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行旅に添えるガーニッシュ  作者: 萱津
・ 白亜の街にて
14/17

いととかわ


 釣りに行きたい。と主人が言い出した。

 それから、なぜか最近凝り始めた裁縫の道具を集め始めていた。


 主人であるルカは、いかに見かけは女とは言え本人の自認は男である。あのような身なりでいて女になりたいという願望は一切抱いていないようだ。

 深緑のワンピースにタイツといういでたちも貴族社会であれば少し古風な男性の装いである。淑女が膝頭をあらわにするという事はまずありえないため十分に男装と呼べるものだ。

 最も下町に旅人として出てくれば話は違う。日常の雑事を皆自分でこなしているため動きやすさを考え、男性はズボンをはいていることが多いし女性でも踝まで覆う様なスカートが必ずしも定番にはなっていない。


 故にルカが裁縫を始めようとしたとき外見から、女性たちのコミュニティに誘われていたが自己自認が男性である以上あまり居心地はよくなかったようだ。

 結局主人は伝統的な手工芸を営む老人たちの集まりに行って裁縫を学んでいる。釣りに関して、そこでなにか聞きかじってきたらしい。


 集めていたのは、衣服に仕込むことで対刃を上げる事ができる鋼蜘蛛の撚糸。これは釣り糸に使うらしい。それから最近練習している刺繍に使った色彩鮮やかな様々な糸の切れ端。

 その後、買いに行かされたのが柄の長い釣り針と浮き粉、錘。この程度なら今後の荷物に加えても問題はなさそうだ。竿は近所で借りてきた。


 買いに行った物のだいたいの用途はわかるが、集めていたきれっぱしの糸くずなんかを何に使うのかわからない。

 と思えば、釣り針を小さな万力のようなもので挟んで固定し、そこにくるくると巻きつけて行った。これは老人たちからの借り物らしい。

 噴水広場で拾った鳩の柔毛なんかも巻き込んだり、とにかく色んな物をくるくるくるくる巻いていく。と突然そこに羽虫が現れた。

 鮮やかな糸を使うと毒々しい目立つ芋虫やふっくらとした蛾、夕暮れ時にウザったい蜻蛉まで様々な偽物の虫たちが生み出されていく。毛鉤か。小さなものが多い。となると波の荒い海辺より羽虫なんかもたくさんいる川のほうが良さそうだ。


 翌朝、厚めにスライスしたパンに、潰したゆで卵や酢漬けの野菜、燻製肉を挟んで幾つかサンドイッチを作った。これは軽めの昼食用としてバスケットに粗塩と一緒に詰め込んだ。

朝食はサンドイッチに使わなかったパンの両サイドの耳部分と芋のポタージュだ。故国は小麦の育ちやすい肥沃な土壌であった為普及しなかったが、痩せた土地でも沢山採れるでんぷん質としてこの芋は外では広く栽培されていた。もともと南大陸の植物らしく、南との一番大きな玄関口であるこの港街でも大量に出回っていた。変色して表面に毒性のあるものが混じるのが欠点だが腹持ちの良さと調理のしやすさから俺は気に入っていた。粉ひき小屋に延々並ぶ必要がないのは素晴らしい。


 荷物を持つのは俺なのにバスケットは可愛らしく編みこまれており、水玉模様のポップな布なんかが覗いているのは閉口したがこれを買いに行ったのはルカだから仕方ない。あの人が持ち物まで少女趣味だからというわけではない。たぶん、店の人間に言われるまま選んだのだろう。彼に持たせればまさしくこれからピクニックに行く可憐な少女といった面持でよく似合っていたのだから。


 川で釣りを楽しむなら朝と夕暮れあたりがねらい目だが、朝を目指すと相当に早起きしなくてはならないしわざわざ日の出前に街の外を歩くような危険なマネをするほどの事ではない。ゆっくり朝食を楽しんでから街並みが活気づく頃に出立した。


 天気は上々の快晴だがいささか日差しが強すぎるかもしれない。

 この街についてすぐの頃、海へ強い憧れを抱くと同時に幼少期の病弱さがコンプレックスでもあったルカは海岸で一日すごし小麦色に変身しようとしたが元々日差しに慣れていない白い肌な上に、少し強めに押すだけですぐに赤味を帯びるような薄い皮膚であった為にこんがり、というより真っ赤に染まってしまい夜になって腫れ上がった身体が寝床に触れる度たいそう苦しんでいた。

 そのことを忘れていなかったのかルカは光を照り返す厚い白い外套を羽織っていた。暑そうだ。


 比較的下流で大河と合流する小さな川を遡っていくとごく小さな山にたどり着く。

 この山は丸ごと人間の領域といっても過言ではなく、危険な魔物は存在しない。南大陸の樹精エルフが林業に手を出して材木が大量に港から入ってくるようになるまではこの小さな山は付近の重要な材木資源の拠点であったため大がかりに人の手が入っていた。

