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主人公M  作者: 癸識
第一章
9/54

9話

 夏というものは暑いもの。

 大きな山々に囲まれて比較的涼しい僕が住んでいる田舎でもそれは変わることなく、夏は当然暑い。

 今日も暑く、目が覚めて冷房の効いた部屋から一歩足を踏み出すと、そこは地獄かと思ってしまうくらいに暑い。

 もちろん、僕は地獄の暑さなんて体験したことが無いから例えなのだけれど、地獄ってところはドMの僕としてみれば天国でしかないと思う。

 僕はそんな気持ちの良いくらいに熱せられた廊下から足の裏に伝わってくる暑さを噛み締めつつ、ゆっくりと階段を下りて、リビングのドアを手にする。

 その刹那、僕はある異変に気が付く。

 ここまで暑いならドアノブもそれなりに熱せられているはず――なのに、ドアノブが冷たいのである。

 しかも、ひんやりと冷たい程度ではない。

まるで、氷点下にずっと晒されていたかのように冷たく、掴んだ手のひらがドアノブにぴったりと張り付いてしまっている。


「……えっと、リビングについているクーラーってそんなにパワフルだったかな?」


 何て、独り言を呟いてみるが、直ぐに何を馬鹿な事を言っているんだ僕はと首を左右に振りながら自らにつっこみを入れる。

 脳内で下らないやり取りをしている間も、ドアノブを掴んだ手のひらがぺきぺきと深く張り付いていくのが分かる。

 僕はそんな明らかに異常な雰囲気に軽く戸惑い、躊躇する――訳も無く、ドアノブを力強く押す。

 だって、こんなあからさまな異常事態の先には気持ちのいい事が待っているに決まっているからね――って言うか、開かないよ、このドア。思いっきり凍り付いているじゃん。

 凍り付いてしまっているドアは僕の腕力だけではどうしようもなく、僕は全身を使って、ドアを壊すつもりで体ごとぶつかっていく。

 一回、二回、三回、と体ごとぶつかってようやくドアは『ガチャバッキ』という不穏な音を立てて、ゆっくりと開く。


「――寒っ!」


 すると、直ぐに僕は寒気という歓迎を受けて、思わず身を震わせる。

 もう、ドアノブの時点で予想が出来てはいたけれど、その寒さがまた異常で、きっと真冬に全裸で雪降る庭を犬のように駆け回るより寒い……いや、例えだよ? 本当にそんな事はしていないよ?

 トンネルを抜けたらそこは雪国だった。っていうのは聞いたことがあるけれど、リビングのドアを開けたら、そこは氷の世界だった。何て僕は今まで聞いたことがないけれど、今、目の前に広がっているリビングの風景はそうとしか言いようが無い。

 テレビ、エアコン、ソファー、テーブル、カーテン、リビングにある全ての存在が氷漬けになっている。

 これ、氷が溶け始めたらリビング全体が感電しちゃうんじゃないかな? 乾電池ならず、感電地。なんちゃって……うわっ、無駄に寒さが増したよ。

 そんな非現実的な風景を目の前にして僕はそんなくだらない事を思った。


「あら、ようやく起きたの? もうお昼を回っているのよ? そんなに眠るのが好きなら私が永眠させてあげましょうか?」


 そんな氷の世界で、ゆらゆらと温かそうな湯気を立ち昇らせたコーヒーカップを手にしたクリスがソファーに座ったまま、僕を一瞥だけして言い放つ。

 というか、あの氷のソファーによく座れるね? ジーンズとか張り付かないのかな? っていうか、もうそんな時間なの?


「……本当だ。僕は一体何時間寝ていたんだろう?」


 クリスに言われて壁に掛かった時計を見ると、確かに時刻は十三時をちょっと過ぎていた。というか、氷漬けになっても動いているあの時計は凄いな。チクタクと動いている秒針がカチコチだよ。


「それにしても、今日は暑いわね」


 そんな僕の呟きなんて完璧に無視して、クリスがほぉ~っと息を吐く。その息も白く染まっていて、クリスの言葉には全く説得力が無い。

 というか、やっぱりこの氷の世界はクリスの魔法が原因なんだろうなぁ。それにしても、暑いからリビングを凍らせるとかやりすぎだと思うんだけれど。


「いや、確かに僕も今日は暑いと思うけれど、ここは寒い――よぉおっ?」


 僕はドアノブに張り付いてしまった手のひらをぺりぺりと剥がして、数歩リビングに侵入する。と、裸足だったのがまずかったのだろう、今度は足の裏が凍った床に張り付いてしまう。


「何? 貴方は歌舞伎役者でも目指し始めたのかしら? 確かに、あのメイクなら貴方の気持ち悪い顔を少しはマシに見せてくれるかもしれないわね」


 どうやら僕がさっき出した可笑しな声と、今、僕が必死に転ばないようにバランスを取っている姿がクリスにはそう見えるらしい。


「よっ、歌舞伎のメイクは無理だけど、ほっ、マスクを被ったらきっとこんな僕の顔でも、っと、取れた、クリスには少しはマシに見えるかもね」


 どうにかこうにか張り付いた足を気持ちよくなりながらも、救出した僕はおどけてそんな冗談をクリスに言う。


「ああ、そうね。その手があったわね、珍しく良い意見を言うじゃない――この家にマスクはあったかしら?」


 すると、そんな僕の冗談にクリスは何度も頷いてみせる。

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