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天狗の鼻

作者: 灯宮義流

 会社にいったら、荷物が全て片付けられていた。

 新しく始まったドラマの冒頭がそんな展開だったので、俺はそれを鼻で笑ってすぐにチャンネルを変えてしまった。

 この時間帯のドラマは、大抵演出が三流テレビコントみたいで、俺はあまり好きじゃなかったのだ。

 そんな翌日、会社にいったら自分の荷物が全て片付けられていた。

 どういうことかと課長に問い詰めたら、「業績があまりにも悪いから、人事部が切り捨てたのだ」と説明して、すぐ書類に目を戻してしまった。

 項垂れる俺を、同僚達は心配するどころか、冷ややかな目で人事のように眺めていた。いや、俺が仲間だと勘違いしていただけで、彼等は敵としてこんな視線を毎日俺に送っていたのかもしれない。

 ダンボールにまとめられた荷物をいくらか処分しつつ、必要なものは鞄がパンパンになるほど詰め込むと、俺は会社を出た。ゴミを捨てても文句を言われなかったのは、唯一の哀れみだと信じたい。

 これからどこに行けば良いのだろう?

 もっとも、俺は一人暮らしだから、帰っても他人に対して別に後ろめたいことは何一つないのだが。

 思えば、俺は昔から厄介者だった。

 学校行事では、率先して手伝おうとすると必ず追い立てられていた。陽気ではなかった俺は、そのままクラスメイトの輪から締め出されていた。

 イジメられていたわけでも、シカトされていたわけでもない。

 ただ俺には親友と呼べる人間がいなかった。個人として認識されることすらない、影の薄い役立たすな男が俺だったのだ。


 気づいたら、俺は樹海にやってきていた。

 ということは死ににきたのだろうか? わからなかった。

 いや、もしかしたら自分と同じ心持の人間を探しにきたのかもしれない。テレビのニュースで目にするモザイク越しの人間達に、俺はいつも親近感を抱いていたから。

 しかし、いくら歩いても彷徨っている奴は誰もいなかった。

 樹海に毎日自殺者が来るとは俺も思っていない。でも、今の落ち込んだ俺の心には、その状況が後ろ向きに映った。

 自分は、自殺者にすら近寄られない、相手にされない人間だと思えてならなかった。

 いくら俺が役立たずだって、心中ぐらい出来るっていうのに、チクショウ。俺は大地を蹴った。

 すると、不意に柔らかいものが宙を舞った。俺は動物の糞でも蹴ってしまったのではないかと、つい靴を確認する。

 ひとまず欠片一つ糞がついていないことを喜んだ俺は、蹴り上げたものを確認した。

 まるでソーセージのような、長細い肉の塊だった。

 しかし、肉にしては判子に使う朱色以上に赤い。血に染まったとて、肉が全てこんな色には染まるわけはないだろう。

 俺は、それが何かを確かめるために匂いを嗅ごうと、それを摘んで顔を近づけた。すると、鼻先にそれが磁石のようにくっ付いた。

 驚いて剥がそうとする俺だったが、それは全く離れない。初めから、それが俺の一部だったかのように、皮膚と同化してしまっている。

 近くの河で顔を眺めて見ると、鼻は本当に同化していた。くっ付いた部分たけやけに赤いことを除けば、ほぼそのままだ。

 ただでさえ虐げられてこの仕打ち。俺は初めて神様を呪って、死にたくなった。

 が、そんな沈んでいた心は、シャボン玉のようにあっけなく弾けて消えた。その後に湧いてきたのは、野心だった。

