英雄テッセ 2
はあ……はあ……
ふう……
やっと一息ついた私は、古井戸の影から橋の方を覗く。
ふむ、よく見えない。
森に入って直ぐの所にある古井戸であったが、視界はよろしくない。
逆に見つかりにくくもあって助かる訳だが、捜索の手がここまで迫ったら逃れるのは難しいだろう。
ちょっとした広場の中心に古井戸があるだけで、他には何も無いのである。
そう、なーんにも。
広場に入って来られたら逃げ場はない。
森の中へ駈け込もうとバレバレなのだから。
テッセの姿が見えなくなったと共に、入って来る光に陰りが見えた時は焦った。
何しろ出口であるはずの地上からの光だ、それは出口が閉じ始めていることを意味した。
何とか階段を駆け上がり、ギリギリの所で滑り込み脱出!
喧騒を耳にした私は這う這うの体で橋を渡り、ここにたどり着いたのだった。
橋を渡った先にはただ森が広がっているだけで、道があるようには見えなかった。
えーいままよと比較的に緑が少ない場所に飛び込んだのである。
そこがどうやら道であるらしかったと気付いたのは、古井戸を見付けて抱え込む様に項垂れた後であった。
さてと、英雄テッセは直ぐに来ると言っていたが、信用して良いのだろうか。
あるいは堂々と表に出て、脱走の手引きをテッセがしていたと公表したら?
王からの信用を得て秘宝に近付けるのでは?
……いや、ダメだ。
身元の分からない賊と名を轟かせる英雄、どちらを信じるかなんて火を見るより明らかだ。
ガサッ……と森が蠢く。
嫌な予感を察知した私は、先ほど私が飛び込んで来た道を凝視した。
……すると、草を割って英雄テッセがその姿を現した。
もうこれは観念して従った方が良い。
最悪、一旦秘宝は諦めてムウリ君と無事にこの島を出られれば御の字かもしれない。
「待たせたか」
「いいえ」
今来た所ですわ、なんて言うタイミングでもないが、思考を巡らせる暇もなかった。
考えるのは本当に苦手だ。
これならいっそ本人に聞いてしまった方が早い。
「この井戸は?」
「……今は水も沸かず使われていない、はずだ。
待ち合わせに都合が良かっただけで、井戸自体に用はない」
あ、なんだ、もしかして井戸に飛び込めとか言われるのかと思って焦った。
じゃあ何故私を逃がしたのか?
ムウリ君は無事なのか?
テッセの目的は秘宝なのか?
疑問が次から次へと浮かんでは消え、言葉が喉元で渋滞していった。
「時間が惜しい、移動しながら話そう」
もっともだと頷き、後に続く。
ガサッ、ガサッ、と草木を分け入り、道なき道をテッセが進み、その後ろを私が続く。
移動するとは聞いたが、森を突っ切るとは聞いていない。
「話通りならこちらであってるはずだが、獣道があって助かるな」
……獣道は人が通るものではない。
少しだけ距離を取るように注意されたのは、しなった木の枝が額にぶつかった後である。
文句を言いたいのはやまやまだったが、恩人にぶつけるものでもあるまい。
「大丈夫だ、お前は俺が助ける」
……私の心を読んだのかのような言葉だった。それだけで救われるような気がする。
「ムウリ君は……えっと、私の連れに鼠人類の子がいるんだけど……」
「……今は分からないが、当てはある。
悪いが俺の目的が先だ、その後なら助けられると思う」
思う、か……
あの英雄をもってしても確実な事なんて無いんだ。
私も……
「私に何か出来る事はある?」
テッセは直ぐには答えない。
慎重に言葉を選んでいる感じがある。
初対面の相手だ、私からは英雄という肩書から無条件に信頼出来るが、向こうは私の事なんて知らないだろう、信頼できるわけがない。
「……その、手枷があるからな、素直に守られてくれればいい」
なるほど、そりゃそうですわ。
行も使えないただの小娘は精々足手まといにならないよう気を付ける事にしますわ。
疑問は徐々に瓦解していく。
確かめるべきか悩んだが、こうなっては聞くしかない。
今後に大きく左右する事があった。
「テッセ様の目的は、その……秘宝なんですか?」
「……そうだ」
驚いた。
先ほどまで重い口調だったテッセは即答した。
では、そう、秘宝を手に入れて、そのついでにムウリ君を助けるって事になるのか?
助けるのに秘宝が必要になる?
でも本人は分からないと言っていたし……
むむむ……
新たな疑問が浮かんでは消えする私に、テッセは追い打ちをかけて来た。
「くどいようだが、少なくとも今は任せておいてくれ、『神託の巫女』よ」
……今なんて?
『神託の巫女』って言った?知ってた?
別に隠していた訳ではない、しかしクレセン島ではその事を明かしていないし、知り合いもこの島にはいない。
なら、彼はその事を『どうやって知った』のだ?
私を救い出したのも、それを知っていたから?
「さて、着いたぞ」
私の疑問は一層深くなり混乱する。
質問をするタイミングも与えられず、目的地に着いたようだ。
「ここって……」
木製の仕切りがあるが朽ちていて、お世辞にも立派とは言えない。
門のつもり、なのだろうか。
しかし、ようこそおいでませー、といった感じではない。
「犬人類の村だ」
なるほど、クレセン島の裏側という訳だ。
今までの私達は、煌びやかな面だけを見させられていたのだなと痛感させられる事となる。