九十 頼朝脱出 三
真鶴の大庭景親の元に、伊東祐親軍三百が到着したのは、二十七日の午後であった。
「伊東殿、御足労をおかけした」
「こたびは急なご指示に驚きました。土肥館の包囲を解いて良かったのでしょうかな」
「伊東殿。それについてはいろいろ事情が変わって参りましてな」
さ、こちらへ、と言って景親は、道の奥まったところに伊東を案内し、二人で床几に座ってこれまでの経緯を説明した。
伊東は、いちいち納得しながら、景親の話を聞いていた。
「なるほど。しからば頼朝たちはこの付近にいて、船に乗る機会を虎視眈々と窺っているわけですな」
「そうなのです。伊東殿。先ほど郎党に命じ、真鶴の漁民にいつごろ西風に変わっていくのかを問い合わせたところ、明日の未明には風向きが変わるだろうとの返答であったというのです」
「とすると明日には、隠れ潜んでいるところを離れて、船に乗り込むかもしれないということですな」
「伊東殿。この真鶴にはいくつかの港がありますが、烏帽子が売られた場所からすると、頼朝らが出港すると思われる港は二つだけです。一つは北の岩の港であり、今一つは南の磯崎の港です。そこで岩の港の方を伊東殿にお願いし、我れは磯崎の港に回りたいと思うのですが、お願いできますかな?」
伊東は快諾した。
「承知いたしました。そのようにいたしましょう」
大庭景親は、伊東祐親との談合の後、三百の兵を引き連れて磯崎の港に向かった。ここは真鶴半島北側の根本にあり、深い入り江を形成している。
景親は兵三百を磯崎の港に配置し、人数分の松明と必要な篝火を用意して、港を監視する準備を整えた。
磯崎から東へ三町ほどの山の上に貴船神社が鎮座している。
この神社は、古来より相州真鶴貴船神社と呼ばれ、付近の漁民や交易船の船人から尊崇されてきた古社である。
景親は、頼朝に仕掛ける最後の罠を考えついた。
頼朝の心理を深く読み、もし港で頼朝一行を取り逃がして出港を許したとしても、その後必ず頼朝を捕捉できる素晴らしい策だと思った。
そして、貴船神社の海側正面に二か所、篝火を煌々と焚かせ、家人に命じてこの篝火は夜通し焚き、決して火を絶やしてはならぬと厳命し、最も信頼する郎党数名を呼び、簡単な指示を出した。
すべての準備を終えた景親は、真鶴の山に向かって、心の中で話しかけた。
……さあ頼朝よ。決着をつけようぞ。




