船
やっとおふねにのりました。
この街に着いてから、待ちに待たされた客船は、船とは思えない規模の建造物であった。一軒家はおろか大きな宿屋すらも超えるといっても過言では無いだろう。
広い客室は勿論、クラブルーム、ダンスホール、プール、遊技場、その施設の充実ぶりはちょっとした城と言っても差し支えない程である。
船内の観光案内もあったので参加した。
巨大な動力設備は、幾つもの宝石があしらわれた華麗なものであった。華美にする為の宝石、というわけではなく、魔力を貯めたり運用するために宝石が用いられているらしい。
地の底で凡ゆる力に圧し潰された鉱石は稀にその圧力を魔力とし蓄える事がある。これが魔石であり、魔力を取り出したあとも内部に魔力を貯めこむ力を残すので、幻想種に比べて貧弱な魔力を持つか持たないかといった具合な人間種族は魔石を用いて微細な魔力を掻き集め使用可能なレベルにまでする技術を磨いた。
とは言え、それでも人間は魔力を扱うには能力のない種族であり実際に運用できるレベルの人間はこちらの大陸に数人いるか居ないか程度であるため、機関士は人魚族だ。人魚族は亜人の一種で、亜人の定義は曖昧だが、概ね二足歩行で意思疎通可能かつヒューマンとの間に子を成せることである。
最後の条件に満たないために長らく人魚達はヒトと認められず、獣の類としてペットや奴隷であったがとある男が執念の末、想いを寄せる人魚と子を成した事で亜人族として、つまりヒトとして認められた。
一通り船内施設を回るとホールで解散となる。広い場所を歩き回っていたせいか喉が渇いていた。恐らくそれも見越してこの場での解散だ。エドワードは一直線にカウンターバーに向かった。背の高い椅子に浅く腰掛けるとステージの上で歌う女が良く見える。この女もまた人魚族で船乗りを惑わすという美声で観客の耳を楽しませていた。
とりどりの派手な酒、派手なグラスはどうにも背中がむず痒くなるのでシンプルでクセのない“水”と呼ばれる蒸留酒を頼んだが、これもまたグラスの縁に赤い魚卵が添えられ繊細な装いで現れたのには閉口した。
他方、主人は酒ではなく果実汁を飲んでいた。果実の汁を水に混ぜた果実水ではなく丸ごと搾ってそのまま注いだために細かな破片が残り少しどろりとしている。野菜、人参を刻んで搾った物も品書きにはあったが別の女性客がそれを頼むと奥から人参を粉砕する派手な音が聞こえて納得とともに俺含めて幾人かが笑みを零したので女は気恥ずかしげにしていた。
グラスを傾け、足を休めながら主人からこの船の行く先について話を聞くことになった。
この船の向かう先、魔力のうねりの激しい南大陸では地に満ちる魔力そのものが豊富に存在するため、こちらよりも魔力を魔法として発現するのが幾分か楽らしい。
故に人間種族でもわずかだが魔法を仕事に活かしたり、魔石を杖に加工して、蓄えた魔力を操り戦う魔法使いなる戦闘職があるらしいと、得意げに語って聞かせたのはいつの間にやら隣に座っていた見知らぬ人間、港に居た南から来た《冒険者》。
これも南大陸特有の職業らしい。浪漫がどうとか名声とか英雄とか、俺には想像のつかない範囲で難しく語っていたので賢い主人に尋ねたところ、大抵は旅行者未満、難民以上という辛辣な解説をして頂けた。
南大陸までは普通に行けば、竜喉海は内海で波も穏やかであるのもあり、また竜の顎門の先端に比べて喉は窄まっているので大きな帆と動力を備えた高速船なら3日とかからない。
だがこの豪華客船はその豪華さを堪能するためにわざわざ一週間かけて対岸に着く。勿論、高価な魔導組織は搭載されているがこれは移動よりも寧ろ船内設備の稼働に利用されているそうだ。
故に夜であってもこの船は煌びやかに輝いている。ーー夜中に甲板でイカが釣れてしまうくらいに。
主人は魔女、というか魔性の渾名に恥じず煌びやかな波に飛び込んで男を漁っているらしい。
「この客船は豪華で高価なぶん、怪しげな輩は弾かれるようになっているんだ。だからまあ、なにも心配する事はないよ。顔見知りの顔見知りくらいならいるようだしね。では行って来るね。」