 何百、下手したら何千と生きる樹精たちが今更になって人間の経済に参加したのは彼らの集めているなにかが森の外の人間たちの手元まで出回ってしまったのを買い戻すためらしく生活のためではないからか、一時期は材木の相場を大きく乱したらしい。その影響でこの山の林業は衰退した。


 河原に着いてから、拠点にする場所を決め、大きな石をどかしたり集めたりして地面を均したあと流木を立て、羽織っていた外套を広げて屋根代わりにし、ちょっとした休憩のスペースが出来上がるころには太陽はほぼ真上に来ていた。

 上流付近であるため川の流れは冷たく急で、沸かして鉄瓶に詰めた水を少し泳がせておけばあっという間に冷たい飲料水になった。

 バスケットを開いて昼食に持ってきたサンドイッチを頬張りながら釣り糸を振るう。川の使用料をとって放流を行っているような場所でもないしなかなか掛からない。毛鉤を作るところまでは楽しかったようだがあまりの引きの無さにルカは早々に飽きて下流で流れに足を浸したりして遊んでいた。流れの急なところであるし、水に浸かるための衣装も用意はしていないので膝丈までであったがとても心地よさそうにしている。

 主人と自分の竿先、両方を気にしながら大きく竿を振るう。相変わらずの坊主だがシュンシュンと風を切る音が楽しい。


 「実はこんな風に川遊びをするのも初めてなんだ。」

 暇を持て余したルカが呟く。

 

 「海はともかく川に行ったこともないとは。貴方はどこで遊んでいたんですか」

 彼は貴族令嬢ではなく令息のはずだ。いくらなんでも家で刺繍を刺したりしていたわけではあるまい。現にいま裁縫の練習を始めているくらいなのだから。


 「草原に遠乗りにくらいは行ったことはあるのだけれども……。幼いころから病気がちで引きこもってばかりいたからね。」

 病気がちというのを聞いてはいたが、毎冬風邪をひいて寝込むような兄弟で想像していた。なにせ今は儚げな美人と呼べなくもないかもしれないが病弱で死にそうな人間には見えないからだ。どうやら想像と違ってかなり深刻であったらしい。


 「今はあまり病気がちのお方には見えませんね。むしろそこらの貴族よりよほど健脚でいらっしゃる。ご病気は快癒したのですか?」

 旅の初日こそ途中でしんどそうにしていたが、思えば今日なんかは騎士として鍛えている自分に普通についてきた。主人を気遣って速度を落とした記憶がない。


 「身体が大きくなってからは調子がいいよ。お前からしたら大きくは見えないかもしれないけれども……。幼いころは熱を出したり吐いたり何も飲み込めなくなったりしたんだ。なんの病気かは結局わからずじまいだったけどね。」

 確かにルカは成人男性にしては身長が低い。かつて彼の世話をしたという人物曰く、好き嫌いが激しくわがままを言って食事をしなかったがために未熟な成長を遂げたと言いふらされていたが実際には病が原因で食事ができなかったのだろう。


 たわいのない話をしている間にようやく日が傾きだす。いよいよだ。


「そろそろ貴方も竿を握りなおした方がよろしいでしょう。釣れる筈ですから。」


 日が暮れだす頃になるとどこからか大量に湧き出た羽虫が水面に群がりはじめる。森を歩いているときに出くわすと厄介なことこの上ないが釣りのときは別だ。この時間になると虫たちが現れることを魚も知っている。そこかしこでぴしゃりぴしゃりと魚が跳ねる音が聞こえ出した。こうなると奴らはそれが本当に虫かなんていちいち気にしなくなる。舞い散る落ち葉にだって跳ね飛んで食らいつくようになるのだ。

 あとはもう水面で適当に針を振っていれば食らいつかずとも跳ねた体の一部に引っかかったりして入れ食いどころか水面に針を入れる前につれたりする。


「うわあ、ふふ、なにこれ。こんな可笑しな光景が存在したんだね。皆急に馬鹿になってしまったみたい。」

 主人も楽しそうでなによりだ。


 結局ふたりで食べるには少し多すぎる量を釣り上げてしまい、おまけに夕暮れ時の大漁に夢中になって日が暮れた中帰らなくてはならなくなったが、幸いにも白亜の街へ向かう行商人の馬車に何匹かの魚と引き換えに積んでもらうことができた。あの街へ向かう馬車はあちこちの方向から来るのだ。行く馬車はその限りではないが。




 馬車の中では、今夜は塩焼きにするか野菜とともに味噌で炒め蒸すか少し揉めた。

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