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源頼朝挙兵物語  作者: 中野掘門
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八十五 烏帽子の行方 二

 八月二十七日。


 武蔵・相模の武士たちが続々と移動し始めた。


 大庭景親より帰国の許可が出た武士たちは、喜び急いで荷物をまとめて次々と出立して行った。


 残る軍勢は、大庭軍三百と伊東祐親(すけちか)軍三百の計六百のみである。


 伊東祐親軍は、相変わらず土肥館の包囲を解いていない。


 今、この囲みを解くと頼朝方に(すき)を与えてしまうかもしれないと思い、そのままにしてあった。




 真鶴から湯河原までの一帯、ここが土肥実平の領地の中心をなしている。


 景親は、自身の(かん)に従っていた。


 このどこかに頼朝一行は、必ず潜んでいるはずだと思っている。


 湯河原と真鶴とは半里程度は離れているので、自然と湯河原が伊東祐親軍に、真鶴は景親の軍が展開するような格好となっている。


 景親は、真鶴付近の街道上に兵を展開させて、警戒に当たっていた。


 この兵数ではもはや大規模な山狩りはできないし、やっても無駄であることは、この二日間の捜索でわかっていることである。


 自身も兵と一緒に街道沿いにいて、どのように頼朝一行を探すか、その手法を見い出しあぐねていた。


 考えながら街道をうろうろと歩き、目の前に広がる風景を見ながら、自分が頼朝の立場であったら、どうするだろうと考えた。


 ……やはり海だ。伊豆と西相模の頼朝軍は、ほぼ壊滅状態であるから、三浦か千葉のところへ行こうと考えるだろう。七名という少人数でここから脱出するのなら、陸路でなく船を使った方が良い。


 船に乗ることを考えるなら、漁師がいる港が候補となる。


 しかし小舟まで含めるのなら、真鶴から湯河原の海岸線のいずれからでも出港できる。


 我らの兵数では、よほどの僥倖(ぎょうこう)に恵まれなければ、捕らえることは不可能だろう。


 景親は、相模湾が見渡せるところまできて、ぼんやりとそれを眺めていた時に、突然(ひらめ)いた。


 ……そうか。風だ! 頼朝は西風が吹くのを待っている……


 このところずっと東風が吹いていた。


 頼朝が行きたいのは、三浦や千葉などがいる三浦半島か房総半島だ。


 すると、どうしても西風を待たねばならない。


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