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源頼朝挙兵物語  作者: 中野掘門
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九十九 頼朝と景親 一

 翌日、頼朝一行は、無事安房に上陸した。


 その後、安房から、上総、下総、武蔵、相模を経由する間に膨れ上がった数万の軍勢を率いて、十月六日、頼朝はついに鎌倉入りを果たした。


 頼朝の旭日の勢いに、関東各地の平氏に味方していた武士たちは、雪崩を打って頼朝に伺候(しこう)した。


 北条時政と義時は、その後鎌倉に帰参して頼朝の無事を祝し、自分たちは甲斐源氏の元に行き、援軍を懇望(こんもう)していたのだと説明した。


 頼朝はその話を聞き、鷹揚(おうよう)(うなず)いて笑みを浮かべ、汝らも無事でよかったと喜んだ。


 時政は、頼朝を見て驚いた。石橋山の合戦以前の頼朝とは全く違う人物がそこにいた。堂々として自信に満ちた姿は、まさしく源氏の棟梁としての風格に(あふ)れていた。時政は、もう少し頼朝に従ってみるかと密かに思った。


 妻の政子は、頼朝を追いかけるようにして鎌倉に来た。殿、よくぞご無事で、という挨拶もそこそこに、人前も(はばか)らず激しく抱きついてきた政子の耳元で、今宵(こよい)な、とささやいて待女の方に押しやり、おっほん、と咳をして頼朝は少し赤い顔で周囲を取り(つくろ)った。


 加藤景廉は、あの後、駿河と甲斐を経由して鎌倉に入り、早速、頼朝の護衛としての任務についているが、いくさで剛の者に出会いたいとぼやいているらしい。


 梶原景時は、翌年の四月に、頼朝にお目見えを果たした。早速、頼朝の側近として取り立てられることに決まり、景時は、やはり裏の工作が大事なのだ、ということを身に染みて感じ取り、今後の彼の座右の銘となった。


 大庭景親に味方していた伊豆平井郷の平井久重は、翌年の一月に捕らえられ、四月に鎌倉の腰越で処刑された。彼は遂に北条の地を手にすることはできなかった。




 頼朝が真鶴から脱出して約二か月後の十月二十三日、大庭景親は捕られ、相模国府に身柄を移された。


 その数日前に、頼朝は関東の武士を引き連れて、駿河の富士川にて平氏軍と合戦し、これを潰走(かいそう)せしめていた。


 鎌倉への凱旋(がいせん)の途上、相模国府に立ち寄った頼朝は、(とら)われの身となった大庭景親と対面した。


 相模国府の一室に、景親が円座に座らされた。


 頼朝は、側近を伴ってその部屋へ行き、景親と対座した。少しの間、無言で景親と向き合った後、頼朝が側近に命じた。


「人払いせい」


「しかし」


 側近たちは難色を示した。


「案ずるな」


 頼朝の存外に強い口調を察した側近たちは退出し、部屋には頼朝と景親の二人のみとなった。


次回、最終話です。

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