1話
唐突だけれど、ファンタジーという言葉を聞いて、君は何を思い浮かべる?
ゲーム? アニメ? 漫画? 小説? 映画?
多分、思い浮かべるのは人それぞれだろうけれど、そのファンタジーに欠かせない物って何だろう?
魔法? 勇者? お姫様? モンスター?
――そう、モンスター。
信じられないかもしれないけれど、今、僕はまさにそのモンスターに襲われているのだ。
ちなみに僕、こと久坂修一は魔法も使えないし、勇者でもない、そもそも戦闘力が皆無。
つまりは一般市民。村や街をうろついているモブだね。
ちなみにどんなモンスターに襲われているかと言うと、強さはそうでも無いけれど、知名度だけは高い、ゼリー状のモンスターであるスライムに、全身をすっぽりと包まれて、呼吸もままならない状態である。
おっふ、おっふと顔を真っ赤にさせて、下級モンスターであるはずの半透明のスライムの体内でもがく僕は惨めな事この上ない――それにしてもスライムの中って暖かいんだね。母親の胎内にいる赤ちゃんってこんな気分なのかな?
スライムの海に溺れて今にも窒息死してしまいそうな僕だけれど、不思議と恐怖は無い。
着ていた服がスライムの消化液? で溶け始めたけれど恥ずかしくも無い。
というより今の僕は、恐怖とか、恥じらいとかを感じている場合ではないのである。
いよいよ肺の中の空気が無くなり、僕は我慢できずに本能的に、思わず空気を求めて口を開く。
「……ぎっ……」
すると、これはチャンスとばかりに、にゅるにゅるとしたスライムが開いた口から侵入して更に息苦しくなる。
水中で大量のコンニャクゼリーを無理やり口に押し込まれれば今の僕と同じ状態になるだろうか? ともあれ、僕はその息苦しさに思わず声を漏らした。
「……ぎっ!」
え~っと、はい。先ほど僕には特殊な能力は無いと言いましたが訂正させていただきます。
僕は一つだけ魔法? みたいなものを使えます。
「……ぎもぢいぃぃぃい!!」
それは苦痛を快楽に変えられる不思議な魔法。
――そう、僕はドMなのです。
もうね、さっきから我慢していたんですけれどね! いい加減に限界ですよ!! 気持ち良すぎますよ! この状況は美味しすぎますよ!
「おっふ! おっふ! イエス!」
スライムの海の中で僕は押し寄せる快楽に、きっと気持ちの悪い顔をしながら、身を捩じらせる。体を動かしていないと快楽で頭が可笑しくなってしまいそうだ。
それにしても、気持ち良いのに気持ち悪い顔って何だか可笑しいよね?
ともあれ、身を捩らせるたびに僕の全身に重くのしかかるスライムはまるで枷のようで、口の中に侵入してくるスライムはまるで蜜のように甘美な味がして(注意。味には個人差がございます)ぐんぐんと快楽が増していって――ドM冥利に尽きるというものであります。
「ごっぶ! ぶっぐ! ヴぉっぐ!」
だけど、楽しい時間というものはいつか終わりがくるもので、僕はもっとこの快楽を味わっていたいのに、もどかしいかな所詮、体は普通の人間と同じで、快楽のせいか、はたまた単純に呼吸困難のためか、そろそろ意識が保てなくなってきて、俗に言われている走馬灯なるものが頭の中を駆け巡り始めた。
良く耳にする走馬灯というやつは、生まれてからこれまでの出来事が思い浮かぶらしいけれど、何故か僕は最近の出来事を思い出していた。
そう、あれは今から一週間ほど前の出来事である。
――なんて語っている間に僕はあらゆる意味で昇天してしまうかもしれないけれど、まぁ、それはそれで良い死に方だと僕は思う。我が生涯に一片の悔いなしと拳を天高く掲げたい気分だよ。
等とくだらない事を考えている場合ではなく、これは走馬灯というやつなので一瞬で駆け巡らないといけないらしくって、さっきからテレビ局のADらしき人(何故か僕にそっくりである)がしきりに巻き進行でお願いしますとカンペを指差しているんだけれど、ゆっくりと進行してお偉いさんから怒られるのもまた気持ち良さそうなので、僕のペースで語っていこうと思う。
その日は梅雨のときから猛暑だった今夏にしては珍しく涼しい日で、ちょっと僕のテンションは下がっていた。
何故なら、僕は真夏の日差しの下でじりじりと肌が焼かれていくような感覚がとても好きなんだ。
ついでに女性に踏まれながら罵詈雑言を浴びせられるのも好きだけれどね。夏だからホットパンツとかだったら風流だよね。
せっかく夏休みに入ったのにこの低いテンションはダメだなぁと思って、僕はテンションを上げるために週に一度、一時間までと決めているイベントを発生させる事にしたんだ。
そのイベントっていうのは良く言えば人間観察。悪くいえば、パンチラ探しなんだけれどね。
ああ、ここで誤解されないように言っておくけれど、決して盗撮とか、犯罪みたいな事はしないよ? ただ、ちょっと駅構内へと続いている角度のついた、長い階段の下でじっとスカートが短い女性を見上げているだけだよ? ほら、全く犯罪じゃないでしょ?
