騎士のこと
説明回。長い。
あの人と国を出るまでの俺を振り返ろう。
小さな男の子ってのは大概一度は物語の騎士様に憧れるもんだ。
木の棒握りしめて魔物と戦いお姫様を救い出す騎士様ごっこ。お姫様役は重要だ、そうすれば妹たちも一緒に遊べるから。そんで大きくなるにつれてみんなそんなことはは忘れていく。けれど俺は体が大きくなってからもなかなか騎士様の夢を捨てきれなかった。
騎士様は剣だけじゃない。馬上では槍も振るうし弓だって使う。剣なんか普通の家には無いし馬上で重層騎士が振るうような大きな槍の代わりになるようなものは身近にはなかった。
だが弓と、剣の代わりになりそうな手ごろな長さの棒ならあった。だから俺はそのふたつを一生懸命練習した。剣の振り方なんて知らないし見たこともないからただちょっと肩まわりの筋肉が増すくらいにしかならなかったが。けど弓のほうは的に当てればいいという事はわかっているからだんだん上達した。
十歳を過ぎてすこしたったころには本気で騎士になりたいと思っているやつなんかもういなかった。だからばれてからかわれたらと思うと嫌だったから森の中で練習して、ついでに鳥やら兎やら獲るのがずいぶんとうまくなった。
俺がよくそういうのをとってくるようになったから、父さんは仕留めた後の血抜きやらの処理を教えてくれたし母さんは簡単な料理をいくつか教えてくれた。うちはみんなほかの家と比べておなかをすかせている時間は短かったと思う。そのせいか、俺は同世代と比べたらずいぶん立派な体格に育った。
十五になる前にはみすぼらしくない体つきと体力、あとはまじめさを買われて領主の屋敷で使用人見習いとして奉公することが決まった。
その頃には騎士になるには従騎士として教えを乞う先輩騎士や、重鎧や剣、槍、馬、馬具なんかを自力でそろえるための資金が必要、つまり貴族の子供しかなれないと知っていたがそれでも陰で棒切れを振り回すことをやめられなかった。
使用人としての仕事はいろいろと俺に好都合だった。例えば、もしかしたら領主について行って大きな街に行って本物の騎士を一目見れるかもしれないだとか、俺の家は上から下までみんな欠けることなく元気にすくすく育ったから、分け合うべき財産の取り分を増やすために家を出て働ける場所が必要だとか。
けど使用人生活はあっという間に終わってしまった。
ある日、領主様のまだ幼い息子たちの行方が分からなくなった。とても仲のいい活発な兄と病弱な弟だった。
熱を出してしまい先日の街への用事に同行できなかった弟を憐れんだ兄が弟の図鑑でみつけたとても珍しい花を探しに弟を連れ出して森へ入ってしまったらしい。
領主様の護衛達は戦うのは上手だが馬が入れないような鬱蒼とした森の中で何かを探すのには向いていなかった。あわてて近所の猟師を頼ろうと使いを出したがずいぶん時間がかかるという。
見ていられなくて俺は飛び出した。
歳が近いからかあの兄弟は俺によくしてくれたから。
飛び出したとはいえ着の身着のままで出てきたわけじゃない。もうすぐ王都の軍学校に入学する予定だった兄の練習用の装備を拝借してきた。あんまり大荷物で森を行くわけにはいかなかったから使い慣れた剣と弓を選んだ。
兄弟はわりかしすぐに見つかった。森を少し進んだところで悲鳴が聞こえたから。悲鳴が聞こえたということは何かに襲われているという事だ。大人たちも悲鳴で気づいたかもしれないが悠長に待っていられる状況ではなさそうだから俺は走って声の方に向かった。
果たしてそれは、すでに手遅れであった。
赤いのとか、ピンクなのとか、白いのとか。いろいろと散っていた。
犯人は大人と同じくらいの大きさの熊だった。熊としては小さい部類であるがその太い前足は子供を殴りつけて飛散させるのに十分な威力をもっていたようだ。食べ始めたならこちらも逃げる隙ができるのに、仕留めたものを一向に食べようとしない熊が気になって視線を追うと、弟様が震えていた。あの熊の体躯じゃ、兄だけで十分満ち足りると思うのに強欲なことだ。俺も黙って成り行きを見ているわけにはいかなかった。
幸いまだこちらには気づかれていないから音をたてないようにそっと矢をつがえる。熊の厚い毛皮には致命傷はのぞめなさそうな子供用の弓矢。熊射ち用の弓矢なんてさすがに持ってきていなかった。速射できるように3本つがえて狙うは目か鼻だ。大きく注意を引けたら弟の方だけでも逃がせるかもしれないから。
そして、放った。
狙い違わず一射めは右目に、続く二射めは鼻先をかすめるにとどまったが怒り狂った熊をこちらに引きつけることには成功した。振り向いたところへ三射め、左目へ。盲目となった熊が半狂乱で突進してくる。弓を投げ捨て剣を抜いた。どうせ死ぬなら一太刀浴びせてやろうと思って。斬りつけるのは無理だから、刺すしかない。真っ黒な毛皮に覆われていないところ、肉色がみえるところ、口。
死力を尽くした一撃だったからか、剣はうまいこと熊の口からのど奥へ突き刺さり、俺は撥ね飛ばされた。
夜になって俺は目を覚ました。
