金魚すくい
夏祭りの夜は、どこか特別な感じがする。
ごった返す人、あちこちから香る屋台の食べ物の匂い、どこからか聞こえる太鼓や笛の音。
イメージよりもずっと熱気が籠もっている。だけど、浮き足立った人々の気に当てられてか、むしろ気分は晴れていた。
屋台の食べ物は高い。焼きそばなんて自分で作ったほうが安いだろ…なんて考え始めたところで、一旦思考を止めた。
原価について考えるのは邪道だ。
しかし、軍資金は1000円だけだった。
月末だから仕方がない。
どこかでビールと焼き鳥でも買って、祭りの空気を適当に楽しんで、タバコを一服しながら花火を見て帰るか。
そう思いながら、立ち並ぶ色とりどりの屋台を流し見ていく。
大方例年通りのラインナップ。
代わり映えしないが、値段だけは例年よりも微妙に値上がりしている気がして、世知辛ぇな、と思った。
射的、くじ引き、飴細工の屋台を適当に冷やかし、スーパーボール掬いの屋台の前で飛んできたスーパーボールをキャッチして、遊んでた男の子たちに返してやった。
ついでに、
「人に当たったらあぶねえし、飛んでって失くしっちまうのも嫌だろ?家であそびな、坊主。」
と、軽く説教もして、なんとなくちょっといい大人をした気分になって、鼻を膨らませたところで、ふと足が止まった。
金魚すくいの屋台。
例年通りだと、でかい麦わら帽子と首にくたびれたタオルを引っ掛けた白髪頭のおじいさんがやっている店だ。
だけど、今年は随分と若い少年が座っていた。
手伝いか?
よく見ると、その少年はどこか浮世離れしたような整った顔をしていたものだから、ついじっと眺めてしまった。
「おじさん、やってく?お安くしとくよ。」
少年が声をかけてきた。
「おじさん、ってのぁ、聞き捨てならねぇな。一応これでも、まだ20代なんだぜ?」
俺は少し調子に乗って、少年に軽くガン付けた。
が、少年は、いたって冷静に
「それは悪かった。で、オニイサン、やってくの?」
と俺の目を見て返してきた。
なるほど、生意気なガキンチョだ。
冷やかしだと言って去ってしまうつもりだったが、どーせ金がねぇんだろうな、と思われるのもなんか癪だ。
しゃーねぇ、ビールはあきらめるか。
「おい、いくらだ。」
俺が聞くと、少年は、
「1回350円。」
と手を出してきた。
「ちょっくら大きいが、ごめんな。」
俺が1000円札を差し出すと、少年は電卓も使わずさっと650円を缶から出して俺に返した。
どこまでもいけ好かないガキンチョだ。
少年から赤い枠のポイを受け取り、よく見る金魚すくいの水槽に目を落とす。
小指くらいの小さな金魚が大量に泳いでいた。
どれならいけるかな、と、ひらひら泳ぐ金魚を眺めていると、ある一点に目が止まった。
一匹だけ、真っ黒な出目金がいた。
大きさも、他の金魚より一回りでかい。
「おじ…オニイサン、出目金すくうの?そいつ、なかなか手強いよ。」
今おじさんって言いかけたな…こいつ。
俺はその出目金に狙いを定めた。
金魚すくいなんて何年ぶりか。
じっと狙いを定め、よし行ける、とポイを水面に近づけた。
と、
次の瞬間、パシャッと音が鳴り、ポイが破れた。
「は?」
と思って見ると、あの出目金がスィ〜と泳いでいった。
出目金がジャンプして、俺のポイを破ったのだ。
少年がケラケラと笑い出した。
俺がまた少年をガン付けると、少年は笑いながら
「その出目金、すごいんだ。うちの金魚屋では出目金と普通の金魚の水槽を分けていて、普通の金魚だけを金魚すくい用にもってくるんだけど、その出目金、隣の水槽からジャンプして普通の金魚の水槽に入っちゃってさ。面倒だからそのまま持ってきたんだ。出目金だけに、目玉商品にしようと思って。」
と言った。
俺は出目金を見つめ、例年の金魚の水槽を思い出してみた。
この金魚屋の屋台の金魚は、確かに毎年普通の赤い金魚だけが泳いでいた。
「そういや、いつもの親父さんはどうした?」
俺が聞くと、少年はすっと上を見上げた。
まさか…と思ったが、
「じっちゃんは腰やった。」
と少年が言ったので、がくっとなった。
心配して損した。
「じゃあ坊主、お前1人か?」
俺が聞くと、
「僕が1人でこんな大量の金魚をここまで運んで準備できるわけないでしょ。父ちゃんと一緒だよ。父ちゃんは今、休憩行ってる。そのうち帰ってくるんじゃないかな。」
少年はそう言って、ペットボトルの水を飲み干した。
俺は、破れたポイに目を落とした。
あの出目金、うまい具合に真ん中から破りやがった。
手の中にあるポイは、もう使い物にならなそうだった。
しかし、ここで諦めるのも癪だ。
こんなガキンチョに笑われ、出目金ごときに馬鹿にされたまま帰れない。
俺は、350円を少年に手渡した。
少年は、少し目を見開いた。
が、肩を竦め、今度は緑色のポイを俺に渡した。
俺はポイを受け取ると、今度は出目金の後ろから狙った。
流石に後ろには跳ねれねぇだろう。
俺はそっと近寄るのではなく、迷いなく一思いにすくった。
出目金がポイに一瞬乗っかる手応えがあった。
その瞬間、出目金と目が合ったような気がした。
出目金は、尾ひれでポイを打ち、跳ね上がると、パシャン、と水槽に落ちた。
「ちくしょう…」
俺のポイは破れていた。
少年はまた笑った。