この豪華客船はまあ豪華なので基本的には金持ちしか乗っていないし、他の金持ちを護るためにも怪しい金持ちは乗れない。
だから問題ないと言い張ってルカは行ってしまった。
大の大人の火遊びを邪魔立てする様な不粋な事をするつもりもなく、恋人でもないのにここで余りにも追い縋るのは側からみると俺が哀れなフラれ野郎にしか見えなくなるので、精々気を付けろと二言三言讒言するにとどまった。
そんなわけで、顔見知りが肉ダルマにしなだれかかるのを眺めているのもあまり良い気分ではないしこうして甲板に出て、釣りごっこに興じているわけである。
「ヒトよ、其処で何をして居る?」
不意に背後上方より声がかかった。振り返れば俺の目線の高さからさらに8尺ほど上にぼんやりと真っ白な半仮面をつけた男の顔があった。あからさまに人間の大きさではない。
仮面から溢れる頰も耳も純白と言って過言でない色合いで、編み込まれた長い長い髪はパーティルームの灯りを照り返して淡く五色に煌めいていた。
「イカを釣ってる。俺にはあっちの中は退屈なんでね。」
「ほう、ほう、そうか。して、其れは面白いのか?退屈を嫌うは我等の性分よ、我にもさせてはくれぬか」
白い大男は何色ともつかぬ瞳を月光にキラキラと輝かせて楽しそうに問いかけて来た。
ガキみたいに好奇心が旺盛なタチらしい。暇潰しであって、1人でやることに拘りがあるわけでもない。
俺は素直に竿を貸してやって教える方に専念する事にした。別にイカがほしい訳ではない。正直釣りには飽き始めていた。人外にイカ釣りを教えるという事の方がよっぽど面白い退屈凌ぎになりそうだと思えた。
「ふん、釣れたぞ!いや楽しきことこの上ないな!」
白い人外は一杯釣っては実に楽しそうに大き過ぎる肩を揺らしていた。
「あんたそんなにデカいナリして釣りも知らないくらい若いのか?人間じゃないんだろ?肌も骨みたいに白くて見た目じゃ歳が見当もつかねえな」
白い貌は少し骨張っている。よくよくみれば半仮面に見えたものは皮膚を突き破って出た骨格のようにも思えた。白過ぎる肌のせいで皮膚の張りや瑞々しさもいまいちわかり難い。
「我等の時は永く紡ぎ続けられヒト如きが呼ぶ術も知らぬ程の年ごろより在る。“我”という個もまた数世紀は経た身なれば。只我等に娯楽として此の行為を教授せんとする者がこれまで現れなかっただけの事。我等が骨の森には魚の棲まう泉も小川も有りはせぬしな。」
巨大な身を揺らして白面の人外は饒舌に語る。つまりは物凄く長生きの爺という解釈でいいだろうか。
「そんなに生きてて初体験だなんて今まで何をしていたんだ?」
なんかすごい、使命とかあったりするのだろうか。そんな奴がこんな娯楽客船に乗っているのもよくわからないが
「よくぞ聞いてくれたな!ヒトよ!新しき業をまねぶが我等が至上の悦び、骨の森にて木材を弄くり回す事から始まり、畑作、彫金、革細工、園芸、機織、我等は片端から手を出して来た。」
この人外は言い回しが古めかしくもおかしいのでわかり難い。色々手を出して来たことはわかったが。
「つまりは?」
もう少しわかりやすく言って欲しい。
「つまりは?そうだな、我等はいうなれば“ままごと”が好きでな、凝り性なんだ」
「急に滅茶苦茶わかりやすくなったな?!」
「我等は自身は音で語り合う習性は無い。故に思考に浮かべさえすればその意図は汲めるのだ。我等の言葉を其方らが理解できるかは別としてな。故に貴様の脳内の語彙に合わせるとこうなる。しかしままごと、か。自分で言ってなんだが殊の外しっくりくる言葉よ」
暫し人外と歓談を楽しんでいると、不機嫌そうにカツカツと靴底を鳴らしながら迫る一つの足音があった。
主人、ルーティカであった。足音は一つだけ。
「そっちはボウズだったんですか?あんだけ人がいて全員が全員アンタを放っておくなんて珍しい事もあるんですね」
