白亜の壁
長い話はとても難産。
ここが初めの目的地ではあったけどさりとて最後の目的地ではない。
蹴散らしたとはいえ命を狙われた身だ。追手がかかっていてもおかしくは無いし、むしろ自然だ。
故に一つ所に長くとどまり過ぎるのはよくない。わかりきっていた事実だ。
しかし、何故か、いつのまにか、その事実が、すっぱりと頭から抜け落ちてしまっていることに気が付いた。
次の目的地としては内海の向こう、竜喉海をこえた黒曜の港街あたりが妥当であるとこの街に着いた当初は話し合っていたこともあったというのに。
うっかりというには長すぎる期間、思いつきもしなかった現実を思い出したのは先日、近くの小山に川遊びに行った道中であった。既に見慣れた白亜の家々が小さくなり、ぐるりと街を取り囲む白亜が見えなくなった頃、ふと次の目的地の事が浮かんだ。
一度思い出すとなぜ忘れていたのか、不自然であると思うほどの忘れようであった。
そうして内海を越える船便を確認しようと話していたのに、またしても街に着いた途端そのことを忘れてしまった。
いま再び思い出したのは、ルカの従兄でもあるさる尊いお方から安否を窺う手紙が届いたからでる。
類い稀なる容姿で多くの人間を惹きつけながら来るもの拒まずが行き過ぎている麗人にしては珍しく嫌悪感を抱き、拒絶したがっている唯一といってもいい相手である。
相手の方は有象無象と同じく、むしろ半端に繋がりがあるからか少し強すぎる執着心を露わにすることもあるが傍から見るとなぜその相手だけそんなに嫌いなのかはよく分らない。
青い血による連綿と続く品種改良の成果か顔立ちとしては悪くない。醜い脂肪にその容貌が埋もれるといったこともなく至ってふつうの貴族男性と言った容姿で、ルカが普段夜を伴にしていたと噂されている男たちの方がよっぽど婦女に嫌悪されそうな姿であった。具体的に言うと、主に恰幅のいい中年達であった。曰く、自分より体格の良い人間が好みらしい。好みと言っても、本人が男にしてはだいぶ背が低く小柄なので、ほぼすべての成人男性が当てはまる。
恐るべき守備範囲を誇る人間にとって突然(と言うほどでもないが)圏外から刺激された衝撃はすさまじいらしく、この街に来て初めて居心地の良さを不快感が上回ったルカによって、冒頭の事実に思い至ったわけである。
「命の危機より男の好みが優先されるあたり流石はなんというか、魔女だの魔性だのおかしな二つ名で呼ばれていただけのことはあるな。」
と、少し不敬が過ぎるかもしれないとは思いながらからかったつもりが
「刺客の騎士崩れどもの首を一人で薙ぎ払う英雄の如き立ち回りを演じて見せた、お前が隣に居るのに、今更命の危機がなんて思わないさ。」
そう、俺への信頼を返されて面食らう。
あの頃は噂と流れる状況に惑わされて不貞腐れ、随分な態度をとっていたことが思い出されて少しいたたまれない気持ちになった。
この人は、爛れきった交友関係とは裏腹に少女のように純真な信頼をのぞかせることが多々あって俺は戸惑うばかりだ。御世辞にも人付き合いが上手いとは言えないうえに若造である俺には、他人から全幅の信頼を寄せられるような場面は経験がない。
「それにしたって、この忘れようは、何かおかしいね。とても不自然だ。思い出したのがあの気色悪い下種のおかげというのは不愉快極まりないがまた忘れぬうちに船着き場に便を確認に行こうか。アレが会いに来ようとしたらなんて考えると、ああなんて悍ましい」
ここまで酷い嫌悪ぶりだとむしろふざけているだけなのかとも疑ってしまうが、常に薄い笑みの張り付いた口元が今は真一文字に引き結ばれているのをみると真剣に言っているのがわかった。
「俺はてっきりここの居心地がいいから居座るつもりだと思っていたんですが、確かに言われてみると不自然なほど居つきすぎましたね。」
