あたらしい趣味
この都市はV字型である北大陸の南端にあたる。つまりこれ以上南進するならば海を越えなくてはならない。現在の選択肢としては西に向かうか、海を渡って南大陸に向かうか、自国のほとぼりが冷めるまでこの街に腰を落ち着けるか、だ。
旅行斡旋業者では仲介料の受け取れる船旅を推しているし、そちらのルートの方が魅力的な案内がたくさん紹介されている。そういうのを見てしまうとどうにも西に行く気が削がれるし、せっかく海まで来たのだから船に乗ってみたいという憧れもある。ルカの強い意向で客船に乗って海を越えることが決まった。
越えるといっても竜喉海は波も穏やな内海で黒曜の港までの距離も大したことは無いから安心だというのは旅行業者の受け売りだ。
とはいえ船旅にはそれなりのリスクが伴うし陸路と違ってこれまでの経験や剣の腕前なんかは当然役に立たない。いかに強かろうと海の真ん中に投げ出されてしまったら手も足もでない。そういうわけで高い等級の安全を謳っている船を利用することになった。
客船の利用者たちは同じことを考えているのか目当ての船は超高額な一等室以外ずいぶん先まで予約が埋まっていたのでまだしばらくはこの街に滞在することになった。
天気の悪い日は白い石でできた段差だらけのこの街は歩きにくくてしょうがないので籠っている事が多くなってきた。
そういう時俺は武具や備品の手入れをして時間を潰していた。粗末な量産品とは言え鋼鉄の塊である剣なんかは高価なので念入りに手入れして大事に使っている。ルカは特にすることも無くてヒマなのかそんな俺をじっと眺めていることが多い。しかし狭い部屋のなかでそんなにじっくり眺められると少々居心地が悪いものである。
「なにか趣味とか無いんですか?貴族だったら刺繍とか。」
「えっ!?おまえはなにをいっているの?何回か言った気がするけど私は男だよ?裁縫なんてやるわけないじゃないか。」
俺が実際の貴族の室内でする趣味なんて知るわけなく、女っぽいとかではなくなんとなく貴族のイメージで言っただけであったが、おまえはなにをいってるの?とまで言わなくてもいいじゃないか。
「なんだ、できないんですか。俺だって繕いものくらいできるのに、意外と不器用なんですか?」
むっとしたので、返す言葉も棘のあるものになってしまった。言ってみてから仮にも主君に言う言葉ではないと気付く。彼がいいといったとは言え俺は従者としてついてきているのだからいただけない。
「おまえはあーいえばこーいうんだから!やったことは無いけれども、できないとは言ってない!」
そういうとルカは雨の中出て行ってしまった。じっと眺められているのが居心地悪いとはいえ喧嘩を売るような言い方になってしまったのは少し反省した。
追うべきか悩んでいるとすぐにルカは帰ってきた。裁縫の基本的な道具と材料を買ってきたらしい。
「女性のやることとは言え、言われてみれば暇つぶしには最適だったかもしれない。読書だと重いし高いからね。」
意外にもやる気を見せており、謝る機会をなんとなく逃してしまった。基本的な繕いものなら教えられるが刺繍は教えられないと言うと、母のを見たことがあるから大丈夫だと返された。
「だけど、何を縫いこもうかな。最初だから簡単なシルエットとかがいいかしら」
「刺繍って言ったら紋章とかなんじゃないですかね」
「じゃあ紋章に使われる動物でも縫ってみようかな。」
少し気になって覗いていたが料理の時に発揮したよくわからない器用さをここでも発揮していて素人目にもさくさく進めていた。
白いハンカチの隅に無難なワンポイントの刺繍だ。色は赤のみで、初めてということで基本的な赤白黒ぐらいしか糸を買ってこなかったらしい。
自分の作業をじっと見られることへの居心地の悪さからいちゃもんを付けた自覚はあるので同じことをするのも気が引ける。俺は自分の作業に戻った。少し気になる大きさの傷も目立ってきたしそろそろ専門の職人に任せた方がいいかもしれない。
「ほら、できないことはないんだよ!」
翌朝になって完成したそれをルカが見せてきた。単調作業がなかなか面白かったらしく一晩中刺していたらしい。俺が見た時に刺し始めていた赤いだけだった竜は黒い糸を織り交ぜて鱗まで表現されており、ハンカチの縁には白い糸で繊細な装飾模様が縫いこまれていた。
「3色だけでも結構きれいな物ができるんですね。赤い竜ってことはお父上の・・・?」
正式な家の紋章とは別だが今や赤い竜と言ったら将軍閣下に他ならない。
「そうなんだ、真っ先に思い浮かんだモチーフが父上の赤竜でこれなら赤だけでも縫えると思ったんだけど・・・これ、どうしよう???」
確かに”どうしよう”だ。なんで自分の紋章にしないんだ。父親の印を普段使いにする息子ってのもかなり変じゃないか。
「贈って差し上げたらいいんじゃないですか?国を出てからこちらからまともに連絡差し上げていないでしょう」
「そうだね。ああ、でもなんて説明したらいいかなあ。私が刺しましたなんて言ってもさらにおかしくなったと思われてしまうかも」
貴族は皆刺繍しているのかと思っていたが違うのなら息子から手編みのマフラーが送られてきたみたいな感覚になるのだろうか。うん、それは変だな。
「長く連絡をしていなかったから挨拶と住居や近況の報告をメインにしてハンカチはただ贈り物とだけ書いておいたらいいでしょう」
「わかった。そうするよ。でもそれはそれで書きにくいな」
「なぜ?」
「よくわからないんだ、父上のこと。無口な人だから。父と交わした言葉よりおまえと交わした言葉の方が多いかもしれない。」
それは深刻だ。俺より一回り以上も年上のルカと会ってから10年も経っていないというのに。
「ほかの人に手紙書いたことはあるんでしょう?普通でいいんじゃないですか普通で。」
「普通ね、そうだね普通がいいね」
後日署名だけの手紙と現金が送りつけられてきて俺たちは無口すぎるだろうと意図が読めずに混乱するが、それは相手も同じだったということを知る機会は当分先の事である。
__息子から刺繍の施されたハンカチが送られてきた。結局国内のどんな女とも一緒にならず男とばかり遊んだ挙句に気に入っていた騎士と共に行方不明になっておきながら今更こんな刺繍がさせるような令嬢を捕まえたとでも言うのだろうか。
息子の意図は全くわからなかったが居場所を知らせてきたので仕送りくらいはしてやろうと筆をとったが嫁についてなんといって触れたらいいのか分らず結局名前から先を書けないまま送ることになった。
ネタから書き出しまでなかなかしっくりこなかった。