3話
……だが、それだけ。
しばらく歯を食いしばって狼の一撃を待ち構えていたが、一向に狼の爪が僕を切り刻む気配が無い。
もしかして、あれかな? 僕は既に死んでいて、あまりにもあっさりと殺されたものだから死んでいる事に気づかないまま、感じれなかったのが無念すぎて幽霊みたいなものになっちゃたのかな? 目を開けると自分の死体を上空で見下ろしているみたいな状態だったりするのかな? もしくは放置プレイ? 狼さん、僕を焦らしていますか?
なんて思いながら、僕は恐る恐る、ゆっくりと目を開ける。
「……あれ?」
すると、そこには先ほども見上げた鬱蒼とした木々が立ち並んでいて、僕は思わず間抜けな声を出してしまった。
「あれれ?」
僕は何とか動かせる首を動かして周りを見渡すと、胸の辺りになんだか毛むくじゃらなものが置かれていた――っていうか、さっきの狼だった。
でも、可笑しな事に狼は左目しかなかった――っていうか、体が真っ二つになっていた。
「あら? 意外と元気そうね? 骨の二~三本くらいは折れていないのかしら? 折れてなかったらそれは酷く残念な事ね」
僕が左目だけの半身の狼と見詰め合っていると、そんな声と共にクリスがひょっこりと現れた。
その手には先ほどスライムを切ったのと同じ大剣が握られている。
ただ、その大剣は普通の大剣と違って、その刃が青白く光り輝いていて、時々太陽のフレアみたいにバチバチとうねっている。
雷をそのまま大剣にしたようなものである――というか、実際に雷らしい。
「え~っと、多分、怪我はしていないんじゃないかな?」
半身の狼に乗りかかられていて身動きが取れないけれど、それ以外は別段に僕の体に変わったところは感じられない。
「あら、残念。半身とはいえ、その大きさの狼に押し潰されて怪我一つ無いなんて、貴方って本当に人間なのかしら?」
そう言ってクリスは眉をひそめる。
確かに普通の人ならあばら骨辺りが二~三本くらい折れるか、ひびが入っても可笑しくないだろうけれど……毎日牛乳を飲んでいるのが良かったのかな、僕の骨はとても丈夫みたい。
「全く、この程度の狼から私を守ったつもり? だったら、残念ね。私はとっくに気づいていて、ギリギリまで引きつけてから避ける予定だったのよ――貴方を犠牲にしてね」
クリスから、ちっと小さく舌打ちの音が聞こえた気がするけど、これは気のせいじゃないよね? 僕は今舌打ちされたんだよね? 僕が生きていたばっかりに……ああ、ちょっと気持ちよくなってきた。
僕は何となく自分の置かれた状況を理解し始めて、何はともあれ、まだ生きているらしいと実感する。
「ああ、やっぱり気づいていたんだ……」
「当たり前でしょ? 全く、貴方の勘違いで私の靴の裏が貴方の気持ち悪くて汚い手に付いていたスライムの残骸で汚れちゃったじゃない」
心底不快そうな顔をしてから、クリスが僕の視界から消える。どうやらクリスは屈んだらしい。
「ほら、どうしてくれるのよ?」
それから少しして、クリスは立ち上がって僕の顔に歩み寄ってくる。
「――っ!?」
その刹那、クリスが僕に何かを投げつけてきて、それが僕の顔にクリーンヒット。僕は思わず目を閉じる。
クリスが投げつけた得体の知れない何かが目の中まで入ってきて、地味に気持ち良い。
きっとこれは砂だ。クリスが屈んだときに握ったんだ。全く、美少女に砂を投げつけられるなんて、全世界のドMに妬まれちゃうね。
「ほら、ほら、どうしてくれるのよ?」
僕がそんな事を考えるのと同時に、ぐいぐいと再び口に押し付けられる得体のしれない何か、その何かは微かに開いた僕の口を広げようとするかのようにぐりぐりと左右に動く。
――こ、これは!? まさか!?
左右に動き回る何かから僕の口の中にじゃりっとした食感のものが零れ落ちてきて、僕はその何かの正体を確信する。
何かじゃない! これは! これは! これは!! ――クリスの靴の裏に違いない!!
「ほら、舐めて綺麗にしなさい」
靴の裏は普通汚れるものとか、もうスライムの残骸なんか付いてないとか、むしろクリスの靴の裏を舐めさせてもらって良いんですか? とか色々と思うところはあるけれど。
きっと、今、目を開けば、夢にまで見た、僕を蔑すんだ目で見下ろしながら僕を踏みつけている美少女がいるに違いなく、しかも、その美少女はスカートを穿いていて、その中身がスパッツとはいえ僕からは丸見えに違いなく、いや、もしかしたらスパッツ越しからパンツが見えるかもしれなく――とにかく! この光景を目に焼き付けなくては死んでも死にきれない!!
「――ぐぉっ」
そう思って僕がくわっと目を開けようとした瞬間に、再び僕の目に砂が投げつけられて、僕は反射的に目を瞑ってしまう。
「あら? どうしたの? 今、目を開ければ私のスカートの中が丸見えよ? もっとも、スパッツなんだけれどね」
そんなクリスの楽しそうな声と一緒に、断続的にさらさらと僕の瞼に掛かる砂の感触。
く、くっそ! どうしても! どうしても! 砂が目に入ってきて目を閉じてしまう! なんで体を守る防衛本能なんて人間には存在しているんだ!?
「くすくす。ほら、ほら、見たくないの?」
この嬉しそうな声、ドSだ。僕がドMならクリスはドSだ――ドSの美少女なんて最高すぎるっ。
「ぐっ、ぬっ、んっふ」
サラサラと断続的に落とされる砂で目を開けられず、ぐいぐいと口に押し付けられるクリスの靴の裏に僕は悔しいやら、気持ち良いやら複雑な気持ちになる。
「……れろ」
が、何はともあれ、きっと甘美な味がするに違いないクリスの靴の裏を舐めさせていただくことにした。据え膳食わぬは男の恥っていうしね。
「うわっ……こいつ本当に舐めたわ……」
すると、完璧にどん引きしたクリスの声が聞こえて――目を開けるならここしかない! きっとクリスは今、最高に僕を蔑すんでいるに違いない! ちなみに靴の裏は大変美味しゅうございました!
そう決心すると、僕は未だにサラサラと流れ落ち続ける砂なんて気にせずに目を開く。
すると、当然のように砂が目の中に入ってきて、僕は反射的に目を閉じそうになる。
――一瞬、一瞬だけでいいんだ! 耐えろ! 見開くんだ、僕!!
だが、そんな人間の防衛本能を気力で屈服させる。
そして、ようやく、砂でぼやけてしまってはいるが、終に、念願の光景が僕の目の前に――広がらなかった。
「残念でした」
そして、頭上から聞こえてくるクリスの声――つまり、クリスはいつの間にか僕の頭上に体の位置を変えていたらしい。
「はい、残念賞」
「――うっんっ」
僕は夢にまで見た光景を見られなかったショックで、雷に打たれたような衝撃が全身に駆け巡る――というか、実際にクリスから電撃を食らわせられて、感じる前に気を失ってしまった。