「このまま、おちこぼれのままなんてゴメンだ。俺はもっと、大きな人間になるんだ」

 俺は、持っていた鞄を投げ捨てて、樹海を後にした。


 翌週、俺はシャレにならないほどの借金をして、小さな会社を建てて社員を集めた。

 昨今の治安悪化に目をつけた俺が打ち立てたのは防犯グッズ産業で、低コストかつ使いやすい製品を社員とともに開発した結果、数ヶ月で会社は立派な企業として発展した。

 俺は長鼻社長として雑誌やテレビで脚光を浴び始めた。

 スキャンダルを探ろうとした者もいたが、むしろずっと底辺を張っていたような俺の人生がピックアップされ、これがキッカケでエッセイの執筆も頼まれた。

 樹海で拾った鼻のことだけは避けて、鼻が伸びた理由はまったくもって検討がつかないとシラを切りとおした。

 虚言も含めたエッセイだったが、それは飛ぶように売れて、長者番付があったらトップを争えるほどにまで、俺は成り上がった。

 自分でも不思議だった。どうしてこんなに飛躍できたのか。

 それから十年経った今や、俺はありとあらゆる分野の大手企業を下につけ、さらに儲けをあげていた。

 もう俺に勝てる長者などいない。企業もない。人間もいない。俺はなんでも出来る。もっとも神に近い男だ。

 そして俺は、一つの野望を打ち立てた。

 この国を……いや、世界をも下につけようと。

 つまり、世界征服である。

 悪党が考える定番の野望であるが、俺はそんな非合法的な手段を大っぴらにやって世間から嫌われるようなことはしない。

 ちゃんと頭で考えて、向こうが俺に喜んで服従するようにしてやるのだ。

 一番手っ取り早いのは、俺の偉大さを快い形で見せ付けてやればいい。

 社会において問題視されている事柄には積極的に目を向けて支援し、社会的弱者を無償で救っていく。

 それだけで、ほとんどの人間は俺に服従する。

 美しさを好まない人間は、その小奇麗さを気に入らないと思っているのがほとんどだ。だから、俺は自分の身を滅ぼさない程度に失敗を犯す。

 そして、それに対して俺は最善を尽くして持ち直させる。社会の批判は多少あったが、評論家は人とちょっと違う意見を言おうとする生き物だ。

 彼等は、俺の犯した失敗の問題点を指摘しつつ、その後の対応を実に素晴らしいと評価してくれた。

 ここまでやっても懐柔されない捻くれものもいた。

 味方につけようと思えば出来ないことはないが、そこまで手を尽くすことは出来ない。

 神に近くても、俺は所詮人間だ。二人や三人と分身することなど、到底敵わないのだから。


 五年後、日本人のほとんどが俺のことを賛美していた。

 いつの間にか政治家に飾り立てられていた俺は、故郷である埼玉県の知事になって、常に支持率99パーセントを維持するまでになっていた。

 町を歩けば、みんなが俺に寄ってくる。

 仕事をしていても、バイキングを楽しんでいるときも、バーゲンに鼻息を荒くしていても。

 人々は、今までやっていたことを中断して、俺に寄ってくるのだ。

 もはやこの千葉県は俺の手足といってもいいだろう。

 ここを拠点に、まずは祖国日本のほとんどを、崇めさせていこうじゃないか。

 そんな未来予想図を頭に展開させながら、俺はアメリカ大統領との会合へ向かうため、自室の席を立った。アメリカ合衆国が、俺の手足として動くようになる日も、そう遠くない。

