって襲うようになった、そんな神話が遺跡から見つかったじゃない」
「ああ、歴史の授業で習ったかも。でも、あんなちっちゃな魚、食べたら可哀想じゃない。キャッチアンドリリースって言葉も遺跡で見つかってたよ?」
「それは昔の話よ。今は、少しでも多くの食糧が欲しい。 殿下不在の今、学園の食糧調達は私達でやらなきゃいけないのよ?」
「わ、解ってるよ!」
「それが……アリウス殿下が戻られた時、一番お喜びになるわ」
「うん……そう、だよね」
「…………じゃあ、次はちゃんと狩れるのね?」
私の追及を受け、レティアはゆっくり頭を縦に振る。その直後、海中に緊急警報が鳴り響く。
《海面に異音あり! 異音あり!! 幼兵は直ちに城へ帰還! 王子候補は境界警備に向かえ!!》
「……だってさレティア。早く終わらせて、帰りにカフェでも寄ってかない? あの店、最近新しいフレーバー出したの」
「わぁ! いいねいいね!! すっごく楽しみ!!」
「ふふ。それなら今度は言わないわね? 『まだ子供じゃない、捕ったら可哀想』……だなんて甘っちょろいこと」
「言わないよ。アリウス様の留守は私が守るんだもの! 侵入者は全員殺す!! ……って、なんか凄く妻っぽくない?」
「まだ結婚してねーだろ」
「これって事実婚では!? そうじゃなくても私の活躍に、アリウス様ときめいてくれるよね!?」
「はいはい、そんな雌っぽいこと言ってないで王子候補の仕事しに行くよ」
私が槍を手に取ると、レティアも網を取り出した。まだ半人前の私達でも二人で組めば王子の代わりくらいにはなる。
(……レティアは純粋ね)
まだ、アリウス殿下が生きていると思っているのか。彼女は誰より王子に相応しい恵まれた体格なのに、心の方は雌過ぎて困る。こんなことでは、いつまで経っても一人前にならない。私がいないと半人前だなんて、いつまでもそんな情けない顔をしているのなら、王子になるのはレティアではなくこの私。
(まぁ、どっちでも……変わらないか)
何があろうと私がこの子を支え続ける。この関係は、変わらない。好きになってしまった方が負けなのだ。
遠く遠く、頭上で水の跳ねる音。声が聞こえる、あの声は。
「アリウス様っ!! あの声、アリウス様だわ!!」
「あ、馬鹿。少しは慎重に動けっての!!」
泳ぐ、泳ぐ、泳ぐ。尾鰭を動かし腕を動かし水を掻き――……私達は境界へと向かう。
*
人は海より生まれ、海へと帰る。殺し合い栄え、手を取り合い滅ぶ。では手を取る腕が退化した彼らは解り合えるのか? 解り合えずとも滅びを免れるのか?
境界を越えてはならない。踏み越えてはならない領域がある。彼らの世界に残った禁忌、――……越えてはならないという禁忌。踏み越えた以上、これは滅びの物語。彼らの肉片のみが金網を抜けて、他の生物を栄えさせることだろう。
*
「……以上が以前主から聞いた、性別の境界を越えたものの壁という物質的な境界を越えたがために滅んだ人類の話でした」
「茶が不味くなるような話、するんじゃないわよ使い魔」
「お嬢様が、暇だから何か言えって催促したのでは?」
「夕飯まで仮眠するわ! 今日の夕飯に魚出したら殺す。あーあー、第六眷属って奴はこれだからセンスがないわー!」
聞くだけ聞いて文句を残しお嬢様――……もとい“物語の悪魔”は席を立つ。卓上に残された白紙の本にはいくつかの記述が記されていた。
“そこからが一番大事なところじゃないの、打ち切りかよ。本体に聞いた方がマシ”
なるほど、区切った場所に不満があったと。でもこれ短編ですからこれ以上どうしろと。
「これだから第七領主ってお人は素直じゃありませんね」
俺は笑って、それを見なかったことにした。夕飯の支度に取りかからねば。期待されている以上、今夜は魚料理のフルコースにしようと思う。
ご閲覧頂きありがとうございました。
脚本シリーズは長編も多いのですが、元々はノベルゲームとして作っていたので、時々短編を書きたくなります。結びの悪魔達は、シリーズに出て来る連中です。他の作品も御覧頂けたら嬉しいです。