それと、同じ歳の健全な男子高校生と違って僕が見たいのは、何も女性のパンチラじゃないんだよ……いや、見たくないかと問われれば、見たいと答えるしかないんだけれど。
それよりも、もっと僕が見たいのは、そんな行動を取っている僕を見つめる女性の目だったりするんだよねぇ。
ある女性は僕に殺意の篭った目を向け、またある女性は汚いものでも見るような目で僕を見る。
僕はそんな女性たちの露骨な視線を感じたいが為にスカートの中よりも女性の顔を凝視しているから、残念な事にあまりパンチラは拝めないんだ。
こう、あからさまにスカートの中を覗こうとしている僕を見て、階段を上り下りしている女性が手にしたバックとかでスカートの隙間を隠したり、スカートの裾をきゅっと下に引っ張ったりしながら、僕を睨んでくれると最高だよね。僕のテンションも一気にマックスだよね。
極稀に気の強い女性が僕に向かって「最低っ!」とか罵ったり、頬を叩いてくるけれど、ドMの僕としてはただのご褒美だよね。
何でこんな最低の行為をしている僕を殴ってくれる女性は少ないんだろ? もっと殴ってくれても良いのにね? 日本の女性って優しいよね。きっと海外だったら訴訟問題なのに。
出来れば夏休み中、毎日――いや、夏休みだとか、天気だとか、季節だとか、時間だとか関係なく、毎日、何時間でもこの人間観察をしたいんだけれど、この人間観察には一つだけ問題が残っているんだ。
それは、あまりにも回数をこなすとお巡りさんに目をつけられるんだよ、これ。
いやぁ~昔は好奇心旺盛で毎日欠かさず、何時間も、休日はそれこそ丸一日使って、人間観察に没頭しちゃってよく職質されたよ。
もっとも、毎日、何時間もそんな行動をしていれば職質くらいはされても仕方ないよね。
だから僕はそれに反省して、週に一回、一時間までと決めたんだ。
そんな訳で、時間内に僕の事を蔑むような目で見てくれる女性に会えるとは限らないんだけど、これ、時間制限をしたおかげで、今週は会えるどうかというドキドキ感が生まれて、運良く会えたときの快感が以前よりも増したんだ。
ああ、別に会えなくてもそのドキドキ感と、なにより時間制限で自分の行動を『縛った』おかげで気持ちいいんだけどね。
そんなこんなで、僕は既に上がり始めたテンションでスキップ交じりに駅へと向かっていたんだけれど、その途中でちょっと拉致られちゃってね。
近道をしようとして、人気のない細道っていうか、ビルとビルの隙間を通っていたのが悪かったのかもしれないけれど、こう、背後からいきなり、感じる暇もなくビリっと、スタンガンのような電撃を食らってね、一瞬で気絶しちゃったんだ。
全く、勿体無いよね。背後からスタンガンみたいな電撃を食らえる機会なんて滅多にないのに、そんな美味しいシチュエーションを楽しむこともなく気絶しちゃうなんて、本当、そんな事でよくドMを名乗れるよね。
でもね、これは後で僕を襲った人から聞いた話なんだけれど、僕は倒れる前に「うんっふ」って気色の悪い声を上げて、倒れてからも恍惚の表情を浮かべていたんだって。
もう僕の体は無意識でも感じるレベルのずぶずぶのドMらしいね。ちょっと照れくさいけれど僕は自分で自分を褒めてあげたいよ。
そんな僕があまりにも気持ち悪かったから、僕を襲った人は思わず僕の顔面を踏みつけちゃったんだって――もうね、僕はその話を聞いて、何で僕は気絶しちゃったんだろうって悔しくて、悔しくて、その晩は枕を涙で濡らしたね。