剣が口に突き立っていたため噛みつかれることも、視力を失った熊に爪を振るわれることもなく撥ね飛ばされただけだったので助かったらしい。
俺が眠っている間にあることが決まっていた。ここの家では一族を軍学校に送る。元々、かつての王と貴族たちの間の騎士契約が元になっている。
平時の庶民には課せられていない、徴兵制度だ。教養と技術を積み、晴れて騎士となったなら領地に戻ることも許される。けれど王都に行くはずだった兄がなくなり、病弱な弟はとても騎士の訓練どころか王都への遠征に耐えられるかも怪しい。
弟まで倒れればこの家は絶えてしまう。そこで俺に白羽の矢がたった。兵役のために養子をとることは多々あるらしい。
こうして急に、俺の前に騎士への道が開けた。
けれど友人を失ったが故の結果に、素直に喜ぶことはできなかった。
いままでなんとなく強いから、かっこいいから、物語の騎士に憧れていたけれど。
今度こそ失わないように、大切なものを守り切れる存在になりたいと、漠然と思った。
俺の騎士への道はわりとはじめからつまづいた。
急遽決まった出来事だったので準備が不十分、上級貴族の子弟たちの顔なんて知らなかった。
向こうは田舎者を少し脅してやろうというつもりで囲んだらしいが、俺は本気でやられると思い全力で応えてしまった。的で訓練したり獣を狩っていたことはあっても人と試合をしたことなんか無かったのも災いし深刻な怪我を負わせてしまったのだ。
平民に負けたという事実を隠すために事件は咎められこそしなかったが騎士になるための前段階として俺につく先輩騎士も主君になってくれる人物も見つからなくなった。
俺を養子にした家はさほど強い力を持つわけでもない。他家に睨まれてまで俺をかばうこともなくあっさり俺との縁を切った。
俺は王都に一人とりのこされることに――ならなかった。
突然公爵家の人間から直属の見習い騎士として引き取ると勧誘があった。これに乗らない手は無かった。
けれど俺を見染めたのは護国の赤竜として名高い王兄である公爵閣下自身ではなく、放蕩息子として名高いルーティカ・フルニエ=アウメニアクムであった。四十近いというのに全く結婚の気配がなくいつまでも遊び歩いているという前評判からなぜ俺を引き取ったのかわからなかったが実際に会った印象はずいぶん噂と違っていた。
幼少期床に就いていた影響から身長は男にしてはずいぶん低く、ゆるく纏めた艶やかな赤毛とゆったりした衣装。柔らかな眼差しと甘ったるい香水。なによりその美貌。初めて会ったときはてっきり放蕩息子の愛人の女かと思った。
彼は幼いころ体が弱く、自身の手で剣をとることは諦めたが訓練に励む騎士たちを王城への行きがけに眺めることが好きらしい。そこで俺の腕を見染めたらしかった。
俺の夢、物語の騎士のようになりたいという話を笑わずに聞いてくれ、私もそういう話が大好きなんだといって自身の蔵書から騎士道物語の書物をたくさん見せてくれた。
幼いころの物なのか童話や絵本が非常に多かったが学のない俺にはありがたかった。
護国の竜と名高い閣下の血を見かけの割にしっかり継いでいるようでその眼力は素晴らしく、先輩騎士の居ない俺に合った簡単な訓練法を教えてくれたり、支給品の鋳造剣から一番俺に合ったものを見繕ってくれた。
おそらく俺はこの人の直属の護衛騎士として扱われるのだろうなと思っていた。
だが、彼は遊び仲間との付き合いに忙しいらしく徐々に直接顔を会わせることが減っていったころ、会う機会が減ることで俺はあの人のうわさを耳に入れることができるようになってきた。
いわく、公爵家のルーティカは色狂いとして有名だった。それも男色家の。
他にも魔法で人を誘惑することができる、や、王太子などは既に落とされているなどとまことしやかに囁かれていた。
そして俺は才能を見込まれた近衛候補ではなく、新しい愛人候補として噂になっていた。
女のような装いと公爵家の人間としては不自然に俺に親しげな態度、もっとはやくに気付いてもおかしくなかったのに。
彼に抱いていた主従とはまた違った友人のような親近感は段々と"嫌悪感"に変わっていった。
やがて遊び仲間の"ご友人"方ともども、王位を狙って国家転覆を謀ったとして彼は捕えられ、王族から除籍された。
関係者が次々と処断される中、首謀者としては異常にに軽い刑として国外追放となった。まもなくの王太子の即位で恩赦として帰国させる手筈になっているらしい。
この緩すぎる刑罰は従兄であり、この件を処断した責任者である王太子と寝たことがあるからだなどと噂され、かくして傾国の魔法使いという異名がうまれることとなった。
俺の処遇は相変わらずあの人の配下のままだった。
けれど事件の前に彼のおかげで騎士となるための儀式は果たすことができた。そして直属の護衛騎士としてあの人ともども国外へ厄介払いされたのだ。
一応、騎士になるという夢は一瞬だが叶ったことになる。自分がどのように思われているかは知らないが、その恩義だけは返さなければならないだろう。頭ではそう考えてた。けど心までは儘ならない。
結局つまらない噂話に翻弄されて、あの人へ根拠のない嫌悪感を抱いたまま俺の旅ははじまった。