表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

およばれ

作者: Grasshouse

                  

 埼玉県***市在住の会社員坂井田道郎さん宅の次男、坂井田淳君(当時七歳)が行方不明になったのは、猛暑も終わりかけていた九月半ば、陽射しの強い午後のことであった。

 その日、淳君は公園近くの通称「青鷺山」といわれる雑木林で、三時過ぎから友達と遊んでいたのだが、いつのまにか姿が見えなくなくなり、そのまま夕刻を迎えた。

 まだ明るい六時から七時頃の間、家族はしばらく手分けして息子を捜していたが、まもなく捜索願いが出された。

 翌日から、県警、地元消防も繰り出して、町内会でも独自の捜索隊が組まれた。

 銀鼠色の曇天の下、近くの用水路や、溜池などにもボートが浮かべられ、長い竿を斜めに差し込まれて、水底に淀んだ泥の層が、丹念に掻きまぜられた。

 二日前の豪雨により、川や沼地の水かさも、ひとしきり増えていた。

 溜池の水の濁った緑色が、捜索隊の面々に、次第に厭な予感を与えていた。

 当時、関西方面において、子供を対象とした猟奇殺人が頻発していたので、この失踪事件も、メディア等で異様なほどの関心を集めていたのである。

 二日経ち、三日経ち、捜索隊にも、疲労と焦燥の色が、隠しようもなく現れてきた。

 さすがに一週間を過ぎると、近所の者たちは目配せを始めた。

「こういうことは、あまり言ってはいけないと思うんだけど」と前置きしつつ、「淳ちゃん、もう駄目かもねえ」と息を殺して噂しあった。

「可愛い男の子だったのに」 

「よく道で出会うと、きちんと挨拶されたわよう」


 ――ところが淳君は、ちょうど二週間後に、同じ公園から、ひょっこりと現れたのである。

 小声で噂しあっていた近隣住民は、ホッとすると同時に、何だか裏切られたような、もの足らないような、まるで侮辱されたような不満げな顔をした。

 少年は、しょぼんとして横断歩道の脇に、一人で呆けたように立ちつくしていたのだという。

 服装も汚れてはおらず、さっぱりとして、アイロンこそかけられていないものの、まるで洗濯されているかのようであった。

「淳君、淳君じゃないの!」

 近所のおばさんが彼を見つけ、びっくりして駆け寄り、小さな肩を前後にゆすった。

「良かったァ、無事で。いま、おばさんが、ママに連絡してあげるから。ねッ。ねッ」といって、きつく抱きしめられ、頬ずりすらされた。淳君は強い口臭を嫌がって、顔をそむけた。



 淳君自身の話によると、気がついたときには、ベンチで寝ていたという。

「お腹はあまり空いてないけど。できれば、おいしいものが、食べたいです」

 眠そうな目を擦りながら、少年ははっきりと警官たちに訴えた。「……たとえば、お寿司とか」

 育ちの悪くない、はきはきした喋り方だった。声変わり前のいくぶんハスキーな声だった。

 しかし、「できれば、おいしいもの」とか「たとえばお寿司」などと要求するのは、人騒がせな失踪事件の張本人のくせに不謹慎ではないか、旧式な地元の大人達から、そんな反感をかった。彼らは実のところ、この事件で、もっと過酷で非人道的な、ゾッとするような惨劇を期待していたのであった。

 案の定、翌日の新聞には、

 ――『お寿司が食べたい! 行方不明の少年、元気に訴える』――

 という、いかにも日本の大新聞にふさわしい、感傷的な見出しが踊った。記事の文体も、ジャーナリズムというよりむしろ、演歌の湿っぽい歌詞に似ていた。

 有名になった少年は、その晩、「もう、飛行機、飛んでこないの? 電気、消さなくてもいいの?」と不可解なことをいっていた。


 ところで、これは事件本筋とは、全く関係のない余談ではあるが、淳君が二週間後に出てきたことは、奇しくも一人の青年の将来を救うことになった。

 高校を中退したある引き籠もり青年Mが、淳君誘拐の犯人として、まさに冤罪に巻き込まれようとしていたのである。

 テレビでも報道され、全国的に注目を集めたことを意識した地元警察は、何とか手柄を立てようとして、最初からこの引き籠もり青年Mに見込み捜査を行っており、近隣住民に、しつこい聞き取り調査を繰り返していた。