まぁ、そんなこんなで拉致された僕が目を覚ますと、そこは昼間なのに薄暗くて、かなりの間、人の手が入っていないのか、埃が積もっていてかなり空気が悪く、周りには何故かネジやらボルト、釘、ナット、ボールペン、くたびれたダンボール箱、と様々なものが乱雑に置かれていた。
そんな場所に僕は両手両足を縛られて転がされていたんだ。つまり『拘束されて』『放置されていた』んだ。
いやぁ~、これには参ったよ。やっぱり自分で体を縛るのと、誰かに体を縛られるんじゃこうも気持ちよさが違うものかと痛感したね。自分だと体の構造上どうしても縛れる箇所が限定されちゃうからね。
もうね、これを一度経験しちゃうと、自分で自分を縛るのが馬鹿らしくなっちゃって、二度と出来なくなっちゃうね……いや、結局するんだけれどさ……あとね、ぞんざいに、不法投棄されたゴミのように転がされていたのもポイントが高いね。
あまりにも気持ちよかったから、縛られたままでくねくねと身を捩じらせていたんだ。
これがまた、上手く動けなくて、じれったいことこの上なく最高だった。ついでとばかりに埃は舞って息苦しいし、落ちている釘やネジがチクチクと刺さるオプション付き。
「そんな事をしても無駄よ」
そんな僕の行動を見て拘束を解こうともがいていると勘違いしたんだろうね。薄暗闇からすっと一人の少女が現れて、肩くらいまでの長さをしたゴールドブロンドの髪の毛をさっと掻き上げながら、偉そうに僕に言ったんだ。
サラサラと流れる少女の髪の毛はまるで宝石を砕いて散りばめたように、暗闇の中でキラキラと輝いていて、思わず快感を忘れて僕が見入ってしまうくらいには綺麗だったよ。
「さて、久坂修一?」
すっと大きな碧眼の目を細めて、不愉快そうな顔で僕を睨みつけて、暗闇から現れた少女は思わず罵ってもらいたくなるくらいに、凛とした声で僕の名前を呼んだ。
「いきなりで悪いけれど、貴方を拉致させてもらったわ」
そう言って少女はふふんと鼻で笑ってみせた。そんな仕草が僕には悪戯に成功した小さい子どもが自慢しているように見えたよ。
「……拉致?」
両手両足を縛られて、薄暗い人気のない場所に転ばされていた事に気づいた時点で、誰かに僕は拉致されたんだなとは薄々感じていたけれど、もうこの時は目の前の少女に目も耳も心も奪われていたから、僕は何となく少女の言葉を反芻したんだ。
それが良かったみたいで、徐々に僕は今『拘束』されているんだという快感が戻ってきたんだ。
「おっふ」
当然の事だけれど、戻ってきた快感に僕は思わず身をくねらせたね。
「ああ、無駄な抵抗は止めたほうが良いわ。その縄、動けば動くほど締め付ける仕組みになっているから」
くねくねと芋虫のように身をくねらせていた僕に少女が淡々とそんな事を告げたものだから――僕は激しく身をくねらせたね。陸に揚がった魚くらいにビチビチと激しく身をくねらせたね。
ドMとしては当然の行動だよね、自然の摂理と言っても過言じゃないよ。完全にフリだよね。
「くぅ~~~」
すると、どうだろう。少女の言う通りに僕が身をくねらせればくねらせるほど、僕の両手両足がぐいぐいと締め付けられていって――その食い込み方が凄いのなんのって、子どもの頃に穿いていたブリーフがお尻に食い込むより食い込むんだよ。
何だろう? こう、ブリーフを左右から二人のマッチョさんに思いっきり持ち上げられたくらいの食い込みかたかな? だから、僕は思わず興奮して仕事が終わってビールを飲んだ後のお父さんみたいな声を上げちゃったんだ。
これは物凄く蛇足だけれど、僕のお父さんがお酒を飲んでいた記憶が僕には全く無いんだけれどね。ほら、なんて言うかな? こう、世間一般のイメージ的なやつ?