「オニイサン、そんな気を落とさないでよ。そいつ、今日ずっとそんな感じなんだ。みんなそいつをすくおうとするんだけど、誰も成功しないんだよ。」
俺も、その他大勢と一緒ってことか。
ああ、癪に障る。
俺はもう一度…と思ったが、手の中に残っているのは300円だけだった。
俺が舌打ちし、溜め息を吐くと、少年は空のペットボトルを振って
「オニイサン、後で僕にジュース買ってきてくれるなら、もう一回無料でしていいよ。父ちゃんにはないしょで。」
と、紫色のポイを差し出して来た。
ここで少年に乗ってしまうのは、大人としてよくない。
そう思ったが、視界の端であの出目金が、俺を煽るようにパシャンッと跳ねたものだから、俺はムカついて少年からポイを受け取ってしまった。
結果はもちろん、惨敗だった。
俺が破れた紫色のポイを少年に返しているとき、出目金は勝ち誇るようにパシャンパシャンと水槽を跳ねていた。
「約束、忘れないでね。」
少年は俺に釘を刺した。
「わぁってらぁ、ジュース、なんでもいいのか?」
俺が聞くと、
「冷たければなんでもいいよ。」
と少年は額の汗を拭いながら言った。
俺は適当に自販機を探した。
屋台のジュースはどうせ高い。
コーラを買おうとして、ふとその黒いフォルムがさっきの出目金を彷彿とさせ、なんかムカついたので隣のポカリを買った。
戻ってみると、金魚屋の屋台の周りには、女の子たちの人だかりができていた。
女の子たちは、キャッキャ言いながら食べ物や飲み物を少年に渡していた。
忘れていたが、そういえば少年はどこか儚げで端正な顔立ちをしていたな。
俺はまた溜め息を吐いた。
俺が買う必要なかったじゃねぇか。
ポカリを開けて一気に飲み干した。
その後しばらくふらふらして、せめて花火が見えるスポットで花火を見て帰ろうと思ったが、周りに浮かれたカップルが多すぎて途中でタバコを消して立ち上がった。
花火の音を背に、少し落ち着いてきた屋台の通りを抜けると、金魚屋の前に、いつもの親父さんが座っていた。
「おう、親父さん、腰やったんじゃねぇのかい?」
俺が声をかけると、親父さんは首を傾げた。
「はて、わしはこの通り、今年もピンピンしとりますが。」
「そうなのかい?さっきの若い坊主が、親父さんは腰やったって言ってたんだが。あれはお孫さんか?」
親父さんはまた首を傾げた。
「はて、わしは独り身なんで、孫はいないですが。」
「は?」
俺は、背筋が少し冷たくなるような感じがした。
「さっき店番してた、随分とキレーな顔立ちのガキがいたじゃねぇか。」
と、俺が何度も親父さんに説明したが、
「この店はわしがやってる店で手伝いもいないよ。」
と言われた。
狐か狸にでも抓まれたか。
俺は、水槽に目を落とした。
小指くらいの赤い金魚に混じって、一回り大きな出目金が…
いなかった。
「親父さん、出目金、誰かがすくったのか?」
親父さんは
「あぁ、俺が休憩から帰ってきたらいなくなってたんだ。誰かが盗んでったか、ネコにでも咥えられていったのか知らんが、せっかくの目玉が消えちまった。」
と少し悔しそうに言った。
俺は、親父さんに挨拶して立ち上がった。
あの少年が持ってったんだろうな。と思った。
おそらく、あいつは親父さんが昼休憩に行ったとき、いたずらで勝手に店をやってるフリをしたんだ。
まったく、親はどんな教育をしてるんだ。
てか、金も水槽もそのままにして休憩する親父も何考えてんだ。
カップルどもも、祭りの日だからって浮かれすぎなんだよ、人が花火を見てエモい気持ちになろうってときにベタベタイチャイチャ暑苦しい。
俺は色んなストレスから、ぶつぶつ悪態をつきながら帰路についた。
未だ花火をやってるから、帰り道は空いていた。
しかし、通り抜ける生ぬるい夜風は、俺の気分を晴らしてくれるほど気が利いてはいなかった。
次の日、俺はまた祭りの跡地へと向かっていた。
昨日の祭りで、お気に入りのジッポーを忘れて帰ったのだ。
昨日の夜は、混んでいるだろうから、取りに戻るのは諦めた。
俺はあのジッポーでないとタバコが吸えない。
おかげで現在進行系で気分は最悪だった。
それもこれも、あのカップルどものせいだ。
畳まれた屋台の間を抜ける。
色々な人が、片付けやゴミ拾いに勤しんでいた。
花火を見てた当たりに行くと、ジッポーはすぐに見つかった。
この辺はまだ片付けられてなかったみたいでほっとした。
俺はようやく一本咥え、お気に入りのジッポーで火をつけて紫煙を肺一杯に吸い込むと、ニコチンのおかげかいくらか気分が晴れてきた。
帰り際、金魚の屋台があったあたりに寄ると、すでに全て片付けられて、跡形もなくなっていた。
まぁ金魚の水槽は放置できないだろうから、当たり前か。
そんなことを思いながら、屋台のあった跡を眺めていると、隅のほうになにかが落ちているのが見えた。
色褪せた黒に、潰れた大きな瞳。
昨日のあの黒い出目金の死骸だった。
跳ねているうちに、水槽から飛び出してしまったのか。
辺りが暗かったから、気づかれなかったんだろうか。
あのとき俺がすくってやれてたら、こいつは今も生きていたのかもしれない。
まったく、浮かれすぎなんだよ。
俺は木の枝で、出目金の死骸を屋台を建てた跡の穴に落として、埋めてやった。
短くなったタバコを地面に擦り付け、俺は帰路についた。