 さらに地方新聞と、全国紙一紙には、それとなく、リークしていた。長年、警察と癒着関係にある老練な地元記者は、「二十二歳の青年、犯行をほのめかす」という記事の草稿をすでに書き上げており、手ぐすね引いて待っていた。

 確かにMの経歴は無傷ではなく、過去二度ほど、万引きの前科があった。 

 警察は、雰囲気を十分に盛り上げてから、世論の後押しを支えに、この二十二歳男性のアパートに、踏み込もうと待ちかまえていたのである。万引きと誘拐は違うだろうというシロウト考えなどは、まったく問題にならなかった。

 ところが、こともあろうに淳君本人が戻って来てしまったので、このシナリオはすべてはオジャンになった。署長は期待していた手柄を奪われ、舌打ちをし、捜査資料を机の上に叩きつけた。その夜、彼は、和服の似合う愛人が経営している小料理屋で、ひとしきりヤケ酒を飲んだ。地元新聞には箝口令を敷き、一切何もなかったことにした。


 ――さて、失踪していた十日間の話は、驚くべき内容であった。

 淳君は、友達と隠れん坊をしていて、不意に笹藪の中の穴にずるずると落ち込み、暗がりの中に尻餅をついたという。

「でも、大して痛くはありませんでした」

 こうして強がってみせるところが、いかにも男の子らしい。

 そこは洞窟みたいな暗い場所で、奥にはぼんやりと明るい小部屋があった。怖る怖る這い進んで覗いて見ると、狭い茶の間になっていた。

 薄暗い中、がっしりした肩幅の広い男の人が、背中を丸め、ちゃぶ台で手紙か何か書き物をしていた。破れた障子、古びた裸電球、黒びかりする仏壇。

 そして柱の上の方には、勲章をつけた誰か偉い人の写真があったという。

「あら、まあ。子供じゃないの」と女の人にいわれその前後はよく覚えていない。

 多分、疲れて眠ってしまったのだろうと彼はいう。

 「満州に手紙が届くのに、何日かかるんだ?」

 二人の大人が、小声でそんな会話をしているのを、夢うつつに聞いた気がする。

 その穴倉には、家族のような数人が住んでいて、そこでたいへん親切にされ、食べ物まで与えられた。一家の長らしき父親と、痩せた母親、十代の娘が二人。それと、ときどき奥から現れるカーキ色の服を着て、顔の壊れたような謎の男の人達。

 女達は皆、妙な野暮ったいズボンを履いていた。髪がほつれて、少しやつれたような険しい顔をしていた。それでも淳君は、こんな所に子供が舞い込んできたというので、親切にしてもらい、しきりに世話を焼かれた。

 彼の話から推測してみると、勲章をつけた誰か偉い人の写真というのは、どうやら昭和天皇皇后両陛下の写真らしい。


 がっしりとした肩幅の広いおじさんに、何歳だと聞かれてたので、七歳だと答えた。「うむ」といっておじさんは、淳君の頭をごわごわした太い手で、撫でた。

「いいか、小国民。君らもいまは辛いだろうが、もう少し、もう少しの、辛抱だ」

 きちんと正座して、家長の言葉を聞いている女達は、皆、真剣な眼差しをして、大きく何度も頷いた。

「やがて、一気にすべてが、逆転する日が来る。必ず、来る。いいか、この日本はな、神仏によって、守られているんだ。鬼畜米英、なにするものぞ。な。その意気で、やりたまえ!」