ルカの柳眉はいつにも増して顰められ平時の微笑は皮肉げに歪んでいた。とは言えつまりいつも通りの儚げな微笑と対して変わらないのだが。貴族の表情はわかり難い事この上ないが寝食をともにし、なんとかこの人の表情の差はわかるようになったと自認する。そしてその経験から判断するに、彼は不機嫌だ。
「最悪さ。空気の読めないエルフ擬きが割り込んできてね、向こうもこっちもすっかり興醒めでそんな気分じゃなく…….」
「我等の気配はせぬがエルフが居るとは如何に?」
“エルフ”の響きに白い巨人が食いつく。
頭上から降ってきた声にルカは暫し瞑目し、叫ぶ。
「エルフ?!本物の!!何故海なんかに……?」
ブツブツと俺に話し掛けていたルカは突然割り込んだ声によってはじめて俺の背後に居る人外に気づいたらしい。顔の位置が高すぎてこう暗いと話し掛けられないと認識できないよな。遠目には白い塊にしかみえんだろうし。というか、
「は?エルフ?このうすらデカいバケモンが?」
エルフといえば、エルフの女王が統べる金髪碧眼で弓と魔術に長けた美しい亜人種ではなかっただろうか。この巨人といったら確かに耳は尖っているし背も高いが、高身長通り越して巨大だし整ってはいるが美しい容貌というより不気味な風体だ。おまけに髪も、他の全ても真っ白である。亜人どころか此れでは怪物だ。だが白い巨人は高い胸をさらに高く反らせて堂々と名乗る。
「如何にも。我こそがエルフ。唯一至高のエルフである。
して、エルフ擬きとは何ぞや?堕落せし長き同胞か?なれば食い連れ帰らねばならぬ故、仔細を申せよ」
仔細を申せ、と問われても俺にはカケラもわからないので博識な主人に目線を投げ黙ってまかせる。
「まさか、貴方達がエルフ擬きを知らなかったとは……。この100年ぐらいで急に森から出てきた女王《偉大なるエルフの娘》が率いるエルフを名乗る耳長族に似た亜人種達だ。姿形は人間と対して変わらない、色白で北大陸人似た亜人だ」
後で主人が俺に語って聞かせてくれたところによると、本来のエルフたちは目の前の人物のような異形の化物で人と交わることはなく故に亜人ですらない本物の人外だ。
滅多に魔の大森林、通称黒衣森の奥にあるというエルフの聖域、骨の森から出てこないので北の大陸では知られていなかったが近年エルフを名乗る全く別の亜人が現れた事でむしろそちらの亜人が広くエルフとして知られているという。
「《偉大なるエルフの娘》!知っているぞ、彼奴ならば我等の娘である。200年余り前に我等の森に棄てられた人間のミュータント《変魔種》の赤子だ。我等は名付け無かったが我等の娘を名乗りたいと申し、我等は其れを許したぞ!成る程、成る程、だがしかし、我等の娘を名乗る事を許したのは《偉大なるエルフの娘》だけであるうえに、娘に留まらず我等を騙るとは。弁えた娘だと思っていたがそうでもなかったのか。これは捨て置けぬな、しかしいったいどこの森だ?我等の《骨の森》ではないのだろうが……」
「黒衣森の入り口、位置的には西だな、ーーに王国を築いたという。骨の森から出る時に通らなかったのか?」
「ううむ、狂った同胞の気配を辿り真っ直ぐ北上したが故、そちらを通っては居らなんだ。下等な小人共が我等を騙るとは赦せぬ所業、その不届き者のもとへ案内するが良い」
「じゃあ次の目的地にしようか、いい?エドワード。」
ここで俺に話が戻ってきたが否という理由もない。なんとなく追手を疎ましく思って海を渡る事を選んだがまだここだ!という目的地は無いのだ。
「いいぜ。そのエルフ……というか擬きですか?美人ばっかりらしいですからね。見てみたいとは思っていたんで。」
「ならば決まりだね。エルフ殿……と呼ぶのも紛らわしいな、個体名はあるか?」
「うむ、狂った同胞を探すのに小人共に混じりて話を聞く必要があった故に、我が名をプロパギュラと言う。」
名乗ると同時にその背丈が大柄な人間、と呼ぶ事が出来なくない位にまで縮む。先の冒険者を鑑みるに向こうの旅人は随分派手で奇抜な装備をする様だから容姿も多少紛れるだろうか。
こうして2人旅に、エルフのプロパギュラが加わることとなった。
ひとがふえました。あつかいきれるかな?