五十五 石橋山合戦 二
「……平家の御恩、山よりも高く海よりも深し。覚悟せよ!」
と景親が言い終わった瞬間、大庭軍と伊東祐親軍は、一斉に矢を射かけ始めた。
頼朝軍の北面南面には掻楯が並べられてあり、たちどころにハリネズミとなる。
「馬を狙え。馬を倒して、きゃつらを徒歩立ちにするのだ」
景親は命じた。
大将格の武士は大鎧を着用している。大鎧の重量は七貫ほどもある。
乗馬している時にはよいが、馬を下りて徒歩立ちになると、その重量のためとたんに身動きが鈍くなる。
大庭軍から放たれた矢が放物線を描き、頼朝軍の掻楯の上を飛び越えて、次々と馬に襲いかかった。
矢が突き刺さった馬は、暴れて背中の人を振り落として駆け去っていくか、その場に倒れて、もがき苦しんでいる。
北から南から頼朝軍に矢が降り注ぎ、身動きが取れなくなっている。
そこへ西の山上から俣野景久の一団が頼朝軍に突撃をかける。
頼朝軍は、側面を突かれて混乱状態に陥った。
俣野景久は先陣を駆け、大音声で、
「俣野五郎景久ここにあり! 我と思わん者は組めや!」
それに応えて、佐奈田義貞が名乗りを上げる。
「おおっ、佐奈田与一義貞ぞ! いざ組まん!」
両者は馬を並べて、その間に落ち重なる。ちょうど斜面のところで、お互いに上になり下になり転げ落ちていく。
あたりは夕暮れを過ぎた時刻で、雨が強くなっているせいで、いつもよりずっと暗くなっている。
転げ落ちた途中で止まった時、俣野がうつ伏せになって、その背に佐奈田が馬乗りの姿勢になっていた。
俣野はどこか打ちどころが悪かったらしく、四肢に力が入らないようだった。
佐奈田は勝ち誇ったように笑みを浮かべ、腰の短刀を引き抜いて、俣野の頸を掻こうとした。
だが何故か斬っている手ごたえがない。二度三度と頸を掻くが同じように手ごたえがない。
おかしいと思って短刀を目のそばまで持って来ると、なんと鞘が抜けていないではないか。
慌てて鞘を口にくわえ抜き身にすると、今度こそ短刀を突き立てようとした瞬間、うつ伏せだった俣野が素早く身を回転させて下から短刀で佐奈田の頸を刺し貫いた。
佐奈田が苦悶の表情を浮かべて脇に転がる。俣野はすかさず佐奈田の頸を掻き落とし、その場にめまいで尻もちをついた。
何とか立って、佐奈田の首を掲げ、大音声を上げた。
「俣野五郎景久、佐那田与一義貞を討取った!」
……さすがは我が弟。ようやりおったな。
だが弟を褒めている暇もなく景親は、次の指示を出さねばならない。
戦いが自軍に有利に展開していることはわかっていたが、もう日が落ちてあたりが暗くなり、敵味方の区別もつきにくくなってきている。
このまま戦闘を続ければ、同士討ちが多発する。
「遠巻きにして敵を包囲したままにするのだ」