 おじさんはジロリと睨むと、一拍おいて、「ハイ、は?」と訝った。

「ハイって、言いなさい」とお姉さんたちが、脇から彼の膝をつつき、催促した。「さ、ハイって」

きれいな人差し指が二本、しきりに両側から太ももをつつくので、淳君は恥ずかしかった。

 よくわからないものの、少年は気配を察知し、「ハイ!了解いたしました」と元気に答え、顔を桃色に上気させた。

「よろしい――」おじさんは、しごく満足そうに頷いた。「うむ。なかなかよろしい」

 適応能力の高い淳君は、にっこりと微笑んでみせた。

 「了解いたしました」を加えたのは、サービスである。大人達の前では、いつもそうやってきたのである。機を見るに敏なソツのなさが、この地下の住人にも気に入られたらしい。

 ただ、時折、奥の暗がりから、湧いてくるように姿を表す、顔の腐りかけた男の人達が、薄気味悪かった。皆、汚れた兵隊の格好をしていた。

中には、ミイラのように頭全体に包帯を巻いていたり、手や脚が片方もげて無くなってしまっている人すらいた。顔が崩れているのが自分でもわかっているので、彼らは子供の前で怖がらせないようにと、ひどく遠慮していた。きっと病気なのだろうと、賢い淳君は思った。

「それで、あなたは?」

 と、おじさんが、優しく尋ねる。

「……サイパンであります」相手は、苦しげに答えた。

「そうですか。そうですか。で、そちらの兵隊さんは」

「自分は、ガダルカナルから、やって来ました!」

 眼窩の奥の眼を、異様に輝かせてその人は応えた。

「大変だったでしょう。はるばるご苦労様です。祖国のために、お疲れ様でした。さ、さ、遠慮なく、お粥でも食べてください。本土といっても、もう、何もありませんが。温まります」

 おじさんはそう言って、親切に彼らをねぎらった。淳君は、こんな姿になってしまった人達を、ちっとも怖がらずに助けているおじさんを、とても立派な人だと尊敬した。

 とはいうものの、サイパンやガダルカナルから、いったい彼らがどうやってここまで来たのか、さっぱり分からなかった。詳しくはないが、賢い淳君は、それらが南洋の島であるらしいことは知っていた。

 ともかく長いこと地下に住んでいるこの一家は、背中を震わせ、泣き出しそうになっている異形の兵隊さん達にしきりに世話を焼いている、美しい奇特な家族なのであった。

 ――この妙な地下豪で、何日間かが過ぎた。

 寝ていると、ときおり何かもの凄い破壊音がして、ふと起きてしまう。

 棚の上のラジオが、ジージー、ガーガー、ピーィッ、とがなりたてた。

「しっ、空襲だ!」といって、おじさんに、頭を押さえつけられた。

「電気、電気」 

 すぐに女達が立ち上がり、裸電球を布で覆って、光を消すのである。

 何かが外で、がらがらと崩れ落ちる。

 恐ろしい轟音が静まり、しばらくすると、「ああ、良かった、良かった。ナンマンダブ、ナンマンダブ」といって、ようやく彼らは安堵して起きあがるのだ。

 毎日、彼らはそんなことを、何度も何度も繰り返している。

 ただ何よりも辛かったのは、出てくる食事、出てくる食事が、さっぱり美味しくないことであった。お寿司や、ハンバーグや、ケーキが食べたかった。イモだの、薄いお粥だの、大根や野菜の切れ端だの、こんなものでよくもまあ、あんなに元気にしていられるものだと、淳君は子供ながらに思ったという。


