氷菓
「というわけでここがその洞窟だよ」
昨日はなぜかルカが早々に酒場から切り上げてしまったので俺も長くは楽しめなかった。一応護衛騎士ではあるので目を離しっぱなしにするわけにもいかないからだ。
いったい何に機嫌を損ねたのかは全くわからなかったが酔っぱらいのしたことだし、特に深い理由は無いのだろう。翌朝には何事もなかったかのように上機嫌でここにくる支度をしていた。
おまけにこの地に伝わるものとは全く異なった逸話を語って聞かせてくれた。実際ここで言われている話は風の音が歌のように聞こえるとかカップルで歌を聞けるとうまくいくとかその程度だ。
「やっぱり俺には隙間風みたいな音しか聞こえませんね。貴方はなにか聞こえますか?」
実際には風の音が時折か細く聞こえるが、俺にはとても歌なんかには聞こえなかった。せっかくの歌声とやらが聞こえないとにはここはただの洞窟でしかなかったが、先日雨が降ったとはいえまだまだ昼間は熱い、涼を取るという目的ならそこまで悪くは無いか。
「たいていの人には聞こえない音だよ。だからこそ聴こえたら皆ありがたがるんだから。けれど音源に近づいたらその限りではないかもね。」
そういうと観光客向けの通路から外れて複雑に枝分かれした道を進み始めた。上層の天井の亀裂から光が差し込む場所とは違い全くの暗闇である。当然明かりなど設置されていないが魔法使いにかかればさしたる問題ではない。
「おまえでも大丈夫なように、今日は小道具を使おうか。」
そういうと懐から取り出したのはいくつかの黄色い実であった。
「魔法ってのは想像力が重要なんだよ。言葉はそれを助けるし、実体のあるモノを使うのも有効だ。そんなわけでちょっとした洒落だ。私の名前を憶えているかな?」
言われてわかった。この実は杏子だ。偉大なる護国の赤き公爵閣下には不似合いな家名。そしてルカの名にもっとも近い意味は、輝き。
「もしかして光るんですか、この杏子。」
「うん。たまにはいかにもな魔法っぽく詠唱とかしてみようと思ってね。では、わが名において我が名の如くあれと命ずる。これは――光り輝く杏子。」
いまいちキマりきらない詠唱とともに手のひらの杏子たちはまばゆい程の光を放ち始めた。光れ、どころか輝けと命じたせいかすこし眩しすぎたのでカンテラを取り出して放り込めばずいぶん扱いやすくなった。まぶしさは軽減されたがそれでもカンテラに収まるような小さな炎よりはずいぶんと明るい。魔法で光の玉を出すより、何かを光らせた方が移動や位置に気を払わなくてもいい分楽であるそうで、俺に手渡してしまっても大丈夫なのが利点らしい。
いくつもの脇道のなかをルカは迷いなく進んでいく。
「魔王ゆかりの品を持っているから向こうの方から見つけてくれたみたいだ、歌声が大きくなった。何より私には初めから歌が聞こえているからね。」
「女の歌声のような……?けどまだ風の音っぽいですね。」
少し経つと急に開けた明るい場所に出た。歩数的にはだいぶ歩いたが曲がりくねっていたので直線的にはそう離れていないだろう。
「今朝の話を憶えている?恋の歌の女神が歌っているんだよ?」
俺の耳には完全な歌声は届いていなかったのだがルカは進むのをやめてしまった。
女神といってもここいらの人間には存在すら知られていないがこの洞窟を利用するほかの種族からは必要とされているらしい。
「これ以上近づくとなにかまずい事でも起こるんですか?」
「私にとってはそう悪いことではないけれど……歌が聞こえたカップルが上手くいくって話を聞いただろ?端的に言うと歌がはっきり聞こえたら見境なく発情する。」
――それは確かに困る。
洞窟の出口には土産物屋がひしめいていて石のかけらなんかを売っていた。鉱石でもなんでもないただの石ころでも磨き上げればなんだかそれなりのモノに見えてくるから不思議だ。
涼しい洞窟から出てくると外の暑さはなかなかに堪える。大きな日傘をいくつも広げた氷菓店が一番繁盛しているように見えた。
洞窟の中はずいぶんと涼しかったが下層ではさらに寒く、氷がとれるそうだ。昨日ルカが酒に入れていた大きな氷はここから採取されたものらしい。自然に氷柱として形成されるものだけでは賄いきれないから、この地方では冬の間に山の方の貯水池に張る氷を切り出して洞窟の奥に保管しておくそうだ。
よそじゃ貴重な氷菓だが産地ではそこまで値段は吊り上っていないようだ。せっかくなので体験してみることになった。もともと王侯貴族たるルカはともかく、俺は初めての体験だ。
濃厚なアイスクリームと果物のソルベ、吊り上っていないとはいえそれなりの値段はするし冷たいものなんか食べなれているはずもなく、腹を壊したくなかったからどちらか一つだ。
悩んだ末にこれまた見たことのない果物が使われているという理由で俺はソルベを選んだ。
ルカはアイスクリームを選んだようだ。甘い方が好みなのか。
「ずいぶん悩んでいたね。こちらも食べてみたかったんだろう?」
そういうわけではないらしい。俺に分けてくれるために、俺が悩んでいた候補のもう片方を選択したらしい。
結局両方食べた結果、未知の果物は酸味がきつすぎて俺には合わなかった。後半はルカが取り替えてくれた。酒はクソ甘いのを舐めていたくせに食べ物に関してはそこまで甘党というわけではないようだ。
一方俺は今日はじめて自分が甘党だと知った。甘くないよりは甘い方がいい。甘い食べものなんて俺には食べる機会が少なかったからはじめて自覚した。
ふたりの間に昨夜のような気まずさは無かった。だからいまのうちに問題があるなら解決してしまおう。そう思って昨日の疑問をぶつけることにした。
「昨日はいったい何にすねていたんですか?」
今朝の開き直りぶりからして大したことではないだろうが、だからこそ大したことがないうちに終わらせたかった。
年下に拗ねていたなんて直球で言われるのは流石に恥ずかしかったらしく、返答があるまで少し間があった。
「仕方ないことかもしれないけど、名前の断片ですら私のことが嫌なのかと思ってね。」
そういえば最後にそんな会話があったかもしれない。ずいぶん大げさに捉えられていたようだ。俺の言葉が足りなかったことが原因のようだ。
「それは違います。貴方の名前を頂いては俺は貴方の養子になってしまう。俺は騎士として貴方を護りたいんだ、息子として比護されていたいわけじゃない。」
言ってから、もしかしたら彼は名を同じくすることに違う意味を見出していたのかもしれないと気付いた。
「そうか、おまえは、王都に来るのに貴族家の養子としてやってきたのだったね。そしてそれが前の名だった。そのように思うのも無理はないのか。確かにお前とは幾分か歳が離れているけれどまさかね……」
別に立場を変えるための養子縁組に年齢差などかかわりないとは思うが。
見た目が若いから忘れていたが俺と彼はそれなりに歳が離れていたのだった。だがあくまでそれなりであって本当の親子ほどではないと思う。
「俺はそんなガキじゃないですよ」
「いや、まあ少し誤解は残っているようだけどこじれるからやめよう。」
「なんですかそれは!俺が阿呆な勘違い野郎のままみたいじゃないですか。」
そう俺が抗議すると彼は、そうかもしれない。と悪戯っぽく笑った。この分なら、もう大丈夫だろう。
次回過去回にするか検討中。書きあがってはいる。