七十三 頼朝潜伏 三
「実平。なかなか良きところではないか」
頼朝が楽しそうに言った。
実平は、今日の昼過ぎくらいまでは、頼朝の表情が冴えないのを心配していたが、いつもの頼朝に戻ったように感じられ、心の中では訝しみながらも、うれしく思っていた。
「子供のころ、七郎丸とその弟八郎太の三人で、餌でおびき寄せた獣をここから弓で射る遊びをしたものでございます」
「なるほど」
頼朝は感心した。
「殿、この場所は麓の村の民にも知られておらぬところでございますゆえ、まず敵に見つかる気遣いはございません」
「汝の深慮には頭が下がる」
そう言って頼朝は頭を下げた。
「とんでもございません」
実平が慌てているようで、頼朝は少し笑った。
……笑うなどということは何日ぶりだろう。近頃はずっと塞ぎっぱなしであった。さぞや回りの者たちにも気を使わせてしまったことだろうな。
頼朝は、不思議な気持ちだった。
ここ最近は、大庭景親の謀略に打ちのめされ、その事で自分の不甲斐なさを責め、絶望的な思いでいた。
しかし、加藤景廉の言葉に勇気をもらって気を取り直し、そして今、久方ぶりに笑ったことで、圧迫されていた諸々から解き放たれ、何か開放的な気分さえしてきたのである。
そうなると色々頭が回るようになってくる。
「実平。汝はこの隠れ家の他に何かの仕掛けを考えておったのか?」
頼朝は、そこに置いてある弓矢を見ながら、実平に問いかけた。
「はっ、この狩猟用の弓矢を使って、真鶴村にいる七郎丸の弟八郎太と連絡を取れるようにしてございます。
目の前の木の下部に矢を射し立てておけば、それを焚き木拾いに変装した八郎太が見て、夜にここに忍んで来るという仕掛けにございます。
このあたりでは山での狩猟は珍しくありません。
ですので、そこここに狩猟用の矢が刺さっていたとしてもさほど怪しまれませぬ。
おそらく八郎太は、石橋山の首尾を聞き、既に来ているものと思われます」
「うむ。わかった」
もう外は日暮れを過ぎて暗くなっているらしく、切株に差し込んでいたわずかな明かりもかすかなものに替わってきている。
小さな穴から外を覗くと半町ばかり離れた山裾に篝火がたかれているのが見えた。敵の哨戒拠点の一つなのであろうと思われた。
隣の切株からは何も聞こえず、しんとしている。
おそらく食事をしたので皆眠りについたのであろう。