                  *


 ……団地脇の公民館で、ささやかな祝賀会が行われた。淳君は、町内会の大人達の前で、自分が見てきたものを、素直に話すはめになった。

 しかし、ウケはたいへんに悪かった。仕方のないことではあるが、誰もそんな馬鹿げたことがあるわけがないと、一笑に伏したのである。 

 話が終わり、それでも誰かが感想をいわなければならないので

「淳ちゃん、あなた、悪い夢を見たのねえ。脳外科でのきちんとした精密検査が必要だわね」

 民生員の佐々木さんという女性が、同情したように口を切った。

 淳君は不満だった。しかし上目使いで睨んだだけで、あえて反抗はしなかった。

「いやあ、これは。いってみれば、民間伝承や、民俗学の類ですな」

「神隠し。柳田国男の世界ですかねえ」

 一応、読書家で知られているパン屋の主人と、塾の先生とが、そんなふうに付け足した。他の皆は、腕を組んで、重苦しく押し黙ったままだった。

 参加していた坂井田家の父親と母親は、すっかり面目を失っていた。わが子が自分の家出を誤魔化すため、途方もない嘘をいっているのではないかと疑ったのである。

 ところが、しばらくして言いにくそうに口を挟んだのは、町内最年長の吉田老人であった。

「あの。……じつは、あそこはな。昔、防空壕があったところなんだがねえ」

 九十七歳になる吉田喜一翁が、感慨深げにそう呟いた。「わしらが、掘った」

 好意的な失笑が洩れた。

 もはや九十五も過ぎたら、何をいっても許してやろうという奇妙な寛大さが支配した。皆、「防空壕」という言葉を、数十年ぶりかに聞いたのである。

「あの中では、生き埋めになって、何人も死んだもんだ。ハア、あれは確か、昭和二十年の春のことだったかのォ」

 縁起でもない。

 こんな馬鹿げた話は、あまり地元にとってもいい話ではないし、最近はネットで悪い噂はすぐに蔓延してしまう。心霊スポットなどと称して、変な名所にもなりかねない。

 町内会の面々は秘密の会合を開き、吉田翁にはこれ以上喋らせないように工作した。家族にそれとなく圧力をかけたのである。

 その後も何度か、淳君は、明け方に「くうしゅう」の夢を見たらしいが、やがてそんな悪夢も見ることがなくなっていった。二週間の授業の遅れなど、すぐに取り返してしまった。幸いなことに、強い精神的トラウマを抱えることもなく成長したらしい。


 しかし、この小事件でとばっちりを受けたのは、吉田喜一翁九十七歳であった。

「坂井田さんとこの、ほれ、小っちゃい坊主が見たっちゅうのは、あれは、ハア、防空壕の中で生き埋めになった……三好さんちの……。」

 まだら惚けの進行する過程で、そんなふうにいいかけた途端、老人はたちまたち家族にさえぎられた。

「はいはい、お爺ちゃん、もう寝ましょうねえ。もう寝ましょう」

 と、皺だらけの口元を、家族の手で、注意深く押さえつけられるのであった。老人は危うく窒息しかけて、これは保険金殺人ではないかと疑った。それでも老人は、訴え続けた。

「あの三好さんの旦那さんてのはな、面倒見のいい、それはそれは、立派な人格者でな」

 老人は、町内の歴史を知っているのはもはや自分しかいないのだという、生涯最後の使命に燃えていた。終いには「わしも、今朝方、三好さん家で、お粥をよばれてきた」などと突拍子もないことを言い出す始末であった。「あそこん家は、みんな元気でやっとるでナァ」

 この件にふれた途端、鶏ガラのような貧弱なご老体は、がっしりした登山家のような体格の嫁に背負われて、布団の敷いてある奥の部屋へと、運ばれていったものである。

「俺は惚けとらんぞ。惚けとらんぞォ!」と叫びながら……。

 その吉田老人も、二年前、子供や孫やひ孫に見守られつつ、幸福な大往生を遂げたという。

 むろん、淳君の話は、穴の底で気を失っている間に、いかにも子供らしい無邪気な夢を見たという、日常的なリアリズムの物語へと回収された。

 さて、そんな数奇な経験をした坂井田淳君も、今年の春に、めでたく***市立東小学校を卒業した。卒業アルバムの後ろのページでは、元気にVサインをして、友達と写っている。東京のある有名大学の付属中学の入学も決まったらしい。もともと成績の良い優等生なのである。

 とはいえ、あの失踪事件についてはすっかり忘れていることだろう。



                   「およばれ」 (了) 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