蕪のシチュー
ありがたいことに今度の村にはわりあいまともな宿があった。
前回立ち寄った村は山賊の被害に遭った直後らしくずいぶんと殺伐とした空気であったし、同行の貴人が迂闊にも腰に巻いている貴金属のベルトを布で覆い忘れて村民に見られてしまったのだ。
なんだってこの旅にそんなにじゃらじゃらと宝飾品を持ち歩くのか、尊き御方達はこんな時でも身を飾っていなければ気が済まないのかと軽蔑かけたのだが理由あってのことだったらしい。
ある騎馬民族は定住をしないその性質故に農耕民が家や道具につぎ込む財産のほとんどを貴金属として所持している。それゆえ優れた装飾品の文化を持つのだという、ゆえに家無く旅を続ける俺たちにもその道理が当てはまるというところまでこんこんと主張され、納得した部分もあったがたぶん、貴金属のレベルが違うしうっかりこんなとこで見せるしどうにもこの人は知識ばかりで実践的な警戒心が足りない。
しかし俺の人生の倍近くを堅牢な壁の中で過ごしていたことを考えるとそれは当たり前かもしれないし、俺だって帰る家も目的地も無いような長い長い旅をするなんて初めてで、緊急用に貴金属を持ち歩くなんてしたことはなかったし思いつきもしなかったからお互い様かもしれない。
そんなわけで、大きな家に泊まろうにもどうにも嫌にぎらついた視線が気になって同行者の尻をせっついて早々に立ち去った。
餓えた村人が荒らしまわったせいか野獣の肉にありつくこともできなかったし食えるような木の実どころか野草もみつからなかったのでここまで硬く乾いた携帯食以外口にすることができなかった。俺であってもクソまずいと思うものであるから案の定あのひとはほとんど食べずに終わらせてしまった。
ということで久々の温かい食事と寝床なのである。
夕食に出てきたのはシチューであった。
添えてあるパンも今日焼いたものだろう、まだ柔らかいから溶けるほど汁物にひたす必要もない。肉といえば何の肉かわからないようなきれっぱししか入っていないが具は多いしこれはあたりだろう。白濁したスープのなか目に鮮やかな葉、と溶け込むような柔らかで白い塊。これは、
「蕪か、久しぶりだなあ。実家ではよく食ったもんだ」
比較的育てやすいうえに加熱すれば甘く、とけるような柔らかさになるために弟たちが乳飲み子であった頃離乳食として与えられていたこともあった。だがたやすく柔らかくなるということはつまり温めなおしが効かないということだ。煮崩れてしまうから。
つまりこれは作り置きを温めなおしたものではなく出来立ての物だということがわかる。いいタイミングで宿に着いたのかもしれない。俺としてはそう思ったのだが。
「蕪、だって……?それは家畜の、豚の餌じゃあないか」
同行者がとんでもないことを言ってくれたおかげで空気が凍った。
社交界じゃ数々の大物を手玉にとってきたと噂されていたのに実際のこの人はしばしば本音がこぼれたり空気を読まなかったりする。それとも慣れない放浪の旅や屋根のない生活から不満がたまっておかしくなっているのだろうか。
確かにとうとい方々の食卓に上がるようなものではないが。だがこれはまずい。非常によろしくない。明らかに宿の主人は気を悪くしているように見えるしせっかくのうまそうな食事が台無しだ。
「俺は好きなんですがね、俺も家畜だとでもいうんですか。」
つい嫌味っぽくなってしまうのも仕方ないことだろう。俺がそう言い放つとびくりと肩をふるわせて
「そ、そんなつもりでいったのではないのだけれど……。」
急にしおらしくなって匙を手に取ると、少しためらってからその口に運んだ。
理由はわかりたくもないがこの人はよく俺の顔色を窺うようなしぐさをみせることがある。あそこで噂されていたような下世話な理由なのか、ふたりきりの旅、しかもほぼ俺に頼り切りなのに俺の機嫌を損ねることを避けたいのか。圧倒的に前者である可能性が高いからわかりたくないのだが。
とにかく容姿だけは非常に優れた人なので少ししおらしくすると陰鬱で耽美な美しさが際立つ。その毒気にあてられたのか店の主人まで俺に言い過ぎだとでもいうように非難がましいまなざしをよこした。
当の本人は匙を口にしてからしばらくかたまると、またゆっくりと次を口に運んでそして、ゆるく微笑んだ。いつものわざとらしい笑みとは違った笑みだ。食べる前はあんな言いようだったが口に合ったらしい。美味いものを食べて笑むなんて子供みたいだ。子供みたいな無邪気な笑みだ。
考えてみればあたりまえかもしれない。料理までごてごてと飾った、しかも毒見でさめきった食卓から離れて野山の清涼な空気と水で漱ぎこの世の最低値みたいな携帯食を知り、空腹という最高のシチュエーションで新鮮な食事を摂る。美味くないわけがない。邪魔するのは中途半端な先入観だけだ。
そういえば旅のはじめにもこういったことがあった気がする。この人は食わず嫌いの気があるらしい。実に惜しいことである。
この世には先ほどの笑顔を再現させるようなものは腐るほどあるのに、この人はそれを知らないのだ。いま、それを教えられるのは俺だけなのである。毒婦だ妖魔だとさんざん言ってた連中にも見せてやりたい顔だった。
次は、港町でも目指そうかともちかけてみようか。きっとてっとり早くこの人の知らないものを味あわせることができるから。
私にいろいろ食わせてみたいのだと彼は張り切っている。
いままで私にとって食事なんてただ食べさせられているものにすぎなかった。贅を尽くされた食事にはあらゆる食材が詰め込まれていたから本当は食べたことのない食材なんて彼が思うほどに多くはないはずなのに。それでも覚えていないのは印象がうすかったからかもしれない。
何が違ったのか。それは決して見た目ばかりに気を取られた食事だったからとか毒見のせいでさめていたとかそんな問題ではないのだ。料理人にしろ食材にしろ、どれも一流だったはずで味をおろそかにするわけはないしさめただけで損なわれるようなものではなかったはずだ。
ではなにがちがうのか。それは彼の存在自体なのだと私は思う。食卓に、共に在る人。同じものを一緒に食べて、話をして、そんな食事を過ごすようになってはじめて私は食事を知ったのだと思う。
これは私が彼を好いている理由の、ひとつである。これはまだひとつめ。