 ニヤニヤと笑いながら俺は扉に手をかけると、手に刃物が刺さったような激痛がピリッと走った。

 なんだろうと首を傾げていると、今度は首を寝違えたような痛みがじわじわと湧いてきた。

 突然のことに悪態をつきながら、俺は自分で痛いところをマッサージした。

 その瞬間、物凄い頭痛と腹痛、そして筋肉痛が俺を一度に襲った。

「うぎゃあああああああああ!」

 こんな悲鳴をあげたことは、人生において一度もなく、最初は自分の悲鳴だとわからなかった。それほど俺は、激痛に声が裏返っていた。

 痛みは体全体に及び、電流でも流されてるのかと思うような、耐え難い苦痛が俺を容赦なく攻め立てた。

 一体どうしてこんなことに。俺はこのまま死ぬのか? 嫌だ! 自分はこの世界の頂点に立つんだ。世界の神になってみせるんだ。

 俺が呻いていると、窓からコンコンという音がした。

 それなりに広い家だったが、家族はいない。使用人も雇っていない。鼻の秘密がバレたら困るからである。

 だとしたら一体誰が? そもそもここは二階だ。窓の掃除でもこない限り、そんなことはないはずなのだが。

 苦しみながらも、俺は助けを求めて窓を開けた。

 そこには、大きなモミジのような扇子を持った男がいた。

 高い下駄を履き、羽を生やし、顔は真っ赤だがヒゲは白。

 体系は人間なのに、全く人間らしさが……否、生き物らしさが感じられない奴だった。

 俺はコイツを祭りで見たことがある。天狗だ。

 唯一俺の記憶と違うのは、鼻がハサミで切られたように平べったいことくらいであった。

「鼻を渡せ」

 天狗らしい奴は、しわがれた声でそう要求してきた。

 俺は鼻を押さえて顔を横に振ったが、相手は引き下がらない。

「そのままではお前の体は限界を超えて、木っ端微塵になってしまうぞ。その激痛も、体が爆発しようとしているからだ」

 普通ならにわかに信じられない話であった。

 でも俺は、天狗の切られたような鼻を見て、信じて助けを求めずにはいられなくなっていた。

 そのように要求を呑むと、天狗は俺についていた鼻をいとも簡単に取りあげると、自分の鼻にくっ付け、薬草を塗った。

 鼻は、みるみるうちに元の持ち主の下に戻っていった。同時に、俺の激痛も徐々に治まっていった。

「もっと早くお前に出会うべきだった。だがこれでわかったであろう? お前は天狗になれる器ではないと」

「そんな、今まで俺は名声と地位と金を積み上げてきた。これは俺の力だ」

「その通りだとも。だが、それは普通の人間が半分もその力を発揮していないからだ。お前だけが人間が持つ最大の力を常に出し切っていたから、お前はここまで上り詰められた。だが、天才ならばもっと高みに行っていただろうよ」

 天狗の鼻の事実を改めて俺は聞かされた。

 彼の鼻は、その昔一人の武士に切り捨てられ、以降どこに行ったか検討がつかなくなっていたのだという。

 時が経ち、仙術を身につけた天狗は、念力で自分の鼻を探し当てた。

 さらには長い年月によって埋まってしまっていたそれを掘り出すところまで成功したのはいいが、そこに思わぬ邪魔である俺がやってきたのだという。

「すぐに取り替えそうと思えば出来たのだが、自分の鼻が奪われたことで力を失い、私の意識は数年の間飛んでしまっていた。気づいた時には、お前は正に雲の上の存在になっていた。私はそう簡単に人の世に姿を出せぬ身、穏便に話し合うためには、この時を待つしかなかったというわけだ」

「これから、俺はどうなるんでしょう」

「元のお前に戻るだけだ。元のように、お前は人間特有の気楽さを取り戻せるのだよ」

 そう言い残すと、天狗は入ってきた窓から、さっさと飛び立っていってしまった。そのまま俺は、意識を失った。


 一ヵ月後。俺は公園のベンチにダンボールを張って寝泊りしていた。

 善政やありとあらゆる策を考える力を失った俺は、たったそれだけの時間で全てを失った。

 今や俺は没落のシンボル。新聞や雑誌は俺のことをそんな風に書いて嘲笑っていた。

 でもどうしてだろう? 昔よりずっと楽になった気がする。

 毎日のように頭を捻っていたのが嘘のように、俺はただ生きるため、本能で動いていた。

 生きるためならゴミ箱だって漁ったし、スリもした。

 泥棒まがいのことだってたくさんやったが、みんなあの元大富豪がやったとは、気づいてくれなかった。

 あれだけ顔の売れていた俺は、没落してから半年で、世間から忘れ去られたのだ。

 無精ひげを生やして、やせ細った俺の顔は恐ろしく醜くみえたが、人々はそんな不気味さに目を向けることもしなかった。

 また影の薄い存在に、俺は逆戻りしたのだ。

「今日の食事はソーセージか」

 雪の降り注いだ寒い日、俺は食いちぎられたソーセージの破片を見つけた。雪で氷のように冷たくなっているが、ないよりはマシだ。

 家の中で火を起こして食べれば問題ない。そう思って、俺はソーセージを戦利品にいつものダンボールハウスへと帰宅した。

 ソーセージを見ていると、あの天狗の鼻のことを思い出す。でも、またくっ付けようとは思えなかった。


 ソーセージは、土っぽい味がしたが、美味しかった。


ソーセージを拾ったシーンのあと、同級生の女の子にあって、そのままグダグダとゴールインというシーンをつけようと思ってたのですが、あまりにも強引過ぎたのでやめて、ここでケリをつけました。逆にオチが微妙になったかもしれません。もし女性と上手くいっていたら、ド田舎の駄菓子屋でのんびり暮らすというオチだったんですが、これもまあ悪くない生活ではないかと。

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― 新着の感想 ―
[一言] 起承転結がはっきりしていて話の構成としては読書の初心者である自分にもわかりやすくて好感が持てましたし、短編小説としては読みやすかったです。 しかし、物語の設定や展開<リストラ→社長→県知事(…
[一言] 拝読させていただきました。鼻を拾うあたりまでの心模様に共感できるものがあります。ただ、説明の多い気もしましたが描写したら短編では収まらない話になると思います。突然ですみませんが、挨拶がわりに…
2008/09/28 21:47 退会済み
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