「ふふん、ほらね」
気持ちよすぎて口をぱくぱくとさせながら身悶える僕を見て、少女が鼻で笑って「いい気味」と言わんばかりの目で僕を見下ろすものだから、僕のボルテージはぐんぐん上昇していって、僕は更に激しく身をくねらせたね。これでもかという位に力の限りくねらせたね。
「……はぁ~……はぁ~……はぁ~」
それから僕はひたすらに悶え続けた。
もう、疲れての息切れなんだか、気持ちよくてはぁ~はぁ~言っているのか、僕にも分からなくなるくらいに悶えて、締め付けられ過ぎて手足に血が巡らなくなって手足の感覚が無くなっちゃったんだ。
「……ねぇ?」
だから少女が不満そうな声を上げても僕は気にせず、というより気づかずに一人で楽しんでいたんだ。
「……ねぇってばっ」
「……はぁ~……はぁ~……はぁ~」
「ねぇ! ってば!!」
「……はぁ~、はぁ~、はぁ~」
「――いつまで私の事を無視するのよっ!!」
もうダメだ、そろそろ意識がぼんやりとしてきた。何て僕が思っていたら、少女が怒ったようにドンっと力強く足踏みをした音が聞こえた。
「――ぐっふん」
すると、ピカッと目の前が光って、僕の体に物凄い電撃が駆け巡って、薄れかけていた僕の意識が一瞬でクリアになったよ――ああ、もちろん、気持ちよすぎてだよ?
「……うぇっ」
だけど、電撃を食らったせいか、今まで僕の両手両足をこれでもかときつく抱きしめてくれていた縄が焼き切れちゃったみたいで、僕は急に戻ってきた血の気に思わず気持ち悪くなって、軽く嘔吐いちゃたんだ。
これはいかにドMとはいえ人間という生物の構造上、絶対に超えられない壁だよね。
でも壁ってものは越えるために僕はあると思うし、いつかドMは人間を超えた種族になると僕は思っているんだ。
――きっと全人類の底辺にドMが這い蹲れる日が来ると僕は信じているよ。
「ふんっ、私を無視した罰よ」
少女はつまらなそうに、無様にげぇ~げぇ~と四つん這いで嘔吐いている僕に告げるんだけれど、僕は気持ち悪くなったせいで一気に快感が引いちゃって「いえ、普通ならば電撃はご褒美です」と突っ込むくらいには冷静になっちゃったんだ。
もっとも、少女からしてみれば顔色が悪くなった僕が何やら少女のほうを見上げて、げぇ~げぇ~言っているくらいにしか聞こえなかったと思うけれど。
「……うっぷ」
「さて、久坂修一――もとい、ゴミくず」
少女が四つん這いのままの僕をゴミ捨て場に散らばった生ゴミでも見るような目で、罵ってくれたんだけれど、生憎と僕はまだ回復してなかったから勿体無い事に全く気持ちよくなかったんだ。
「は、はい。な、なんでしょう?」
だけど、やっぱり僕は重度のドMらしく、気持ちよくないのに顔が勝手に綻んでいた。
「……何、その嬉しそうな顔、気持ち悪いわね」
そんな僕を見て、少女が本気で気持ち悪そうに綺麗な顔を歪ませながら言って「まぁ、いいわ」なんて直ぐに付け足すと、僕がお礼を述べる前にこう言ったんだ、
「貴方、私の下僕になりなさい」
――もちろん、二つ返事でOKしたよ。