その嫌いっぷりの方が不自然極まりない、という言葉は飲み込むことにした。さっきはうまいこと失言ととられなかったのだからこれ以上自覚したうえで失言を重ねることもないだろう。
ここでいくらあのお方を庇ったところで俺に何の利益もないし、目の前の人物に愛想尽かされる方が死活問題である。おまけに手紙をのぞかせてもらうと、あのお方が今最も執着している存在であるルカに現状、最も近い位置にいる俺に向けられている感情はあまりよくなさそうだ。
ルカの抱く徹底的な嫌悪感はよくわからないが、確かに嫉妬心剥きだしの手紙を送りつけてくる男はなるほど、気持ち悪いな。
とりあえず、糞野郎の事は置いておいて船を見に行こう、という話になった。
乗ろう、ではなく見に行こうなのは今日明日の特急便を使うつもりではないからだ。急いでいるわけではないし、糞野郎の手紙と一緒に結構な金子が手に入ったので大型客船でも利用しようじゃないかと言うことだ。
しかし、不自然は続いていた。
段差や急こう配が多い街の作りのため、一番低い場所である海辺へ行くには見えてるまま真っ直ぐ降りていくという事は出来ず、左右に迂回しながら下っていくのだがそれにしたってなかなか港に着かない。
高低差のため目的地はほぼ常に視界に入っている状況なのだが一向に近づいている気配もない。船着き場まで降りたのはこの街に着いた時以来だがそれなりにこの街で暮らしており、道のつくりにも慣れているはずなのにこれはおかしい。
一度引き返してみるか、と真後ろを振り返ったところでふたりとも違和感にきがついた。
いましがた、壁に突き当たったうえでL字を道なりに折れたはずなのに、そこにあったのは丁字路であった。逆方向に折れることができなかった理由である、白亜の壁が忽然と姿を消していたのである。
「流石にここまでされたら気が付くけど、気づいたからと言ってこれはどうしょうもないね。」
「これはあれだな、まっすぐ行くしかないな。」
「そうだね、まっすぐ、いこうか」
俺たちの意見は一致した。言葉通りの真っ直ぐのため、まず小柄なルカの腰を掴んで壁面の天端まで持ち上げる。壁の上を越えてしまおうというわけだ。
だが一向にルカが壁に着地しようとしない。
「おい……重くは無いが、いつまでも抱えているわけにはいかないんですが。」
「私だって好きでもたついているわけではないよ。別にお前に抱えられている姿勢を引き延ばそうなんて魂胆では断じてないからね。ただ、壁がおかしいんだ。」
そういってルカが壁の天端に足を掛けるためつま先を振り上げて見せると、なんと同じだけ壁が伸びあがってきた。
「なんなんですかこれは。」
「魔法……以外のなにものでもないね。しかも人間の魔法使いが使うようなちゃちな手品とは比べようもないレベルの。」
ぷらぷらと空に足を遊ばせたままの……要は俺に抱えられっぱなしのルカが答える
「なんだってそんなめに……追手の仕業でしょうか」
とにかく今はどうにもならなそうなので、足を遊ばせすぎて靴の飛びかけているルカを一旦、地上に返す。
「まさか、彼らはとても人外なんかに伝手のあるようなタイプではないよ。そもそもあの勢力が未だに無事とも思えないし。とはいえ手も足も出ないね。いっそ相手の思惑にのってみようか」
「思惑?心当たりがあるんですか。」
「心当たりはないよ。けれども私たちは港にたどり着かないだけで同じところを周り続けてるわけでもないんだよね。何処か誘導したいというか、先に立ち寄ってほしい場所でもあるんじゃない?」
心当たりはないと言うが、この摩訶不思議な現象に対してやけに暢気にルカが提案する。全く心当たりがないというわけでもないようだ。
続きます。次回予定「庭園の主」